2 / 30
(二)安土城の誤算
しおりを挟む
六月四日、卯の刻。
近江国安土城。
信長の居城として天下に名高い安土城において、二の丸の留守番衆を務める蒲生賢秀は、律儀者として世間に知られている。
もともと蒲生家は、かつては六角家の重臣であった。
永禄年間の信長の上洛戦を前に六角を見限り織田に走ったために、律儀者との賢秀の評判には、若干の揶揄も混じっている。
むしろ律儀者との評判は、汚名を晴らしたい一心で信長に仕えてきた結果、生まれたものかも知れない。
だが、昨日の午前のうちに信長の死の報せが届き、続報によってそれが虚報でないと明らかとなった今、彼の存在に注意を払う者は誰もいない。
本丸および二の丸には賢秀の他にも、津田源十郎をはじめとして賀藤兵庫頭や野々村叉右衛門といった信長の馬廻衆や、近郷の出身者である膳所城主・山岡景佐、また吏僚の祖父江秀重など、留守役を命ぜられた者が番衆として詰めていた。
たが、さすがに信長の死の一報の衝撃はあまりにも大きかった。
変事から二日が経ったが、昨晩には、山崎片家が安土の自邸を焼き払って佐和山城近くにある居城・山崎山城へと退転する騒ぎが起こっており、城を守るどころではない状態に陥っている
彼らにできるのは、わずかな番兵や、女衆をなだめるのが精一杯であった。
賢秀が、蒲生譜代の臣・外池甚五左衛門に命じて急ぎ城下を見回らせてみたところ、城下町においても混乱は同様であった。
信長の厚恩もいまとなってはなんの意味もなさず、家財道具を抱えて町から逃げ出す者が後を絶たない。
そんな動揺の中にあって、ただひとり賢秀は騒がずじっと一人の男の来着を待っていた。
(あ奴なら、儂が何を言わずとも、なにをさておいてもこの安土城に駆けつけてくる……。さて、その後は、儂は如何すべきであろうか)
「開門、開門!」
「蒲生対い鶴」の旗印を掲げた一千ばかりの軍兵が整然と隊列を組み、怯え逃げまどう住民をかきわけるようにして安土城下に姿を現した。
大手門の前に進み出て大音声で呼ばわるのは、蒲生賢秀の嫡子、蒲生忠三郎賦秀である。
彼もまた、前日深夜に信長が明智光秀に討たれたとの報に接すると即座に、信長の居城たる安土城が危難に遭うと予見した。
その後、賦秀の行動は素早かった。
幸か不幸か、賦秀率いる蒲生勢は信長の中国遠征には帯同を命じられていなかった。
父祖の地である日野中野にて、次なる戦さに備えて鋭気を養っていたところであり、自由に動ける状況にあったことは大きかった。
蒲生家の所領である日野中野六万石で養える兵数は、多く見積もっても二千あまり。
その半数以上を一度に率いていくとなると、自分の生まれ育った城を半ば空けていく格好になる。
懸念がないといえば嘘になる。
だが、結局はただ己の城に籠もることよりも、織田家の危難に自ら立ちむかう覚悟を決めた。安土城には父もいるのだ。
賦秀は留守を守る兵を家老の稲田左馬助に託し、安土城から信長の縁者を避難させる場合があると見込み、そのつもりで籠城の支度をするよう命じていた。
その上で、「万が一、我らが戻るより先に敵手に攻め寄せられ、守り切れぬ時には城を焼き捨てて伊勢に向かえ」と言い残して馬上の人となった。
安土城と中野城は、直線距離でおよそ六里半。
通いなれた道のりであり、統率の取れた賦秀配下の一千の兵であれば、後先考えずに急がせれば半日あまりで駆けつけられる距離である。
弘治二年生まれの賦秀は、この時二十七歳。
若者らしい溌剌とした立ち居振る舞いの中に、歴戦の中にあって磨かれたある種の老練さを既に漂わせている。
十三歳の頃、信長が当時鶴千代と名乗っていた賦秀をひと目みるや、その眼の力にただならぬ者を感じて小姓に取り立てたばかりか、己の娘を嫁に出したとの逸話は有名である。
信長に将器を伺わせたとされる、賦秀の鋭い眼光は未だ健在である。
信長横死の報を受けて以来、ただ戦々恐々としていた番兵は、信長が目をかけていた女婿の登場に救われたような表情を見せて武者門を開いた。
安土城には幾つか、他に類をみない特異な構造を有しており、その一つが大手門である。
なんと大手には、実に四つもの門が設けられているのだ。
西から商人や町人などの一般向け用、続いて武家専用の武者門、三つめのひときわ大きな門は当主御成門として信長の専用の門であり、東側の門は公家用となっている。
儀礼的な意味はともかくとして、敵からの防衛を考えた場合には四つもの門があることは決して有利には働かない。
むしろ、みすみす弱点を増やしているとしか言えない。
そこには、安土城が防衛拠点として兵火に晒されることとなどありえない、と言わんばかりの信長自負が伺えた。
だが、今となってみればなんとも心もとない。
賦秀は手勢の先頭に立って門をくぐった。
兵の多くを大手門周辺の守備に割り当てると、賦秀自身はわずかな供回りのみをつれて本丸へと向かう。
山頂部へと向かってまっすぐに伸びているように見える大手道は、幅三間あまり、長さは一町半におよぶ。
この長い直線を描く大手道もまた、城の防御の常識からは外れた構造である。
幅の広い石段を、賦秀は早足で駆け上る。
(上様が討たれて心細いのは判らぬでもない。されど、儂が敵手に回っていたらなんとするのだ)
自分に向けられる好意的な視線を感じつつ、賦秀は険しい表情を崩さない。
通常、天守閣と呼ばれる建物は、安土城においては天主閣と称される。
見上げれば目に入る地上六層の天主閣も、今は主を失って威容を竦ませているようにみえた。
(されど、動揺するのは致し方ない。儂とて、まさかこのような事が出来するとは予想もできなんだ)
そう胸中で呟く一方、「いつかこんなことになるのではないかと思っていた」との言葉を内心で否定できない賦秀がいた。
新しい世を築こうとする信長の存在は、それほどまでに強烈で、危険だったのかも知れない。
大手道を上るにつれ、天主閣の姿も間近に迫ってくる。
(天下は、上様の手がすぐ届くところにまで来ていたのだ)
賦秀がはじめて信長と出会ったのは、まだ鶴千代と呼ばれていた頃だ。
永禄十一年。六角家の当主・義賢は、上洛を目指す織田勢の猛攻を受け、枝城を立て続けに攻め落とされたことで戦意をうしない、居城・観音寺城から逃亡した。
当時、賦秀は鶴千代と名乗っており、歳は十三歳だった。
六角家の重臣であった父・賢秀は織田に降ることを決意し、嫡男である賦秀を人質として信長に差し出した。
信長は一目見て賦秀の眼光、面構えを気に入り、人質とは思えぬ破格の扱いをした。
小姓として重用するだけでなく、元服にあたっては弾正忠の名乗りから一字をとり忠三郎の通称を与え、自分の愛娘・冬を娶せることまでしたのだ。
賦秀は、信長の見込み違いだったと言われぬよう、懸命に役目をこなしてきた自負があった。
戦場にあってはたとえ信長自身に止められても、真っ先に敵陣に躍り込んで戦うことを怖れなかった。
およそ武将が身につけておくべき教養や技能はすべて身につける志を持ち、物事にあたってきた。
だが、それでも自分は本当に信長が見込んだだけの働きをしてこられたか。
賦秀は何度もその自問を繰り返していた。
そして、今やその答えを信長の口から聞く機会は永久に失われてしまった。
外敵によってではなく、信長に引き立てられたことで、考えられぬほどの立身出世を果たしたはずの明智光秀の手によって。
ただ前を向いていては石段しか見えないほどの急傾斜の大手道にあって、賦秀は再び顔を上げて天主閣を見据えげた。
(上様が残したものが、ただの城だけであってたまるものか。なんとしても、上様が実現させようとした天下を、我らが引き継がねばならぬ)
何度も自らにそう言い聞かせて、ともすれば萎えそうになる己の心を鼓舞する。
信長以外の他の誰にも、思い描いた天下を再現することなどできないのではないかとの思いは払拭できないが、それは決して表には出せない。
(長らく御傍にて小姓として仕えたこの儂とて、上様の真意が奈辺にあったか、本当に理解しているかどうか判らぬ)
その点では、重臣たる柴田勝家、羽柴秀吉、滝川一益、丹羽長秀らとて心許ないとさえ言えた。
信長の嫡男・信忠も討たれたとなれば、連枝衆にも本当の意味で後継者たり得る者はいないのではないかとさえ思われた。
信長の構想を最も理解しているのは誰なのか、そう考えた時、ぞっとするような答えが脳裏に閃いた。
(明智殿、いや、光秀こそが一番の理解者であったやも知れぬ……)
なぜ謀叛を起こしたのか、問いだたしたい気持ちもあれば、今更どんな言い訳も耳に入れたくないとの思いもある。
しかし、「なぜ」はいつまでもつきまとうであろう、との確信めいた予感もあった。
大手道は突きあたって大きく左に折れ、しばらく左、右と曲がってから百々橋口から伸びる道と合流し、黒金門へと至る。
門の番衆とわずかなやりとりの後に賦秀は門の通行を許可され、二ノ丸へと足を踏み入れた。
「よう来た、忠三郎」
そこには、先触れで賦秀の到来を聞いていた蒲生賢秀が待っていた。
近江国安土城。
信長の居城として天下に名高い安土城において、二の丸の留守番衆を務める蒲生賢秀は、律儀者として世間に知られている。
もともと蒲生家は、かつては六角家の重臣であった。
永禄年間の信長の上洛戦を前に六角を見限り織田に走ったために、律儀者との賢秀の評判には、若干の揶揄も混じっている。
むしろ律儀者との評判は、汚名を晴らしたい一心で信長に仕えてきた結果、生まれたものかも知れない。
だが、昨日の午前のうちに信長の死の報せが届き、続報によってそれが虚報でないと明らかとなった今、彼の存在に注意を払う者は誰もいない。
本丸および二の丸には賢秀の他にも、津田源十郎をはじめとして賀藤兵庫頭や野々村叉右衛門といった信長の馬廻衆や、近郷の出身者である膳所城主・山岡景佐、また吏僚の祖父江秀重など、留守役を命ぜられた者が番衆として詰めていた。
たが、さすがに信長の死の一報の衝撃はあまりにも大きかった。
変事から二日が経ったが、昨晩には、山崎片家が安土の自邸を焼き払って佐和山城近くにある居城・山崎山城へと退転する騒ぎが起こっており、城を守るどころではない状態に陥っている
彼らにできるのは、わずかな番兵や、女衆をなだめるのが精一杯であった。
賢秀が、蒲生譜代の臣・外池甚五左衛門に命じて急ぎ城下を見回らせてみたところ、城下町においても混乱は同様であった。
信長の厚恩もいまとなってはなんの意味もなさず、家財道具を抱えて町から逃げ出す者が後を絶たない。
そんな動揺の中にあって、ただひとり賢秀は騒がずじっと一人の男の来着を待っていた。
(あ奴なら、儂が何を言わずとも、なにをさておいてもこの安土城に駆けつけてくる……。さて、その後は、儂は如何すべきであろうか)
「開門、開門!」
「蒲生対い鶴」の旗印を掲げた一千ばかりの軍兵が整然と隊列を組み、怯え逃げまどう住民をかきわけるようにして安土城下に姿を現した。
大手門の前に進み出て大音声で呼ばわるのは、蒲生賢秀の嫡子、蒲生忠三郎賦秀である。
彼もまた、前日深夜に信長が明智光秀に討たれたとの報に接すると即座に、信長の居城たる安土城が危難に遭うと予見した。
その後、賦秀の行動は素早かった。
幸か不幸か、賦秀率いる蒲生勢は信長の中国遠征には帯同を命じられていなかった。
父祖の地である日野中野にて、次なる戦さに備えて鋭気を養っていたところであり、自由に動ける状況にあったことは大きかった。
蒲生家の所領である日野中野六万石で養える兵数は、多く見積もっても二千あまり。
その半数以上を一度に率いていくとなると、自分の生まれ育った城を半ば空けていく格好になる。
懸念がないといえば嘘になる。
だが、結局はただ己の城に籠もることよりも、織田家の危難に自ら立ちむかう覚悟を決めた。安土城には父もいるのだ。
賦秀は留守を守る兵を家老の稲田左馬助に託し、安土城から信長の縁者を避難させる場合があると見込み、そのつもりで籠城の支度をするよう命じていた。
その上で、「万が一、我らが戻るより先に敵手に攻め寄せられ、守り切れぬ時には城を焼き捨てて伊勢に向かえ」と言い残して馬上の人となった。
安土城と中野城は、直線距離でおよそ六里半。
通いなれた道のりであり、統率の取れた賦秀配下の一千の兵であれば、後先考えずに急がせれば半日あまりで駆けつけられる距離である。
弘治二年生まれの賦秀は、この時二十七歳。
若者らしい溌剌とした立ち居振る舞いの中に、歴戦の中にあって磨かれたある種の老練さを既に漂わせている。
十三歳の頃、信長が当時鶴千代と名乗っていた賦秀をひと目みるや、その眼の力にただならぬ者を感じて小姓に取り立てたばかりか、己の娘を嫁に出したとの逸話は有名である。
信長に将器を伺わせたとされる、賦秀の鋭い眼光は未だ健在である。
信長横死の報を受けて以来、ただ戦々恐々としていた番兵は、信長が目をかけていた女婿の登場に救われたような表情を見せて武者門を開いた。
安土城には幾つか、他に類をみない特異な構造を有しており、その一つが大手門である。
なんと大手には、実に四つもの門が設けられているのだ。
西から商人や町人などの一般向け用、続いて武家専用の武者門、三つめのひときわ大きな門は当主御成門として信長の専用の門であり、東側の門は公家用となっている。
儀礼的な意味はともかくとして、敵からの防衛を考えた場合には四つもの門があることは決して有利には働かない。
むしろ、みすみす弱点を増やしているとしか言えない。
そこには、安土城が防衛拠点として兵火に晒されることとなどありえない、と言わんばかりの信長自負が伺えた。
だが、今となってみればなんとも心もとない。
賦秀は手勢の先頭に立って門をくぐった。
兵の多くを大手門周辺の守備に割り当てると、賦秀自身はわずかな供回りのみをつれて本丸へと向かう。
山頂部へと向かってまっすぐに伸びているように見える大手道は、幅三間あまり、長さは一町半におよぶ。
この長い直線を描く大手道もまた、城の防御の常識からは外れた構造である。
幅の広い石段を、賦秀は早足で駆け上る。
(上様が討たれて心細いのは判らぬでもない。されど、儂が敵手に回っていたらなんとするのだ)
自分に向けられる好意的な視線を感じつつ、賦秀は険しい表情を崩さない。
通常、天守閣と呼ばれる建物は、安土城においては天主閣と称される。
見上げれば目に入る地上六層の天主閣も、今は主を失って威容を竦ませているようにみえた。
(されど、動揺するのは致し方ない。儂とて、まさかこのような事が出来するとは予想もできなんだ)
そう胸中で呟く一方、「いつかこんなことになるのではないかと思っていた」との言葉を内心で否定できない賦秀がいた。
新しい世を築こうとする信長の存在は、それほどまでに強烈で、危険だったのかも知れない。
大手道を上るにつれ、天主閣の姿も間近に迫ってくる。
(天下は、上様の手がすぐ届くところにまで来ていたのだ)
賦秀がはじめて信長と出会ったのは、まだ鶴千代と呼ばれていた頃だ。
永禄十一年。六角家の当主・義賢は、上洛を目指す織田勢の猛攻を受け、枝城を立て続けに攻め落とされたことで戦意をうしない、居城・観音寺城から逃亡した。
当時、賦秀は鶴千代と名乗っており、歳は十三歳だった。
六角家の重臣であった父・賢秀は織田に降ることを決意し、嫡男である賦秀を人質として信長に差し出した。
信長は一目見て賦秀の眼光、面構えを気に入り、人質とは思えぬ破格の扱いをした。
小姓として重用するだけでなく、元服にあたっては弾正忠の名乗りから一字をとり忠三郎の通称を与え、自分の愛娘・冬を娶せることまでしたのだ。
賦秀は、信長の見込み違いだったと言われぬよう、懸命に役目をこなしてきた自負があった。
戦場にあってはたとえ信長自身に止められても、真っ先に敵陣に躍り込んで戦うことを怖れなかった。
およそ武将が身につけておくべき教養や技能はすべて身につける志を持ち、物事にあたってきた。
だが、それでも自分は本当に信長が見込んだだけの働きをしてこられたか。
賦秀は何度もその自問を繰り返していた。
そして、今やその答えを信長の口から聞く機会は永久に失われてしまった。
外敵によってではなく、信長に引き立てられたことで、考えられぬほどの立身出世を果たしたはずの明智光秀の手によって。
ただ前を向いていては石段しか見えないほどの急傾斜の大手道にあって、賦秀は再び顔を上げて天主閣を見据えげた。
(上様が残したものが、ただの城だけであってたまるものか。なんとしても、上様が実現させようとした天下を、我らが引き継がねばならぬ)
何度も自らにそう言い聞かせて、ともすれば萎えそうになる己の心を鼓舞する。
信長以外の他の誰にも、思い描いた天下を再現することなどできないのではないかとの思いは払拭できないが、それは決して表には出せない。
(長らく御傍にて小姓として仕えたこの儂とて、上様の真意が奈辺にあったか、本当に理解しているかどうか判らぬ)
その点では、重臣たる柴田勝家、羽柴秀吉、滝川一益、丹羽長秀らとて心許ないとさえ言えた。
信長の嫡男・信忠も討たれたとなれば、連枝衆にも本当の意味で後継者たり得る者はいないのではないかとさえ思われた。
信長の構想を最も理解しているのは誰なのか、そう考えた時、ぞっとするような答えが脳裏に閃いた。
(明智殿、いや、光秀こそが一番の理解者であったやも知れぬ……)
なぜ謀叛を起こしたのか、問いだたしたい気持ちもあれば、今更どんな言い訳も耳に入れたくないとの思いもある。
しかし、「なぜ」はいつまでもつきまとうであろう、との確信めいた予感もあった。
大手道は突きあたって大きく左に折れ、しばらく左、右と曲がってから百々橋口から伸びる道と合流し、黒金門へと至る。
門の番衆とわずかなやりとりの後に賦秀は門の通行を許可され、二ノ丸へと足を踏み入れた。
「よう来た、忠三郎」
そこには、先触れで賦秀の到来を聞いていた蒲生賢秀が待っていた。
0
あなたにおすすめの小説
【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記
糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。
それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。
かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。
ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。
※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。
本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~
bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記
颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
戦国終わらず ~家康、夏の陣で討死~
川野遥
歴史・時代
長きに渡る戦国時代も大坂・夏の陣をもって終わりを告げる
…はずだった。
まさかの大逆転、豊臣勢が真田の活躍もありまさかの逆襲で徳川家康と秀忠を討ち果たし、大坂の陣の勝者に。果たして彼らは新たな秩序を作ることができるのか?
敗北した徳川勢も何とか巻き返しを図ろうとするが、徳川に臣従したはずの大名達が新たな野心を抱き始める。
文治系藩主は頼りなし?
暴れん坊藩主がまさかの活躍?
参考情報一切なし、全てゼロから切り開く戦国ifストーリーが始まる。
更新は週5~6予定です。
※ノベルアップ+とカクヨムにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる