【完結】白き塔の才女マーガレットと、婿入りした王子が帰るまでの物語

恋せよ恋

文字の大きさ
56 / 107
Ⅵ 蒼月の国ルナリア

2 第二王子マルクスの体調

しおりを挟む
 その夜。
 
 一ヶ月ぶりに、まともな寝台と湯が与えられた。
 旅の間は宿屋で湯浴みをしたが、幾度も魔導馬車の中で夜を明かした。
 王城の浴室は蒸気がやわらかく香り、肌を包む湯の温度が夢のように心地よい。湯気に満ちた空間で、ようやく「地上に戻った」という感覚を取り戻す。

 入浴を終え、髪を乾かすころには、体から旅の重さが少しずつ抜けていった。
 与えられた寝室は広く、窓の外には霧に包まれた月の光。ふかふかのベット、肌触りのいいシーツに身を沈めると、全身の力が抜けていく。

 旅の最後まで、手放せなかったものがひとつあった......
 ――ニコラス殿下から贈られた、濃紺のクッション。
 旅の道中で少し埃をかぶってしまったが、それでも懐かしいムスクの香りが残っている。

 マーガレットはそれを胸に抱きしめ、静かに息を吐いた。
 目を閉じれば、遠く離れた国の空の下で、同じ夜を見上げている彼の姿が浮かぶ。

 ――殿下、無事に到着しました。

 囁くように呟きながら、彼女はクッションを抱いたまま、深い眠りへと落ちていった。

◇◇◇

 白いカーテンが揺れていた。
 薄い光が部屋の中を染め、静寂の中で小さな息の音だけが響いている。

 「……これが、第二王子殿下のご容体です」
 案内の侍医が深く頭を下げた。

 マーガレットは息をのんだ。
 寝台に横たわる青年――マルクス王子は、あまりにも静かだった。
 額には冷たい汗が滲み、胸がわずかに上下している。
 その息は浅く、今にも途切れてしまいそうだった。

 「...... 触れてもよろしいでしょうか?」
マーガレットは侍医に尋ねる。許可を得て彼女はそっと膝をつき、震える手を伸ばした。
 「……マルクス殿下……」

 その指先に、かすかな温もりが触れる。
 だが、それはあまりにも弱い。まるで命の灯が消えかけているように感じた。

 ベッドの傍らには、妹のリュシア王女が座っていた。
 泣きはらした目で、それでも兄の手をしっかりと握りしめている。

 「お兄様……どうか……どうかもう一度笑って……」
 震える声。
 その願いが届かぬように、王子の瞼は重く閉ざされたままだ。

 マーガレットは胸の奥が締めつけられるような思いだった。
 ――何とかしてあげたい。この方を、助けてあげたい。

 彼女は無意識にリュシアの肩に手を置いた。
 「王女殿下……私も、マルクス殿下の力になりたいのです。私にできることがあるなら、どうか教えてください」

 リュシアはゆっくりと目を開けた。
 その瞳は、赤く淡い光――まるで星のような輝きが宿っている。

 「あなたが……“白き塔の才女”なのね」
 「はい……そう呼ばれているようですが、私はただの王宮補佐官です」

 「ううん、違うわ」
 リュシアはマーガレットの手をぎゅっと握った。
 「わたし、見えるの……未来の断片が。
時々、怖いものも見えるの。でも――今、見えたの。あなたとお兄様が……笑ってるの。だから……大丈夫。あなたなら、助けられる」

 マーガレットの心が震えた。
 未来を見る力――それは祝福であり、同時に呪いでもある。人の不幸が見えてしまうその力が、どれほどリュシアの心を傷つけてきたのか、彼女には分かる気がした。

 「リュシア王女殿下……」
 マーガレットは、優しく少女の手を包んだ。
 「あなたの力は、誰かを傷つけるものではありません。今、こうして私を信じてくれた――それだけで、私の心を照らしてくれました。あなたの力は、人を救う光です」

 リュシアの目が少し潤んだ。
 「……そう、なのかしら」
 「ええ。ですから、どうか信じてください」

 静かな時間が流れた。
 外では風が木々を揺らし、遠くの鐘が淡く響いている。

 マーガレットは、再びマルクスの手を握った。その手に、ほんのわずかだが確かな鼓動を感じた。

 ――生きている。まだ、この方の中には光がある。そう確信した彼女の瞳に、決意の光が宿る。
 「この魔力の循環不全……必ず原因を突き止めます。王立図書庫の古代魔導書を全て調べさせてください」

 リュシアが涙を拭い、かすかに微笑んだ。
 「お願い、マーガレット。お兄様を……助けて」

 マーガレットは静かに頷いた。
 「はい…….精一杯努めさせていただきます」

 その瞬間、リュシアの未来視の力が、もう一度だけ淡く光を放った。
 そこには、回復したマルクスと、安堵の笑みを浮かべるマーガレットの姿が――確かに映っていた。

つづく
____________

《ファンタジー》風味が強いですが、しばしお付き合い下さいませ。まもなく《恋愛》甘々に戻ります❤️ご安心ください💕


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

殺された伯爵夫人の六年と七時間のやりなおし

さき
恋愛
愛のない結婚と冷遇生活の末、六年目の結婚記念日に夫に殺されたプリシラ。 だが目を覚ました彼女は結婚した日の夜に戻っていた。 魔女が行った『六年間の時戻し』、それに巻き込まれたプリシラは、同じ人生は歩まないと決めて再び六年間に挑む。 変わらず横暴な夫、今度の人生では慕ってくれる継子。前回の人生では得られなかった味方。 二度目の人生を少しずつ変えていく中、プリシラは前回の人生では現れなかった青年オリバーと出会い……。

【完結】男装して会いに行ったら婚約破棄されていたので、近衛として地味に復讐したいと思います。

銀杏鹿
恋愛
次期皇后のアイリスは、婚約者である王に会うついでに驚かせようと、男に変装し近衛として近づく。 しかし、王が自分以外の者と結婚しようとしていると知り、怒りに震えた彼女は、男装を解かないまま、復讐しようと考える。 しかし、男装が完璧過ぎたのか、王の意中の相手やら、王弟殿下やら、その従者に目をつけられてしまい……

完)嫁いだつもりでしたがメイドに間違われています

オリハルコン陸
恋愛
嫁いだはずなのに、格好のせいか本気でメイドと勘違いされた貧乏令嬢。そのままうっかりメイドとして馴染んで、その生活を楽しみ始めてしまいます。 ◇◇◇◇◇◇◇ 「オマケのようでオマケじゃない〜」では、本編の小話や後日談というかたちでまだ語られてない部分を補完しています。 14回恋愛大賞奨励賞受賞しました! これも読んでくださったり投票してくださった皆様のおかげです。 ありがとうございました! ざっくりと見直し終わりました。完璧じゃないけど、とりあえずこれで。 この後本格的に手直し予定。(多分時間がかかります)

没落貴族とバカにしますが、実は私、王族の者でして。

亜綺羅もも
恋愛
ティファ・レーベルリンは没落貴族と学園の友人たちから毎日イジメられていた。 しかし皆は知らないのだ ティファが、ロードサファルの王女だとは。 そんなティファはキラ・ファンタムに惹かれていき、そして自分の正体をキラに明かすのであったが……

報われなくても平気ですので、私のことは秘密にしていただけますか?

小桜
恋愛
レフィナード城の片隅で治癒師として働く男爵令嬢のペルラ・アマーブレは、騎士隊長のルイス・クラベルへ密かに思いを寄せていた。 しかし、ルイスは命の恩人である美しい女性に心惹かれ、恋人同士となってしまう。 突然の失恋に、落ち込むペルラ。 そんなある日、謎の騎士アルビレオ・ロメロがペルラの前に現れた。 「俺は、放っておけないから来たのです」 初対面であるはずのアルビレオだが、なぜか彼はペルラこそがルイスの恩人だと確信していて―― ペルラには報われてほしいと願う一途なアルビレオと、絶対に真実は隠し通したいペルラの物語です。

【完結】婚約破棄はいいのですが、平凡(?)な私を巻き込まないでください!

白キツネ
恋愛
実力主義であるクリスティア王国で、学園の卒業パーティーに中、突然第一王子である、アレン・クリスティアから婚約破棄を言い渡される。 婚約者ではないのに、です。 それに、いじめた記憶も一切ありません。 私にはちゃんと婚約者がいるんです。巻き込まないでください。 第一王子に何故か振られた女が、本来の婚約者と幸せになるお話。 カクヨムにも掲載しております。

【完結】「政略結婚ですのでお構いなく!」

仙桜可律
恋愛
文官の妹が王子に見初められたことで、派閥間の勢力図が変わった。 「で、政略結婚って言われましてもお父様……」 優秀な兄と妹に挟まれて、何事もほどほどにこなしてきたミランダ。代々優秀な文官を輩出してきたシューゼル伯爵家は良縁に恵まれるそうだ。 適齢期になったら適当に釣り合う方と適当にお付き合いをして適当な時期に結婚したいと思っていた。 それなのに代々武官の家柄で有名なリッキー家と結婚だなんて。 のんびりに見えて豪胆な令嬢と 体力系にしか自信がないワンコ令息 24.4.87 本編完結 以降不定期で番外編予定

我儘令嬢なんて無理だったので小心者令嬢になったらみんなに甘やかされました。

たぬきち25番
恋愛
「ここはどこですか?私はだれですか?」目を覚ましたら全く知らない場所にいました。 しかも以前の私は、かなり我儘令嬢だったそうです。 そんなマイナスからのスタートですが、文句はいえません。 ずっと冷たかった周りの目が、なんだか最近優しい気がします。 というか、甘やかされてません? これって、どういうことでしょう? ※後日談は激甘です。  激甘が苦手な方は後日談以外をお楽しみ下さい。 ※小説家になろう様にも公開させて頂いております。  ただあちらは、マルチエンディングではございませんので、その関係でこちらとは、内容が大幅に異なります。ご了承下さい。  タイトルも違います。タイトル:異世界、訳アリ令嬢の恋の行方は?!~あの時、もしあなたを選ばなければ~

処理中です...