【架空戦記】蒲生の忠

糸冬

文字の大きさ
25 / 30

(二十五)中野城の鬱屈

しおりを挟む
 瀬田の唐橋の東詰にて陣所の構築を終えた賦秀は、久方ぶりに自城である中野城へと帰還していた。

 安土城を守り抜いた輝かしい武功に恵まれながらも、その表情は冴えることはなかった。

 結果として、日野の町が光秀による謀叛の戦渦に晒されることはなかった。

 ただし、安土城に籠もる蒲生勢を揺さぶるため、布施忠兵衛が訪れたと聞かされてはさすがに平静ではいられなかった。

 城下の屋敷を幾つか占拠して居座っていた忠兵衛は、明智秀満勢の退転にあわせて何もしないまま既に退去している。

 しかし、その後も明智勢が日野に兵を差し向けてくる可能性は充分にあったのだ。

 安土を守るために己の故郷を捨て石にする覚悟を求め、いざとなれば敵を利することのないよう町と城を焼き払って伊勢に逃れるよう、賦秀が留守居役の稲田左馬助と冬姫に命じた事実は消えない。

 仮に他の誰が許しても、自分自身でぬぐいきれない重しとなって賦秀の心の中に残っていた。

 加えて、城を乗っ取るような形になった信雄に対し、佐和山城と長浜城を明け渡している。

 丹羽長秀と羽柴秀吉からこれらの城を横取りするつもりがなければ、いずれにせよ手放さなければならない城であった。

 信雄から催促される前に押しつけたほうが良い、というのは賢秀の案だった。

 賦秀としては必ずしもその策に諸手を挙げて賛成した訳ではなかった。

 返すのであれば、自分の手で本来の持ち主に返すのが筋だとも思っている。

 しかし、城を抑えている間は城下の領民の面倒を見る責任も伴ってくる。

 蒲生家の身代を超える規模の兵を動かすのにも限界があった。

 山岡景隆から譲り受けた形の瀬田城だけは手放さなかったのは、せめてもの意地だった。



「元気がないな、若旦那」
 ふらりと姿をみせたロルテスが、珍しく心配げな声を掛けてくる。

「そうみえるか。安土城を守りきって、いささか気が抜けたわ。まだ安堵できる状況でないこと、判っているつもりなのだがな」

 賦秀は自嘲めいた笑いを浮かべる。

 信雄の動向を読み誤り、安土城を明け渡したのは失策だった。

 痛恨の思いが尾を引いていたし、柴田勝家が破れたこともつらい。

 加えて、賦秀にとって心残りだったのは、前田利勝や鍋の方にろくに挨拶もできないまま、中野城に引き上げざるを得なかったことだった。

 前田利勝は、父・前田利家の元に戻っていった。
 利家は勝家亡きあとの北陸の地において体勢を立て直さねばならず、人手はいくらあっても足りない。、

 また、鍋の方をはじめとする安土城にいた織田家の親族は、信雄がその身柄を引き受けている。

 様々な出来事が一挙に押し寄せた結果、いろいろと思いが重なって、緊張の糸が切れていることは実感せざるを得ない。

 なんとしても光秀を討たねばならないと思い定め、様々に策を練るものの、己の身代では打てる手があまりにも限られすぎていた。

 結局、瀬田の唐橋を押し渡ることすら出来ないのが、今の蒲生の現状なのだ。

 そう考えると、どうしても腹に力が入らない。

「近頃、京では光秀が余勢を駆って丹後に討ち入れるとの噂が広まっておるようで。さっき、出入りの商人が話しておりましたぜ」

 ロルテスが何気ない口調で言った。

 日野は商いの盛んな町であり、商人たちの情報網は決して馬鹿にはできない。

 ロルテスは身軽な身の上を活かして、いくつもの商家に気軽に出入りしている。

 複式簿記にしろ、天文や数学の知識にしろ、あるいは砲術や火薬の調合にしろ、彼は日野の商人達がこぞって聞きたがるような情報の引き出しを幾つも持っている。

「丹後、つまり細川か」

「そういうことで」

 賦秀の呟きに、報告をもたらしたロルテス自身が、納得しがたいとでも言いたげに深く頷いた。

 近頃は賦秀の腹心面をしているが、本来、ロルテスが客将となっているのは関一政である。

 その一政が大坂から帰還できていないためか、それとも賦秀の元で参陣することが楽しいのか、ロルテスは中野城に居座ったまま帰る気配もない。

 しばしの間をおいて、賦秀はロルテスの顔をじっと見つめた。

「羅久呂左衛門よ。以前にも尋ねたやも知れぬが、お主、嫁御はおらぬのか」

「それは日ノ本か、羅馬か、いずれのことをお尋ねで?」

 ロルテスはとぼけた口調で問い返してくる。

「ほう。両方に妻がおると言いたげじゃな」

「どちらにもおりませぬよ。嫁や子などおっては、生きるのに窮屈で」

 そう応じたロルテスは、異国者にしか似合わない、大げさに肩をすくめる仕草をしてみせる。

「……まあ、遠き羅馬に残された嫁がおるというのでは不憫ゆえ、そのほうが儂としても気楽じゃが」

「若旦那、なぜ急に嫁の話など」

「いやなに、細川家の話が出たゆえ、与一郎のことを考えておってな」

 光秀の娘が、丹後を治める細川藤孝の嫡男・与一郎忠興に嫁いでいる。

 この婚姻には信長の意向が強く関わっていたとされるが、どうあれ明智と細川の両家には深いつながりがある。

 賦秀は、畿内にいる武将であれば周知であろう実情について、ロルテスを相手に改めて簡単に説明する。

「わざわざ、大事な味方になってくれそうな家を攻撃する。自滅行為ね」

 理解できない、とばかりにロルテスはまたも肩をすくめてみせる。

「ありえぬ……。と言いたいところだが、そうとも言い切れぬあたり、案外と真実を衝いておる噂やもしれぬ」

 賦秀は笑いもせず、眉間にしわを寄せて思案する。

 ロルテスの言葉どおり、味方として期待できる相手であるだけでなく、娘の嫁ぎ先をあえて攻めるとの話はにわかに信じがたいものがあった。

 だが、考えてみればその縁の深い有力寄騎である細川勢は未だ光秀に同心せず、噂では髪を落として信長への哀悼を示し、光秀とは「義絶」したという。

 事あれば真っ先に味方となってくれると期待していたであろう藤孝の振る舞いは、光秀にとってみれば裏切りに等しい。

 武力征伐によりけじめをつける気になったとしてもおかしくはない。

(だが、いずれにせよ)

 謀叛後の不安定な体制を、次第に正統性のあるものとして固めつつある光秀に焦りを覚えた賦秀だが、ふっと気が抜けた。

 そのまま、仰向けに板間に大の字になって寝ころんだ。

「おや、どうした、若旦那」

「なに、今の儂には関わりのないことと思うと、やはり肩の力が抜けたわ」

 仰向けになったまま賦秀はロルテスの問いに応じた。

「ははは。仕方ないことね。今回の戦争は、ソレガシも疲れたよ」

 笑ったロルテスは、遠慮もなく賦秀の横で同じように寝転がる。

 安土城を信雄に乗っ取られることになった賦秀は、日野の居城へと帰還するのとあわせ、佐和山城と長浜城を信雄に明け渡す旨を伝えてきた信雄からの使者に応じ、詰めていた兵を引き上げさせていた。

 岡左内も赤座隼人も事を荒立てることなく命令に従ってくれた。

 二人とも、賦秀を前に不満の声を漏らすことは忘れなかったが、賦秀の思いは理解していた。

 信雄の行為を不服として、なんらかの行動を起こす事自体は不可能ではなかった。

 だが、どうあれ相手は主筋である。

 喧嘩を売るには後には退かぬ覚悟が必要であったし、現段階での対立は当然光秀を利することにしかならない。

 賦秀は安土城の防衛という急場を凌ぐために、腕に覚えのある浪人者から名も無き雑兵まで、かなりの数を銭で雇い入れていた。

 彼らとの契約はひとまず終了する形をとり、城ごと信雄に引き渡さなかったのは、せめてもの意地だった。

 もっとも賦秀の武名と人柄を慕ってか、あるいは立身の機会が多いと考えたのか、少なくない数が日野までつい
て来ており、城下は思わぬ賑わいを呈していた。

 しかしその事実も、今の賦秀にとっては重荷に感じこそすれ、誇らしい気持ちには到底なれない。

(しょせん、日野六万石の家で出来ることには限りがある。安土城を守り抜いただけでよしとせねば)

 賦秀がしばらくの間そのままの格好で天井を眺めていると、不意に涼やかな声が聞こえた。

「まあ、殿。そのような格好で」

 視線を向けると、戸口にて妻の冬姫が目を丸くしていた。

「おお、済まぬ。どうにも腹に力が入らぬでな」

 ばつが悪そうに笑って賦秀は身体を起こした。

 その横ではロルテスも跳ね起き、「これは失礼」ともごもとごと言い募り、そそくさと部屋から逃げ去っていく。

 あまりに慌てたのか、冬姫の横を抜けて部屋の外に出る際、高い上背が災いして鴨居の下に頭をぶつけ、鈍い音が響いた。

「……妙な御方ですこと」

 呆気に取られて、頭を抑えながら去っていくロルテスを見送った冬姫がぽつりと呟く。

「そう申すな。あまり見られたくない姿であったからな」

「殿もお疲れでございましょうから、無理もないことかと存じます」

 冬姫は首を振りながら賦秀の傍らに端座した。

「いや、気遣いはありがたいが、これしきの戦さで疲れ切ってしまっていては話にならん。そうと判ってはいるが、なかなか萎えた気力は思うに任せぬものだ」

 ためいき混じりに応じた賦秀だが、冬姫の視線を意識して、言葉を継ぐ。

「いかぬな。冬はたった一人のお父君を失うて辛いであろうに、不甲斐ない愚痴を耳に入れてしもうたわ」

「貴方様のこたびのお働きに、きっと我が父も喜んでおることでしょう」

「うむ。上様のお志は、この日ノ本の為にも一代限りで絶やして良いものではない」

「貴方様」

 冬姫は表情に固いものを浮かべ、視線をしっかりと賦秀の顔に向けた。

「どうした、改まって」

「もし、我が兄達に父の壮図を継ぐに能わずと思し召しの折は、貴方様が天下をお取りくださいませ」

 日頃は夫をたて、信長の娘である誇りをあまり表には出さない姫である。

 しかし、この時ばかりは生来の気丈さを隠すそぶりも見せなかった。

 その思い詰めた表情に、さして似ているとも思えないはずの信長の面影を追っていることに気づき、賦秀は思わず目を伏せた。

「何を申す。それがしは日野中野六万石の後継ぎに過ぎぬぞ」

「父は出自や家格などにこだわらずに人を用い、力を持つ者であれば立身させることを厭わなかったと聞きます。その志を受け継ぐことに遠慮はございますまい」

 言いながら感情が高ぶってきたのか、冬姫の目に涙が浮かび始める。

「……判った。儂は儂のできることに全力を尽くそう」

 そう応じながらも、今は己の無力さをかみしめることしか出来ない賦秀であった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~

bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。

天正の黒船

KEYちゃん
歴史・時代
幕末、日本人は欧米諸国が日本に来た時の黒船に腰を抜かした。しかしその300年前に日本人は黒船を作っていた。

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記

颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。 ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。 また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。 その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。 この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。 またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。 この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず… 大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。 【重要】 不定期更新。超絶不定期更新です。

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

戦国終わらず ~家康、夏の陣で討死~

川野遥
歴史・時代
長きに渡る戦国時代も大坂・夏の陣をもって終わりを告げる …はずだった。 まさかの大逆転、豊臣勢が真田の活躍もありまさかの逆襲で徳川家康と秀忠を討ち果たし、大坂の陣の勝者に。果たして彼らは新たな秩序を作ることができるのか? 敗北した徳川勢も何とか巻き返しを図ろうとするが、徳川に臣従したはずの大名達が新たな野心を抱き始める。 文治系藩主は頼りなし? 暴れん坊藩主がまさかの活躍? 参考情報一切なし、全てゼロから切り開く戦国ifストーリーが始まる。 更新は週5~6予定です。 ※ノベルアップ+とカクヨムにも掲載しています。

処理中です...