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(三)籠城の思案
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二の丸にある蒲生屋敷に入った賦秀は、書院にて賢秀と改めて向かいあう。
「驚天動地とはまさにこのことじゃ。よもや上様が明智殿の手にかかるとはのう」
腰を下ろした賢秀は、繰り言めいたことを口にする。
が、賦秀は無意味なやりとりで時間を空費するつもりはなかった。
「父上。口惜しきことなれど、今は善後策を講じるほかありますまい」
賦秀は父の言葉を遮るように存念を口にする。
信長に対する思いは人一倍にある。だが、悲しみにふけっている時が惜しかった。
「おう、そうじゃ。お主も存じておろうが、この御城は天険の要害とはいかぬぞ。相応の兵を入れねば守り難い。明智も程なく御城を狙ってこようが、守りきることは難しかろう」
気を取り直したように、賢秀は数度頷いた。
突然の変事に動揺はしていても、賢秀もみるべきところはみていた。
もっとも、間違っても「かくなる上は城を枕に討ち死にすべし」などと言い出すような父ではないことは、賦秀も承知している。
「それがしも、父上と同じ懸念を抱いておりました。ひとまず女衆をお落としするための女籠などは用意させておりまする」
「おお、さすがに気が回るの。ひとまず当家の中野城までお越し願うとするか」
賦秀の言葉に、賢秀がわずかに相好を崩した。
いったん自領まで退いたのち、その後情勢をみて伊勢まで信長の縁者を逃がせられるならば、信長の次男である北畠信意が領する伊勢国の松ヶ島城まで送り届ける目算も立つだろう。
「女衆はそれで良いとして、この安土の御城はいかがなされます」
賦秀は表情を緩めることなく問う。
女籠などを自ら手回しはしたものの、明智勢と一戦も交えぬまま城を捨てて退去するのはいかにも口惜しい。
なんといっても、安土城は信長の居城なのである。
しかし、安土の番兵と自らが率いてきた一千足らずの手勢で明智勢を迎え撃ち、撃退するだけの自信は、さすがの賦秀にもなかった。
「城に火はかけぬ。亡き上様より託された城じゃ。我が手で滅するは忍びない」
賦秀の表情に迷いをみてとったか、賢秀は諭すような口調で言った。
賦秀の眉がぴくりと跳ねた。
「しかし、それではみすみす明智の手に渡すだけ。敵を利するばかりではございませぬか!」
賦秀の鋭い声に、賢秀は目線こそ逸らさなかったが、口を固く引き結んだまま応じなかった。
賦秀としても、父の気持ちは判らぬでもなかった。
(例え敵手に落ちると判っていても、これほどの城を己の判断で焼き落とすなど、そうたやすく出来るものではない。なにもかもそのままにして身一つで逃れるほうが、よほど気も楽というものだ)
もちろん、情緒的な判断だけではない。
城を無傷で明け渡すことは、織田方の大義を留保しつつ、明智方にも決定的に対立しない身の御し方とも言えた。
世情は父上の処世を如何に評するだろうか、そんな思いがちらりと賦秀の頭をよぎる。
しばし沈黙が流れたが、先に口を開いたのは賢秀だった。
激する様子もなく、卑屈にもならず、訥々と語りかけてくる。
「城を枕に討ち死に、などと考えてくれるなよ。女房衆を守って日野まで退くには、お主とお主の手勢がおらねば話にならぬでな」
「心得ております。ですが」
賦秀の言葉は中途で止まった。
あけ放たれた障子戸の向こう、濡縁の先の何もないあたりから、賢秀を呼ぶ声だけが聞こえてきたからだ。
賢秀は驚いた風もなく、ちらりと賦秀の顔を伺う。
賦秀も無言でうなずき返す。
「構わぬ。余の者はおらぬゆえ、直答を許す」
賢秀がそう告げると、冴えない風貌をした一人の雑兵がいつの間にか庭の上に姿を見せていた。
屋敷の庭に雑兵が一人で入り込むなど、通常ではありえない。
だが、この男の正体は、賦秀が日野城を出陣する際に京の情勢を調べるために送り出していた、甲賀者の忍びの一人だった。
名は団七といい、賢秀が用いる甲賀忍び衆の頭目であり、かつ自身が率いる忍び衆の中でも特に腕利きである。
家中でも賢秀・賦秀父子以外に、団七の存在を知る者はいない。
後世、いかなる史書にも名を残すことはなかった一事をもってしても、その有能さはうかがい知れる。
賦秀は団七に対し、調べを済ませた後は日野には戻らず、直接安土城まで来るように伝えてあったのだ。
団七は元々賢秀の下で働いていたが、「儂よりも忠三郎のほうが使いこなせよう」と譲った経緯がある。
そのため、賦秀の独断を賢秀が咎めるような真似はしない。
気が急いた賦秀は、団七の報告を待たずに問いかける。
「やはり、上様の御生害は間違いないか」
「はっ。間違いございませぬ。加えて昨日午前のうちに明智勢五千ばかりが瀬田の唐橋を取り抑え、既に瀬田城を下した模様にござります。程なくこちらにも兵は寄せてくるのは避けられぬかと存じます」
淡々とした口ぶりで団七は重大事を告げる。
「なんと。瀬田の橋を奪われたか」
賢秀がうめいた。
瀬田の唐橋は京から安土へと通じる道の要衝である。
仮に橋の東詰に隣接する瀬田城の城主・山岡景隆が橋を焼き落としてくれていれば、ここまで早く明智勢が間近に迫る事態とはなっていなかった筈だ。
それほどまでに敵の動きは素早い。
賦秀も脳裏に地図を描き、表情をゆがめた。
「早いな。……父上、これでは足弱の女衆を連れて日野に退くのは難しゅうござるぞ」
瀬田の唐橋を渡った明智勢が目指しているのは、ここ安土城であることは想像に難くない。
だが、信長ゆかりの女御衆や年少の子供らを連れての逃避行が敵の目に触れないはずもなく、しかも行き足が鈍るのは避けられない。
ひとたび明智勢に捕捉されて追撃を受ければ、逃げ切ることは至難といえた。
当初の目算は、早くも崩れつつあった。
「ううむ。されば、忠三郎は如何致す」
賢秀の呻き声とともに判断を丸投げされた格好の賦秀は、しばし宙を睨んで考えを巡らせた。
否、彼の中で考えは既にまとまっていた。後は決断を下すのみだった。
「事ここに至れば致し方なし。亡き上様が築かれたこの城にて明智勢を迎え撃ち、追い払うまでにございます」
その時、「ひとたびは明智の軍門に降り、獅子身中の虫となって光秀を討つ機会を待つ」という策がちらりと賦秀の脳裏をかすめた。
が、数拍の間をおいてその案は捨てた。
光秀が相応の人質も取らずに蒲生の降伏を許すはずもなく、また信用を得て光秀の間近に迫るまでにどれだけの時を要するか判らない。
(それになにより、たとえ方便にせよ、上様を討った光秀の風下に立つことなどあり得ぬ)
「ううむ……。それしかないのか。まったく明智が手際のよきことよ」
賢秀は、悔しがっているのか感嘆しているのか判らないような声を出す。
「父上、それがしはこれより、鍋の方様に御目通り願いたいと考えております」
賦秀は急いで腰をあげた。
自分の来着と、その当初の意図が、信長の側室の一人・鍋の方に知られているかどうかは関知していない。
しかし、いずれにせよ一度は会って、城外への脱出が困難になった旨を伝えなければならない。
つらい役割であるが、他の者に任せるわけにはいかない。
「そうじゃな、御方様は本丸におられよう。よろしく頼む」
難しい役回りを嫡子が引き受けてくれたことで、どこか肩の荷をおろした表情で賢秀は頷いた。
「驚天動地とはまさにこのことじゃ。よもや上様が明智殿の手にかかるとはのう」
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気を取り直したように、賢秀は数度頷いた。
突然の変事に動揺はしていても、賢秀もみるべきところはみていた。
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「女衆はそれで良いとして、この安土の御城はいかがなされます」
賦秀は表情を緩めることなく問う。
女籠などを自ら手回しはしたものの、明智勢と一戦も交えぬまま城を捨てて退去するのはいかにも口惜しい。
なんといっても、安土城は信長の居城なのである。
しかし、安土の番兵と自らが率いてきた一千足らずの手勢で明智勢を迎え撃ち、撃退するだけの自信は、さすがの賦秀にもなかった。
「城に火はかけぬ。亡き上様より託された城じゃ。我が手で滅するは忍びない」
賦秀の表情に迷いをみてとったか、賢秀は諭すような口調で言った。
賦秀の眉がぴくりと跳ねた。
「しかし、それではみすみす明智の手に渡すだけ。敵を利するばかりではございませぬか!」
賦秀の鋭い声に、賢秀は目線こそ逸らさなかったが、口を固く引き結んだまま応じなかった。
賦秀としても、父の気持ちは判らぬでもなかった。
(例え敵手に落ちると判っていても、これほどの城を己の判断で焼き落とすなど、そうたやすく出来るものではない。なにもかもそのままにして身一つで逃れるほうが、よほど気も楽というものだ)
もちろん、情緒的な判断だけではない。
城を無傷で明け渡すことは、織田方の大義を留保しつつ、明智方にも決定的に対立しない身の御し方とも言えた。
世情は父上の処世を如何に評するだろうか、そんな思いがちらりと賦秀の頭をよぎる。
しばし沈黙が流れたが、先に口を開いたのは賢秀だった。
激する様子もなく、卑屈にもならず、訥々と語りかけてくる。
「城を枕に討ち死に、などと考えてくれるなよ。女房衆を守って日野まで退くには、お主とお主の手勢がおらねば話にならぬでな」
「心得ております。ですが」
賦秀の言葉は中途で止まった。
あけ放たれた障子戸の向こう、濡縁の先の何もないあたりから、賢秀を呼ぶ声だけが聞こえてきたからだ。
賢秀は驚いた風もなく、ちらりと賦秀の顔を伺う。
賦秀も無言でうなずき返す。
「構わぬ。余の者はおらぬゆえ、直答を許す」
賢秀がそう告げると、冴えない風貌をした一人の雑兵がいつの間にか庭の上に姿を見せていた。
屋敷の庭に雑兵が一人で入り込むなど、通常ではありえない。
だが、この男の正体は、賦秀が日野城を出陣する際に京の情勢を調べるために送り出していた、甲賀者の忍びの一人だった。
名は団七といい、賢秀が用いる甲賀忍び衆の頭目であり、かつ自身が率いる忍び衆の中でも特に腕利きである。
家中でも賢秀・賦秀父子以外に、団七の存在を知る者はいない。
後世、いかなる史書にも名を残すことはなかった一事をもってしても、その有能さはうかがい知れる。
賦秀は団七に対し、調べを済ませた後は日野には戻らず、直接安土城まで来るように伝えてあったのだ。
団七は元々賢秀の下で働いていたが、「儂よりも忠三郎のほうが使いこなせよう」と譲った経緯がある。
そのため、賦秀の独断を賢秀が咎めるような真似はしない。
気が急いた賦秀は、団七の報告を待たずに問いかける。
「やはり、上様の御生害は間違いないか」
「はっ。間違いございませぬ。加えて昨日午前のうちに明智勢五千ばかりが瀬田の唐橋を取り抑え、既に瀬田城を下した模様にござります。程なくこちらにも兵は寄せてくるのは避けられぬかと存じます」
淡々とした口ぶりで団七は重大事を告げる。
「なんと。瀬田の橋を奪われたか」
賢秀がうめいた。
瀬田の唐橋は京から安土へと通じる道の要衝である。
仮に橋の東詰に隣接する瀬田城の城主・山岡景隆が橋を焼き落としてくれていれば、ここまで早く明智勢が間近に迫る事態とはなっていなかった筈だ。
それほどまでに敵の動きは素早い。
賦秀も脳裏に地図を描き、表情をゆがめた。
「早いな。……父上、これでは足弱の女衆を連れて日野に退くのは難しゅうござるぞ」
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だが、信長ゆかりの女御衆や年少の子供らを連れての逃避行が敵の目に触れないはずもなく、しかも行き足が鈍るのは避けられない。
ひとたび明智勢に捕捉されて追撃を受ければ、逃げ切ることは至難といえた。
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(それになにより、たとえ方便にせよ、上様を討った光秀の風下に立つことなどあり得ぬ)
「ううむ……。それしかないのか。まったく明智が手際のよきことよ」
賢秀は、悔しがっているのか感嘆しているのか判らないような声を出す。
「父上、それがしはこれより、鍋の方様に御目通り願いたいと考えております」
賦秀は急いで腰をあげた。
自分の来着と、その当初の意図が、信長の側室の一人・鍋の方に知られているかどうかは関知していない。
しかし、いずれにせよ一度は会って、城外への脱出が困難になった旨を伝えなければならない。
つらい役割であるが、他の者に任せるわけにはいかない。
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