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第一部・一章 コモレヴィの森
第五話
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「ふぃ~……極楽極楽……」
慣れない重労働で疲れ切った体をたっぷりの熱い湯に沈めた途端、俺の口からそんな台詞が漏れた。
先にシスターとセレナ、女の子二人がお湯を使い、その後に俺と二人の男の子が入浴して、男の子二人は先刻出て行ったところである。
女性が使った後だから考えたくないが、巨体なバスタブを満たすお湯にはわずかな濁りもない。
俺は両手で透明な液体をすくうと思い切り顔に浴びせ、再度弛緩した声を漏らした。
この世界に来てから、現時点で三十時間ほどが経過した。なんとか寝床と職を確保したが、まだ解決しなければならない問題が山積みだ。
元いた世界とこちらの世界の時間の進みが同じなら、俺は一日行方不明ということになる。山の中だから仕方ないことだが、家族に心配かけている罪悪感が込み上げてくる。
そう考えると、こんな風にノンビリ風呂に浸かっているなどとんでもない。早く元の世界に帰る方法を探すべきだと焦る気持ちが、喉元にせり上がってくる。
だが、ここで焦ったところで事態は好転するわけでもない。今は焦らず、分かってることをゆっくり整理した方がいい。
今分かってるのは、この村が辺境に位置する田舎であり、住人が二十人しかいない、少子化社会だということぐらいだ。
シスター曰く、過去に伝染病が流行ってしまい、その際に多くの大人が死に至った。その過程で教会の子供たちは親を失い、今に至るらしい。
まだ五、六歳の子供たちには重すぎる運命だと同情したが、彼等はそれを気にしていないように見える。こうゆう時子供の無邪気さには感服させられる。
「最悪……ここに永住しよっかな……」
俺は口許まで湯に沈むと、ぶくぶくと泡に混じって呟いた。
戻れない可能性もあるし、ここなら最低限の生活が出来る。危険を冒して旅に出るより安心だし、ここの人たちは俺を必要としてくれてる。
元の世界で、そんなことあっただろうか? 嫌な役回りばかり頼まれ、最低限なお礼しかされなかった頃に比べ、今はどうだ。
重要な仕事を任せてくれ、仕事をこなせばそれ相応の感謝をされる。
元の世界に帰っても疲れるだけなら、いっそ、この世界で一生を過ごすことを決意した方が、自分のためになるんじゃないのか?
この世界に来て俺は、誰かの役に立つ素晴らしさを実感した。決して元の世界じゃ得られない感情を、この世界に来て、わずか二日で知った。きっとこれからも、沢山知らなかった感情を実感出来るだろう。
「いや、これは……ただの言い訳か」
無意識に呟いた声は浴場に響いた。
と同時に、脱衣所に繋がるドアの向こうで声がして、俺は我に返った。
「カズヤ君、まだ入ってるの?」
セレナだと気付き、慌てて体を起こす。
「あ、ああ。ごめん、もう上がるから」
「そろそろご飯だから、早く出てきてね。出るときにちゃんと浴槽の栓を抜いて、ランプを消してね」
そそくさと去っていく気配に、俺はふと思いつき、ドア越しに呼びかけた。
「あ……セレナ。ちょっと聞きたいことがあるんだけど、今夜時間あるかな?」
あれ、これなんかまずい頼み方じゃないか、と、言い終わってから気付いた。
ぴたりと止まった足音の主は、しばし迷うように沈黙を続けていたが、やがてぎりぎり聞こえる程度の音量で、恥じらいながら答えを返した。
「……夕食の後なら、いいわ。食器を片付けてから行くから、先に部屋で待ってて」
こちらの言葉を待たず、とてとてと小さな音が遠ざかっていく。俺は急いで立ち上がると、バスタブの底にあるゴム製の栓を抜き、壁に取り付けてあるランプを消して脱衣所に出た。タオルで全身の水気を拭い取り、大急ぎで部屋着をかぶり、少し騒々しい中央部屋に入る。すでに料理は作られており、美味しそうな香りが鼻腔につく。
「カズヤ兄遅いよ!」
「何分風呂入ってるつもりだよ!」
子供たちからの厳しい折檻を軽く受け流しながら席に座り、いつも通りの挨拶をしてから食事を開始した。丸パンに白身魚のムニエル、色鮮やかな野菜の盛り合わせと、かなりボリュームのある献立になっている。どうやらこの世界はパンを主食にしているらしく、米は出ないらしい。
経った一日米を食べてないだけでこんなにも恋しくなっている自分に驚きながらパンを口に入れると、不意にシスターが話しかけてきた。
「そういえばカズヤ君。セレナから聞きましたよ」
強張った表情で言っているせいか、一瞬全身が強張った。だが放たれた言葉は表情とは一変しているものだった。
「午前中のうちに、今日の分の薪割りを終わらせたらしいですね」
「え……まぁ、はい」
萎縮しながら肯定すると、シスターは柔らかい笑みを浮かべ言った。
「頑張りましたね。正直、あなたは体が細いから、午後まで掛かると思っていましたが、私の見当違いだったみたいですね」
そんな風に思ってたのに薪割り任せるっておかしくね。と思うも、それを口に出さないように、パンと一緒に飲み込む。
「明日の薪割りもお願いしますね、カズヤ君」
「……任せてください」
「ふふ。頼もしいですね。お兄さんが出来たみたいです」
冗談のつもりで言ってるんだろうけど、実際お兄さんなんだよな……と考えてしまった。
それから子供たちやセレナ、シスターと談笑しながら食事を終え、セレナとシスターは食器の片付けを、俺は子供たちを部屋に連れて行った。
子供たちを部屋に戻した後、貸し与えられた自室にムーンラビットと一緒に戻る。椅子に腰掛け、星空を窓から見上げた。
異世界だというのに、俺のいた世界と同じに見える夜空に見惚れながら、二日前までいた自室を思い返す。
小学校から愛用していた学習机と学習チェア、飾り気のないウォールラック。パイプベッドに、無知のカーテン。小説がずらりと並べられている本棚。二日間ご無沙汰してるだけなのに、まるで過去の記憶を見てるような懐かしさがこみ上げてくる。
自分の部屋を名残惜しんでいると、ドアをノックする音が部屋中に響いた。
「カズヤ君……入るよ」
そう言い入ってきたのは、修道服ではなく、簡素な木綿の寝巻き姿で、金髪を三つ編みにまとめたセレナだ。
「ごめんね。俺のわがままに付き合わせて」
「本当よ。普段はお風呂の後にシスターと魔術の勉強をしていたのよ」
「そ……それは本当に申し訳ない」
彼女の予定を奪ってしまったことに罪悪感を覚えつつ謝罪すると、セレナは悪戯に笑いながら言った。
「気にしないでいいよ。まだここの生活に慣れてないから、私に相談を頼んだんでしょ?」
こくりと頷くと、少しだけ胸を張りながら言った。
「同年代だから何でも聞いてくれて構わないわ。といっても、答えられないのもあるけどね」
「……じゃあ、早速だけど……」
そこで言葉が途切れた。
セレナを呼んだのはいいが、何を聞けばいいのかまでは考えてなかった。
率直に「ここって異世界だよね?」なんて聞けば、変人と思われる。
何から聞けばいいか苦悩していると、セレナはベッドに腰掛け、ムーンラビットを人形のように抱きしめながら脚をぶらぶらさせている。
何を聞く。せっかく彼女が時間を割いてくれているんだ。何か、彼女も楽しめる話題兼質問をしなければ。
考えろ。今俺が知りたいのと彼女が楽しめる話題を。彼女が得意げに語っていた話を。
そこで閃き、急いで口にした。
「魔術について、教えてくれないかな」
途端、白い寝巻きの下で、華奢な肩がぴくんと揺れた。
彼女が最も楽しそうに語っていた話題は、初めて出会った時にした魔術についての話題だった。光素について語る彼女は、本当に楽しそうに笑っていた。
この世界では、携帯電話のように魔術が普及している。魔術について知ることが出来れば、この世界についても知ること──強いては後々、役に立つかもしれない。
「俺……サランの街では牧場関係の仕事してたから、魔術を全然知らないんだ」
話の八割方嘘であるが二割は本当の話をすると、セレナはきょとんとした顔で首をかしげた。
「牧場関係の仕事で、失業することなんてあるの?」
しまったここは牧場じゃなくて農業にしておけば良かった、と後悔し、慌てふためきながら言った。
「飼ってた家畜が伝染病で亡くなって……それで家畜がいなくなって失業したんだよ」
「伝染病……ね。確かに、最近は家畜の病が流行ってるって聞いたことあるわ」
偶然の一致に安堵しながら、心臓に右手を添える。かなり心臓に悪い冷や汗ものの言い訳だったが、なんとか誤魔化せた。
「これから教会に住み込みで働くんだから、魔術についても勉強したいんだ。それで、セレナもシスターと勉強してるから」
「なら私じゃなくてシスターに頼めばいいじゃない」
「いや、シスターの時間を奪うわけにはいかないじゃん」
「私ならいいんだ」
「それは……シスターに比べたら」
後の方をごにょごにょと呟くように言うと、セレナは頰を緩め、予想通り嬉しそうに言った。
「いいわよ。初歩的な魔術なら教えられるから、明日から始めましょう」
「ありがとうセレナ。助かるよ……それと、図々しいけど、もう一つだけ頼みたいことがあるんだ」
「何?」
「……歴史について教えてほしいんだ」
「…………」
沈黙が痛い。
それも当然。俺と彼女は同年代なのに、歴史を教えてほしいなんて言えば唖然とするに決まってる。いや、学生間でなら歴史の勉強という大義名分が出来上がるが、魔術を知らない人間に頼まれれば、当然こう思うだろう。
この人、ちゃんと勉強というものをしているの、と。
「……何から話せばいい?」
「え、良いんですか!?」
断られると思っていたため、思わず声が裏返る。
「まぁね。カズヤ君の頼み事を追求する気はないから」
シスターと同じことを言うあたり、やはりこの子も見習いながらシスターなのだと痛感させられた。
「じゃあ……創世神が出るあたりから」
「つまり初めからってことね」
かなり遠回しに初めからお願いしてしまったことを恥じながら、セレナが口を開くのを待った。
セレナは抱きしめていたムーンラビットを膝に寝かせ、背中を撫でながら、淡々と喋り出した。
「……五百年前、私達が暮らしている世界は二つに分かれていた」
初っ端からとんでもない規模だが、何も言わず耳を傾ける。
「人間と獣人族が暮らす人界、亜人と悪魔などが暮らす魔界に分かれていた世界は、一枚の巨大な壁《分断の壁》によって隔てられていた」
「ちょっと待って。獣人族って何?それに、亜人と悪魔って」
「獣人族は人狼とかの、獣と人間のハーフみたいな種族で、亜人と悪魔は誰も見たことがないから分からないの。文書とかに姿は載ってるけど、空想上に描かれたものだから、本当かは分からないわ」
「そうなんだ……ごめん、話を中断させて」
中断させたことを謝罪すると、気にしていない素ぶりを見せながら続けた。
「分断の壁で隔てられた人界と魔界は、それぞれ独自の文化と文明を、長い年月を掛けて築き上げていった」
つまり人界と魔界は、一枚の壁に隔てられただけで、異なる文明を持っているということか。俺のいた世界風に言えば、人界と魔界は隣接する国で、分断の壁は国境の役割を果たしているのか。
「人界には創世神様が、魔界には邪教神が降臨し、文明の進化に貢献した。創世神は聖なる力を空間に漂わせ、人界の民にそれらを変換させる知恵を与えた。魔界では邪なる力を空間に漂わせ、魔界の民に闘争本能を植え付けた」
「成る程。空間魔素は創世神の恩恵で、それらを扱うための知恵を与えられたから、みんな魔術を使えるんだね。だから、無駄に魔素を浪費しちゃいけないのか」
「そうね。創世神様の恵みを自分勝手な理由で浪費するのは、禁書目録に記されるほどの重罪よ」
禁書目録? 昨日の話にも出てきたが、それはこの世界での法としての役割を果たしているのか?
俺が考え込んでいると、セレナは一度わざとらしく咳払いし、意識を自分に向けさせた。
「人界は魔術を駆使し文明を発展させていった。しかし魔界は闘争本能に身を任せ、分断の壁を横断し人界に攻め込んできた」
「なに!?」
思いもよらぬ真実に、思わず声を出してしまった。それでも彼女は構わず説明を続けた。
「元々自衛手段を持ち合わせていなかった人界の民にとって、魔界の民は恐怖以外の何者でもなかった。文明の発達のために与えられた魔術では抵抗できず、逆に殺戮のために与えられた闇魔術に、次々と虐殺されていった」
淡々と説明するセレナの両肩は、小刻みに震えていた。
「……大丈夫?」
俺は椅子から立ち上がり、震える両肩に手を置いた。すると震えは途端に止まり、「ありがとう」と告げてきた。
「それを見た創世神様は、人界の民に力を与えた。何万度の炎でも焦げない鎧、万物を断つ剣、あらゆる魔術を跳ね返す盾を与えた。人界の民はそれらを身に纏い、両手に持ち、勇猛果敢に戦った」
なんかいかにもファンタジーっぽい話になってきた。
「創世神様から与えられた武器を駆使することによって、魔界の民を分断の壁の向こうへ追いやることが出来た。それから創世神様が、分断の壁を二度と横断出来ないように再構築した」
「へぇ。それで、一件落着したんだね」
他人事のように言い放つも、セレナの顔から不安の色は消えていなかった。
しばらく間が空いてから、彼女の口から信じられない真実を告げられた。
「そう簡単に済まなかったのよ。確かに、それ以降魔界の民が分断の壁を横断しなくなったけど、力を持った人界の民は、自らを高貴な身分に納め、自分より身分の低い民を、奴隷のように扱っていた」
「奴隷制度に貴族制度なんて……創世神、様が黙ってるわけないだろ」
「そういうわけにはいかないのよ。創世神様は、言い換えれば人界の守護神。守護神が民を罰することなんて、出来ないわ」
「そうか……でも、民が苦しむ姿を、指を加えて見てたわけじゃないんでしょ?」
「ええ。……惰眠を貪る貴族を見兼ねた創世神様は、天界なる場所から使い魔を人界に送り込んだ。その名も、天界の騎士」
「天界の騎士……」
「天界の騎士は創世神様に代わり、惰眠を貪る貴族を次々と粛清していった。逆に、身分の低い者を助けていた。力なき者を助け、間違った力の使い方をする者に裁きを下す存在として、今でも中都に存在すると言われているわ」
いかにも創世神の化身らしい行動だと感心しながら、話の規模が果てしなくデカくなってることに遅れて気付いた。
「天界の騎士はその後、創世神様と相談し、人界全体に絶対の法、《禁書目録》を定めた」
「禁書目録。確か、昨日も聞いたな」
「流石に知ってるだろうけど、一応説明するわ。破った場合、問答無用で監獄に送られる法のこと。老若男女関係なくね」
そんな恐ろしい法があったなんて。もし意図せず破っていたらと思うと、背筋がゾッとする。
「禁書目録の甲斐あって、人界では皆が平等に生活出来る住みやすい世界になった……。創世神様も、自らを祭壇に身を納め、人界全土を見守っている」
「……それで終わり?」
「ええ。大雑把だけど、大体話したよ」
「そうなんだ。……禁書目録に、天界の騎士か……」
話の中に出てきた名称をぶつぶつと呟いていると、セレナが突然立ち上がり、部屋の扉前まで歩いて行った。
「私そろそろ帰るね。おやすみ」
「あ、ああ。おやすみ」
「魔術の勉強については、午後からだから。それじゃ」
そう言い残し部屋から去った後、俺は布団に背を預けながら、セレナの話を思い返す。
とても信じられない歴史だが、話してる時のセレナの怯えは本物だった。
話をまとめると、魔界は人界に一度戦争を起こしており、皮肉にもその甲斐あって人界は力を手に入れた。だがその力が災いし、貴族制度と奴隷制度を作り上げた。それを見兼ねた創世神は天界の騎士を呼び出し、禁書目録なる法で人々を抑制した。
大雑把にまとめたが、すぐに飲み込める真実ではなかった。
ん? 今俺は、何か大切なことを見落としていなかったか?
自分でまとめた答えを白紙に書き留め何度も見直すと、僅かな違和感に気付いた。
──創世神は天界の騎士をこの世界に送り込んだ。
俺は眼が覚めると森の中に眠っていた。山から転落したというのに、無事だった。それはつまり、死ぬ直前に転移した可能性がある。
──ドンピシャじゃないか!! 転移にばかり目が行っていたが、呼び出し──つまり召喚の可能性もありえる。
もし後者なら、俺を召喚した主人がいるはずだ。そいつに頼み込めば、元の世界に帰れるかも……無理か。
俺を召喚した主人なんていないかもしれないし、もしいても都合よく帰してくれるとは思えない。第一転生や召喚なんて、簡単に出来ることなのかさえ…………。
いやいる。いるじゃないか。人界の文明発展に貢献し、聖なる力を空間魔素として放った、創世神が。
創世神なら、世の理を超越した魔術が使えるはず。なんせ、天界から騎士を召喚しているのだから。
創世神は確か、自ら祭壇に身を納め、代わりに天界の騎士に人界を委ねた。天界の騎士は今もなお中都におり、人界の秩序を維持している。
「……まさか、こんな早く目的が決まるなんて」
思わず笑みが零れる。まさかこの世界に降り立った二日で、元の世界に帰れるであろう一筋の希望を見つけられるなんて、思いもしなかった。
目的は決まっても中都までの費用や経由を考えなきゃいけないが、今はとても頭を使いたくない。そのままベッドに倒れ込み、懸命に持ち上げていた瞼を、ゆっくりと下ろした。そしてそのまま、俺は深い眠りについた。
慣れない重労働で疲れ切った体をたっぷりの熱い湯に沈めた途端、俺の口からそんな台詞が漏れた。
先にシスターとセレナ、女の子二人がお湯を使い、その後に俺と二人の男の子が入浴して、男の子二人は先刻出て行ったところである。
女性が使った後だから考えたくないが、巨体なバスタブを満たすお湯にはわずかな濁りもない。
俺は両手で透明な液体をすくうと思い切り顔に浴びせ、再度弛緩した声を漏らした。
この世界に来てから、現時点で三十時間ほどが経過した。なんとか寝床と職を確保したが、まだ解決しなければならない問題が山積みだ。
元いた世界とこちらの世界の時間の進みが同じなら、俺は一日行方不明ということになる。山の中だから仕方ないことだが、家族に心配かけている罪悪感が込み上げてくる。
そう考えると、こんな風にノンビリ風呂に浸かっているなどとんでもない。早く元の世界に帰る方法を探すべきだと焦る気持ちが、喉元にせり上がってくる。
だが、ここで焦ったところで事態は好転するわけでもない。今は焦らず、分かってることをゆっくり整理した方がいい。
今分かってるのは、この村が辺境に位置する田舎であり、住人が二十人しかいない、少子化社会だということぐらいだ。
シスター曰く、過去に伝染病が流行ってしまい、その際に多くの大人が死に至った。その過程で教会の子供たちは親を失い、今に至るらしい。
まだ五、六歳の子供たちには重すぎる運命だと同情したが、彼等はそれを気にしていないように見える。こうゆう時子供の無邪気さには感服させられる。
「最悪……ここに永住しよっかな……」
俺は口許まで湯に沈むと、ぶくぶくと泡に混じって呟いた。
戻れない可能性もあるし、ここなら最低限の生活が出来る。危険を冒して旅に出るより安心だし、ここの人たちは俺を必要としてくれてる。
元の世界で、そんなことあっただろうか? 嫌な役回りばかり頼まれ、最低限なお礼しかされなかった頃に比べ、今はどうだ。
重要な仕事を任せてくれ、仕事をこなせばそれ相応の感謝をされる。
元の世界に帰っても疲れるだけなら、いっそ、この世界で一生を過ごすことを決意した方が、自分のためになるんじゃないのか?
この世界に来て俺は、誰かの役に立つ素晴らしさを実感した。決して元の世界じゃ得られない感情を、この世界に来て、わずか二日で知った。きっとこれからも、沢山知らなかった感情を実感出来るだろう。
「いや、これは……ただの言い訳か」
無意識に呟いた声は浴場に響いた。
と同時に、脱衣所に繋がるドアの向こうで声がして、俺は我に返った。
「カズヤ君、まだ入ってるの?」
セレナだと気付き、慌てて体を起こす。
「あ、ああ。ごめん、もう上がるから」
「そろそろご飯だから、早く出てきてね。出るときにちゃんと浴槽の栓を抜いて、ランプを消してね」
そそくさと去っていく気配に、俺はふと思いつき、ドア越しに呼びかけた。
「あ……セレナ。ちょっと聞きたいことがあるんだけど、今夜時間あるかな?」
あれ、これなんかまずい頼み方じゃないか、と、言い終わってから気付いた。
ぴたりと止まった足音の主は、しばし迷うように沈黙を続けていたが、やがてぎりぎり聞こえる程度の音量で、恥じらいながら答えを返した。
「……夕食の後なら、いいわ。食器を片付けてから行くから、先に部屋で待ってて」
こちらの言葉を待たず、とてとてと小さな音が遠ざかっていく。俺は急いで立ち上がると、バスタブの底にあるゴム製の栓を抜き、壁に取り付けてあるランプを消して脱衣所に出た。タオルで全身の水気を拭い取り、大急ぎで部屋着をかぶり、少し騒々しい中央部屋に入る。すでに料理は作られており、美味しそうな香りが鼻腔につく。
「カズヤ兄遅いよ!」
「何分風呂入ってるつもりだよ!」
子供たちからの厳しい折檻を軽く受け流しながら席に座り、いつも通りの挨拶をしてから食事を開始した。丸パンに白身魚のムニエル、色鮮やかな野菜の盛り合わせと、かなりボリュームのある献立になっている。どうやらこの世界はパンを主食にしているらしく、米は出ないらしい。
経った一日米を食べてないだけでこんなにも恋しくなっている自分に驚きながらパンを口に入れると、不意にシスターが話しかけてきた。
「そういえばカズヤ君。セレナから聞きましたよ」
強張った表情で言っているせいか、一瞬全身が強張った。だが放たれた言葉は表情とは一変しているものだった。
「午前中のうちに、今日の分の薪割りを終わらせたらしいですね」
「え……まぁ、はい」
萎縮しながら肯定すると、シスターは柔らかい笑みを浮かべ言った。
「頑張りましたね。正直、あなたは体が細いから、午後まで掛かると思っていましたが、私の見当違いだったみたいですね」
そんな風に思ってたのに薪割り任せるっておかしくね。と思うも、それを口に出さないように、パンと一緒に飲み込む。
「明日の薪割りもお願いしますね、カズヤ君」
「……任せてください」
「ふふ。頼もしいですね。お兄さんが出来たみたいです」
冗談のつもりで言ってるんだろうけど、実際お兄さんなんだよな……と考えてしまった。
それから子供たちやセレナ、シスターと談笑しながら食事を終え、セレナとシスターは食器の片付けを、俺は子供たちを部屋に連れて行った。
子供たちを部屋に戻した後、貸し与えられた自室にムーンラビットと一緒に戻る。椅子に腰掛け、星空を窓から見上げた。
異世界だというのに、俺のいた世界と同じに見える夜空に見惚れながら、二日前までいた自室を思い返す。
小学校から愛用していた学習机と学習チェア、飾り気のないウォールラック。パイプベッドに、無知のカーテン。小説がずらりと並べられている本棚。二日間ご無沙汰してるだけなのに、まるで過去の記憶を見てるような懐かしさがこみ上げてくる。
自分の部屋を名残惜しんでいると、ドアをノックする音が部屋中に響いた。
「カズヤ君……入るよ」
そう言い入ってきたのは、修道服ではなく、簡素な木綿の寝巻き姿で、金髪を三つ編みにまとめたセレナだ。
「ごめんね。俺のわがままに付き合わせて」
「本当よ。普段はお風呂の後にシスターと魔術の勉強をしていたのよ」
「そ……それは本当に申し訳ない」
彼女の予定を奪ってしまったことに罪悪感を覚えつつ謝罪すると、セレナは悪戯に笑いながら言った。
「気にしないでいいよ。まだここの生活に慣れてないから、私に相談を頼んだんでしょ?」
こくりと頷くと、少しだけ胸を張りながら言った。
「同年代だから何でも聞いてくれて構わないわ。といっても、答えられないのもあるけどね」
「……じゃあ、早速だけど……」
そこで言葉が途切れた。
セレナを呼んだのはいいが、何を聞けばいいのかまでは考えてなかった。
率直に「ここって異世界だよね?」なんて聞けば、変人と思われる。
何から聞けばいいか苦悩していると、セレナはベッドに腰掛け、ムーンラビットを人形のように抱きしめながら脚をぶらぶらさせている。
何を聞く。せっかく彼女が時間を割いてくれているんだ。何か、彼女も楽しめる話題兼質問をしなければ。
考えろ。今俺が知りたいのと彼女が楽しめる話題を。彼女が得意げに語っていた話を。
そこで閃き、急いで口にした。
「魔術について、教えてくれないかな」
途端、白い寝巻きの下で、華奢な肩がぴくんと揺れた。
彼女が最も楽しそうに語っていた話題は、初めて出会った時にした魔術についての話題だった。光素について語る彼女は、本当に楽しそうに笑っていた。
この世界では、携帯電話のように魔術が普及している。魔術について知ることが出来れば、この世界についても知ること──強いては後々、役に立つかもしれない。
「俺……サランの街では牧場関係の仕事してたから、魔術を全然知らないんだ」
話の八割方嘘であるが二割は本当の話をすると、セレナはきょとんとした顔で首をかしげた。
「牧場関係の仕事で、失業することなんてあるの?」
しまったここは牧場じゃなくて農業にしておけば良かった、と後悔し、慌てふためきながら言った。
「飼ってた家畜が伝染病で亡くなって……それで家畜がいなくなって失業したんだよ」
「伝染病……ね。確かに、最近は家畜の病が流行ってるって聞いたことあるわ」
偶然の一致に安堵しながら、心臓に右手を添える。かなり心臓に悪い冷や汗ものの言い訳だったが、なんとか誤魔化せた。
「これから教会に住み込みで働くんだから、魔術についても勉強したいんだ。それで、セレナもシスターと勉強してるから」
「なら私じゃなくてシスターに頼めばいいじゃない」
「いや、シスターの時間を奪うわけにはいかないじゃん」
「私ならいいんだ」
「それは……シスターに比べたら」
後の方をごにょごにょと呟くように言うと、セレナは頰を緩め、予想通り嬉しそうに言った。
「いいわよ。初歩的な魔術なら教えられるから、明日から始めましょう」
「ありがとうセレナ。助かるよ……それと、図々しいけど、もう一つだけ頼みたいことがあるんだ」
「何?」
「……歴史について教えてほしいんだ」
「…………」
沈黙が痛い。
それも当然。俺と彼女は同年代なのに、歴史を教えてほしいなんて言えば唖然とするに決まってる。いや、学生間でなら歴史の勉強という大義名分が出来上がるが、魔術を知らない人間に頼まれれば、当然こう思うだろう。
この人、ちゃんと勉強というものをしているの、と。
「……何から話せばいい?」
「え、良いんですか!?」
断られると思っていたため、思わず声が裏返る。
「まぁね。カズヤ君の頼み事を追求する気はないから」
シスターと同じことを言うあたり、やはりこの子も見習いながらシスターなのだと痛感させられた。
「じゃあ……創世神が出るあたりから」
「つまり初めからってことね」
かなり遠回しに初めからお願いしてしまったことを恥じながら、セレナが口を開くのを待った。
セレナは抱きしめていたムーンラビットを膝に寝かせ、背中を撫でながら、淡々と喋り出した。
「……五百年前、私達が暮らしている世界は二つに分かれていた」
初っ端からとんでもない規模だが、何も言わず耳を傾ける。
「人間と獣人族が暮らす人界、亜人と悪魔などが暮らす魔界に分かれていた世界は、一枚の巨大な壁《分断の壁》によって隔てられていた」
「ちょっと待って。獣人族って何?それに、亜人と悪魔って」
「獣人族は人狼とかの、獣と人間のハーフみたいな種族で、亜人と悪魔は誰も見たことがないから分からないの。文書とかに姿は載ってるけど、空想上に描かれたものだから、本当かは分からないわ」
「そうなんだ……ごめん、話を中断させて」
中断させたことを謝罪すると、気にしていない素ぶりを見せながら続けた。
「分断の壁で隔てられた人界と魔界は、それぞれ独自の文化と文明を、長い年月を掛けて築き上げていった」
つまり人界と魔界は、一枚の壁に隔てられただけで、異なる文明を持っているということか。俺のいた世界風に言えば、人界と魔界は隣接する国で、分断の壁は国境の役割を果たしているのか。
「人界には創世神様が、魔界には邪教神が降臨し、文明の進化に貢献した。創世神は聖なる力を空間に漂わせ、人界の民にそれらを変換させる知恵を与えた。魔界では邪なる力を空間に漂わせ、魔界の民に闘争本能を植え付けた」
「成る程。空間魔素は創世神の恩恵で、それらを扱うための知恵を与えられたから、みんな魔術を使えるんだね。だから、無駄に魔素を浪費しちゃいけないのか」
「そうね。創世神様の恵みを自分勝手な理由で浪費するのは、禁書目録に記されるほどの重罪よ」
禁書目録? 昨日の話にも出てきたが、それはこの世界での法としての役割を果たしているのか?
俺が考え込んでいると、セレナは一度わざとらしく咳払いし、意識を自分に向けさせた。
「人界は魔術を駆使し文明を発展させていった。しかし魔界は闘争本能に身を任せ、分断の壁を横断し人界に攻め込んできた」
「なに!?」
思いもよらぬ真実に、思わず声を出してしまった。それでも彼女は構わず説明を続けた。
「元々自衛手段を持ち合わせていなかった人界の民にとって、魔界の民は恐怖以外の何者でもなかった。文明の発達のために与えられた魔術では抵抗できず、逆に殺戮のために与えられた闇魔術に、次々と虐殺されていった」
淡々と説明するセレナの両肩は、小刻みに震えていた。
「……大丈夫?」
俺は椅子から立ち上がり、震える両肩に手を置いた。すると震えは途端に止まり、「ありがとう」と告げてきた。
「それを見た創世神様は、人界の民に力を与えた。何万度の炎でも焦げない鎧、万物を断つ剣、あらゆる魔術を跳ね返す盾を与えた。人界の民はそれらを身に纏い、両手に持ち、勇猛果敢に戦った」
なんかいかにもファンタジーっぽい話になってきた。
「創世神様から与えられた武器を駆使することによって、魔界の民を分断の壁の向こうへ追いやることが出来た。それから創世神様が、分断の壁を二度と横断出来ないように再構築した」
「へぇ。それで、一件落着したんだね」
他人事のように言い放つも、セレナの顔から不安の色は消えていなかった。
しばらく間が空いてから、彼女の口から信じられない真実を告げられた。
「そう簡単に済まなかったのよ。確かに、それ以降魔界の民が分断の壁を横断しなくなったけど、力を持った人界の民は、自らを高貴な身分に納め、自分より身分の低い民を、奴隷のように扱っていた」
「奴隷制度に貴族制度なんて……創世神、様が黙ってるわけないだろ」
「そういうわけにはいかないのよ。創世神様は、言い換えれば人界の守護神。守護神が民を罰することなんて、出来ないわ」
「そうか……でも、民が苦しむ姿を、指を加えて見てたわけじゃないんでしょ?」
「ええ。……惰眠を貪る貴族を見兼ねた創世神様は、天界なる場所から使い魔を人界に送り込んだ。その名も、天界の騎士」
「天界の騎士……」
「天界の騎士は創世神様に代わり、惰眠を貪る貴族を次々と粛清していった。逆に、身分の低い者を助けていた。力なき者を助け、間違った力の使い方をする者に裁きを下す存在として、今でも中都に存在すると言われているわ」
いかにも創世神の化身らしい行動だと感心しながら、話の規模が果てしなくデカくなってることに遅れて気付いた。
「天界の騎士はその後、創世神様と相談し、人界全体に絶対の法、《禁書目録》を定めた」
「禁書目録。確か、昨日も聞いたな」
「流石に知ってるだろうけど、一応説明するわ。破った場合、問答無用で監獄に送られる法のこと。老若男女関係なくね」
そんな恐ろしい法があったなんて。もし意図せず破っていたらと思うと、背筋がゾッとする。
「禁書目録の甲斐あって、人界では皆が平等に生活出来る住みやすい世界になった……。創世神様も、自らを祭壇に身を納め、人界全土を見守っている」
「……それで終わり?」
「ええ。大雑把だけど、大体話したよ」
「そうなんだ。……禁書目録に、天界の騎士か……」
話の中に出てきた名称をぶつぶつと呟いていると、セレナが突然立ち上がり、部屋の扉前まで歩いて行った。
「私そろそろ帰るね。おやすみ」
「あ、ああ。おやすみ」
「魔術の勉強については、午後からだから。それじゃ」
そう言い残し部屋から去った後、俺は布団に背を預けながら、セレナの話を思い返す。
とても信じられない歴史だが、話してる時のセレナの怯えは本物だった。
話をまとめると、魔界は人界に一度戦争を起こしており、皮肉にもその甲斐あって人界は力を手に入れた。だがその力が災いし、貴族制度と奴隷制度を作り上げた。それを見兼ねた創世神は天界の騎士を呼び出し、禁書目録なる法で人々を抑制した。
大雑把にまとめたが、すぐに飲み込める真実ではなかった。
ん? 今俺は、何か大切なことを見落としていなかったか?
自分でまとめた答えを白紙に書き留め何度も見直すと、僅かな違和感に気付いた。
──創世神は天界の騎士をこの世界に送り込んだ。
俺は眼が覚めると森の中に眠っていた。山から転落したというのに、無事だった。それはつまり、死ぬ直前に転移した可能性がある。
──ドンピシャじゃないか!! 転移にばかり目が行っていたが、呼び出し──つまり召喚の可能性もありえる。
もし後者なら、俺を召喚した主人がいるはずだ。そいつに頼み込めば、元の世界に帰れるかも……無理か。
俺を召喚した主人なんていないかもしれないし、もしいても都合よく帰してくれるとは思えない。第一転生や召喚なんて、簡単に出来ることなのかさえ…………。
いやいる。いるじゃないか。人界の文明発展に貢献し、聖なる力を空間魔素として放った、創世神が。
創世神なら、世の理を超越した魔術が使えるはず。なんせ、天界から騎士を召喚しているのだから。
創世神は確か、自ら祭壇に身を納め、代わりに天界の騎士に人界を委ねた。天界の騎士は今もなお中都におり、人界の秩序を維持している。
「……まさか、こんな早く目的が決まるなんて」
思わず笑みが零れる。まさかこの世界に降り立った二日で、元の世界に帰れるであろう一筋の希望を見つけられるなんて、思いもしなかった。
目的は決まっても中都までの費用や経由を考えなきゃいけないが、今はとても頭を使いたくない。そのままベッドに倒れ込み、懸命に持ち上げていた瞼を、ゆっくりと下ろした。そしてそのまま、俺は深い眠りについた。
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