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第二部・二章 誇り高き竜
第十話
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激闘の連続と信じ難い真実が一気に押し寄せた一日を終え、創世神・ヒヅキから貸し与えられた部屋のベッドから、深い眠りから目を覚ます。
体感時間的には六時。学園内でいつも起きている時間であり、異世界に転移してから一度たりとも崩したことのない生活習慣だ。
──今日の朝食は確か、魚介類だったよな。
小さな伸びをしながら、学生寮の朝食を思い返す。魚介類は苦手ではないが、朝から食べようとはあまり思えない。やはり朝食は教会で食べていた野菜スープと目玉焼き、丸パン二個が丁度いい。
などと物思いに沈んでいると、自分の置かれた状況が今までと大きく異なることに、遅まきながら気付いた。
……そうだ。俺はもう学園の生徒でもないし、教会で住み込みで働いていた、人界の民でもないんだ。
禁書目録を違反し、己の目的のために天界の騎士に歯向かった大罪人であり、人界の真実を唯一知る重要人物でもある。
意識が覚醒すると、昨晩の創世神が打ち明けた真実が繰り返し流れる。何度思い返しても、すぐには信じられないような規模の内容だったので、今でも実感が湧かない。
……いや、それは違う。
実感はしている。だがその使命を、俺が果たす権利があるのかが解らない。
創世神に反逆し、使いである騎士にも反逆した。更には人界の民を殺害している。俺は、禁書目録が制定された歴史の中で、最も罪深い人間なのだ。
そんな俺に、果たして人界を救う権利などあるのか?
創世神の話を聞いているあいだも、カズヤは何度も自分に言い聞かせねばならなかった。友達を捨て、人を斬った自分は、もう元の暮らしには戻れない。
例え、本当の世界に戻れたとしても。どれほどの血に手を染め、罪に魂を汚そうとも、前に進むしかないのだ。たったひとつ残された、ユリとの約束を成し遂げるために。
全ての人が自由に未来を選び、笑い合える世界を造る。
しかし、その世界を最後まで見届けるという望みはもう叶えられないだろう。多くの罪を犯した自分に行ける場所は、分断の壁の向こう側、恐ろしい魔界しかあるまい。
だが、それでもいい。ユリが望んだ世界が実現されたのなら、それ以外に望むことはもう何もない。
密やかな決意を噛み締めながら、カズヤは硝子張りの壁まで歩き、遥か遠くに立つ学園へと視線を向け、一年以上もの付き合いとなったサヤとワタルを想像した。
……もし、俺が魔界に行くと言ったら、二人は一緒についてきてくれるかな……?
声に出さずにそう訊ねてから、カズヤは二人の答えを想像することを無理矢理にやめた。今や俺とは違う世界に立つ彼らを巻き込むわけにはいかない。今の俺に出来ることは、二人が安心して学園を卒業出来るように戦い続けることだけだ。どんなに惨めで情けなくても、それだけが俺に残された償いだから。
「カズヤ君。ちょっと良いかしら」
朝食を食べ終えた創世神が、不意に尋ねた。
「なんでしょうか?」
カップから口を離したカズヤは、首を傾げながら答えた。
「これからあなたには、爆煙竜火山に騎士カムイと一緒に行ってもらいますが、その時の注意点を話しておきます」
「注意点……ですか」
「あなたが罪人であることは伏せておくように。いくら面識のある騎士とはいえ、罪人と一緒に行動することを拒否する恐れがあるから」
創世神の言っていることは合っている。何度か面識のある騎士カムイとはいえ、罪を犯した者が同伴では任務に支障が出かねない。
命の恩人でもあるカムイに嘘をつくのは良心が痛むが、これも人界のためだと思い痛む良心を押し殺す。
「それさえ守ってくれれば別に構わないわ。それと、一応の処置を施してあげる」
そう言うと創世神は右手の指を打ち鳴らした。すると背後の扉が突然光り出した。
「あの扉の先を、教会の武器庫に繋ぎました。そこから自分にあった装備を選んでください」
「すげー。まさか別の空間に繋ぐなんて、なんでもありだな」
「簡単な話です。まずあの扉に空間干渉魔術を使用し、別空間に滞在する二次空間と一次空間を直結させることで生じた空間の歪みを補正しただけですから」
話の九割方が理解出来なかったが、要するに、異なる空間を無理矢理直結させて発生した歪みを修正しただけらしい。空間干渉魔術なんて最上級魔術師でも長時間の詠唱でやっとこさ出来る芸当を、指を打ち鳴らすだけでやってのけるとは、やはりこの人は恐ろしい力を持っている。
ノブが回され、次の瞬間、ドアは大きく開け放たれた。途端に勢いよく吹き込んでくる乾いた寒風に抗って、カズヤは一気に外へと飛び出した。
そのまま五、六歩走った時、背後で再び小さな音がした。肩越しに振り向くと、そこには滑らかな大理石の壁が冷たく立ちはだかるのみで、神の庭園に繋がる扉はわずかな痕跡すら残さずに消え去っていた。
扉から一直線に伸びる廊下を足早に歩くと、思いのほか短く、すぐに長方形の広い部屋に辿り着く。
右側の壁の中央部には、驚くほど幅の広い階段が上下に続いている。天井の高さは八メートルほどもあるので、階段も途中の踊り場までで二十段はありそうだ。
そして左側の壁には、有翼獣の彫像に囲まれた、両開きの大扉が存在した。
恐らくあれが、教会の武器保管庫だ。そのような重要な場所にしては、広間はしんも静まり返って、人の気配はない。右側の大階段から差し込む陽光すら、冷たい灰色に染まっているように思える。
武器庫にも関わらず警備がいないことに驚いたが、そもそも教会に忍び込むような輩など存在しない。
無人の広間を横切り、大扉の前に立つ。
武器庫の扉には鍵穴はなかったが、不信信者が押しても引いても開かないのでは、と思わせるだけの厳めしさを備えていた。握りに手を掛け、ぐいっと力を込めると、拍子抜けするほどあっさりと両側に開いた。蝶番が軋む音ひとつしなかった。
五十センチほど口を開けた黒い隙間からは、数百年分の静寂が凝ったかのような濃い冷気が漏れ出してきてカズヤを身震いさせたが、躊躇いなく身体を滑り込ませる。背後で重々しく扉が閉まると、周囲は完全な暗闇に包まれた。
「光素でも出すか……」
なんの迷いもなく自然と口にし、カズヤは一年半前、セレナを捜しに行った時のことを思い出した。あの頃は、ごく初歩的な魔術を使うのにも四苦八苦で、手に持った穂の先を弱々しく光らせるくらいのことしかできなかった──。
右掌の上に発生した純白の光素が濃密な闇を押しのけ、ついでにカズヤの郷愁も吹き散らした。
「うお……」
驚きの声を上げると同時に、喉をごくりと鳴らした。
何という広さだろうか。保管庫というから、学園の用具置き場のようなものを想像していたがとんでもない。大修練場並みの面積がありそうだ。
滑らかな石壁に四方を囲まれた空間には、カズヤの掌から離れて舞い上がった光素の灯りを跳ね返す、ありとあらゆる色合いの輝きが満ちていた。
床一面に整然と並ぶのは、人型の支持架に載せられた鎧だ。漆黒のもの、純白のもの、赤銅青銀黄金紫緑と目の眩むような色彩に加えて、細かい鎖となめし革で造った軽装鎧から、分厚い板鋼を隙間なく組み合わせた重装鎧まで、ありとあらゆる種類が網羅されている。その数、五百は下るまい。
そして高い壁には、これまたおよそ存在し得る全ての武器がびっしりと掛けられていた。
剣だけでも、長いもの短いもの、太い細い直剣曲刀と多岐にわたる。加えて片刃や両刃の斧、長槍に馬上槍、戦鎚から鞭から棍棒そして弓に至るまでの多種多様な戦闘用器具がもはや数えるのも不可能なほどに床から天井近くまで連なっていて、カズヤはただただぽかんと口を開けることしかできなかった。
「……この中から、好きなの持っていって良いとか、太っ腹すぎるだろ」
唖然と呟き、詰めていた息を大きく吐き出した。改めて広大な武器庫を見回し、二、三度首を振る。
これだけの装備を平穏のために独占しているなんて、創世神は余程民に力を与えたくなかったんだな。それとも、教会以外の集団が強い武器を手に入れて、無用な戦力を持つことを警戒するために、ここに武器を集めているのか。
「……と、駄目だ」
このままでは、また結論の出ない論争が続いてしまう。一人になると色々と考え込んでしまうのは悪い癖だ。無駄な時間を過ごすつもりはないため、自分に合う武器を探し始める。
本当は、一年半も付き添ってくれた愛剣《焔天剣》が欲しいのだが、あれは連行時にセレナが持ったまま消息を経っている。
でも一応──往生際が悪くも愛剣を探すことにした。焔天剣は装飾の少ない黒革の鞘に収められているが、似たような剣が幾つも見て取れる。
「……もしかして」
何かに感づいたカズヤは、入ってきた扉の周囲を捜索した。すると
「見つけた」
求めていたものは、あっさりと見つかった。扉のすぐ左側には、黒い鞘に収まった一振りの、見紛うことなき愛剣があった。
一番新しく持ち込まれた剣なら、扉に一番近いところにあるだろうと思ったが、まさか当たるとは思わなかった。
ふっと息を吐き、壁に歩み寄ると右手を伸ばして黒革の鞘を摑んだ。すぐに金具から持ち上げると、馴染んだ重みが手首に伝わった。
愛剣と離れていたのは五日足らずなのに、自分でも驚くほどの懐かしさと安堵感が込み上げてきて、カズヤは両手で鞘をぎゅっと握り締めた。
コドールの村を旅立ってから、焔天剣は常に傍らにあり、何度もカズヤを助けてくれた。サランで魔獣を討伐出来たのも、アースリアで暗黒騎士と戦った時も、禁書目録に背きユーグの片腕を断ち切ったあの時ですら。
あの日、本来は持ってくる予定ではなかったこいつを持ってきたカムイが俺にこいつを手渡しのはまさに僥倖──あるいは運命なのだ。自分が歩むべき道が、決して間違っていなかったことの証……。
愛剣の鞘を剣帯の留め具に繋ぎ、最後に軽く柄頭を叩いてから、さて、と周囲を見回した。床に並ぶ高級そうな鎧には、【雷帝の鎧】だの【毒蛇の甲冑】だのという名前の刻まれた銘板が掛けられていて、なかなかに興味をそそられる。
これだけあれば俺の体に合うのも見つかるだろうし、鎧も借りていこうかと検討した。しかしすぐに却下する。
鎧なんて着たこともないし、これからいくのは獄炎の地だ。なんの訓練もしていない人間がわざわざ暑苦しい格好をするのは得策とは思えない。
鎧の列から視線を外し、その一角に置かれている、色とりどりの衣服が並んでいる場所を見た。学園の制服は、長い間良く保っているが、昨日の激闘の連続を経てあちこち破けたりほつれたりしている。
学園でもこの服から変えたことはないし、服がほつれてもサヤに修復してもらっていたから何とかなっていたが、そろそろ年貢の納め時だと思う。
「……今まで、ありがとな」
常に身を保護してくれた制服に感謝の言葉を贈り、衣服の列に駆け寄る。高級そうな布地をばさばさ掻き分けて体に合いそうな上着とズボンを見つけ出し、手早く着替える。
ぴったりした黒のジャケット、ふわりと広がる黒に近い灰色のロングスカート。学園の制服に近しい一式の服装を着込むと、その肌触りの滑らかさに驚いた。同時に、これが女性用の服装ではないかと疑ったが、どうやらこれは男女共通の服装だった。
ジャケットは学園の制服で何度か着たことがあるが、ロングスカートの方はあまり着たことがない。男でスカートは抵抗があったため、あれこれ理由をつけて断っていた。
他のに変えようと思ったが、どれも似たようなものばかりで変えようがなく、仕方なくこれにした。
剣帯を腰に巻き付け愛剣を留め具に繋ぐと、カズヤは入り口の扉へと歩み寄った。
これから向かう場所は、人界内で最も過酷とされる爆煙竜火山。騎士が同行しているからといって、侮るわけにはいかない。今回の敵は戴天だけでなく、環境そのものでもあるのだから。
愛剣の柄頭に右手を置き、剣を見下ろす。
──今から行く場所に、こいつの持ち主でもある戴天がいる。
再度気を引き締めると、カズヤは閉ざされた扉を押し開き、武器庫から外に出た。
同刻、魔界にて──。
「団長。本当に行くつもりですか」
ジン・リスデールは、飛竜にまたがる団長・ラギルスに向かって尋ねた。
「……邪教神様のご命令だからな」
錆びた声で短く答えると、ジンは押し黙った。この時の団長には、何を言っても無駄だということを知っているからだ。
しかし納得がいかない。突然現れた存在の命令を疑いもせずに従う団長が、本当に我々の知っている男なのか、どうしても納得いかない。
自分の中にある疑問を解決するために、ジンはとんでもないことを口にした。
「団長。俺も同行します」
「なんだと……?」
眉を寄せたラギルスが、真っ直ぐにジンを見下ろした。
──団長が、師匠が何故、一切の疑いも持たずに忠実に任務に向かうのか。何故あのような者に反抗せずにいるのかを確かめなければいけない。
そのためには、師匠の行く末を見届けるしか方法はない。
ジンを見下ろすラギルスは、長い沈黙の後に深いため息を吐き、呆れながら言った。
「早く準備しろ。一刻の猶予もないんだからな」
「……了解!」
威勢よく返事をすると、ジンは自分の飛竜を笛で呼び、ラギルスの横に停滞させる。
軽い動作で背にまたがると、二人の暗黒騎士は手綱を打ち鳴らし、遙か彼方に存在する爆煙竜火山へと飛翔した。
武器庫から外に出ると、既に見慣れた飛竜が着地していた。そして飛竜の頭を撫でている、背丈の高い一人の騎士が、こちらの存在に気付き体をこちらに向けてきた。
カズヤは自分の格好に不備がないか確認してから近付き、学園で学んだ騎士への敬礼をぎこちない動きで遂行し、張りのある声で叫んだ。
「おはようございます! 天界の騎士様!」
慣れない動きと声で若干訛ってしまったが、騎士は特に指摘することなく、同じような構えを素早く、精巧に遂行すると、はっきりと芯のある声で答えた。
「カズヤ中等修剣士。創世神から訳は聞いているため、任務の同行を許可する」
どうやら、俺が罪人であることを伏せるために、創世神が裏から根回しをしてくれているらしい。現時点の俺は学園側から特別推薦扱いで任務に同行している──元の世界で言えば職業体験に近い学生という扱いになっている。
「了解。本日はよろしくお願いします、騎士様」
敬礼の構えを維持したまま一礼すると、先に構えを解いた騎士が陽気に笑いながら言った。
「畏まらなくてもいいよ。僕と君は、初対面じゃないんだからね」
「ですが、任務に同行する身である上、学生である自分が騎士殿に馴れ馴れしい言動を取るわけにはいきません」
「真面目だね。カズヤ君が構わないなら僕は良いけどさ」
そう言うとカムイは、俺の格好を眺めてから一度頷き、満足そうに笑いながら言った。
「その格好、凄く似合ってるよ。特にロングスカートがね」
「ありがとうございます。お褒めに預かり光栄であります」
何故ロングスカートだけを指定して褒めたのか解らないが、嫌な気はしない。騎士であり命の恩人である彼からならば、どこを褒められても嬉しく思える。
異常かもしれないが、それほどまでに彼は、俺にとって特別な存在なのだと思い知らされる。
──この人と一緒にいる間だけは、自分が罪人だということを忘れてしまいそうだ。
不意に思った気持ちを、今回ばかりは否定しなかった。
俺は無意識に、この人と一分一秒でも長く一緒に居たいと思っている。騎士カムイと一緒にいる間だけは、本当は弱い水樹和也を表に出すことが出来る。
何故騎士の前では自分を偽らずに出せるのか。それは、彼自身が俺の目指す存在だから。
最後まで屈しない鋼の意志、決して曲げることのない信念、それに見合った実力、全ての民に分け隔てなく接する慈愛、彼はそれら全てを備わった存在だ。
それらは全て、この世界で俺が得た仮初の人格。こうなりたいと望んでいた俺自身の、幻想の姿だった。
虚構ではなく実在する理想の存在が目の前にいるだけで、不思議と自分を飾らずに素の自分、弱くて情けない水樹和也を曝け出すことが出来る。
騎士カムイも、創世神が創り上げた架空の人格だとしても、俺は構わない。出来ることならば、この人と同じ世界を隣でずっと見ていたい。全てを忘れて、彼と一緒に人界のために戦いたい。
しかし、それは決して叶うことのない夢だ。罪人であることを忘れることが出来ても、起きたことが消えてなくなるわけではない。
今の俺は騎士とは真逆の存在。本来なら、こうやって口を聞くことさえおこがましい立場だということを忘れてはいけない。
騎士の敬礼を継続したまま、カズヤは柄にもなく硬い口調で言った。
「騎士殿、私目の準備は既に完了しております」
それを聞いたカムイは、微笑を浮かべていた表情を引き締め、力強く頷いた。
「すぐに出発しようか。戴天が待つ、爆煙竜火山へ」
北へと飛び去っていく一匹の飛竜を眺めながら、創世神はため息をついた。あの竜にはきっと、騎士カムイと特異点たる存在が跨っているはず。
水樹和也を別世界からこの世界に転移──いや、転生させてから、人界内では異常事態が多発している。次元の壁への干渉による副作用かと考えたが、過去に二度次元の壁に干渉した時はこのような事象は起きなかった。
やはり転生者に彼を選んだのは正解だった。特異点の出現によって、現状の人界を打破するほどの歪みは発生している。後はこのまま、彼が無事特異点としての使命を果たしてくれれば、全てが上手くいく。
だがその分、彼の生命にも充分な危険が及ぶ。今回は騎士を同行させたが、身の安全は完璧とは言えない。
特異点たる存在を失うわけにはいかない。最悪、彼を強制的に回収し、来たるべき大戦時まで凍結処理を施す可能性がある。
しかし私は、出来ればそのような処置を施したくない。
大丈夫だ。きっと無事に帰ってくる。人界で多くの民と触れ合い、予期せぬ苦難を乗り越える強靭な意志を持つ彼ならば大丈夫だ。
──カズヤ君。どうか、無事に帰ってきて……。
人界の神である私は、誰に祈るでも願った。彼が無事に戻ることを。この願いは、特異点としての安否を望むのか、それとも水樹和也という存在そのものの安否を望むのかまでは、創世神自身も解っていない。
祈りが済むと、完全に姿を消した飛竜から視線を外し、今度は自らが創生した分断の壁の向こう側、魔界へと視線を向ける。
昨晩、向こう側で一際強力な邪気が発せられるのを感じた。それも、暗黒騎士やデーモンとは比べ物にならないほど強力なモノを。
まさか、蘇ったというのか。古の大戦が終結すると同時に、地の獄へと封印した邪教神──兄が。
創世神は喉をごくりと鳴らし、後ろで結んだ髪を解きながら、背中に伝う嫌な汗を意識した。
来たるべき決戦は近づいている。その時が来た時、私も覚悟を決めなければならない。全ての民を守るためにも、私は──。
嫌な気配がする──。
飛竜にまたがるカムイは、胸内でざわめく疼きを感じていた。
──この感じ……あの日、分断の壁を横断した者に似ている。
アースリアを襲ったマガツヒの時と同じ感覚を胸に、カムイは背に抱きつく少年に視線を向けた。まだ少し幼さが残る可愛らしい顔をしているというのに、決意や覚悟は騎士である僕に負けず劣らずの素晴らしい物を持つ少年。彼を見ていると、自分の中で疼く不安が薄れていく。
一年前に比べ、少年はかなり成長している。ゴブリンの時は──申し訳ないが情けない印象であったが、今では立派な戦士に値する闘気に満ち満ちている。
あの日、彼に剣を授けたのは間違いでなかったことを、再度痛感する。よもや、これほどまでの戦士になろうとは、全く予想が出来なかった。
だがまだ若輩であり子供でもある。彼も解っているとは思うが、今から行く場所は環境すら敵となる危険区域。とても彼を守っている余裕はない。
それでも、可能な範囲で守ってみせる。未来を担う子供を、本当の記憶を呼び戻すキッカケを与えてくれた、カズヤ君を。
僕はアースリアでカズヤ君と別れた後、すぐに中都統制教会最上階《神の庭園》に直行した。そこで創世神様に、自分の身に起きた出来事を伝えた。
創世神様は僕の話を最後まで聞き終えると、長い沈黙の果てに真実を話してくれた。
僕の名前はカムイであり、三十年前に魔術剣修道学園を十二主席で五の席に籍を置いていた。そして僕には、一人の幼馴染にして恋人であるサツキという子がいた。きっとその子が、朧げな記憶に現れた女の子なのだろう。
だがその後、信じ難いことを知った。
学園を卒業してすぐ、領家の息子が衛士隊に入隊したサツキに一目惚れをしてしまい、私有地の護衛という任務を衛士隊隊長に、莫大な資金と共に贈りこんできた。隊長は金に目が眩み、嫌がるサツキを無理矢理、領主の息子が所持する所有地護衛の任務に就かせた。
そこの息子は昔から悪い噂が多く、気に入った女性を自らの私有地に招き入れ、任務という大義名分を都合よく解釈し凌辱することで知られている。
本人は任務という理由で執り行っているの一点張り。かなりの権力と財力を持つ故に中々手出しすることが出来ずにいるため、我々衛士隊ではどうにも出来なかった。
サツキは任務に行く前に、僕に結婚指輪を手渡してきた。
──私、待ってるから。あなたが迎えに来てくれるのを、ずっと待ってるからね。
最後にそう言ったきり、僕はサツキに会っていない。
何度も何度も私有地に侵入を試みるも、すぐに領家専用の護衛が姿を現し追い出される。これの繰り返しだった。
やがて僕の存在を煩わしく思った息子が、買収した隊長に指示を送り、遙か彼方の辺境の村への異動を命じてきた。
既に買収されている隊長はすぐに俺を異動させる手続きを始めた。何度抗議を繰り返そうと聞く耳を持たず、悔しさだけを胸に一方的な異動が決まってしまった。
それから二年後。物資護衛の帰り道に、酷く痩せた女性と遭遇した。辺境の村では珍しい豪華な服が気になったカムイは、その女性を保護した。
女性は元々衛士であったらしいが、ある領主に任務という理由で私有地に招き入れられ、またも任務という理由で様々な辱めを加えてきたと証言していた。
だがカムイはそれ以上に気になることがあった。それは、女性の右薬指に嵌められた銀色の指輪。それは二年前、サツキに渡された指輪にそっくりのものだった。
領家の息子は、気に入った女子に飽きると辺境の地に捨て、自分の関わった痕跡も残さずに消すらしい。その噂を知っていたカムイは、この女性が、かつて将来を誓った幼馴染であることに気付いた。
その時、僕は枯れるほどの涙を流し、サツキを抱きしめた。豊満な肉体だった彼女が嘘のように痩せており、少しでも力を入れてしまえばへし折れてしまいそうだった。
その後サツキとは三日間だけ供に暮らし、本人は望み通り安楽死を迎えた。栄養失調と多くの薬物で既に身体に限界が来ていた彼女は、最後の力を振り絞り、最後の時間を愛する男と過ごすために使った。
その後のことは、よく覚えていない。気がつくとそこには、無残に惨殺された領家の息子と、その血で真っ赤に染まった己の姿と剣が手元にあった。
カムイは怒りで我を忘れてしまい、サツキを殺した息子を無様に殺すことだけを目的に動いていたみたいだった。
それからカムイは衛士隊の職を失い、中都統制教会に連行された。そこで審問を受け、過去と引き換えに人界のために戦う騎士に仕立て上げられた。記憶が見えたのは、人格でも記憶でもなく、そこに留まる心に刻まれた記憶が蘇ったと、創世神様は言っていた。
その真実を告げられた時、僕は自殺を決意した。サツキがこの世に存在しない絶望に負けて、生きる気力を失いかけていた。
本当に守りたい者がいないと知ってしまい、生きる理由も、戦う理由も見出すことが出来なかった。
そうだというのに、何故僕は生きているのか。
それはきっと、サツキとの約束を守るためだ。
サツキは人界の平和を願っていた。戦いとは縁遠い生活の中で、自分達の子供を育てることだけに専念できる世界にするために、サツキは衛士隊に入隊した。
ならば、その思いは僕が引き継ぐしかない。それが僕が彼女にしてあげられる、唯一の報いだ。そして、自分自身へのケジメだ。
過去に囚われた僕に出来るのは、今を生きようとする者たちへの後押しだ。二度と同じ過ちを起こさないためにも、僕は戦い続ける。人界のために。
長い物思いから目覚め、カムイは視線を前に戻す。飛翔を開始してから一時間。あと三十分とすれば目的の場所に到着する。
腰に携えた愛剣《激凍剣》に視線を落としてから、もう一度後ろに座るカズヤ、の腰に携えた《焔天剣》を見詰める。
──カズヤ君を守ってくれよ。
僕と一緒にいた時よりも美しく見える剣を真っ直ぐ見据え思念を贈ると、手綱を力強く鳴らし速度を上げた。
体感時間的には六時。学園内でいつも起きている時間であり、異世界に転移してから一度たりとも崩したことのない生活習慣だ。
──今日の朝食は確か、魚介類だったよな。
小さな伸びをしながら、学生寮の朝食を思い返す。魚介類は苦手ではないが、朝から食べようとはあまり思えない。やはり朝食は教会で食べていた野菜スープと目玉焼き、丸パン二個が丁度いい。
などと物思いに沈んでいると、自分の置かれた状況が今までと大きく異なることに、遅まきながら気付いた。
……そうだ。俺はもう学園の生徒でもないし、教会で住み込みで働いていた、人界の民でもないんだ。
禁書目録を違反し、己の目的のために天界の騎士に歯向かった大罪人であり、人界の真実を唯一知る重要人物でもある。
意識が覚醒すると、昨晩の創世神が打ち明けた真実が繰り返し流れる。何度思い返しても、すぐには信じられないような規模の内容だったので、今でも実感が湧かない。
……いや、それは違う。
実感はしている。だがその使命を、俺が果たす権利があるのかが解らない。
創世神に反逆し、使いである騎士にも反逆した。更には人界の民を殺害している。俺は、禁書目録が制定された歴史の中で、最も罪深い人間なのだ。
そんな俺に、果たして人界を救う権利などあるのか?
創世神の話を聞いているあいだも、カズヤは何度も自分に言い聞かせねばならなかった。友達を捨て、人を斬った自分は、もう元の暮らしには戻れない。
例え、本当の世界に戻れたとしても。どれほどの血に手を染め、罪に魂を汚そうとも、前に進むしかないのだ。たったひとつ残された、ユリとの約束を成し遂げるために。
全ての人が自由に未来を選び、笑い合える世界を造る。
しかし、その世界を最後まで見届けるという望みはもう叶えられないだろう。多くの罪を犯した自分に行ける場所は、分断の壁の向こう側、恐ろしい魔界しかあるまい。
だが、それでもいい。ユリが望んだ世界が実現されたのなら、それ以外に望むことはもう何もない。
密やかな決意を噛み締めながら、カズヤは硝子張りの壁まで歩き、遥か遠くに立つ学園へと視線を向け、一年以上もの付き合いとなったサヤとワタルを想像した。
……もし、俺が魔界に行くと言ったら、二人は一緒についてきてくれるかな……?
声に出さずにそう訊ねてから、カズヤは二人の答えを想像することを無理矢理にやめた。今や俺とは違う世界に立つ彼らを巻き込むわけにはいかない。今の俺に出来ることは、二人が安心して学園を卒業出来るように戦い続けることだけだ。どんなに惨めで情けなくても、それだけが俺に残された償いだから。
「カズヤ君。ちょっと良いかしら」
朝食を食べ終えた創世神が、不意に尋ねた。
「なんでしょうか?」
カップから口を離したカズヤは、首を傾げながら答えた。
「これからあなたには、爆煙竜火山に騎士カムイと一緒に行ってもらいますが、その時の注意点を話しておきます」
「注意点……ですか」
「あなたが罪人であることは伏せておくように。いくら面識のある騎士とはいえ、罪人と一緒に行動することを拒否する恐れがあるから」
創世神の言っていることは合っている。何度か面識のある騎士カムイとはいえ、罪を犯した者が同伴では任務に支障が出かねない。
命の恩人でもあるカムイに嘘をつくのは良心が痛むが、これも人界のためだと思い痛む良心を押し殺す。
「それさえ守ってくれれば別に構わないわ。それと、一応の処置を施してあげる」
そう言うと創世神は右手の指を打ち鳴らした。すると背後の扉が突然光り出した。
「あの扉の先を、教会の武器庫に繋ぎました。そこから自分にあった装備を選んでください」
「すげー。まさか別の空間に繋ぐなんて、なんでもありだな」
「簡単な話です。まずあの扉に空間干渉魔術を使用し、別空間に滞在する二次空間と一次空間を直結させることで生じた空間の歪みを補正しただけですから」
話の九割方が理解出来なかったが、要するに、異なる空間を無理矢理直結させて発生した歪みを修正しただけらしい。空間干渉魔術なんて最上級魔術師でも長時間の詠唱でやっとこさ出来る芸当を、指を打ち鳴らすだけでやってのけるとは、やはりこの人は恐ろしい力を持っている。
ノブが回され、次の瞬間、ドアは大きく開け放たれた。途端に勢いよく吹き込んでくる乾いた寒風に抗って、カズヤは一気に外へと飛び出した。
そのまま五、六歩走った時、背後で再び小さな音がした。肩越しに振り向くと、そこには滑らかな大理石の壁が冷たく立ちはだかるのみで、神の庭園に繋がる扉はわずかな痕跡すら残さずに消え去っていた。
扉から一直線に伸びる廊下を足早に歩くと、思いのほか短く、すぐに長方形の広い部屋に辿り着く。
右側の壁の中央部には、驚くほど幅の広い階段が上下に続いている。天井の高さは八メートルほどもあるので、階段も途中の踊り場までで二十段はありそうだ。
そして左側の壁には、有翼獣の彫像に囲まれた、両開きの大扉が存在した。
恐らくあれが、教会の武器保管庫だ。そのような重要な場所にしては、広間はしんも静まり返って、人の気配はない。右側の大階段から差し込む陽光すら、冷たい灰色に染まっているように思える。
武器庫にも関わらず警備がいないことに驚いたが、そもそも教会に忍び込むような輩など存在しない。
無人の広間を横切り、大扉の前に立つ。
武器庫の扉には鍵穴はなかったが、不信信者が押しても引いても開かないのでは、と思わせるだけの厳めしさを備えていた。握りに手を掛け、ぐいっと力を込めると、拍子抜けするほどあっさりと両側に開いた。蝶番が軋む音ひとつしなかった。
五十センチほど口を開けた黒い隙間からは、数百年分の静寂が凝ったかのような濃い冷気が漏れ出してきてカズヤを身震いさせたが、躊躇いなく身体を滑り込ませる。背後で重々しく扉が閉まると、周囲は完全な暗闇に包まれた。
「光素でも出すか……」
なんの迷いもなく自然と口にし、カズヤは一年半前、セレナを捜しに行った時のことを思い出した。あの頃は、ごく初歩的な魔術を使うのにも四苦八苦で、手に持った穂の先を弱々しく光らせるくらいのことしかできなかった──。
右掌の上に発生した純白の光素が濃密な闇を押しのけ、ついでにカズヤの郷愁も吹き散らした。
「うお……」
驚きの声を上げると同時に、喉をごくりと鳴らした。
何という広さだろうか。保管庫というから、学園の用具置き場のようなものを想像していたがとんでもない。大修練場並みの面積がありそうだ。
滑らかな石壁に四方を囲まれた空間には、カズヤの掌から離れて舞い上がった光素の灯りを跳ね返す、ありとあらゆる色合いの輝きが満ちていた。
床一面に整然と並ぶのは、人型の支持架に載せられた鎧だ。漆黒のもの、純白のもの、赤銅青銀黄金紫緑と目の眩むような色彩に加えて、細かい鎖となめし革で造った軽装鎧から、分厚い板鋼を隙間なく組み合わせた重装鎧まで、ありとあらゆる種類が網羅されている。その数、五百は下るまい。
そして高い壁には、これまたおよそ存在し得る全ての武器がびっしりと掛けられていた。
剣だけでも、長いもの短いもの、太い細い直剣曲刀と多岐にわたる。加えて片刃や両刃の斧、長槍に馬上槍、戦鎚から鞭から棍棒そして弓に至るまでの多種多様な戦闘用器具がもはや数えるのも不可能なほどに床から天井近くまで連なっていて、カズヤはただただぽかんと口を開けることしかできなかった。
「……この中から、好きなの持っていって良いとか、太っ腹すぎるだろ」
唖然と呟き、詰めていた息を大きく吐き出した。改めて広大な武器庫を見回し、二、三度首を振る。
これだけの装備を平穏のために独占しているなんて、創世神は余程民に力を与えたくなかったんだな。それとも、教会以外の集団が強い武器を手に入れて、無用な戦力を持つことを警戒するために、ここに武器を集めているのか。
「……と、駄目だ」
このままでは、また結論の出ない論争が続いてしまう。一人になると色々と考え込んでしまうのは悪い癖だ。無駄な時間を過ごすつもりはないため、自分に合う武器を探し始める。
本当は、一年半も付き添ってくれた愛剣《焔天剣》が欲しいのだが、あれは連行時にセレナが持ったまま消息を経っている。
でも一応──往生際が悪くも愛剣を探すことにした。焔天剣は装飾の少ない黒革の鞘に収められているが、似たような剣が幾つも見て取れる。
「……もしかして」
何かに感づいたカズヤは、入ってきた扉の周囲を捜索した。すると
「見つけた」
求めていたものは、あっさりと見つかった。扉のすぐ左側には、黒い鞘に収まった一振りの、見紛うことなき愛剣があった。
一番新しく持ち込まれた剣なら、扉に一番近いところにあるだろうと思ったが、まさか当たるとは思わなかった。
ふっと息を吐き、壁に歩み寄ると右手を伸ばして黒革の鞘を摑んだ。すぐに金具から持ち上げると、馴染んだ重みが手首に伝わった。
愛剣と離れていたのは五日足らずなのに、自分でも驚くほどの懐かしさと安堵感が込み上げてきて、カズヤは両手で鞘をぎゅっと握り締めた。
コドールの村を旅立ってから、焔天剣は常に傍らにあり、何度もカズヤを助けてくれた。サランで魔獣を討伐出来たのも、アースリアで暗黒騎士と戦った時も、禁書目録に背きユーグの片腕を断ち切ったあの時ですら。
あの日、本来は持ってくる予定ではなかったこいつを持ってきたカムイが俺にこいつを手渡しのはまさに僥倖──あるいは運命なのだ。自分が歩むべき道が、決して間違っていなかったことの証……。
愛剣の鞘を剣帯の留め具に繋ぎ、最後に軽く柄頭を叩いてから、さて、と周囲を見回した。床に並ぶ高級そうな鎧には、【雷帝の鎧】だの【毒蛇の甲冑】だのという名前の刻まれた銘板が掛けられていて、なかなかに興味をそそられる。
これだけあれば俺の体に合うのも見つかるだろうし、鎧も借りていこうかと検討した。しかしすぐに却下する。
鎧なんて着たこともないし、これからいくのは獄炎の地だ。なんの訓練もしていない人間がわざわざ暑苦しい格好をするのは得策とは思えない。
鎧の列から視線を外し、その一角に置かれている、色とりどりの衣服が並んでいる場所を見た。学園の制服は、長い間良く保っているが、昨日の激闘の連続を経てあちこち破けたりほつれたりしている。
学園でもこの服から変えたことはないし、服がほつれてもサヤに修復してもらっていたから何とかなっていたが、そろそろ年貢の納め時だと思う。
「……今まで、ありがとな」
常に身を保護してくれた制服に感謝の言葉を贈り、衣服の列に駆け寄る。高級そうな布地をばさばさ掻き分けて体に合いそうな上着とズボンを見つけ出し、手早く着替える。
ぴったりした黒のジャケット、ふわりと広がる黒に近い灰色のロングスカート。学園の制服に近しい一式の服装を着込むと、その肌触りの滑らかさに驚いた。同時に、これが女性用の服装ではないかと疑ったが、どうやらこれは男女共通の服装だった。
ジャケットは学園の制服で何度か着たことがあるが、ロングスカートの方はあまり着たことがない。男でスカートは抵抗があったため、あれこれ理由をつけて断っていた。
他のに変えようと思ったが、どれも似たようなものばかりで変えようがなく、仕方なくこれにした。
剣帯を腰に巻き付け愛剣を留め具に繋ぐと、カズヤは入り口の扉へと歩み寄った。
これから向かう場所は、人界内で最も過酷とされる爆煙竜火山。騎士が同行しているからといって、侮るわけにはいかない。今回の敵は戴天だけでなく、環境そのものでもあるのだから。
愛剣の柄頭に右手を置き、剣を見下ろす。
──今から行く場所に、こいつの持ち主でもある戴天がいる。
再度気を引き締めると、カズヤは閉ざされた扉を押し開き、武器庫から外に出た。
同刻、魔界にて──。
「団長。本当に行くつもりですか」
ジン・リスデールは、飛竜にまたがる団長・ラギルスに向かって尋ねた。
「……邪教神様のご命令だからな」
錆びた声で短く答えると、ジンは押し黙った。この時の団長には、何を言っても無駄だということを知っているからだ。
しかし納得がいかない。突然現れた存在の命令を疑いもせずに従う団長が、本当に我々の知っている男なのか、どうしても納得いかない。
自分の中にある疑問を解決するために、ジンはとんでもないことを口にした。
「団長。俺も同行します」
「なんだと……?」
眉を寄せたラギルスが、真っ直ぐにジンを見下ろした。
──団長が、師匠が何故、一切の疑いも持たずに忠実に任務に向かうのか。何故あのような者に反抗せずにいるのかを確かめなければいけない。
そのためには、師匠の行く末を見届けるしか方法はない。
ジンを見下ろすラギルスは、長い沈黙の後に深いため息を吐き、呆れながら言った。
「早く準備しろ。一刻の猶予もないんだからな」
「……了解!」
威勢よく返事をすると、ジンは自分の飛竜を笛で呼び、ラギルスの横に停滞させる。
軽い動作で背にまたがると、二人の暗黒騎士は手綱を打ち鳴らし、遙か彼方に存在する爆煙竜火山へと飛翔した。
武器庫から外に出ると、既に見慣れた飛竜が着地していた。そして飛竜の頭を撫でている、背丈の高い一人の騎士が、こちらの存在に気付き体をこちらに向けてきた。
カズヤは自分の格好に不備がないか確認してから近付き、学園で学んだ騎士への敬礼をぎこちない動きで遂行し、張りのある声で叫んだ。
「おはようございます! 天界の騎士様!」
慣れない動きと声で若干訛ってしまったが、騎士は特に指摘することなく、同じような構えを素早く、精巧に遂行すると、はっきりと芯のある声で答えた。
「カズヤ中等修剣士。創世神から訳は聞いているため、任務の同行を許可する」
どうやら、俺が罪人であることを伏せるために、創世神が裏から根回しをしてくれているらしい。現時点の俺は学園側から特別推薦扱いで任務に同行している──元の世界で言えば職業体験に近い学生という扱いになっている。
「了解。本日はよろしくお願いします、騎士様」
敬礼の構えを維持したまま一礼すると、先に構えを解いた騎士が陽気に笑いながら言った。
「畏まらなくてもいいよ。僕と君は、初対面じゃないんだからね」
「ですが、任務に同行する身である上、学生である自分が騎士殿に馴れ馴れしい言動を取るわけにはいきません」
「真面目だね。カズヤ君が構わないなら僕は良いけどさ」
そう言うとカムイは、俺の格好を眺めてから一度頷き、満足そうに笑いながら言った。
「その格好、凄く似合ってるよ。特にロングスカートがね」
「ありがとうございます。お褒めに預かり光栄であります」
何故ロングスカートだけを指定して褒めたのか解らないが、嫌な気はしない。騎士であり命の恩人である彼からならば、どこを褒められても嬉しく思える。
異常かもしれないが、それほどまでに彼は、俺にとって特別な存在なのだと思い知らされる。
──この人と一緒にいる間だけは、自分が罪人だということを忘れてしまいそうだ。
不意に思った気持ちを、今回ばかりは否定しなかった。
俺は無意識に、この人と一分一秒でも長く一緒に居たいと思っている。騎士カムイと一緒にいる間だけは、本当は弱い水樹和也を表に出すことが出来る。
何故騎士の前では自分を偽らずに出せるのか。それは、彼自身が俺の目指す存在だから。
最後まで屈しない鋼の意志、決して曲げることのない信念、それに見合った実力、全ての民に分け隔てなく接する慈愛、彼はそれら全てを備わった存在だ。
それらは全て、この世界で俺が得た仮初の人格。こうなりたいと望んでいた俺自身の、幻想の姿だった。
虚構ではなく実在する理想の存在が目の前にいるだけで、不思議と自分を飾らずに素の自分、弱くて情けない水樹和也を曝け出すことが出来る。
騎士カムイも、創世神が創り上げた架空の人格だとしても、俺は構わない。出来ることならば、この人と同じ世界を隣でずっと見ていたい。全てを忘れて、彼と一緒に人界のために戦いたい。
しかし、それは決して叶うことのない夢だ。罪人であることを忘れることが出来ても、起きたことが消えてなくなるわけではない。
今の俺は騎士とは真逆の存在。本来なら、こうやって口を聞くことさえおこがましい立場だということを忘れてはいけない。
騎士の敬礼を継続したまま、カズヤは柄にもなく硬い口調で言った。
「騎士殿、私目の準備は既に完了しております」
それを聞いたカムイは、微笑を浮かべていた表情を引き締め、力強く頷いた。
「すぐに出発しようか。戴天が待つ、爆煙竜火山へ」
北へと飛び去っていく一匹の飛竜を眺めながら、創世神はため息をついた。あの竜にはきっと、騎士カムイと特異点たる存在が跨っているはず。
水樹和也を別世界からこの世界に転移──いや、転生させてから、人界内では異常事態が多発している。次元の壁への干渉による副作用かと考えたが、過去に二度次元の壁に干渉した時はこのような事象は起きなかった。
やはり転生者に彼を選んだのは正解だった。特異点の出現によって、現状の人界を打破するほどの歪みは発生している。後はこのまま、彼が無事特異点としての使命を果たしてくれれば、全てが上手くいく。
だがその分、彼の生命にも充分な危険が及ぶ。今回は騎士を同行させたが、身の安全は完璧とは言えない。
特異点たる存在を失うわけにはいかない。最悪、彼を強制的に回収し、来たるべき大戦時まで凍結処理を施す可能性がある。
しかし私は、出来ればそのような処置を施したくない。
大丈夫だ。きっと無事に帰ってくる。人界で多くの民と触れ合い、予期せぬ苦難を乗り越える強靭な意志を持つ彼ならば大丈夫だ。
──カズヤ君。どうか、無事に帰ってきて……。
人界の神である私は、誰に祈るでも願った。彼が無事に戻ることを。この願いは、特異点としての安否を望むのか、それとも水樹和也という存在そのものの安否を望むのかまでは、創世神自身も解っていない。
祈りが済むと、完全に姿を消した飛竜から視線を外し、今度は自らが創生した分断の壁の向こう側、魔界へと視線を向ける。
昨晩、向こう側で一際強力な邪気が発せられるのを感じた。それも、暗黒騎士やデーモンとは比べ物にならないほど強力なモノを。
まさか、蘇ったというのか。古の大戦が終結すると同時に、地の獄へと封印した邪教神──兄が。
創世神は喉をごくりと鳴らし、後ろで結んだ髪を解きながら、背中に伝う嫌な汗を意識した。
来たるべき決戦は近づいている。その時が来た時、私も覚悟を決めなければならない。全ての民を守るためにも、私は──。
嫌な気配がする──。
飛竜にまたがるカムイは、胸内でざわめく疼きを感じていた。
──この感じ……あの日、分断の壁を横断した者に似ている。
アースリアを襲ったマガツヒの時と同じ感覚を胸に、カムイは背に抱きつく少年に視線を向けた。まだ少し幼さが残る可愛らしい顔をしているというのに、決意や覚悟は騎士である僕に負けず劣らずの素晴らしい物を持つ少年。彼を見ていると、自分の中で疼く不安が薄れていく。
一年前に比べ、少年はかなり成長している。ゴブリンの時は──申し訳ないが情けない印象であったが、今では立派な戦士に値する闘気に満ち満ちている。
あの日、彼に剣を授けたのは間違いでなかったことを、再度痛感する。よもや、これほどまでの戦士になろうとは、全く予想が出来なかった。
だがまだ若輩であり子供でもある。彼も解っているとは思うが、今から行く場所は環境すら敵となる危険区域。とても彼を守っている余裕はない。
それでも、可能な範囲で守ってみせる。未来を担う子供を、本当の記憶を呼び戻すキッカケを与えてくれた、カズヤ君を。
僕はアースリアでカズヤ君と別れた後、すぐに中都統制教会最上階《神の庭園》に直行した。そこで創世神様に、自分の身に起きた出来事を伝えた。
創世神様は僕の話を最後まで聞き終えると、長い沈黙の果てに真実を話してくれた。
僕の名前はカムイであり、三十年前に魔術剣修道学園を十二主席で五の席に籍を置いていた。そして僕には、一人の幼馴染にして恋人であるサツキという子がいた。きっとその子が、朧げな記憶に現れた女の子なのだろう。
だがその後、信じ難いことを知った。
学園を卒業してすぐ、領家の息子が衛士隊に入隊したサツキに一目惚れをしてしまい、私有地の護衛という任務を衛士隊隊長に、莫大な資金と共に贈りこんできた。隊長は金に目が眩み、嫌がるサツキを無理矢理、領主の息子が所持する所有地護衛の任務に就かせた。
そこの息子は昔から悪い噂が多く、気に入った女性を自らの私有地に招き入れ、任務という大義名分を都合よく解釈し凌辱することで知られている。
本人は任務という理由で執り行っているの一点張り。かなりの権力と財力を持つ故に中々手出しすることが出来ずにいるため、我々衛士隊ではどうにも出来なかった。
サツキは任務に行く前に、僕に結婚指輪を手渡してきた。
──私、待ってるから。あなたが迎えに来てくれるのを、ずっと待ってるからね。
最後にそう言ったきり、僕はサツキに会っていない。
何度も何度も私有地に侵入を試みるも、すぐに領家専用の護衛が姿を現し追い出される。これの繰り返しだった。
やがて僕の存在を煩わしく思った息子が、買収した隊長に指示を送り、遙か彼方の辺境の村への異動を命じてきた。
既に買収されている隊長はすぐに俺を異動させる手続きを始めた。何度抗議を繰り返そうと聞く耳を持たず、悔しさだけを胸に一方的な異動が決まってしまった。
それから二年後。物資護衛の帰り道に、酷く痩せた女性と遭遇した。辺境の村では珍しい豪華な服が気になったカムイは、その女性を保護した。
女性は元々衛士であったらしいが、ある領主に任務という理由で私有地に招き入れられ、またも任務という理由で様々な辱めを加えてきたと証言していた。
だがカムイはそれ以上に気になることがあった。それは、女性の右薬指に嵌められた銀色の指輪。それは二年前、サツキに渡された指輪にそっくりのものだった。
領家の息子は、気に入った女子に飽きると辺境の地に捨て、自分の関わった痕跡も残さずに消すらしい。その噂を知っていたカムイは、この女性が、かつて将来を誓った幼馴染であることに気付いた。
その時、僕は枯れるほどの涙を流し、サツキを抱きしめた。豊満な肉体だった彼女が嘘のように痩せており、少しでも力を入れてしまえばへし折れてしまいそうだった。
その後サツキとは三日間だけ供に暮らし、本人は望み通り安楽死を迎えた。栄養失調と多くの薬物で既に身体に限界が来ていた彼女は、最後の力を振り絞り、最後の時間を愛する男と過ごすために使った。
その後のことは、よく覚えていない。気がつくとそこには、無残に惨殺された領家の息子と、その血で真っ赤に染まった己の姿と剣が手元にあった。
カムイは怒りで我を忘れてしまい、サツキを殺した息子を無様に殺すことだけを目的に動いていたみたいだった。
それからカムイは衛士隊の職を失い、中都統制教会に連行された。そこで審問を受け、過去と引き換えに人界のために戦う騎士に仕立て上げられた。記憶が見えたのは、人格でも記憶でもなく、そこに留まる心に刻まれた記憶が蘇ったと、創世神様は言っていた。
その真実を告げられた時、僕は自殺を決意した。サツキがこの世に存在しない絶望に負けて、生きる気力を失いかけていた。
本当に守りたい者がいないと知ってしまい、生きる理由も、戦う理由も見出すことが出来なかった。
そうだというのに、何故僕は生きているのか。
それはきっと、サツキとの約束を守るためだ。
サツキは人界の平和を願っていた。戦いとは縁遠い生活の中で、自分達の子供を育てることだけに専念できる世界にするために、サツキは衛士隊に入隊した。
ならば、その思いは僕が引き継ぐしかない。それが僕が彼女にしてあげられる、唯一の報いだ。そして、自分自身へのケジメだ。
過去に囚われた僕に出来るのは、今を生きようとする者たちへの後押しだ。二度と同じ過ちを起こさないためにも、僕は戦い続ける。人界のために。
長い物思いから目覚め、カムイは視線を前に戻す。飛翔を開始してから一時間。あと三十分とすれば目的の場所に到着する。
腰に携えた愛剣《激凍剣》に視線を落としてから、もう一度後ろに座るカズヤ、の腰に携えた《焔天剣》を見詰める。
──カズヤ君を守ってくれよ。
僕と一緒にいた時よりも美しく見える剣を真っ直ぐ見据え思念を贈ると、手綱を力強く鳴らし速度を上げた。
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