【架空戦記】蒲生の忠

糸冬

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(十四)いくさの潮目

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「なんということじゃ……」
 沙沙貴神社の本陣にて、明智秀満は長浜城から送られた急使によって佐和山、長浜両城の陥落を知り、呆然となっていた。

 安土城外に出た賦秀の一隊の奇襲を警戒した秀満は、潜伏しているであろう敵勢を見つけ出すべく、四方に物見を放って警戒を行わせていた。

 とりわけ、かつて観音寺城が築かれていた安土城東方の繖山周辺は念入りに探索させたが、敵兵の姿を見つけることはできないでいた。

 しかも痛恨事であるのは、城内の兵力が減っているであることを考慮して総攻めの具申もなされたが、城攻めの最中に伏撃を受けることを怖れて小競り合い程度に抑えていたのだ。

 苦しい籠城戦の最中、まさか味方の城を攻め落とすために討って出てきていたのだとは、まったく秀満の考慮の外にあった。

 城を逐われた高次が秀満の元に合流したい旨を知らせる急使が来るまで、味方の城が奪われていることに半日気づかないままでいたという、なんともだらしのない始末が、さらに腹立たしい。

 夜半になって安土から出た船が戻ってきて、どうやら城内にある程度の兵数と賦秀自身が帰還したらしいことも乱波が報せてきている。

(余計なことを考えず、強攻策をとるのが正しき手であったか。いや、それとて判らぬ。忠三郎も城内をみすみすもぬけの殻にはしておらぬ。それなりに対策を立てての動きであったに違いあるまい)

 秀満は唇を噛み、己の打つ手が後手に回っている原因を理解しようと思考を巡らせている。

「せめて、舟を用いる手は封じておくべきでしたな」
 猪飼野秀貞が口惜しそうに呟いた。

 近江討ち入れに際し、秀満は秀貞の地元である堅田衆を寄騎としてつけられている。 堅田の水軍衆は琵琶湖の水運を支配する存在であり、その気になれば安土城を湖上からも包囲できた。

 しかし、封鎖は行えても兵を揚陸して城内まで攻め込むとなると難しい。

 安土山北端の船着き場に強襲を駆けて占拠でもしない限り、船を湖岸に乗り上げさせて座礁させることを覚悟で少数の兵を送り込めるだけだ。

 それだけに、秀満は堅田の水軍衆を積極的に動かしていなかった。

 蒲生父子が船に乗って城を捨てて逃げてくれるならそれでも構わない、との思いもあったからだが、今となっては甘すぎる判断である。

 緒戦で賦秀に朝駆けを許したため、秀貞の手勢は多くの手負いを出している。

 それが安土城攻めのつまづきの元だったこともあり、秀貞には陣中で強く発言できない雰囲気があった。

 秀貞が今更の繰り言を口にするのは、負い目から進言しなかった自分を悔いているようにもみえた。

「なあに、ただでさえ少ない兵を佐和山城と長浜城に分散してしまった以上、やはり守りは薄くなっておりましょう。一気に攻め落とす好機ではありませぬか」
 妻木範賢が声に力を込めた。

 未だ火傷の傷痕は生々しく残っているが、だからこそ消極策をとる気はまったくなさげだった。

「そう楽観できるものであろうか。それよりもむしろ、再び両城を奪い返しておくべきではございませぬか。このままでは、安藤殿につなぎがつけられませぬからな」
 三宅業朝が首をひねって唸る。

 いま美濃では、信長によって蟄居させられた西美濃三人衆の一人、安藤守就が嫡子と共にかつての居城である北方城に籠もって、反織田の気勢をあげている。

 ろくな準備もしないままの挙兵であったため、同じ西美濃三人衆と呼ばれた稲葉一鉄の急襲を受け、あやうく攻め滅ぼされるところだったが、かろうじて踏ん張りを利かせている。

 信長の首級が晒されてその横死が満天下に明らかになったことを、偶然の産物ながら守就がいち早く掴み、周囲に喧伝して兵を集めたことが大きい。

 加えて明智勢の素早い近江侵攻の様子を知り、稲葉一鉄の攻撃もいささか及び腰になっていた。

 さらに稲葉一鉄自身、新織田・反明智の立場を鮮明にしているとも言い難いところが美濃の情勢を一段と複雑にしていた。

 岐阜城の主であった織田信忠が討たれた今、岐阜城は斉藤道三の四男という斉藤玄蕃利尭が城代として守りを固めている。

 この利尭は一鉄の甥でもあることから、一鉄が支援を約束したとの噂もあった。

 信長が尾張に続いて手中におさめて拠点を定めた美濃国ではあるが、一皮むけば主家を滅ぼされた斉藤の旧臣が多く残る地でもある。

 信長亡き後、必ずしも織田のために働く者ばかりとは限らない。

 明智方としては、混乱し、戦力の空白域となっている筈の美濃国に手を伸ばすにあたって、北方城を守る安藤守就は失いたくない味方である。

 本格的な援軍は無理でも、支援の手を伸ばせる形に持っていきたいところであった。

 それが、佐和山城と長浜城が明智方の手から離れた結果、安土城より東に勢力圏を伸ばせなくなってしまった。

 もちろん、この両城が守りを固める前に、いち早く兵を差し向けて奪い返す策も考えられる。

 しかし、それはそれで安土城攻めが遅れるという意味では賦秀の思う壺でもある。

(さて、どうすべきか……)
 憂色に包まれつつあった秀満の陣に、瀬田の唐橋を渡って光秀からの急使が到着した。

 彼がもたらした報せは、陣中の空気を一気に変えた。

「さすがは我が殿よ……」
 秀満は唸るしかなかった。

 急使がもたらしたのは、一万足らずの光秀勢が堺と大坂にてまさに出陣をしようとしていた四国遠征軍に圧力を掛けるだけで、合戦らしい合戦すらおきぬまま敵勢を瓦解させたとの報せだった。

 さらに摂津表に兵を置き、羽柴勢の反転に備えさせた上で、光秀は一度京に戻り、必要であれば安土攻めにも兵を出す、と報せてきていた。

「殿がお越しになる前にあの城を落とさねば、面目にかかわりますぞ」
 妻木範賢が、浮かぬ口調で秀満に言った。

 光秀の躍進を喜びながらも、範賢にははかばかしくない安土城攻めの責を問われることを怖れる様子があった。

「いや、それは了見違いというもの。ここで徒に兵を損なうことを、殿もお喜びにはなるまい。我が不首尾は、儂が頭を下げれば済むこと。どのようなお叱りでも甘んじて受けるつもりよ」

 近江討ち入れの大将の任を与えられながら、安土を抜けぬまま数日を無駄にしてしまった。

 しかし、秀満は己の力量不足を素直に認め、光秀の後詰めを待つつもりになっていた。

 大坂方面の抑えに目途がついたのであれば、光秀の本隊とあわせて腰を据えて安土城攻めを行うのに支障はないはずだった。

(これで潮目が変わる……!)
 秀満はそう確信していた。



 六月九日。寅の刻。

「敵の動きをわずかでも見逃すでないぞ。岡左内らを捨て石にするわけにはいかぬからな」
 前田屋敷の広間にて、賦秀は諸将の前で檄を飛ばす。

 その声の張り具合は、前日、長駆して城攻めを二戦立て続けに行い、帰還したばかりの疲れをいささかも感じさせない。

 歓声をもって城兵から出迎えられた賦秀だが、決して気を緩めてはいなかった。

 敵の意表を衝いて城を二つ奪うことこそ成功したが、元々の兵力差からいって、いつまでも保持できると考えるのは甘すぎる見通しだろうと考えている。

(もし、敵勢が東に向かうようであれば、左内にはいち早く城を捨てて兵を退かせねば。しかし、先に長浜が襲われるようなことがあれば危うい)

 賦秀自身が帰還した際と同じく、万が一の際には長浜城に兵を集め、舟を用いて安土城まで戻す算段はつけてある。

 もっとも、その計画は先に南の佐和山城が攻められると想定したものであり、裏をかかれた場合には退路を断たれることになる。

 さらに、堅田の水軍衆が湖面の封鎖に動けばその手も使えない。

 信長は琵琶湖の水運こそ活用したが、湖の周辺から敵らしい敵がいなくなって以降は、水軍の編成には無頓着であった。

 安土城直属の船団では、到底堅田の水軍衆に対抗できない。

 水路を断たれた際は、信長の次男・信意が治める伊勢までの長い道のりを退却することになる。

 いずれにせよ、明智勢に捕捉されて撃破されてはただの兵力分散の愚を犯しただけに終わってしまう。敵の動きをよく把握して、安土側からも牽制を行わなければならない。

「この城の兵が少なくなったと知れた以上、嬉々としてこちらに攻め寄せてくるのではないかな」

 二ノ丸から降りてきていた賢秀が、浮かぬ顔で呟いた。留守番衆からあれこれと責められる立場にあるが、それを表情にはみせていない。

「大旦那、それならば我が軍略をいま一度お目に掛けるまでですよ」
 ロルテスが、日本人には真似のしがたい不敵な表情を作ってみせた。

 賢秀はそれには答えず、ただロルテスの真似をするかのように肩をすくめる仕草をしてみせるだけだった。

「殿。一大事にございますぞ」
 城内の巡検に出かけていた横山喜内が血相を変えて広間に駆け込んできた。

 湖面を泳ぎ渡り、定められた地点から陸に上がった団七配下の甲賀忍びが、重大な報せをもたらしたのだ。

 柴田勝家率いる上杉攻めの軍勢が、上杉景勝との和睦を取り付けて南下しつつあるという。

「おお、親父殿が来られるか!」
 賦秀は膝を叩き、目を輝かせた。

 ここでいう「親父殿」とは実父・賢秀のことではない。

 蒲生家は信長直属の遊撃的な位置づけを与えられていたが、戦さ働きを求めた賦秀は織田家筆頭家老である柴田勝家の寄騎として従軍した経験も持っている。

 その際、賦秀は勝家の人柄のみならず将器を尊敬するようになり、「親父殿」と慕っていた。

 織田方にとって頼もしい味方の帰還は、間違いなく現在の戦況を大きく動かすに違いなかった。

「よし、よし! 佐和山と長浜を奪い、粘った価値があろうというものよ! これでいくさの潮目が変わるぞ!」
 興奮を抑えかねるように、賦秀は握った右手の拳を左の手のひらに何度も打ち付ける。

 聞き知っている範囲では、近江から北陸諸国にかけて、明確に反織田の立場を鮮明にして兵を挙げているのは、山本山城の阿閉貞征ぐらいしか思い当たらない。

 阿閉貞征では、勝家の進軍を止めることは出来ないだろう。

 湖東沿いに勝家勢が南下して安土城の後巻きをするとなれば、明智秀満も囲みを解かざるを得ないはずだ。

 柴田勝家来る、との報せはたちまちに城内に広まり、苦しい籠城に先の希望がみえたことで士気は一段と高まった。
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