50 / 98
第二部・二章 誇り高き竜
第十二話
しおりを挟む
高校生であった水樹和也が異世界に転移してから、彼は常に傍らに竜の魂が込められた剣を片手に、未知なる世界を歩んでいた。多くの出会いや別れを味わい、元の世界では決して得られない刺激的な体験をも味わった彼であったが、それら全ての経験は愛剣が側にいたことで乗り越えることが出来た。
どんなに苦しくても、魂が痛いと泣き叫んでも、愛剣がずっと側にいてくれたから、最後まで諦めずに戦うことが出来たんだ。
焔天剣は常に俺を助けてくれた。ジュウオンジとの決闘の時も、暗黒騎士への最後の一撃も、ユーグの腕を斬り飛ばした時も、こいつは俺の味方でいてくれた。一人じゃない事を、俺に教えてくれた。
孤独を分かち合うように惹かれ合った俺たちは、これからも最高の相棒として戦い続けてみせる。そのためにはまず、俺自身が強くならなければいけない。
いつまでも愛剣に頼っていては駄目だ。誇り高い竜にして最強の存在、炎熱竜戴天の魂が刻まれた剣の主人に相応しい男にならなければ。
だから俺は、勝ってみせる。お前の分身である、炎熱竜・戴天に。
一定の距離を保つカズヤと戴天を遠くから傍観しながら、カムイはひっそりと息を呑んだ。
彼の頼みを承諾はしたが、胸の内は不安で一杯だった。カズヤの成長速度には驚かされるが、それでもまだ学生である彼に、こんな危険な戦いを任せて良かったのか?
万が一の時は、僕が無理矢理にでも助けに行かなくてはいけないかもしれない。
腰帯に留められた剣を握りながら、今まさに始まろうとしている戦いを見届けるために、視線を上げた。
カズヤは落ち着いた動作で剣を中段に構える。すると、それが合図ででもあったかのように、ドラゴンが大きくその顎門を開き──紅く輝く気体の奔流を吐き出した。
「ブレスだ! 避けろ!」
叫ぶも、カズヤは動かない。仁王立ちのまま、右手の剣を前に突き出す。
剣一本でブレスが防げるものか──と思った瞬間、カズヤの手を中心に、剣が風車のように回転し始めた。すぐに刀身が見えないほどに回転が速まり、まるで光の円盾のように見える。
そこに向かって、炎のブレスが正面から襲い掛かった。まばゆい真紅の閃光。思わず顔を背ける。カズヤの剣が作り出したシールドに打ち当たった炎素の奔流は、吹き散らされるように拡散し、燃え尽きていく。
全く見たことのない防御方法。普通ならば横に跳躍して範囲から逃れるというのに、まさか正面から受けて立つなんて。絶対の自信と勇気がなければ出来ない芸当だ。
いったい──何者なんだ……?
カムイは今更のようにカズヤの正体に思いを馳せた。一年半前までは優しいだけの少年だったというのに、今では奇想天外な行動を平気でやる度胸と実力を持った戦士に成り果てている。学生とは思えない実力を持つ彼は一体、如何なる思いを胸に戦っているのか、想像できない。
解っているのは、その思いの強さは我等騎士に遅れを取らないほどに強いことだけだ。強靭な意志と覚悟を持っているからこそ、彼はどこまでも強くなっているのかもしれない。
と、その時、カズヤは円盾を前に突き出したまま、ブレス攻撃の中を駆け抜けた。そして、ブレス攻撃が途切れたのを見計い、回転する剣を握り直し、戴天へと飛び掛かる。驚いたことにカズヤは竜の頭上に迫るほどの高さまで飛翔すると、空中で片手持ちの剣による連続斬撃を繰り出した。
キュキューン、という甲高い音を立てながら、目で追いきれないほどのスピードで攻撃が戴天に吸い込まれていく。竜も左右の鉤爪で応戦するものの、手数が違いすぎるために追いつけていない。
長い滞空を経てカズヤが着地した時には、竜の顔は傷だらけで真っ赤に染まっていた。
──圧倒的だ。あまりにも一方的な戦闘を見た衝撃で、背中にぞくぞくするものが疾る。
竜は再度ブレスを吐いたが、今度はダッシュで回避して再びジャンプ。重低音を響かせながら、単発の強攻撃を次々と叩き込む。
このまま攻め続ければ勝てる。カズヤの無事を祈った、その時──。
両の翼を大きく広げた竜は、一際高く舞い上がった。
体勢を立て直すために、一度退くつもりか!?
ここで逃げられたらまずい。僕らの任務は戴天を中都に連れ帰ること。ここで遭遇出来たのは運が悪いが良くもあるというのに、今逃げられてしまっては見失ってしまい、二度と遭遇出来ない恐れがある。
彼との約束を破るようで申し訳ないが、ここは自分も参戦して──。
剣を握ろうとした寸前、戴天が取ろうとした行動が撤退ではないことに気付く。
竜は天高く舞い上がると、両手を高く上げた。
一体何をしようとしているのか考えながら観ていると、自分の目を疑うことが起きた。
猫のように隠していたのか、両手に生えた十本の鉤爪が突然、二倍近くの長さに伸びたのだ。
「グギャァァ──!!」
獰猛な雄叫びと同時に、元の二倍ほど伸びた鉤爪を力任せに振り下ろす。瞬間、カズヤが放った斬撃破と同じモノが、鉤爪から無数に放出される。斬撃波はカズヤの周辺を斬り裂いていき、下層に流れる溶岩を噴き出させる。
「クッ!」
短く喘ぎながら、斬撃波からダッシュで逃れる。しかし戴天は攻撃の手を一切緩めずに、カズヤの周囲を必要以上に狙い続ける。辺りはあっという間に溶岩に浸食されていき、少しずつカズヤの行動範囲が制限されていく。
やがて、退路は絶たれた。
逃げ回ったカズヤが足を止める頃には、半径二メートル範囲以外は全て溶岩に支配されていた。辛うじて残っている範囲ですら、いつ崩れてもおかしくないほどボロボロになっている。
決着はついた。善戦してはいたが、戴天の隠された能力によって一気に戦況を覆されてしまい、行動範囲を制限されたカズヤの敗北に終わってしまった。
だが、この件については誰からの批判は来ない。寧ろ彼は充分に頑張ったのだから、誇りに思っても構わない。竜と互角に渡り合えた結果の敗北ならば、彼自身の成長にも大きく作用してくれる筈だ。
「カズヤ君! 今行く!」
簡潔に呼びかけると、返ってきたのは意外なものだった。
「いえ……大丈夫です!」
カズヤは左手をこちらに突き出し、助けを拒否した。
「大丈夫って……もう逃げ場がないじゃないか! それ以上は危険なんだぞ!」
「分かってますよ! 危険も承知の上で、俺はここに立ってるんです!」
なんてことだ。彼は現状を理解していていて尚、竜との戦闘を望むなんて。
無謀としか言えない。結果の見えてる戦いに全力を注ぐなんて、愚か者の行為だ。
「駄目だ! 流石にこれ以上のわがままは容認出来ない!」
「わがままじゃありません。これは、試練なんです」
理解し難い発言に、カムイは首を傾げた。
「いつかは相棒と対峙しなければいけない……その試練を乗り越えて、俺は初めて一人前の戦士になれるんです」
顔をこちらに向けると、硬い意志を宿した瞳でカムイを見据た。
「いつまでも、カムイさんに甘えるわけにはいきません。俺は……戦士だから。いつまでも誰かに守られているだけの存在でいたくないから、逃げずに戦うんです」
硬い決意と重みを感じさせる台詞は、カムイの中で無意識に存在していた感情に、深く染み渡った。
カムイは無意識のうちに、カズヤという少年を自分が護るべき対象へと置き換えていた。いつまでもひ弱な存在だと思い込み、自分が守り続けなければいけないと信じ込んでしまっていたんだ。
何度敗れようと立ち上がり、立ち上がる度に強くなる不屈の戦士であることを、僕は認めようとしなかったのかもしれない。カズヤ君が戦場で戦う姿を想像したくないがために、彼を過小評価していた。
彼は飛び抜けた強者ではないが、決して弱者でもない。誰かを守るために戦える、優しき心を持った一人の戦士であることを、カムイは忘れてしまっていた。あの日、コドールの村で会った時の少年の姿を。
──僕の出番は、ここまでかな。
カムイは剣から手を離すと、カズヤに向かって叫んだ。
「カズヤ君! 剣を信じるんだ! 君と共に旅をした相棒なら、きっと、君の想いに応えてくれるはずだ!」
カズヤは何を言わず、背を向けた。そのまま気障な仕草で親指を立てた。
この戦い、次で決まる。
巨大な翼を緩やかにはためかせ、宙にホバリングしている竜を見詰めながら、密かに直感した。
恐ろしい──というよりは美しいという表現が相応しい姿をした戴天の、紅玉のような大きな瞳が、高みから睥睨している。
戴天の実力は、こちらの予想を遥かに上回っていた。人界最強の頂点に居座り続けていただけあって、生半可な実力では到底敵わないことが痛感させられた。一瞬の迷いや選択ミスが死ぬ危険性を持つ極限の戦いだった。
にもかかわらず、カズヤは戦闘の最中、ずっと笑っていた。
自分の培ってきた戦闘経験を出し切れる相手と対峙したことが嬉しくて堪らなくて、極限の戦いだというのに笑みが溢れてしまっていた。
──勝ちたい。
既にそれ以外の欲求は存在しない。無論、撤退という選択肢もない。──そもそも退路が塞がれているため逃げようがない。
任務なんて関係ない。これはもう、互いの誇りを賭けた決闘だ。
次の一撃に全てを込める。そのためにも、俺は禁忌の力を使う。
両瞼をゆっくり下ろすと、全意識を剣へと注ぎ、ある術式を小声で高速詠唱する。
高位魔術や複合魔術よりも遥かに長文であり、些細な言い間違いで一からやり直さなければならないほどデリケートな術は、昨晩に創世神から伝授された、いわゆる必殺技のような魔術だ。
この魔術には空間魔素は必要とされず、代わりに二つの要因が必要とされている。
強靭な意志力と、武器との絆。
そしてその二つの要因を、カズヤは既に満たしている。
今カズヤが唱えている魔術は、一般の人間は知らない特殊な術──解放術だ。
武器の素材に秘められし記憶を一時的に解放し、強力な力として使役するその術は、守護竜やそれに並ぶほどの実力を持つ生物の素材から作り上げた武器でしか使用することが出来ない。武器との絆が濃ければ濃いほど、術の精度は上がる。
故にカズヤは、この魔術を最後の一撃に選んだ。
戴天の鉤爪が素材の焔天剣。最強の竜が持つ一撃が解放することで、この戦いに終止符を打つ。
生半可な斬撃波では簡単に回避されてしまうが、剣の記憶を解放すれば、斬撃波を放つ必要すらない。
焔天剣の記憶──戴天の鉤爪は先程、俺に教えてくれた。自らの射程距離を飛躍的に伸ばせることを。
武器との、焔天剣とは血よりも濃い絆で結ばれている。現に愛剣は、俺のピンチを幾度となく救ってくれている。
しかし、いま俺が討つべき対象とのあいだには、目測十五メートルもの間合いがある。通常の解放術では届くか判らない。
ここで必要となってくるのが、強靭な意志の力。意志力が強ければ強いほど、それに呼応する様に解放術は限界を超えていく。
つまり自分の意志の力で、射程を五倍以上にも拡張せねばならない。
それは容易に為し得ることではない。
だが、不可能だとも思わない。絶対に。
自分の限界たる壁を越えられなければ、戦士を名乗る資格はない。
長い術式構文の詠唱を終えると、両眼を一気に見開く。そして──、
「────リベラシオンッ!!」
体の奥底から全力の雄叫びに似た声で、解放術を締めくくる最後の術式を詠唱した、その時。
剣を包む真紅の輝きが、爆発したかのように光量を増した。周囲の溶岩が撒き散らす朱色をかき消すほどに広がった深紅の輝きが、剣尖の一点に収縮する。
「オオオッ!!」
獰猛な気合とともに、剣が全ての力を解き放つ。
──何故彼が、解放術を!?
炸裂した異質な轟音に、カムイは両眼を見開いた。
解放術を扱えるのは騎士だけだというのに、何故学生の身分である彼が扱えるのか。しかも彼のは、下手すれば若輩の騎士よりも強力な解放術だ。
あらゆる解放術は、強い光と音を生み出す。だが、これは今まで聞いた、どんな術の音とも違う。太く、重く、硬く、鋭い、まるで剣そのものの叫び──。
轟音の源は、カズヤが構える黒い剣だった。黒水晶に似た輝きを持つ刀身が、鋭い刃を激しく震わせながら、耳をつんざくような咆哮を上げている。音だけではない。剣全体を、深い赤色の輝きが包んでいる。
カムイは息を呑んだ。だが、真に驚くべき現象が起きたのは、その直後だった。
剣が放つ金属質の咆哮と深紅の光が急激に高まり、直後、カズヤの右手が消え失せるほどの速さで撃ち出された。ロングスカートの裾が、翼のように激しくはためいた。
何という凄まじい突き技だろうか。伝統流派が重視する様式美など完全に削ぎ落とされた、敵を貫くことだけを目的とする一撃──。
「……………………っ!」
息を詰めながら、どうにか深紅の輝きを眼で追った。
カズヤが狙ったのはもちろん、上空にいる戴天だ。しかし敵が陣取っている場所までは、十五メートルもの距離がある。どんな解放術だろうが、それが剣である限り、決して届くはずがない。
途端、戴天の細い眼が限界まで見開かれ、いくつかの感情が目まぐるしく入れ乱れた。
まず、今まさに突き出されようとしているカズヤの剣が放つ、閃光と轟音への驚愕。
次に、それが自分に届くはずのない単なる突き技であったことへの安堵。
最後に、金属質の轟音を振り撒きながらどこまでも伸びてくる、紅い光の刃を見た恐怖。
赤色の光は、十五メートルの距離を一瞬で駆け抜けて──。
ホバリングする戴天の、膨らんだ胴体の真ん中を呆気なく貫いた。
光の刃は、そのまま更に二メートル近くも伸び続けてから、深紅の粒へと分解して宙に漂った。直後、本物の血の飛沫が、大量に迸った。その発生源は、戴天の胸の中央に開いた、致命傷とは程遠いほど小さな傷口だった。
「ガァァァァァァァァァ…………」
空気が抜けるようない力のない雄叫びが、長く尾を引いて流れた。
体勢を激しく崩した戴天は、溶岩に音を立てて落下した。
突如訪れた完全な静寂に、耳が痺れるような感覚を味わいながら、カムイはそっと視線を戻した。
カズヤは、深く腰を落とし、右腕を限界まで伸ばした姿勢のまま動きを止めていた。
黒い剣の表面に残っていた光がすうっと消え、元へと戻っていくさまを、息を詰めたまま見守った。
剣が元の姿に戻ってからも、カズヤはしばらく動かなかった。やがて右腕がゆっくりと下ろされ、黒い剣の切っ先がトンと地面を叩いた。
あれが、焔天剣の解放術。
自らの射程距離を飛躍的に上昇させる術。一見すると地味ではあるが、剣の唯一の弱点である射程距離が補われたんだ。如何なる防御すら貫通する斬れ味を持つ剣が、どれだけ離れていようが関係なく襲ってくる。単純にして強力な術に、カムイは戦慄を覚えた。
あの術は単純な解放術なんかじゃない。カズヤ君自身の意志力と剣との絆が合わさることで出来る、決して偽りの人格を植え付けられた騎士では到底追いつかない次元の解放術だ。
その時騎士は初めて、焦りを感じていた。いつか彼に、自分が追い抜かれてしまうのではないかと、心の奥底で考えてしまった。
どんなに苦しくても、魂が痛いと泣き叫んでも、愛剣がずっと側にいてくれたから、最後まで諦めずに戦うことが出来たんだ。
焔天剣は常に俺を助けてくれた。ジュウオンジとの決闘の時も、暗黒騎士への最後の一撃も、ユーグの腕を斬り飛ばした時も、こいつは俺の味方でいてくれた。一人じゃない事を、俺に教えてくれた。
孤独を分かち合うように惹かれ合った俺たちは、これからも最高の相棒として戦い続けてみせる。そのためにはまず、俺自身が強くならなければいけない。
いつまでも愛剣に頼っていては駄目だ。誇り高い竜にして最強の存在、炎熱竜戴天の魂が刻まれた剣の主人に相応しい男にならなければ。
だから俺は、勝ってみせる。お前の分身である、炎熱竜・戴天に。
一定の距離を保つカズヤと戴天を遠くから傍観しながら、カムイはひっそりと息を呑んだ。
彼の頼みを承諾はしたが、胸の内は不安で一杯だった。カズヤの成長速度には驚かされるが、それでもまだ学生である彼に、こんな危険な戦いを任せて良かったのか?
万が一の時は、僕が無理矢理にでも助けに行かなくてはいけないかもしれない。
腰帯に留められた剣を握りながら、今まさに始まろうとしている戦いを見届けるために、視線を上げた。
カズヤは落ち着いた動作で剣を中段に構える。すると、それが合図ででもあったかのように、ドラゴンが大きくその顎門を開き──紅く輝く気体の奔流を吐き出した。
「ブレスだ! 避けろ!」
叫ぶも、カズヤは動かない。仁王立ちのまま、右手の剣を前に突き出す。
剣一本でブレスが防げるものか──と思った瞬間、カズヤの手を中心に、剣が風車のように回転し始めた。すぐに刀身が見えないほどに回転が速まり、まるで光の円盾のように見える。
そこに向かって、炎のブレスが正面から襲い掛かった。まばゆい真紅の閃光。思わず顔を背ける。カズヤの剣が作り出したシールドに打ち当たった炎素の奔流は、吹き散らされるように拡散し、燃え尽きていく。
全く見たことのない防御方法。普通ならば横に跳躍して範囲から逃れるというのに、まさか正面から受けて立つなんて。絶対の自信と勇気がなければ出来ない芸当だ。
いったい──何者なんだ……?
カムイは今更のようにカズヤの正体に思いを馳せた。一年半前までは優しいだけの少年だったというのに、今では奇想天外な行動を平気でやる度胸と実力を持った戦士に成り果てている。学生とは思えない実力を持つ彼は一体、如何なる思いを胸に戦っているのか、想像できない。
解っているのは、その思いの強さは我等騎士に遅れを取らないほどに強いことだけだ。強靭な意志と覚悟を持っているからこそ、彼はどこまでも強くなっているのかもしれない。
と、その時、カズヤは円盾を前に突き出したまま、ブレス攻撃の中を駆け抜けた。そして、ブレス攻撃が途切れたのを見計い、回転する剣を握り直し、戴天へと飛び掛かる。驚いたことにカズヤは竜の頭上に迫るほどの高さまで飛翔すると、空中で片手持ちの剣による連続斬撃を繰り出した。
キュキューン、という甲高い音を立てながら、目で追いきれないほどのスピードで攻撃が戴天に吸い込まれていく。竜も左右の鉤爪で応戦するものの、手数が違いすぎるために追いつけていない。
長い滞空を経てカズヤが着地した時には、竜の顔は傷だらけで真っ赤に染まっていた。
──圧倒的だ。あまりにも一方的な戦闘を見た衝撃で、背中にぞくぞくするものが疾る。
竜は再度ブレスを吐いたが、今度はダッシュで回避して再びジャンプ。重低音を響かせながら、単発の強攻撃を次々と叩き込む。
このまま攻め続ければ勝てる。カズヤの無事を祈った、その時──。
両の翼を大きく広げた竜は、一際高く舞い上がった。
体勢を立て直すために、一度退くつもりか!?
ここで逃げられたらまずい。僕らの任務は戴天を中都に連れ帰ること。ここで遭遇出来たのは運が悪いが良くもあるというのに、今逃げられてしまっては見失ってしまい、二度と遭遇出来ない恐れがある。
彼との約束を破るようで申し訳ないが、ここは自分も参戦して──。
剣を握ろうとした寸前、戴天が取ろうとした行動が撤退ではないことに気付く。
竜は天高く舞い上がると、両手を高く上げた。
一体何をしようとしているのか考えながら観ていると、自分の目を疑うことが起きた。
猫のように隠していたのか、両手に生えた十本の鉤爪が突然、二倍近くの長さに伸びたのだ。
「グギャァァ──!!」
獰猛な雄叫びと同時に、元の二倍ほど伸びた鉤爪を力任せに振り下ろす。瞬間、カズヤが放った斬撃破と同じモノが、鉤爪から無数に放出される。斬撃波はカズヤの周辺を斬り裂いていき、下層に流れる溶岩を噴き出させる。
「クッ!」
短く喘ぎながら、斬撃波からダッシュで逃れる。しかし戴天は攻撃の手を一切緩めずに、カズヤの周囲を必要以上に狙い続ける。辺りはあっという間に溶岩に浸食されていき、少しずつカズヤの行動範囲が制限されていく。
やがて、退路は絶たれた。
逃げ回ったカズヤが足を止める頃には、半径二メートル範囲以外は全て溶岩に支配されていた。辛うじて残っている範囲ですら、いつ崩れてもおかしくないほどボロボロになっている。
決着はついた。善戦してはいたが、戴天の隠された能力によって一気に戦況を覆されてしまい、行動範囲を制限されたカズヤの敗北に終わってしまった。
だが、この件については誰からの批判は来ない。寧ろ彼は充分に頑張ったのだから、誇りに思っても構わない。竜と互角に渡り合えた結果の敗北ならば、彼自身の成長にも大きく作用してくれる筈だ。
「カズヤ君! 今行く!」
簡潔に呼びかけると、返ってきたのは意外なものだった。
「いえ……大丈夫です!」
カズヤは左手をこちらに突き出し、助けを拒否した。
「大丈夫って……もう逃げ場がないじゃないか! それ以上は危険なんだぞ!」
「分かってますよ! 危険も承知の上で、俺はここに立ってるんです!」
なんてことだ。彼は現状を理解していていて尚、竜との戦闘を望むなんて。
無謀としか言えない。結果の見えてる戦いに全力を注ぐなんて、愚か者の行為だ。
「駄目だ! 流石にこれ以上のわがままは容認出来ない!」
「わがままじゃありません。これは、試練なんです」
理解し難い発言に、カムイは首を傾げた。
「いつかは相棒と対峙しなければいけない……その試練を乗り越えて、俺は初めて一人前の戦士になれるんです」
顔をこちらに向けると、硬い意志を宿した瞳でカムイを見据た。
「いつまでも、カムイさんに甘えるわけにはいきません。俺は……戦士だから。いつまでも誰かに守られているだけの存在でいたくないから、逃げずに戦うんです」
硬い決意と重みを感じさせる台詞は、カムイの中で無意識に存在していた感情に、深く染み渡った。
カムイは無意識のうちに、カズヤという少年を自分が護るべき対象へと置き換えていた。いつまでもひ弱な存在だと思い込み、自分が守り続けなければいけないと信じ込んでしまっていたんだ。
何度敗れようと立ち上がり、立ち上がる度に強くなる不屈の戦士であることを、僕は認めようとしなかったのかもしれない。カズヤ君が戦場で戦う姿を想像したくないがために、彼を過小評価していた。
彼は飛び抜けた強者ではないが、決して弱者でもない。誰かを守るために戦える、優しき心を持った一人の戦士であることを、カムイは忘れてしまっていた。あの日、コドールの村で会った時の少年の姿を。
──僕の出番は、ここまでかな。
カムイは剣から手を離すと、カズヤに向かって叫んだ。
「カズヤ君! 剣を信じるんだ! 君と共に旅をした相棒なら、きっと、君の想いに応えてくれるはずだ!」
カズヤは何を言わず、背を向けた。そのまま気障な仕草で親指を立てた。
この戦い、次で決まる。
巨大な翼を緩やかにはためかせ、宙にホバリングしている竜を見詰めながら、密かに直感した。
恐ろしい──というよりは美しいという表現が相応しい姿をした戴天の、紅玉のような大きな瞳が、高みから睥睨している。
戴天の実力は、こちらの予想を遥かに上回っていた。人界最強の頂点に居座り続けていただけあって、生半可な実力では到底敵わないことが痛感させられた。一瞬の迷いや選択ミスが死ぬ危険性を持つ極限の戦いだった。
にもかかわらず、カズヤは戦闘の最中、ずっと笑っていた。
自分の培ってきた戦闘経験を出し切れる相手と対峙したことが嬉しくて堪らなくて、極限の戦いだというのに笑みが溢れてしまっていた。
──勝ちたい。
既にそれ以外の欲求は存在しない。無論、撤退という選択肢もない。──そもそも退路が塞がれているため逃げようがない。
任務なんて関係ない。これはもう、互いの誇りを賭けた決闘だ。
次の一撃に全てを込める。そのためにも、俺は禁忌の力を使う。
両瞼をゆっくり下ろすと、全意識を剣へと注ぎ、ある術式を小声で高速詠唱する。
高位魔術や複合魔術よりも遥かに長文であり、些細な言い間違いで一からやり直さなければならないほどデリケートな術は、昨晩に創世神から伝授された、いわゆる必殺技のような魔術だ。
この魔術には空間魔素は必要とされず、代わりに二つの要因が必要とされている。
強靭な意志力と、武器との絆。
そしてその二つの要因を、カズヤは既に満たしている。
今カズヤが唱えている魔術は、一般の人間は知らない特殊な術──解放術だ。
武器の素材に秘められし記憶を一時的に解放し、強力な力として使役するその術は、守護竜やそれに並ぶほどの実力を持つ生物の素材から作り上げた武器でしか使用することが出来ない。武器との絆が濃ければ濃いほど、術の精度は上がる。
故にカズヤは、この魔術を最後の一撃に選んだ。
戴天の鉤爪が素材の焔天剣。最強の竜が持つ一撃が解放することで、この戦いに終止符を打つ。
生半可な斬撃波では簡単に回避されてしまうが、剣の記憶を解放すれば、斬撃波を放つ必要すらない。
焔天剣の記憶──戴天の鉤爪は先程、俺に教えてくれた。自らの射程距離を飛躍的に伸ばせることを。
武器との、焔天剣とは血よりも濃い絆で結ばれている。現に愛剣は、俺のピンチを幾度となく救ってくれている。
しかし、いま俺が討つべき対象とのあいだには、目測十五メートルもの間合いがある。通常の解放術では届くか判らない。
ここで必要となってくるのが、強靭な意志の力。意志力が強ければ強いほど、それに呼応する様に解放術は限界を超えていく。
つまり自分の意志の力で、射程を五倍以上にも拡張せねばならない。
それは容易に為し得ることではない。
だが、不可能だとも思わない。絶対に。
自分の限界たる壁を越えられなければ、戦士を名乗る資格はない。
長い術式構文の詠唱を終えると、両眼を一気に見開く。そして──、
「────リベラシオンッ!!」
体の奥底から全力の雄叫びに似た声で、解放術を締めくくる最後の術式を詠唱した、その時。
剣を包む真紅の輝きが、爆発したかのように光量を増した。周囲の溶岩が撒き散らす朱色をかき消すほどに広がった深紅の輝きが、剣尖の一点に収縮する。
「オオオッ!!」
獰猛な気合とともに、剣が全ての力を解き放つ。
──何故彼が、解放術を!?
炸裂した異質な轟音に、カムイは両眼を見開いた。
解放術を扱えるのは騎士だけだというのに、何故学生の身分である彼が扱えるのか。しかも彼のは、下手すれば若輩の騎士よりも強力な解放術だ。
あらゆる解放術は、強い光と音を生み出す。だが、これは今まで聞いた、どんな術の音とも違う。太く、重く、硬く、鋭い、まるで剣そのものの叫び──。
轟音の源は、カズヤが構える黒い剣だった。黒水晶に似た輝きを持つ刀身が、鋭い刃を激しく震わせながら、耳をつんざくような咆哮を上げている。音だけではない。剣全体を、深い赤色の輝きが包んでいる。
カムイは息を呑んだ。だが、真に驚くべき現象が起きたのは、その直後だった。
剣が放つ金属質の咆哮と深紅の光が急激に高まり、直後、カズヤの右手が消え失せるほどの速さで撃ち出された。ロングスカートの裾が、翼のように激しくはためいた。
何という凄まじい突き技だろうか。伝統流派が重視する様式美など完全に削ぎ落とされた、敵を貫くことだけを目的とする一撃──。
「……………………っ!」
息を詰めながら、どうにか深紅の輝きを眼で追った。
カズヤが狙ったのはもちろん、上空にいる戴天だ。しかし敵が陣取っている場所までは、十五メートルもの距離がある。どんな解放術だろうが、それが剣である限り、決して届くはずがない。
途端、戴天の細い眼が限界まで見開かれ、いくつかの感情が目まぐるしく入れ乱れた。
まず、今まさに突き出されようとしているカズヤの剣が放つ、閃光と轟音への驚愕。
次に、それが自分に届くはずのない単なる突き技であったことへの安堵。
最後に、金属質の轟音を振り撒きながらどこまでも伸びてくる、紅い光の刃を見た恐怖。
赤色の光は、十五メートルの距離を一瞬で駆け抜けて──。
ホバリングする戴天の、膨らんだ胴体の真ん中を呆気なく貫いた。
光の刃は、そのまま更に二メートル近くも伸び続けてから、深紅の粒へと分解して宙に漂った。直後、本物の血の飛沫が、大量に迸った。その発生源は、戴天の胸の中央に開いた、致命傷とは程遠いほど小さな傷口だった。
「ガァァァァァァァァァ…………」
空気が抜けるようない力のない雄叫びが、長く尾を引いて流れた。
体勢を激しく崩した戴天は、溶岩に音を立てて落下した。
突如訪れた完全な静寂に、耳が痺れるような感覚を味わいながら、カムイはそっと視線を戻した。
カズヤは、深く腰を落とし、右腕を限界まで伸ばした姿勢のまま動きを止めていた。
黒い剣の表面に残っていた光がすうっと消え、元へと戻っていくさまを、息を詰めたまま見守った。
剣が元の姿に戻ってからも、カズヤはしばらく動かなかった。やがて右腕がゆっくりと下ろされ、黒い剣の切っ先がトンと地面を叩いた。
あれが、焔天剣の解放術。
自らの射程距離を飛躍的に上昇させる術。一見すると地味ではあるが、剣の唯一の弱点である射程距離が補われたんだ。如何なる防御すら貫通する斬れ味を持つ剣が、どれだけ離れていようが関係なく襲ってくる。単純にして強力な術に、カムイは戦慄を覚えた。
あの術は単純な解放術なんかじゃない。カズヤ君自身の意志力と剣との絆が合わさることで出来る、決して偽りの人格を植え付けられた騎士では到底追いつかない次元の解放術だ。
その時騎士は初めて、焦りを感じていた。いつか彼に、自分が追い抜かれてしまうのではないかと、心の奥底で考えてしまった。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】異世界で魔道具チートでのんびり商売生活
シマセイ
ファンタジー
大学生・誠也は工事現場の穴に落ちて異世界へ。 物体に魔力を付与できるチートスキルを見つけ、 能力を隠しつつ魔道具を作って商業ギルドで商売開始。 のんびりスローライフを目指す毎日が幕を開ける!
封印されていたおじさん、500年後の世界で無双する
鶴井こう
ファンタジー
「魔王を押さえつけている今のうちに、俺ごとやれ!」と自ら犠牲になり、自分ごと魔王を封印した英雄ゼノン・ウェンライト。
突然目が覚めたと思ったら五百年後の世界だった。
しかもそこには弱体化して少女になっていた魔王もいた。
魔王を監視しつつ、とりあえず生活の金を稼ごうと、冒険者協会の門を叩くゼノン。
英雄ゼノンこと冒険者トントンは、おじさんだと馬鹿にされても気にせず、時代が変わってもその強さで無双し伝説を次々と作っていく。
独身貴族の異世界転生~ゲームの能力を引き継いで俺TUEEEチート生活
髙龍
ファンタジー
MMORPGで念願のアイテムを入手した次の瞬間大量の水に押し流され無念の中生涯を終えてしまう。
しかし神は彼を見捨てていなかった。
そんなにゲームが好きならと手にしたステータスとアイテムを持ったままゲームに似た世界に転生させてやろうと。
これは俺TUEEEしながら異世界に新しい風を巻き起こす一人の男の物語。
スキルハンター~ぼっち&ひきこもり生活を配信し続けたら、【開眼】してスキルの覚え方を習得しちゃった件~
名無し
ファンタジー
主人公の時田カケルは、いつも同じダンジョンに一人でこもっていたため、《ひきこうもりハンター》と呼ばれていた。そんなカケルが動画の配信をしても当たり前のように登録者はほとんど集まらなかったが、彼は現状が楽だからと引きこもり続けていた。そんなある日、唯一見に来てくれていた視聴者がいなくなり、とうとう無の境地に達したカケル。そこで【開眼】という、スキルの覚え方がわかるというスキルを習得し、人生を大きく変えていくことになるのだった……。
備蓄スキルで異世界転移もナンノソノ
ちかず
ファンタジー
久しぶりの早帰りの金曜日の夜(但し、矢作基準)ラッキーの連続に浮かれた矢作の行った先は。
見た事のない空き地に1人。異世界だと気づかない矢作のした事は?
異世界アニメも見た事のない矢作が、自分のスキルに気づく日はいつ来るのだろうか。スキル【備蓄】で異世界に騒動を起こすもちょっぴりズレた矢作はそれに気づかずマイペースに頑張るお話。
鈍感な主人公が降り注ぐ困難もナンノソノとクリアしながら仲間を増やして居場所を作るまで。
自力で帰還した錬金術師の爛れた日常
ちょす氏
ファンタジー
「この先は分からないな」
帰れると言っても、時間まで同じかどうかわからない。
さて。
「とりあえず──妹と家族は救わないと」
あと金持ちになって、ニート三昧だな。
こっちは地球と環境が違いすぎるし。
やりたい事が多いな。
「さ、お別れの時間だ」
これは、異世界で全てを手に入れた男の爛れた日常の物語である。
※物語に出てくる組織、人物など全てフィクションです。
※主人公の癖が若干終わっているのは師匠のせいです。
ゆっくり投稿です。
高校生の俺、異世界転移していきなり追放されるが、じつは最強魔法使い。可愛い看板娘がいる宿屋に拾われたのでもう戻りません
下昴しん
ファンタジー
高校生のタクトは部活帰りに突然異世界へ転移してしまう。
横柄な態度の王から、魔法使いはいらんわ、城から出ていけと言われ、いきなり無職になったタクト。
偶然会った宿屋の店長トロに仕事をもらい、看板娘のマロンと一緒に宿と食堂を手伝うことに。
すると突然、客の兵士が暴れだし宿はメチャクチャになる。
兵士に殴り飛ばされるトロとマロン。
この世界の魔法は、生活で利用する程度の威力しかなく、とても弱い。
しかし──タクトの魔法は人並み外れて、無法者も脳筋男もひれ伏すほど強かった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる