異世界転生 剣と魔術の世界

小沢アキラ

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第一部・一章 コモレヴィの森

第一話

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 蒼天の空を見上げながら、俺は川縁に腰を下ろしていた。耳には心地よいせせらぎの音と小鳥のさえずり、飛び回る虫の羽音がベストマッチしており、さながら自然が織り成す合唱コンクールを独り占めしている気分になる。
 下流に沿って歩き始めてから、三十分近く経つ。その間一切人と出会わず、出くわすのは野生の兎一匹だけだった。
 しかもその兎は、何故か隣で大福を思わせるように丸まっている。
 青空から視線を外し、横で丸まっている物に視線を向ける。視線に気付いた兎は、両耳をぴょこぴょこと動かし、こちらに愛らしい瞳を向けながら小首を傾げてきた。
 たったそれだけの動作が、疲れた精神を癒してくれる。
「こいつ……なんで付いてくるんだ?」
 愛らしい兎の頭を撫でながら、不意に口から零れた。
 兎を抱きしめたいのをなんとか押し退け、歩みを再開するために立ち上がる。やはり、俺が立ち上がると兎も丸まりを解除し、四つん這いの体勢に入った。
「まだ付いてくるんだ……まぁ、一人よりかはいいけど」
 流石に川に沿って歩くのを一人なのは心細かったので、小動物がお供してくれるだけでも心強い。
 この兎は多分野兎だろうから、ただ縄張りを走り回ってるだけなんだろうけど、それでも嬉しい。
 四つん這いの体勢になっている兎に微笑みかけ、再び下流に沿って歩み始める。その際後ろをチラ見すると、やはり兎は跳ねながら付いてきている。
 可愛さで悶絶しながら、置かれた現状をなけなしの知恵で思い返す。
 まず俺は土砂災害に巻き込まれ、崖から転落した。この時点でもう既におかしいが、拍車をかけるようにここからおかしな現象が連続する。
 目を覚ますと見知らぬ森に、独り寝していた。転落したにも関わらず、どこも負傷しておらず、違和感があるとしたら服装が違う事ぐらいだった。
 そこから取り敢えず水を求め、川のせせらぎの音源に辿り着き、下流に沿って民家を目指している。その際に一匹の兎と遭遇した。

 何度考えても、異常の一言に尽きる。

 常人には決して理解できない事柄に、困惑してないといえば嘘になる。いっそこれが、テレビなどのドッキリであってほしいとさえ思える。
 一人になると、どうしても家族のことを最初に考えてしまう。
 心細いせいか、家族の事を考えると、不意に涙腺が刺激される。目尻に雫が浮き出し、右手の甲でごしごしと擦り拭い取る。
 そうだ。家族に心配を掛けないためにも、早く人がいる場所に下りて警察に連絡しなければいけない。こんな所でのんびりしてる暇なんて、俺にはないんだ。
 一度足を止め、体を半回転させる。足元には、未だ追いかけてくる兎が四つん這いで待機している。
 そんな愛らしい生物に恐る恐る腕を伸ばし、中腹に腕を回す。兎は一切抵抗せず、口をピクピク動かすだけだった。
 ふわふわの生き物を一度強く抱き締め、元いた場所に戻し、膝を曲げながら呟いた。
「もう行くね。短い間だったけど、一緒にいられて楽しかったよ」
 別れを告げ、名残惜しくもその場から逃げるように走り出す。あの兎にはきっと帰るべき巣がある。もしこのまま付いてきたら帰れなくなる可能性がある。そうならないように、あの兎が付いてこれない速さで逃げるしかない。
 俺は一目散に走り抜けた。後ろを確認せず、ただ前だけを見て走り続けた。
 三分ほど走り、徐々に減速していく。
 後ろに振り返ると、兎はもういなかった。なんとか撒けたことに安堵し、同時に寂しい気分になる。短い時間だったが、共に行動したのだから愛着ぐらい湧く。
 自分で望んで一人になったというのに、最初とは比べ物にならない心細さが襲う。終業式の帰りに友達と帰り道が別れ一人になった時と同じくらい寂しく、虚無感がえげつない。
 そんな馬鹿みたいな思考を放り投げるように上空を仰ぐ。太陽は初めに比べ大分傾いており、目覚めた時に比べかなり暗くなってきた。
 隣の森は既に先が見えないほど暗く、今にも暗闇から何か飛び出してきそうなほどの妖しさを醸し出している。
「……行動選んどいて良かった」
 自分の下した判断が正解だったことに再度安堵する。こんな薄気味悪い場所で救助隊を待つなんて、とてもじゃないが無理だ。
 ただ、行動を選んだのも正解かも怪しくなってきた。長い時間下流に沿って歩いたが、民家一つ見当たらない。
 もしこのまま見つからなかったら、最悪ここで野宿しなければならないかもしれない。

 と、極論に至った瞬間──。

 バシャッ、と、少し先から、水の上で何かが弾ける音が聞こえてきた。
「何だ? 今の音」
 音のした方に向かうと、そこに探し求めていた者がいた。

 人だ。川の水をバケツのような容器に汲んでいる。何故わざわざ川の水を汲んでいるのかはさておき、ようやく人に出会えた喜びに身を震わせながら、コンタクトを取るべく近付く。

 そして、愕然のあまり、思わず歩を止めた。

 水汲みをしているのは、俺と同じ位の歳の女の子だが、格好と髪の色に全ての意識が持ってかれてしまう。
 白い襟のついた黒の修道服を身につけ、頭の両側で結わえた長い金髪は、夕焼けが反射し金色の光を放っている。
 とても日本人とは思えない格好に容姿をしている。

 嘘だろ……考えなかったわけじゃないけど、ここってまさか日本じゃないの?

 背中を伝う嫌な冷や汗を意識しながら、考えないようにしていた可能性を鮮明に認識しだす。当初は絶対にありえないと決め付けていたが、不可思議現象が洪水のように起き続けていたから、頭の隅の隅に、ここは日本じゃない可能性を1%だけ据え置いていた。そして今、その可能性は1から10に上がった。
「──!?」
 ふと正面に戻した視線が、水汲みをしていた彼女の瞳とまっすぐにぶつかって、俺は息を呑んだ。びくっと体を弾ませながら、半歩後退る。
 何を話せばいいのか、そもそも日本語は通じるのか。と、意思疎通の手段を手当たり次第に考える。
 幸い、彼女からは敵意は愚か警戒心すら抱いていないかのように、不思議に首を傾けている。
 しかし、改めて見ると凄い容貌だ。肌はクリーム色だが西洋人とは言い切れず、東洋人にも見えない。優しげな目鼻立ちで、瞳の色は明るい茶色に見える。
 ひとまず、怪しい者じゃないことを宣言しようと口を開いた。──のだが、言葉が喉に詰まった。
 さっきも考えたが、何を喋ればいいのか、それ以前に何語を使えばいいのか、全く見当がつかない。
 戸惑い、口をぱくぱくさせていると、彼女の方から先に言葉を発した。
「あなた、どこから来たの?」
 ほんの少しだけ異質なイントネーションがあるが──それは、完璧な日本語だった。
 中世西欧風の衣服を身につけた彼女から、まさか聞き慣れた言語が流れるとは思えず、また新たな非現実感を俺にもたらした。ついでに、ここが日本でじゃない可能性が10から8に下がった。
「ええと……あっちから……かな」
 背後、恐らく東の方向を指差しながら言うと、彼女は驚いたように眼を丸くした。水の入った容器を傍らに置き、俺と同じ方向を指差し、言った。
「あっちって、森の東から? てことは、サランの街から来たの?」
「え? サ、サランの街?」
 聞いたことのない街の名に唖然とすると、彼女は再度不思議そうに言った。
「サランの街から来たんじゃないの?」
 疑いの眼差しを正面から受け止めながら頷き、ありのままの真実を口にした。
「山から転落して、気付いたら森の中で独り寝してたんだ」
 動揺と困惑と焦燥の三つに駆り立てられてしまい、大雑把に省略した説明になってしまった。
 それは大変。今すぐ救急車を呼ばなきゃ──。という返答を心の底から期待したが、彼女は驚愕の表情を一瞬浮かべ、次いでくしゃりと綻ばせ、笑いながら言った。
「なに言ってるの。コモレヴィの森に山なんてないよ」
「え?」
 衝撃的発言に、思わず間抜けな声が漏れてしまった。
「山がないって……でも俺は確かに……」
「夢と勘違いしたんじゃないの?」
 そんなはずない──。と反論しようとしたが、実の所、俺もそうなんじゃないかと思ってる節があるため、言うに言えなかった。
 よく考えれば、格好も変わってるし、崖から落ちて無傷なんてありえない。頰の痛みを感じたのも、意識がはっきりした夢──明晰夢の可能性だって大いにあり得る。
 などと、半端強引な──現実逃避に似た結論を叩きつけると、俺は早く夢から覚めるように、強く念じ始めた。
 が、一向に目の前の景色は消えず、虫の飛び回る音が森中に響くだけだった。
 やっぱり、意識して目覚めるほど甘くないか。軽くため息をつきながら落胆すると、今まで放ったらかしにしていた彼女が、訝しそうに言った。
「どうしたの。ため息なんてついて」
「いや……なんでもないよ」
 強張った笑いを浮かべると、彼女はニコッと無邪気な笑顔を見せ、とてもありがたい申し立てをしてくれた。
「もう暗くなってきたし、私の住んでる村に来ない?」
「え……いいの?」
「うん。これだけ暗いと、サランの街に戻るのは難しいし、私の村、ここから近いの。今日は村に泊まって、明日サランの街に帰ったら?」
 元々サランの街の住人じゃないが、話がややこしくなる気がするから黙っておこう。
「でも……宿とかはどうすれば」
「事情を話せば、教会のシスター・マムが泊めてくれるかも。私もそこでお世話になってるし」
「そ、そうなんだ。よかった」
 なんとか宿が見つかったことに安堵しながら、ソッと肩をなでおろす。村があるなら公衆電話があるはず。例え夢じゃなかったとしても、自宅や警察に電話出来る。
「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうよ」
「そんな畏まらなくていいよ。困った時は助け合いでしょ?」
「そうか……なら、それは俺が持つよ」
 傍らに置かれている容器を指差しながら言うと、彼女はぽかんと口を開け、やがて躊躇いがちに答えた。
「ありがたいけど……これ、結構重いよ。大丈夫?」
「大丈夫だよ。一応俺も男だからね」
「でも──」
「村に案内される立場だし、女の子に重い物を持たせるわけにはいかないさ。それに、困った時は助け合いでしょ」
 微笑みながらそう言うと、彼女は少し俯き、上目遣いでお礼を言ってきた。
「……ありがとう。じゃあ、お願い」
 恐縮しつつ頼む彼女に笑顔を向け、水で満たされている容器を持ち上げる。確かに少し重いが、根を上げるほどじゃない。村まで何分掛かるか知らないが、多分大丈夫だろう。
「本当に大丈夫? 辛くなったら変わるけど」
「全然余裕だから大丈夫だよ」
 心配そうに尋ねる彼女に余裕の素ぶりを見せながら言った。
 夢にしては感覚がはっきりしているのが気がかりだが、痛みがはっきりしてるんだから当然だと、また強引に結論を叩き出した。
「それじゃ行きましょう。え~と……」
「あ、名前言ってなかったね。俺の名前は」
 そこで一瞬口籠もる。中世西欧風の格好だが日本語を話しているこの状況において、和風と洋風どちらの名前が一般的なのだろう。
 どっちとも取れる響きであることを祈りつつ、名乗る。
「──カズヤって言うんだ」
「カズヤ……あんまり聞かないけど、格好いい名前ね」
「は……ははは。そ、そうかな?」
 引きつった笑いをしながら、なんとか通じたことに安心する。
 すると今度は、彼女が口を開いた。
「私はセレナ。さっきも言ったけど、教会で見習い修道士としてシスター・マムのお世話になってるわ」
 こちらもあまり聞き慣れない名前だが、言えないこともない。
 自己紹介を終えると、今度こそ村に向かうのか体を半回転させた。容器を持ち直し、セレナの後を追いかけるために歩み出そうとした、寸前。
「ごめん、ちょっとだけ待ってくれる?」
 左手を後ろに突き出し制されてしまった。何故止められたのかは、瞬時に察することが出来る。

 セレナと出会った時点で辺りは大分暗かった。そこから時間を忘れたように話し込んでしまったため、太陽が更に傾いてしまい、辺りはもう真っ暗になっていた。
 最早セレナの背中も、目を凝らさなきゃ見えないほどの暗闇になっている。きっと今頃、持ってきた灯りを点けようとしているのだろう、と勝手に決め付けていると、不意に暗闇からセレナの声が聞こえた。
「カズヤ君。何か細長いものない?」
「細長いもの?……ちょっと待ってね」
 何故細長いものが必要なのか分からないが、言われた通りのものを周囲から模索する。
 
 森の方に沢山生い茂っている草穂を一本摘み取り手渡すと、セレナは「ありがとう」と一言お礼を言い、右手に持った草の先端に左の掌を添えた。
「それ、一体何に使うの?」
 疑問を口にすると、セレナは「見てて」とだけ告げた。両眼を閉じ、小さな唇から聞き取れないほどの小声で何かを唱えている。
 そして次に、これまで起きた不可思議現象を簡単に超越した現象を目の当たりにした。

 唱え終わると同時に、丸く膨らんだ穂の先に、ふわりと青白い光が灯った。それはたちまち強さを増し、暗闇をかなりの距離まで遠ざけた。

「成功したわ。さ、行きましょ」
 平然とした様子で言うセレナとは対照的に、俺は驚きを隠そうとせず、驚愕を露わにした声で、青白い光を放つ草穂を指差しながら言った。
「なにそれ!? なんで光ってんの!?」
 左手を添えて、小声で何かを唱えただけで、草穂は光り出した。今までも非現実的な事象が起きていたが、強引に現実味のある答えに導き出してきた。だが今のはどう考えても、現実で起こりうる現象ではない。

 あれはまるで、ファンタジーの定番である魔法じゃないか。

「なにって、魔術まじゅつに決まってるじゃない」
 なんで知らないの? と言わんばかりの呆れ顔をされ、少しだけメンタルに傷を負った。
 セレナは一度呆れながらため息を吐き、次いで得意そうな色をちらりと口の端に浮かべて答えた。
「初歩的な魔術よ。空気中に漂う空間魔素くうかんまそ光素こうそに変換して、光素に吸収構文を書き加えたのよ」
 空間魔素、光素、吸収構文。一体なんのことかさっぱり分からず、思考が考えることを放棄する。それでもセレナは構わず、饒舌になりながら説明を続けた。
「空間魔素を吸収すると言っても、規定量はちゃんと設定してあるから安心して。もし規定量を超えたら光素が暴発して危険だし、空間魔素の過剰浪費かじょうろうひ禁書目録違反きんしょもくろくいはんだからね」
 言い終わったのか、少し自慢気な顔をしている。だが肝心の内容は頭に入っておらず、ただ呆然と相づちを打つことしか出来なかった。
「だけど、まさか魔術を知らないなんて、おかしな人ね。真面目に講義受けてないんじゃないの?」
 急に辛辣な意見を投げかけられてしまい、またもやメンタルに傷が生じた。しかし反論する気力など一切湧かず、ただただ頷くことしか出来なかった。
「まぁいいわ。魔術が消える前に、早く森から出ましょ。それと……」
 セレナは唐突に、光素とやらで光っている草穂をこちらに手渡してきた。何故手渡したのか理解が出来ず尋ねようとしたが、一瞬早くセレナの方が早く口を開いた。
「その足元にいるのは、あなたのペット?」
「ペット? 何言って……」
 足元に視線を下ろしながら言うと、言葉が途中で喉に詰まり、喋るのを無理矢理中断させた。
 足元には、振り切ったはずの兎が四つん這いで待機しており、ぷるぷる身を震わせている。
 一度容器を地面に置き、いつからいたのか分からない兎を抱きかかえる。ふわふわの毛が衣服越しにも伝わってくるので、とても気持ちいい。
「お前、まだついてきてたのか」
 兎に問いかけると、小首を傾げながら口をぴくぴくと動かしている。
 するとセレナが不意に、興味深そうに言った。
「珍しいわね。その子、ムーンラビットよ」
「ムーン、ラビット?」
「この森にだけ生息する絶滅危惧種よ。普段は群れで行動しているの」
「そうなんだ。でも、最初に会った時はこいつだけだったけど」
「その子は多分、群れから逸れてしまったんだと思うわ」
「そうなのか……」
 両腕の中で丸まっている兎に視線を落としながら、感慨深く呟く。
「ムーンラビットはとても人懐っこい性格だから、きっとカズヤ君のこと気に入ったのよ」
「へぇ~。だからずっとついてきてたのか」
 セレナの簡単な説明に相づちを打ちながら、それとなく妥協してみた。
「セレナ。こいつも一緒に連れて行っていいかな」
「え、ムーンラビットも?」
「うん。迷惑かもしれないけど、流石にこの子だけ森に残すのは後味が悪いよ」
 絶滅危惧種に認定されている兎を勝手に持ち出していいのかは不明だが、肉食獣が出そうな森に帰すのも目覚めが悪い。
 セレナは少しだけ考えるように俯き、考えがまとまったのか顔を上げ言った。
「分かった。頼んでみるよ」
「ありがとう。あと、ごめん。余計な手間取らせちゃって」
「大丈夫だよ。多分分かってくれるからさ」
 微笑みながら言うセレナの顔が、光素の輝きで美しく照らされていた。金髪も光素の輝きを反射しており、より一層可憐さを醸し出している。
 ムーンラビットを片腕で抱き、もう片方の腕だけで容器を持ち上げる。
「それじゃ今度こそ行きましょ。早くしないと村の大門が閉じちゃうから」
 今度こそ歩み出したセレナの後を追いながら、俺はもう一度、この世界について再認識する必要がある結論に至った。
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