【架空戦記】蒲生の忠

糸冬

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(七)慮外の夜討

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 刻限を過ぎても蒲生賢秀からの明智勢への回答はなかった。

 その代わり、四つの大手を堅く閉ざした城内ではしきりに兵の動きが伺われ、籠城の準備が整えられていく空気が伝わってきた。

 交渉が決裂したことが明らかとなった時には、既に戌の刻近くを迎えていた。

「やはり、みえすいた策略にござりましたな」
 範賢がやや皮肉げに秀満に言う。

「まあ、主計頭殿。そう慌てずとも、明日には早々に城攻めをすればよろしかろう。一日あれば城も落ちることであろうし、そう慌てることもござるまいて」
 苦笑しながら四王天政実が範賢を宥める。

 もっとも、入城して床のある場所で眠れると期待していた明智勢の兵にとっては、この一晩は誤算であった。

 攻城戦に備えて仕寄りのための道具を作らねばならない一方、大急ぎで根小屋掛けの作業に追われる羽目になった。



 東の空が白み始めるまでやや間がある、まだ夜の刻限。
 突如として安土城の城下町の木戸が開かれ、相前後して城内から鯨波がわき起こった。

 明智勢の見張りが即座に異変に気づき、寝ぼけ眼の雑兵をたたき起こしていく。

 本陣を張る沙沙貴神社の宿所にて浅い眠りの中にあった秀満も、たちまち意識を覚醒させて状況の把握に努める。

「敵か!?」
 当然のことながら、劣勢の敵方が賭けに出た可能性を真っ先に考える。

「そうみせかけて退去するやも知れませぬな」

 秀満同様に起き出してきた妻木範賢がそう応じた。

「逃げるのなら深追いは不要。安土の確保が先じゃ。中野城に駆け込むのであれば、その後で潰しても構わぬ」
 秀満はそう命じながらも、その可能性は低いと踏んでいた。

 ただ逃げるのであれば、ここまで手の込んだ真似をする必要はない筈だ。

「敵の動きをわずかでも見逃すな。下手にこちらから仕掛けようと思うな」
 荒木行重が配下に怒鳴っているのが聞こえる。

 さすがによくわきまえていると秀満は心のうちで感心する。

 秀満自身、敵が向かってくるのであれば、堅く構えて迎え撃つことを第一に考えていた。

 そのほうが安土の町や城に被害を及ぼさずに済むからだ。

「不意打ちでどうこう出来るほど、我が手勢は甘くないぞ」

 自らの両頬を張って気合を入れ直した秀満は、まなじりを決して安土の方角を睨み付ける。

 しかし意に反して陣の後方、すなわち南側でざわめきが起き、それが次第に大きくなった。
 秀満が眉をひそめる。

「兵に鎮まるように伝えよ。逸ってこちらから仕掛けるものではないのじゃからな」

 秀満は振り返りもせず、配下にそう命じる。
 陣の後方にいる兵が状況を把握できずに騒いでいるものと判断したのだ。

 が、ややあって意外な事実が判明する。

「敵襲にござりまする!」

 後陣を託されている猪飼野秀貞が放った使番が、自らも信じられぬといった形相で陣中に駆け込んできたのだ。

「なんとっ!」
 秀満が慌てて振り返る。

 白い土埃が舞い上がるなか、後陣の猪飼野勢の雑兵が追い散らされている光景が目に飛び込んできた。

「背後からだと、何故に……!」

 混乱する秀満の視界の端に、先陣を切って槍を振るう騎馬武者の姿が入った。

 まだ夜の明けやらぬ薄暗さの中、銀の鯰尾の兜がかがり火の光を浴びてきらめいた。

 その武者は名乗りを上げる手間さえ惜しみ、強引とも思える槍捌きで明智の雑兵を蹴散らしていく。

「あの鯰尾の兜は、蒲生忠三郎かっ!」
 敵の正体を悟った時、秀満の頭の中で安土から兵が退去したという報せと、降伏の使者に応対したのが蒲生賢秀であったことの引っかかりがつながった。

 やがて、件の騎馬武者の顔が見える距離まで間合いが詰まる。
 まさしく秀満が見抜いた通り、明智勢の本陣に先頭を切って斬り込んできたのは、蒲生賦秀であった。

 かつて信長から拝領した鹿毛の名馬・小雲雀を巧みに操り、縦横無尽に鎗を振り回している。

「最初から、この奇襲を狙っていたというのか……! ええい、臆するな、敵は小勢、落ち着いて迎え撃て!」
 秀満が憤怒を抑えきれずに檄を飛ばす。

 自ら手鑓を引っ掴み、賦秀に挑みかかる気構えすらみせるが、さすがに周囲の馬廻に押しとどめられる。

「陣の大将おん自らが打物とって戦う潮ではございませぬ」
 馬廻衆の悲鳴じみた声に、秀満も引き下がらざるを得ない。

 事実、明智勢は混乱から早くも立ち直りつつあった。

 しかし、明智の精兵がいつまでも狼狽えてばかりはいないことは蒲生勢も心得えているらしい。

 欲をかかずに手際よく兵をまとめ、明智勢の陣所をかすめるようにして一目散に北へと駆け去っていく。

 向かったのは、大きく開かれたままとなっている安土の町の木戸だった。

「追撃の下知を!」
 甲冑をまともに身につけることも出来ぬまま、手鎗を振りかざした武者が叫ぶ。

「早まるな。血気にはやって追い慕えば、みすみす罠にはまるやもしれぬわ」

 歯がみしながら秀満は配下をなだめなければならなかった。

 やがて、自軍の損害について明らかとなる。

 雑兵の手負い討死はあわせて百名にも満たず、主立った将の中にも命を落とした者はいない。

 手の込んだ策を蒲生賦秀勢が講じてきた割には、蒙った損害は許容できるものと言えた。

 しかし、まず一戦を交えて安土城に籠る城兵の士気が高まったことは間違いなく、これからの城攻めにも影響がでると思われた。

「とにかく、疑心暗鬼にならぬようにせねばな。何を仕掛けてくるか判らぬ、と受け身に立ってはかえって敵の策に嵌ることになる」

 気を取り直して兵をまとめた秀満は、ただちに城攻めの準備に取りかかった。

 一方、大手の武者門から帰還を果たした賦秀勢を、城内の守備兵は歓呼の声で出迎えていた。

 岡左内や赤座隼人、そして前田利勝ら、伏勢に参加した将も得意満面である。

 一撃をいれて素早く兵を退くことが厳命されていたため、誰も首級を奪うことは出来なかったものの、未だ血糊も乾かない手鑓を誇らしげに掲げている。

「敵が挑発にのって押し寄せてくれば叩くが、こちらから討って出ようなどとは思うなよ!」
 味方の士気の昂ぶりが暴走を招かないよう、賦秀は厳しい表情を崩さぬまま兵士に声を掛けて回る。

 いずれにせよ、今回の奇襲は相手の出鼻を挫きはしたが、それ以上のものではない。

 これからが本番に違いなかった。
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