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Ⅵ 蒼月の国ルナリア
2 第二王子マルクスの体調
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その夜。
一ヶ月ぶりに、まともな寝台と湯が与えられた。
旅の間は宿屋で湯浴みをしたが、幾度も魔導馬車の中で夜を明かした。
王城の浴室は蒸気がやわらかく香り、肌を包む湯の温度が夢のように心地よい。湯気に満ちた空間で、ようやく「地上に戻った」という感覚を取り戻す。
入浴を終え、髪を乾かすころには、体から旅の重さが少しずつ抜けていった。
与えられた寝室は広く、窓の外には霧に包まれた月の光。ふかふかのベット、肌触りのいいシーツに身を沈めると、全身の力が抜けていく。
旅の最後まで、手放せなかったものがひとつあった......
――ニコラス殿下から贈られた、濃紺のクッション。
旅の道中で少し埃をかぶってしまったが、それでも懐かしいムスクの香りが残っている。
マーガレットはそれを胸に抱きしめ、静かに息を吐いた。
目を閉じれば、遠く離れた国の空の下で、同じ夜を見上げている彼の姿が浮かぶ。
――殿下、無事に到着しました。
囁くように呟きながら、彼女はクッションを抱いたまま、深い眠りへと落ちていった。
◇◇◇
白いカーテンが揺れていた。
薄い光が部屋の中を染め、静寂の中で小さな息の音だけが響いている。
「……これが、第二王子殿下のご容体です」
案内の侍医が深く頭を下げた。
マーガレットは息をのんだ。
寝台に横たわる青年――マルクス王子は、あまりにも静かだった。
額には冷たい汗が滲み、胸がわずかに上下している。
その息は浅く、今にも途切れてしまいそうだった。
「...... 触れてもよろしいでしょうか?」
マーガレットは侍医に尋ねる。許可を得て彼女はそっと膝をつき、震える手を伸ばした。
「……マルクス殿下……」
その指先に、かすかな温もりが触れる。
だが、それはあまりにも弱い。まるで命の灯が消えかけているように感じた。
ベッドの傍らには、妹のリュシア王女が座っていた。
泣きはらした目で、それでも兄の手をしっかりと握りしめている。
「お兄様……どうか……どうかもう一度笑って……」
震える声。
その願いが届かぬように、王子の瞼は重く閉ざされたままだ。
マーガレットは胸の奥が締めつけられるような思いだった。
――何とかしてあげたい。この方を、助けてあげたい。
彼女は無意識にリュシアの肩に手を置いた。
「王女殿下……私も、マルクス殿下の力になりたいのです。私にできることがあるなら、どうか教えてください」
リュシアはゆっくりと目を開けた。
その瞳は、赤く淡い光――まるで星のような輝きが宿っている。
「あなたが……“白き塔の才女”なのね」
「はい……そう呼ばれているようですが、私はただの王宮補佐官です」
「ううん、違うわ」
リュシアはマーガレットの手をぎゅっと握った。
「わたし、見えるの……未来の断片が。
時々、怖いものも見えるの。でも――今、見えたの。あなたとお兄様が……笑ってるの。だから……大丈夫。あなたなら、助けられる」
マーガレットの心が震えた。
未来を見る力――それは祝福であり、同時に呪いでもある。人の不幸が見えてしまうその力が、どれほどリュシアの心を傷つけてきたのか、彼女には分かる気がした。
「リュシア王女殿下……」
マーガレットは、優しく少女の手を包んだ。
「あなたの力は、誰かを傷つけるものではありません。今、こうして私を信じてくれた――それだけで、私の心を照らしてくれました。あなたの力は、人を救う光です」
リュシアの目が少し潤んだ。
「……そう、なのかしら」
「ええ。ですから、どうか信じてください」
静かな時間が流れた。
外では風が木々を揺らし、遠くの鐘が淡く響いている。
マーガレットは、再びマルクスの手を握った。その手に、ほんのわずかだが確かな鼓動を感じた。
――生きている。まだ、この方の中には光がある。そう確信した彼女の瞳に、決意の光が宿る。
「この魔力の循環不全……必ず原因を突き止めます。王立図書庫の古代魔導書を全て調べさせてください」
リュシアが涙を拭い、かすかに微笑んだ。
「お願い、マーガレット。お兄様を……助けて」
マーガレットは静かに頷いた。
「はい…….精一杯努めさせていただきます」
その瞬間、リュシアの未来視の力が、もう一度だけ淡く光を放った。
そこには、回復したマルクスと、安堵の笑みを浮かべるマーガレットの姿が――確かに映っていた。
つづく
____________
《ファンタジー》風味が強いですが、しばしお付き合い下さいませ。まもなく《恋愛》甘々に戻ります❤️ご安心ください💕
一ヶ月ぶりに、まともな寝台と湯が与えられた。
旅の間は宿屋で湯浴みをしたが、幾度も魔導馬車の中で夜を明かした。
王城の浴室は蒸気がやわらかく香り、肌を包む湯の温度が夢のように心地よい。湯気に満ちた空間で、ようやく「地上に戻った」という感覚を取り戻す。
入浴を終え、髪を乾かすころには、体から旅の重さが少しずつ抜けていった。
与えられた寝室は広く、窓の外には霧に包まれた月の光。ふかふかのベット、肌触りのいいシーツに身を沈めると、全身の力が抜けていく。
旅の最後まで、手放せなかったものがひとつあった......
――ニコラス殿下から贈られた、濃紺のクッション。
旅の道中で少し埃をかぶってしまったが、それでも懐かしいムスクの香りが残っている。
マーガレットはそれを胸に抱きしめ、静かに息を吐いた。
目を閉じれば、遠く離れた国の空の下で、同じ夜を見上げている彼の姿が浮かぶ。
――殿下、無事に到着しました。
囁くように呟きながら、彼女はクッションを抱いたまま、深い眠りへと落ちていった。
◇◇◇
白いカーテンが揺れていた。
薄い光が部屋の中を染め、静寂の中で小さな息の音だけが響いている。
「……これが、第二王子殿下のご容体です」
案内の侍医が深く頭を下げた。
マーガレットは息をのんだ。
寝台に横たわる青年――マルクス王子は、あまりにも静かだった。
額には冷たい汗が滲み、胸がわずかに上下している。
その息は浅く、今にも途切れてしまいそうだった。
「...... 触れてもよろしいでしょうか?」
マーガレットは侍医に尋ねる。許可を得て彼女はそっと膝をつき、震える手を伸ばした。
「……マルクス殿下……」
その指先に、かすかな温もりが触れる。
だが、それはあまりにも弱い。まるで命の灯が消えかけているように感じた。
ベッドの傍らには、妹のリュシア王女が座っていた。
泣きはらした目で、それでも兄の手をしっかりと握りしめている。
「お兄様……どうか……どうかもう一度笑って……」
震える声。
その願いが届かぬように、王子の瞼は重く閉ざされたままだ。
マーガレットは胸の奥が締めつけられるような思いだった。
――何とかしてあげたい。この方を、助けてあげたい。
彼女は無意識にリュシアの肩に手を置いた。
「王女殿下……私も、マルクス殿下の力になりたいのです。私にできることがあるなら、どうか教えてください」
リュシアはゆっくりと目を開けた。
その瞳は、赤く淡い光――まるで星のような輝きが宿っている。
「あなたが……“白き塔の才女”なのね」
「はい……そう呼ばれているようですが、私はただの王宮補佐官です」
「ううん、違うわ」
リュシアはマーガレットの手をぎゅっと握った。
「わたし、見えるの……未来の断片が。
時々、怖いものも見えるの。でも――今、見えたの。あなたとお兄様が……笑ってるの。だから……大丈夫。あなたなら、助けられる」
マーガレットの心が震えた。
未来を見る力――それは祝福であり、同時に呪いでもある。人の不幸が見えてしまうその力が、どれほどリュシアの心を傷つけてきたのか、彼女には分かる気がした。
「リュシア王女殿下……」
マーガレットは、優しく少女の手を包んだ。
「あなたの力は、誰かを傷つけるものではありません。今、こうして私を信じてくれた――それだけで、私の心を照らしてくれました。あなたの力は、人を救う光です」
リュシアの目が少し潤んだ。
「……そう、なのかしら」
「ええ。ですから、どうか信じてください」
静かな時間が流れた。
外では風が木々を揺らし、遠くの鐘が淡く響いている。
マーガレットは、再びマルクスの手を握った。その手に、ほんのわずかだが確かな鼓動を感じた。
――生きている。まだ、この方の中には光がある。そう確信した彼女の瞳に、決意の光が宿る。
「この魔力の循環不全……必ず原因を突き止めます。王立図書庫の古代魔導書を全て調べさせてください」
リュシアが涙を拭い、かすかに微笑んだ。
「お願い、マーガレット。お兄様を……助けて」
マーガレットは静かに頷いた。
「はい…….精一杯努めさせていただきます」
その瞬間、リュシアの未来視の力が、もう一度だけ淡く光を放った。
そこには、回復したマルクスと、安堵の笑みを浮かべるマーガレットの姿が――確かに映っていた。
つづく
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