【完結】電を逐う如し(いなづまをおうごとし)――磯野丹波守員昌伝

糸冬

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(三十三)電を逐う

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 天正四年の年初早々、丹羽長秀に対して安土城の普請を命じた信長は、二月の下旬には早くも岐阜から移り住み、築城の進捗を己の目で確認しながら過ごしている。

 しかし、厳密な意味では居城を移したとまでは言えず、現に天正五年の正月は岐阜で迎えている。

 天正六年、はじめて安土で新年を迎えた信長であるが、二月三日の時点でも、「天主」と称される天守閣は、依然として普請の最中であった。

 従って信長が居住し、また執務を行うのは、本丸の天主から南東側に開けた一角に築かれた仮御殿である。

 仮御殿とは呼ばれているが、真新しい建物そのものは堅固な造りとなっている。

 員昌は登城するにあたって、先触れを走らせた。
 話は無事通っていたらしく、大手門で咎められることもなく城内に入ることが出来た。

 供をするのは、嶋秀淳と小者が数名。

 秀淳を同行させることを、員昌は一度は拒んだ。
 信長の勘気に触れれば、一同揃って手討ちになりかねないのだ。

 だが、秀淳はなんとしても最後まで供をすると言って聞かず、最終的に員昌が折れる形になった。

 員昌一行は、信長が重用する近習の一人である菅谷長頼に先導されて、城内を進む。

 途中で秀淳ら供の者を残し、員昌だけが控えの間に案内された。

 多忙を極めるであろう信長が相手であるから、どれだけ待たされても仕方ないと員昌は考えていたが、ほどなく呼び出され、信長の前に進み出ることが許された。

 員昌は下座の端に平伏する寸前、上座に座る信長の姿を盗み見る。

 信長は以前とかわらず、鋭い精気にあふれていた。

(結果がどうあれ、これが御顔を拝見する最後であろう)
 既に、員昌は覚悟を決めている。

 これから何が起ころうとも、その結果を受け入れるのみである。

「久しいの、丹波。正月は寝込んでおったそうじゃな。今頃、わざわざあいさつに出向いて参ったか」
 信長が高い声で問う。

 相変わらずの権高な物言いではあるが、意外と語調には険が感じられない。

 あるいは本当に来訪の意図が判らず、戸惑っているのかもしれない。

 員昌は信長の問いに応じるべく、わずかに上体を起こした。

「……それがし、武士を辞めたく存じますゆえ、お屋形様への挨拶にまかり越した次第」

 丹田に気を溜め、早口にならぬよう。
 員昌は戦場で鍛えた胴間声で言い切り、再び平伏した。

 員昌の声の響きが広間から消えると、束の間の沈黙が広がった。

「面をあげよ、丹波。武士を辞めるとな。隠居する腹を決めたか」
 解せぬと言わんばかりに信長が問う。

 員昌が再びゆっくり顔をあげて信長の様子を確かめる。

 回りくどい言い回しを嫌う信長だけに、その表情に苛立たしげな気配が混じっていることが伺えた。

「坊主になるか百姓になるか、とにかく武士を仕舞いにいたします。隠居では何かと障りがありますゆえ、『逐電』とでもさせていただきたく存じます」

 怒りを招かぬようにと曖昧な言い回しをしたのでは、かえって怒らせるのが関の山。

 員昌はあえて、どこか挑発するかのようにはっきりと声を放つ。

「逐電、のう」
 口の中で「逐電」の言葉を転がした信長が、ややあって片頬に笑みを刻む。
 そして、射抜くような眼光を員昌に向けてくる。

 ここが勝負どころ。

 員昌はそう思い定め、身を乗り出すようにしてさらに言葉を継ぐ。

「禄はすべて返上いたしますゆえ、高島一郡、すべて七兵衛殿にお引き受けいただければ幸甚にござります」

「たわけ。そなたの指図は受けぬわ」
 信長が放つ鋭い声に、部屋の隅に控える近習達が震えあがる。

 だが、員昌は信長が発する怒気を正面から受け止める。

「七兵衛殿を養子とする話は返上させていただきます。我が嫡男に磯野の名乗りをお許しいただき、そのうえで七兵衛殿のご家中にて末席を占めさせていただければありがたく存じまする」

「言いたいいことはそれだけかっ」
 信長が吠える。

 だが、員昌は決して臆さない。

「いかにも、申し上げたきことは、これが全てにござりまする」
 それだけ言って、員昌は改めて平伏した。

 儂がこの城から生きて出られるなどと思っている者が、果たしてこの場にどれだけいるのか。

 そして、信長の断が下る――。



 空高く、鳶の鳴き声が聞こえる。

 二月にしては暖かな日差しが雲間から射し込む。

 寒さを感じないのは、陽気のせいか、興奮で血潮がたぎっているせいか。

「やれやれ、どうにかお許しいただいたわ」
 黒金門をくぐったところで、頬を紅潮させた員昌は苦笑いを浮かべて首を振る。

 刺す様な声ながら、信長から「好きにせよ」との言葉を頂戴した員昌は、堂々と仮御殿から退出した。

 もっとも、本人は堂々としていたつもりでも、周囲からは這う這うの体で逃げ出したように見えたとしても不思議ではない。

 正直、員昌にも自分がどんな顔をしていたのか記憶にない。

 供をしてきた秀淳は、員昌とは対照的に、体躯に見合わぬ青い顔をしている。

 小者たちも同様に、緊張が抜けないままなのか、今にも倒れそうな表情で付き従っている。

「それがし、殿に万が一の時あらば、かなわじなりとて」

「それ以上は申すな。ここで口にして良いことではないわ」
 要らぬことを口走りそうになった秀淳を、員昌は低い声で制する。

 その言葉に我に返ったか、秀淳は急に周囲を見回した。

「仰せの通りにございますな。急ぎ、城外まで逃れねば」

「なにを逃げる必要などあるものか。儂は、なんらやましいことをした覚えはない」

「ではござりましょうが、織田様がいつ気を変えて追手を差し向けるやもしれず」
 秀淳はなおも周囲を伺いながら小声で言い募る。

 信長の放つ気迫は、戦場においては抜群の働きを見せる剛勇の士ですら委縮させるものらしい。

 改めて実感して、員昌はどこかおかしみさえ感じた。

(ああ、もののふの道を捨ててこそ、この滑稽さが判るのか)

 下り坂を右に折れて門をくぐると、一直線に大手門まで下る長大な石段が眼下に伸びる。

 安土城は、城郭施設としては異様な造りが幾つもみられる。直線を描く長い石段もその一つだ。

 四方に敵のない天下人の居城であるため、防御のことを考える必要はないからだ、という者もいれば、門の奥に鉄砲をずらりとならべて登ってくる敵兵を討ち取るためだという者もいる。

 本当のところは誰にも判らない。
 誰も信長に真意を訊ねることなど出来ないだろう。員昌はふと、そんな思いを抱く。 

「これから、如何なされますので」
 秀淳の問いに、員昌は微笑みを浮かべて顎鬚を撫でる。

「さて、どうするかな。高野山にでも登ろうか。叔父の消息を訪ねてまわるのもよいし、命冥加の御礼に小田原まで社参するのも悪くない」

 胸を張って顔を上げた員昌は、安土城の幅の広い石段を踏みしめてゆっくりと下っていった。



 員昌が高島郡から姿を消すと、信長は間髪入れずに信澄を名実ともに新たな主に任じた。

 一度は新庄城に入った信澄だが、ほどなくして大溝館を取り壊し、明智光秀の縄張りの元、改めて大溝城を築いて移り、居城とした。

 員昌の去った磯野家はそのまま、信澄の配下として仕えることが認められた。

 員昌の立場からすれば、嫡男を廃嫡せず、かつ信澄に磯野姓を名乗らせることなく家名を存続させる願いをかなえたことになる。

 一方、信澄の視点に立てば、織田姓を名乗ったまま高島郡司の地位が手に入ったとも言える。

 しかし、順調に身代を栄えさせていた信澄であるが、天正十年(一五八二年)六月の本能寺の変によって信長が討たれた日から、その未来は暗転する。

 この時、信澄は信長の三男・神戸信孝を総大将する四国遠征軍の副将の一人として渡海の予定であった。

 だが、光秀の娘婿という立場が災いした。

 神戸信孝は、信澄が光秀と通じているとの疑念に駆られ、だまし討ちで信澄を謀殺する。

 謀叛を咎められて信長によって討たれた父・信勝と、二代続けての非業の最期であった。



 信長の死は、員昌の一族にも暗い影を落とした。
 磯野弾正員春は本能寺の変後、明智佐馬助光春(弥平次秀満)に仕え、六月十四日に坂本城にて討死したと伝わる。

 員昌逐電後、信澄の家臣として命脈を保った磯野家としては、信澄を討った羽柴方につくことは出来ず、流されるままに明智方に味方したのか。

 それとも員春は自らの手で家運を開くつもりで、進んで明智家に賭けたのか、今となっては知る由もない。

 員昌の嫡男・右近員行はのちに石田三成に仕えた。

 その子、平三郎行尚は三成の近習として関ヶ原の合戦に参戦し、敗北して落ちのびる三成に忠義を尽くして付き従い、最後は諭されてなくなく生き別れることになった。

 その後、員行一族はかつての縁によってか、藤堂高虎に仕えることになる。

 なかでも、磯野行信は大坂の陣で増田長盛の次男・盛次を討つ戦功を立て、一二〇〇石を領したと伝わっている。


 
 磯野家の事績を後世に伝えたのは、妹の子で養子に迎えた勘三郎員次の一族であった。

 員次は、天正十年に武士を捨てて帰農した。

 その後は苗字帯刀を許された豪農として江戸時代を通じて現代まで家名を守り、貴重な記録を残すことになった。



 嶋秀淳は、員昌が逐電した天正六年の九月、織田信澄の配下として丹波国大山城攻めに参加した嫡男・新六を、二十一歳の若さで喪う悲運に見舞われる。

 嶋一族の事績は、嶋秀安が在世中に書き溜めた記録に、彼の没後の加筆を経て成立した「嶋記録」に詳しい。

 その記述によれば、嶋秀安の嫡男である秀親には四男一女があり、秀淳にも男子が六名あったとされる。

 従って、嶋の家名が絶えることこそなかったが、秀淳にとって嫡男の死が痛恨事であったことに違いはない。

 その後、秀淳は蔵舩の法名を名乗り、世の動きを眺め続けて慶長十六年(一六一一年)八月十日、八十二歳で世を去った。

 その頃には既に信長の跡を継いで天下人となった羽柴あらため豊臣秀吉も死に、徳川家康の時代となっていた。



 員昌が逐電した翌年の天正七年(一五七九年)、かつて員昌に仕えた小堀正房の嫡男、正次に待望の嫡男が誕生する。

 員昌にとっては孫にあたる男子は作助と名付けられ、元服して正一(政一とも)と名乗る。

 正一の才能は単なる一武将の枠にとどまらず、茶の湯や建築にも発揮された。

 ついには徳川政権下で、駿府城修築の功をもって従五位下遠江守に叙任されるに至った。

 後に遠州流茶道の開祖として知られることになる小堀遠州、その人である。



 藤堂高虎は、員昌の次に織田信澄に仕えることになったが、これも加増の少なさで揉めて退転し、羽柴秀吉の弟・秀長の元に身を寄せることになる。

 この出会いが高虎の運を開き、万石取りの大身にまで登りつめる。

 天正十九年(一五九一年)に秀長が死去すると、その甥で養子の羽柴秀保に仕えた。

 さらに秀保も文禄四年(一五九五年)に早世したことから、曲折の末に秀吉の直臣となる。

 秀吉の元でも加増を受け、八万石の大名まで出世した高虎であるが、秀吉の生前から徳川家康との親交を深めており、秀吉没後は家康の忠臣としておおいに名を残すことになる。

 その生涯において多くの主を変えた高虎は、時に狷介な人物像として描かれがちであるが、一方では関ヶ原戦に仕官先の石田三成を失った員行ら磯野家の一族を召し抱えている。

 高虎は高虎なりに、かつての主から受けた恩を忘れてはいなかったのかもしれない。



 森盛造こと岸澤與七については、そもそも太尾城の失態を最後にこの世から消えた男であり、なんの事績も記録されてはいない。

 員昌の逐電によって忍びの者としての役目を終えたとはいえ、他に行くあてもない身であり、員昌に付き従う小者として生涯を終えた。



 員昌と関わりがあった者について、もう少し触れておく。

 員昌が最後まで気にかけていたであろう今井定清の忘れ形見・今井小法師は、元服して秀形と名乗った。

 美濃国不破郡に蟄居して世に出る時節を待った秀形は、天正十一年(一五八三年)の小牧長久手の戦いに参陣した。

 没落した家運を再び開こうと目論んだ秀形であるが、この合戦においてあえなく討死し、今井家の歴史は幕を閉じた。



 阿閉貞征・貞大父子は、天正六年の八月には信長の面前で相撲を披露する栄誉に預かっている。

 なお、「信長公記」においては、員昌逐電の記述の次の項目にこの出来事が記されている。

 員昌とは対照的に、信長の直臣として有岡城の荒木村重攻めや、伊賀攻め、武田攻めと毎年のように大きな戦さに参陣して武名を高めていた。

 しかし彼らもまた、本能寺の変によって運命が暗転する。

 かねてから貞征は所領を巡って秀吉との折り合いが悪かったこともあってか、明智光秀側に立って兵を動かしたのだ。

 秀吉の居城を長浜城を制圧し、山崎の戦いでも先鋒を勤めるなど、先頭に立って反羽柴の働きをした以上、光秀の敗死は自らの滅亡を意味していた。

 貞征・貞大父子は秀吉によって一族もろともに処刑され、その血筋は絶えた。



 年少ゆえに樋口直房に采配を任せ続け、その直房が誅殺された為に巻き添えとなって所領を召し上げられた堀秀村は、没落したものの、後に秀吉に召し出されて一千石を扶持し、かろうじて家名を保ったと伝わる。

 慶長四年(一五九九年)没。享年四十三歳。

 かつて木目城を守った旧浅井家臣の磯野員昌、阿閉貞征、樋口直房と堀秀村は、人生の岐路にあたってそれぞれ決断を下した。

 しかし、結果としていずれも大名として家名を残すことは出来なかった。

 とはいえ、その事実のみをもって、彼らに先見の明がなかったと評するのは酷であろう。

 ほんのわずか、天運が彼らに味方しなかった。それだけのことである。



 本能寺の変後、磯野員昌は磯野氏の本貫地ともいえる伊香郡高月の磯野村に蟄居し、帰農した。

 信長がこの世から去り、かつての杉谷善住坊のように追手を差し向けられる心配がなくなったためであろうか。

 磯野家の子孫の元に残る記録では、帰農後は「五百石ヲ領地」したと伝わる。

 五百石とは、武家を捨てた一介の農民の手に負える規模ではなく、帰農という言葉から連想される自給自足の生活からほど遠い。

 「領地」の意味からしても、「かつての殿様」は、地元の顔役としての処遇を受けていたのかもしれない。

 その暮らしぶりは不明ながら、世の移ろいを磯野村から眺め続けた員昌は、天正十八年(一五九〇年)の九月、ひっそりとこの世を去った。

 かつて姉川の地にて、信長の心胆を寒からしめた「十一段崩し」の猛将には少々似つかわしくない、静かな最期であった。

 享年六十八。
 戒名は長保院英(正しくは竹冠に山)居士。

 その傍らには、苦楽を共にし、老いてなお独特の視点で員昌を和ませる美弥の姿が最後まであったと信じたい。


(おわり)
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