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(十一)奇襲の備え
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沙沙貴神社の境内に幔幕を張った明智勢の本陣は憂色に包まれていた。
二日にわたる強襲で、大手口、百々橋口をいずれも破ることが出来ず、徒に手負い討ち死にを出しているからだ。
太陽が西に傾く頃合いに、早々に城攻めは打ち切られていた。
仮にこれから首尾良く門を破ったところで、城内に入っていくらもしないほどに日没を迎えそうだったためだ。
攻める側が敵の城の中で夜を明かすことなど危険きわまりなく、いったん兵を退くのが常道である。
(むしろ、この間合いで城内に押し入れるようになったとすれば、忠三郎の策を疑わねばならぬ状況じゃ)
城攻めは何度も経験している秀満であるが、火薬や油を用いた見慣れぬ武具による迎撃により、火傷を負った者がこれまでの戦さでは見たこともないほどに多くなっている。
炎は打ち壊された城下の町並みにも飛び火し、消火する者もないまま焼き尽くした。
城下には黒々とした炭ばかりが目に入る、無惨な光景が広がっている。
だがなにより、生きたまま人間が松明のように燃え上がる姿を何度も目の当たりにして、さしもの明智の猛者達が怖じ気づいてしまっている。
加えて、予想されたことではあるが、安土城には呆れるほどに贅沢に鉄砲弾薬を有している。
炎攻めを嫌って猛進すれば、たちまち鉄砲の狙い打ちにあってしまう。
「敵にも相応の死傷者が出ておるはず。いつまでも持ちこたえられますまい」
秀満の苦悩とは裏腹に、妻木範賢は強気に強攻策を主張する。
自身も火傷を負わされていながら、なお気持ちが萎えていないことは素直に賞賛に値した。
だが、それと城攻めの続行についての判断とは別だ。
秀満は簡単には首肯できなかった。
「同じ攻め方をただ続けても、門を破るのは難しいのではないかと。なにより、兵の士気が保ちませぬぞ」
範賢の傍らから三宅業朝が反論する。
彼自身は手傷を負っていないものの、やはり配下のむごたらしい死に様を幾度も目にしており、このままでは勝てないと考えている様子だった。
「しかし、今更攻め手を変えるのも如何なものかと。こちらが苦しい時は敵手も同じく苦しいもの。あとひと息と見るが」
四王天政実は強攻策に同調するが、同じ丹波衆ながら荒木行重はそれに同調せず、黙り込んだままだ。
「矢玉や鉄砲玉、焔硝の類が尽きてきておる様子が全くみえぬ。これでは、こちらが攻めさせられておるようなもの」
明智方の諸将の意見が割れ、本陣にて長々と額を付き合わせて軍議を行っていたところ、夕闇が訪れるのを待ちかねるように城内から喚声が起こった。
大手口と百々橋口の門が開かれ、今にも騎馬武者が躍り出してくるような気迫が伝わってくる。
「夜討ちかっ!」
真っ先に四王天政実が床几を蹴って立ち上がった。
その表情には驚きよりも喜色が浮かんでいる。軍議を放り出して己の手勢のところまで駆け戻っていく。
「いや、そうみせかけてまた伏勢がおるのやも知れぬぞ!」
政実の背中に呼びかけつつ、荒木行重も陣幕を払って飛び出していく。
二日間の強襲がうまくいかず、今日の城攻めも終わった。
さすがに疲労を隠せない面持ちで夕餉にありつこうとしていた明智の兵が、思わぬ事態に騒然となっていた。
緒戦で奇襲を許した屈辱が和刷られない秀満も、過剰ともいえるほどに敏感に反応した。
丹波衆に遅れじと幔幕を飛び出して馬上の人となり、周囲をくまなく警戒しながら味方の陣を回って敵の襲撃に備えさせる。
開かれた門に付け入りをすべし、との進言を行う者は誰もいなかった。
(もし、攻めかかるふりをして手を出してこないとすれば、誘いであろう)
秀満は、血気に逸って突出する味方の将兵がいないことにむしろ満足感を覚えていた。
蒲生の罠など食い破ってやる、と言いたいところではあるが、夜討ちのための備えをせぬままおびき寄せられては敵手の思うつぼである。
こちらが動かないことを知って焦れたのか、安土城の大手口から城外に出て弓鉄砲を放つ者までちらほらと現れた。
だが、同じく飛び道具で応射するだけで明智勢は兵を押し進める動きを見せなかった。
やがて、挑発が効果無しと判断したのか、門は固く閉じられ、城内からわき起こっていた鯨波も聞こえなくなった。
「どうやら、何事もなかったようでございますな。我が方が誘いに乗らず、打つ手がなかったものと見えまする」
秀満と同じく騎乗して手鑓をたばさんだ範賢が、敵勢を揶揄しながらも、安堵の表情を隠せないでいる。
「こちらも思い描いたとおりに事は運んでいない面もあるが、織田勢も状況の厳しさは理解しているのであろうな」
そこへ、息も絶え絶えといった様子で猪飼野秀貞が徒武者を引きつれて秀満の馬の傍らに走り込んできた。
具足の乱れを直す余裕もない秀貞は、思いがけないことを告げた。
「搦め手口の番所が破られてござる!」
「なにっ! 詳しく申せ!」
秀満はひらりと馬から飛び降り、秀貞の胸ぐらを掴み挙げかねない剣幕で問いかける。
「多くの騎馬武者に乗り崩しを受け、恥ずかしながら立ちむかう間もなく蹴散らされてしまった次第。申し訳ござらぬ」
秀貞は咳き込みながらも、言い淀むことなく己の失態を口にした。
「敵が間近に迫ったことを、誰も気づかなかったと申すのか」
殺気だった表情で、妻木範賢も傍らから詰め寄る。
「城内から突如沸きおこった鬨の声に、兵が皆、気を取られたのは不覚にござった」
「それで、敵は城内に退いたのか、確かめられたのであろうな」
範賢がいらだたしげに問う。
「いえ、我らを追い散らした後、さらに先に進んだと思われまする。退いた姿はみておりませぬ」
「む? 先とはどういうことじゃ」
首をかしげる範賢に対し、秀満は事の次第をある程度把握できた、と思った。
「それなりの数の敵が城外に出た、ということであろう。……して、鯰尾の兜の武者は見たか」
「はっ。しかとは判りかねますが、そのような兜をかぶった武者が先頭にたって斬り込んで参ったのは確かにございます」
秀貞の答えに、秀満は眉間にしわを寄せた。
「ならば、そやつが蒲生忠三郎じゃ。城内から声を上げて我らの耳目を引きつけつつ、城外に討って出たようじゃな」
「その敵勢が城外に出て戻っておらぬ、ということは……」
範賢はしばし思案げな顔をしていたが、ある可能性に思い至って表情を曇らせる。
秀満も、厳しい面持ちで頷き返す。
「左様。夜討ちを企むやも知れぬ。物見を四方に放ち、忠三郎の行方を追わせよ」
「はっ。二度も同じ手は喰わぬことを知らしめてやらねば」
肩を怒らせた範賢は、各陣の見張りを強化するよう指示を飛ばし始めた。
その後ろ姿をみながら、秀満はまだなにか賦秀に策を仕掛けられている気がしてならなかった。
(完全に後手に回っておる。己の戦さが出来ておらぬ。儂の中に迷いが多すぎるせいなのか……)
秀満の顔に、苦悶の色が濃く浮かんだ。
二日にわたる強襲で、大手口、百々橋口をいずれも破ることが出来ず、徒に手負い討ち死にを出しているからだ。
太陽が西に傾く頃合いに、早々に城攻めは打ち切られていた。
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炎は打ち壊された城下の町並みにも飛び火し、消火する者もないまま焼き尽くした。
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加えて、予想されたことではあるが、安土城には呆れるほどに贅沢に鉄砲弾薬を有している。
炎攻めを嫌って猛進すれば、たちまち鉄砲の狙い打ちにあってしまう。
「敵にも相応の死傷者が出ておるはず。いつまでも持ちこたえられますまい」
秀満の苦悩とは裏腹に、妻木範賢は強気に強攻策を主張する。
自身も火傷を負わされていながら、なお気持ちが萎えていないことは素直に賞賛に値した。
だが、それと城攻めの続行についての判断とは別だ。
秀満は簡単には首肯できなかった。
「同じ攻め方をただ続けても、門を破るのは難しいのではないかと。なにより、兵の士気が保ちませぬぞ」
範賢の傍らから三宅業朝が反論する。
彼自身は手傷を負っていないものの、やはり配下のむごたらしい死に様を幾度も目にしており、このままでは勝てないと考えている様子だった。
「しかし、今更攻め手を変えるのも如何なものかと。こちらが苦しい時は敵手も同じく苦しいもの。あとひと息と見るが」
四王天政実は強攻策に同調するが、同じ丹波衆ながら荒木行重はそれに同調せず、黙り込んだままだ。
「矢玉や鉄砲玉、焔硝の類が尽きてきておる様子が全くみえぬ。これでは、こちらが攻めさせられておるようなもの」
明智方の諸将の意見が割れ、本陣にて長々と額を付き合わせて軍議を行っていたところ、夕闇が訪れるのを待ちかねるように城内から喚声が起こった。
大手口と百々橋口の門が開かれ、今にも騎馬武者が躍り出してくるような気迫が伝わってくる。
「夜討ちかっ!」
真っ先に四王天政実が床几を蹴って立ち上がった。
その表情には驚きよりも喜色が浮かんでいる。軍議を放り出して己の手勢のところまで駆け戻っていく。
「いや、そうみせかけてまた伏勢がおるのやも知れぬぞ!」
政実の背中に呼びかけつつ、荒木行重も陣幕を払って飛び出していく。
二日間の強襲がうまくいかず、今日の城攻めも終わった。
さすがに疲労を隠せない面持ちで夕餉にありつこうとしていた明智の兵が、思わぬ事態に騒然となっていた。
緒戦で奇襲を許した屈辱が和刷られない秀満も、過剰ともいえるほどに敏感に反応した。
丹波衆に遅れじと幔幕を飛び出して馬上の人となり、周囲をくまなく警戒しながら味方の陣を回って敵の襲撃に備えさせる。
開かれた門に付け入りをすべし、との進言を行う者は誰もいなかった。
(もし、攻めかかるふりをして手を出してこないとすれば、誘いであろう)
秀満は、血気に逸って突出する味方の将兵がいないことにむしろ満足感を覚えていた。
蒲生の罠など食い破ってやる、と言いたいところではあるが、夜討ちのための備えをせぬままおびき寄せられては敵手の思うつぼである。
こちらが動かないことを知って焦れたのか、安土城の大手口から城外に出て弓鉄砲を放つ者までちらほらと現れた。
だが、同じく飛び道具で応射するだけで明智勢は兵を押し進める動きを見せなかった。
やがて、挑発が効果無しと判断したのか、門は固く閉じられ、城内からわき起こっていた鯨波も聞こえなくなった。
「どうやら、何事もなかったようでございますな。我が方が誘いに乗らず、打つ手がなかったものと見えまする」
秀満と同じく騎乗して手鑓をたばさんだ範賢が、敵勢を揶揄しながらも、安堵の表情を隠せないでいる。
「こちらも思い描いたとおりに事は運んでいない面もあるが、織田勢も状況の厳しさは理解しているのであろうな」
そこへ、息も絶え絶えといった様子で猪飼野秀貞が徒武者を引きつれて秀満の馬の傍らに走り込んできた。
具足の乱れを直す余裕もない秀貞は、思いがけないことを告げた。
「搦め手口の番所が破られてござる!」
「なにっ! 詳しく申せ!」
秀満はひらりと馬から飛び降り、秀貞の胸ぐらを掴み挙げかねない剣幕で問いかける。
「多くの騎馬武者に乗り崩しを受け、恥ずかしながら立ちむかう間もなく蹴散らされてしまった次第。申し訳ござらぬ」
秀貞は咳き込みながらも、言い淀むことなく己の失態を口にした。
「敵が間近に迫ったことを、誰も気づかなかったと申すのか」
殺気だった表情で、妻木範賢も傍らから詰め寄る。
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「それで、敵は城内に退いたのか、確かめられたのであろうな」
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「む? 先とはどういうことじゃ」
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「それなりの数の敵が城外に出た、ということであろう。……して、鯰尾の兜の武者は見たか」
「はっ。しかとは判りかねますが、そのような兜をかぶった武者が先頭にたって斬り込んで参ったのは確かにございます」
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「ならば、そやつが蒲生忠三郎じゃ。城内から声を上げて我らの耳目を引きつけつつ、城外に討って出たようじゃな」
「その敵勢が城外に出て戻っておらぬ、ということは……」
範賢はしばし思案げな顔をしていたが、ある可能性に思い至って表情を曇らせる。
秀満も、厳しい面持ちで頷き返す。
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「はっ。二度も同じ手は喰わぬことを知らしめてやらねば」
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