異世界転生 剣と魔術の世界

小沢アキラ

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第一部・三章 魔術の街・アースリア

第二十二話

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 その日の放課後。
「──ま、まあ、こんなものでいいかな」
 サヤは、手洗い場で身だしなみのチェックを終えると、小さく一人ごちた。
 華美にすぎて本人としても気に入っている髪にも、きっちり完璧に着こなした制服にも乱れはない。
 別にそういったことを気にしているわけではないというか、その、これはあくまで礼儀の問題だ。服の乱れは気の緩みというし……。
 そう自分に言い聞かせると手洗い場を出て教室に戻る。
 残っている生徒はそれほどいなかったが、カズヤは自分の席に座ってなにやらルーム長と談笑している。
 今朝のワタルとの決闘を機に、カズヤはクラスの女子から話しかけられるようになった。
 ワタルとの決闘を怯えず挑んだのがカッコ良かったらしい。
 ……なんでだろう。何故か落ち着かない。
「あー、そろそろ準備はいい?」
「お、サヤ。もう準備できてるぞ」
「そう。なら、行きましょ」
 ぷいっとそっぽを向きつつも、サヤは視線の端でしっかりカズヤを捉えていた。
 相変わらずのんびりとした緊張感のない顔だ。
 が、不意に決闘時の真剣な眼差しが思い浮かび、胸がざわめいた。
 サヤは自分でもわからない感情が胸に渦巻くのを感じ、それを振り払うようにぶんぶんと首を振る。
「どしたの? 虫でもいるんか」
 と、私の行動を不審がったカズヤが尋ねてきた。
「な、なんでもないから。さぁ、行くよ」
「ちょっと待って」
 カズヤの少し細い腕を摑み、教室から連れ出そうとしたが、扉の一歩手前で踏み止まった。
「ワタルも一緒に……て、あれ? もういないや」
 教室を見渡すカズヤにつられて見回すと、既にワタルの席は空席になっていた。
「ワタルならもう帰ったよ」
「ええっ? 帰るの早いなぁ」
 ルーム長の言葉を聞いて落ち込むカズヤは、失礼だが少し可愛く見えた。
「仕方ない……帰ろ、サヤ……」
 げんなりしながらカズヤは、振り返り気力のない声で言った。
 なんだか腑に落ちない気持ちになりながらも、私たちは校舎を後にした。

 その後、サヤは俺の趣味に付き合うと言って、昨日迷った中庭の案内をしていた。といっても、ワタルに教えてもらった道をそのまま伝えるようなものだが。
「しかし本当に広いな……学園だけのにするのはもったいないぐらいだよ」
「他の生徒から聞いたけど、年に何回か行事で外から人を招くそうよ」
「行事?」
「たしか、魔術検定で執り行われる決闘や魔術の演舞とかだったかしら」
 学生の決闘を見学するなんて物好きも、と思ったが、学生からしたら自分の力を披露できるいい機会でもあるのか。
 そんな雑談をしながら散歩していると、
「どうゆうことか説明しろ!」
 聞き覚えのある怒号が、昨日と同じ四阿から聞こえてきた。
「なに、今の声……」
「……まさか、な」
 昨日と同じく木陰に隠れるようサヤに促し、四阿を覗き見る。
 予想通り、そこには怒りで顔を真っ赤にしたジュウオンジと二人組の男子生徒、そしてワタルがいた。
 やはり友好的な雰囲気ではないが、何故争っているのかまでは分からない。するとジュウオンジがナイスタイミングで話してくれた。
「なんで俺とは決闘しないで、あの野郎と決闘したんだ!」
 あれ? これまさか……俺との決闘のせいで揉めてる?
 でも、なんで違うクラスのジュウオンジが知ってるんだろう。クラスの子が違うクラスに話して、その話がジュウオンジの耳に入ったからかな。
 いや、過程なんかこの際どうでもいい。原因があるのは、俺なんだから。
 彼の決闘を受諾したりすれば、ジュウオンジから物申されることぐらい、少し考えれば分かることではないか。
 それなのに俺は、自分勝手な理由で決闘して、ワタルを困らせてしまった……。
「だから言ってるじゃないですか。決闘するに相応しいと思ったから挑んだと」
「そんな理由で納得できるか! 俺は相応しくないと言いたいのか!」
「既に三回も敗れてる人と決闘する理由も、受ける理由もありません」
「お前……ふざけるな!」
 怒号が飛んだ瞬間、ジュウオンジは鍛え上げられた右腕を振り上げた。
 途端、俺は木陰から身を出し、ワタルの前に飛び出た。
 俺の姿を目視すると、ジュウオンジは振り下ろされそうとした手を止め、殺意の眼差しを向けてきた。
「カズヤ……」
「てめぇ……よくも俺の前に姿を現せたもんだな」
 怒りが含まれる声色に一瞬怯むも、俺は負けじと言い返した。
「俺に文句があるなら、ワタルじゃなくて俺に直接来てくださいよ」
 その発言が引き金となったのか、ジュウオンジの顔に、先ほどよりも濃い殺意と怒りで浮かぶ。
「ちょっとカズヤ。いきなり何を……」
 背後で物申すワタルを制すると、ジュウオンジが今まで溜めていた鬱憤を解放するような勢いで言葉を口から出した。
「てめぇ! あんまり舐めた口聞いてると容赦しねぇぞ!」
 怒号だけで空気が震えている中、俺は負けじと声を張り、ジュウオンジに言い返した。
「友達が困ってるのに黙って見てるなんて出来るわけないだろ!」
「友達だぁ? そいつにダチなんかいるわけねぇだろが馬鹿が!」
「ここにいるだろ! ワタルは、俺の大切な友達だ!」
「……てめぇ! 俺に口答えするんじゃねぇー!」
 殺意と怒りで満ちた顔を露わにすると、一歩詰め寄りながら怒号を上げた。
「体験入学で来たからって、調子に乗ってんじゃねぇぞクソが!」
 そう言うと同時に、ジュウオンジは再び右拳を振り上げ、俺に向かって殴りかかろうとした。
 だが今回ばかりはマズいと思ったのか、後ろの生徒二人が強引に止めに入った。
「やめてください! ここで殴ったら、ジュウオンジさんの立場が!」
「離せ! 俺様に歯向かったこいつだけは絶対に許せねぇんだよ! 離しやがれ!」
 荒れ狂う猛獣のように暴れ回るジュウオンジを横目に、思わず舌打ちをしてしまった。
 本当は、俺の反抗的な態度に堪忍袋の緒が切れたジュウオンジが、意図的に暴力を振るうよう仕向けたかったのだが、余計な介入のせいで失敗に終わった。
 学園規則には、意図的な暴力行為は短期間の懲罰──謹慎の対象となっている。しかも懲罰を受けた生徒は危険人物とされ、決闘の申し込みを禁止にされる。
 そうすればもう二度とワタルに近づけないと思ったのだが、やはり物事は上手く転ばなかった。
 こうなればもう、残された手段は一つしかない。
 出来れば、この手段は使いたくない。
 しかし、この問題は元々は俺自身が引き起こしたものなのだから、償いはする。
 決心すると、暴れるジュウオンジを鎮めるように提言する。
「文句があるなら、俺と決闘しませんか?」
 あれだけ騒がしかった四阿に、一時的な静寂が訪れた。離れから「ハァ~」とため息が聞こえた気がする……。
「あなたの目的は、ワタルに自分の実力を認めさせることなんだろ。なら、決闘で善戦した俺に勝てないようじゃ、ワタルに勝つなんて夢のまた夢ですよ」
 強気な口調で言い放つと、意外にもジュウオンジは怒りなどは一切見せず、不気味なほど不敵な笑みを浮かべた。
「……上等だ。まさかお前の方から、決闘を挑んでくるとはな」
「その返事は、決闘を承諾したと受け取っていいんですね」
「当たり前だ。これでお前を正当にぶっ潰せるんだからな」
 更に笑みを深めながら、狂気に満ちた眼差しを向けてくる。
 だが臆することなぬ、堂々としながら告げる。
「俺が勝った場合、二度とワタルに近づかないでくれ。それが条件だ」
「お前が負けた場合はどうすんだよ」
 小太りの男子生徒の言葉に、一瞬黙ってから、腰に下げた剣を手に取る。
「……負けた時は、俺の一番大切な、この剣をあげるよ」
 この剣──相棒を勝負の賭け物に出すのは心が痛むが、こうでもしないとジュウオンジは納得しない気がする。
 事実、ジュウオンジは俺の剣を観察すると、機嫌が良さそうに言った。
「いいだろう。絶対にありえないが、俺が負けた場合はワタルには金輪際近づかない。俺が勝った場合は、その剣を俺が受け取る。これが条件だな?」
「はい」
「くくくっ、良いだろう。決闘は明日の放課後。場所は、そうだな……中央修剣場にしてやる」
「中央修剣場……分かった」
「今のうちに負けた時の言い訳を用意しておけよ。それとワタル! 俺が勝った時は、次はお前だ! 覚えておけよ」
 それだけ言うと、ジュウオンジは身を翻しながら立ち去った。取り巻き達もこちらを一度睨むと、後を追いかけるように駆け出した。
 嵐のような出来事から一変、四阿は一気に静まり返った。
 張り詰めた肩と息を緩めてしまい、情けないため息を口から吐き出した。
「……一体、何のつもりだい?」
 ワタルの問いに、俺は満遍の笑みで返した。
「余計な真似してごめん。でも、これで良かったんだよ」
「良かったって、何がよ」
 いつのまにか木陰から出てきていたサヤが、両腕を前に組みながら詰め寄ってきた。
「あんた分かってるの? あの人との決闘に負けたら、それが無くなるのよ。それでもいいの?」
 腰の剣──相棒を指差しながら言うも、俺は全く気にせず答えた。
「大丈夫。俺は負けないよ……負ける気なんて、微塵もない」
 剣を抜き、夕焼けに輝く相棒を見つめる。
「こいつのためだけじゃない。友達のためにも、勝たなきゃいけないんだ」
 夕焼けに染まりながら淡々と語るや、二人は同時にため息をついた。
「……分かったよ。協力するよ」
「ありがとな。じゃあ早速寮に戻って、作戦会議といくか。サヤも来るだろ?」
「はぁ……、分かったわよ」
 仕方なさそうにしているが、尻尾が尋常じゃない速さで揺れてるのを見逃さなかった。といっても、獣人族がこの場合、どういった心境なのかは知らない。

   ***

 寮内では、食事と風呂の時間は決められているが、それ以外は自由なので、多くの生徒は踊り場や他の寮生の部屋にいたりする。

「それで、明日はどうやってジュウオンジに挑むの?」
「思いつくのは、炎素で牽制しながら、こいつで接近戦を仕掛けるぐらいかな」
 ざっくりした説明をすると、二人は微妙な表情をしてきた。
「う~ん。それはあんまりお勧めできないな」
「え? なんで」
 最初に意見したのは、ワタルではなくサヤだった。
「魔術で牽制するのは良いと思うけど、接近戦はやめた方がいいよ。彼、学園内でかなりの実力者で、接近戦においては無類の強さを誇ってるから」
「サヤさんの言う通りだよ。あの人は剣だけなら上位修剣士だからね。腕一本を犠牲にする覚悟がなきゃやめた方がいい」
 悍ましいことをさらりと言われ、軽く血の気が引いてしまった。
「ジュウオンジに勝ちたいなら、無理に剣で挑まず、魔術で追い詰めた方が確実だよ」
「魔術か……でも俺、炎素以外ダメダメのうえ、構文も大したのを覚えてないよ」
「構文は何を知ってるの?」
「ええっと……《一点解放》と《連続》、《吸収》の三つ」
 それを聞いた途端、サヤとワタルは盛大な音を立て後ろに倒れた。
 よく見ると二人の表情は唖然としており、信じられないものを見たように目を見開いている。
 背中にバネでもあるかのような勢いで起き上がると、サヤが胸ぐらを掴みながら、
「あんた馬鹿なんじゃないの! それしか分からないくせによく決闘なんて挑んだわね!」
 と、折檻してきた。
 次いでワタルも
「まさか……基本中の基本しか知らないなんて……」
 と、頭を抱えながら呻いた。
 二人は小声で何かを言い合っており、一度頷いてから立ち上がり、部屋を出て行った。
 数分後、厚い本を持って帰ってきた。
 本を机の上に乱暴に置くと、二人は同時にこちらを睨みつけて言った。
「今日と明日の午前中に、この本の内容を全部頭に叩き込みなさい」
「は、はぁ!? 何言って……」
「そうでもしなきゃジュウオンジに勝てないんだよ! 今から剣術や魔術を修練するより、こっちの方が確実だよ!」
 反論する暇なく正論を叩き込まれると、俺は強引に椅子に座らせられてしまった。
 その後カズヤは、魔術構文の暗記を寝る間も惜しんで無理矢理やらされた。寝そうになると冷水をぶっかけられ、暗記に失敗すると構文を百回も書かされたりと、阿鼻叫喚する一夜となった。

 翌日、放課後にて──
 空はいつのまにか夕焼けの色を帯び、キャンパスにも市街から戻ってきた生徒たちの姿が散見される。
 彼ら彼女らは、俺の先を行く生徒を見た途端、揃って眼を丸くする。
 それも当然だろう。ジュウオンジは、第一アースリア学園で上位修剣士に任じられているのだから。
 そんな存在が、後ろに辺境の村出の体験入学生を引き連れて歩いている……しかも目指すのが中央修剣場となれば、目立つのはやむを得ない。
 恐ろしいのは、俺たちに気付いた生徒たちのうち少なからぬ人数が、校舎や寮のほうにダッシュしていくことだ。今頃はもう学園のあちこちで、「修剣場で何かありそうだぞ!」とご注進が飛んでいるに違いない。
 学園の門限はちょっと遅めの夜七時なので、この時間ならまだ半分以上の生徒は学園内にいるはずだ。
 それでも、ぼやぼやしているとかなりの人数が俺とジュウオンジの決闘を見学、いや見物しに集まってしまいかねない。こうなればとっとと終わらせて、ほとぼりが冷めるまでサヤの部屋にでも退避……。
 いや……待て。終わらせるって、どうやってだ?
 決闘というのは稽古以上試合未満の勝負を意味する。
 原則として寸止めだが、双方が合意すれば、初撃決着──打ち込みが一本入ったところで終了だ。
 その場合は、もちろん敗者がある程度の傷を負う。禁書目録が厳に戒める、《他者を故意に殺める行為》が起こり得る危険な戦いだ。
 それがこの学園では許されている理由は、医務室に高価な霊薬が揃っていることと、治癒術が使える講師がいることだ。
 つまり、決闘で大怪我を負っても、治せるから良し……というわけなのだろう。
 今回の決闘は、ジュウオンジからではなく、俺から宣言しているので寸止めで間違いあるまい。
 俺の勝利で終わらせるには、奴の撃ち込みを躱すか捌くかした上で、カウンターを直前で止めなければならない。
 考えるまでもなく困難だ。やはり昨日の作戦通り、魔術で牽制しつつ隙を見つける方が安全だ。
 いつしか、俯き加減で歩きながらそんなことを考えていた俺の耳に、猛然と駆け寄ってくる二つの足音が届いた。
 はっと顔を上げ、左方向を見る。視界に飛び込んだのは、制服のスカートを翻して疾駆するサヤと、その後に続くワタル。二人とも、歩道ではなく芝生の丘を突っ切って、一直線に近づいてくる。
 サヤはともかく、俺はワタルが息せき切って走るシーンなどこれまで一度も見たことがない。ぎょっとして立ち止まると、前を行くジュウオンジも足を止め、体ごと左に向けた。
 ほんの数秒で歩道に到達したワタルは、内ポケットに手を入れ、指輪──魔道具を取り出した。
「二人ともどこ行ってたんだよ」
 尋ねると、息を切らしながら答えた。
「街で、これを買いに行ってたんだ……。君の得意な炎素を補助するのを選んだから、よかったら使ってくれ」
「お前ら……」
 二人を交互に見遣ってから、差し出された指輪を手に取る。
 銀色のリングに、紅の宝石が嵌め込まれた指輪を右手の中指に嵌める。
「ありがとう。これがあれば、多分負けないと思う」
 感謝すると、二人は嬉しそうに笑った。
 ワタルは気遣わしげな視線を一瞬だけ俺に留めてから、ジュウオンジと正面から相対した。
「……あなたじゃ、カズヤには勝てない」
「言ってろ。すぐに俺の実力を思い知らせてやるからよ」
 短く刈り込んだ茶髪をわずかに傾け、嘲笑うように答える。
 学園でのトップ達が対峙している間に、俺はスススと横移動すると、人垣の内側で立ち尽くすサヤに近寄った。
 その顔には、最早かなり見慣れてしまった表情──《大丈夫なんでしょうね?》のブレンドが張り付いている。
「……やけに早く出て行ったと思ったら、これを買いに行ってたのか」
 俺が囁くと、サヤは顔を真っ赤にし、ぷいっとそっぽを向いた。
「べ、別に。ただ、買い物ついでに見つけただけだから」
「ああ、そっか……とにかく、ありがとな」
 俺が頷くと、サヤは何かを言いかけるように大きく息を吸い込んだが、そのまま数秒ホールドし、空気の大部分をため息に変えて排出した。
「信じてるから。あんたのことを」
「……おう。観客席で見とけよ。俺が華麗に勝利する瞬間をな」
 思わずにやりと笑い、背中を軽く叩いてから視線を動かした。
 ワタルは、尚も厳しい顔でジュウオンジを凝視している。だが、状況を覆すに足る根拠が存在しないのは、学園規則の暗記が怪しい俺にすら解る。
 サヤから離れ、ワタルの傍まで移動した俺は、敬愛する友に小さく頷きかけた。
「心配すんなよワタル。お前が信じてくれるなら、俺は大丈夫だから」
 小声でそう言いながら、グリーンの瞳から、彼の気持ちを読み取ろうとした。ワタルが、ジュウオンジと戦うことをどう思っているのかを。
 しかし──。
 そんなふうに勘繰ろうとしたことを、俺は大いに後悔した。彼の眼に見いだせたのは、ひたすらに俺の身を案ずる色だけだったのだ。
「カズヤ……決闘の決めはどうなってるの」
 いきなり訊かれ、瞬きしてから答える。
「実剣だから、寸止……」
「ああ、言い忘れていたな」
 言葉を挟んだのはジュウオンジだった。
「決闘の申し込みはお前からだが、お前は決闘を学園側に申請しなきゃいけないのを知らなそうだから、俺が代わりに申請してやったぞ。一本先取でな」
「えっ……じゃ、じゃあ……」
 愕然とする俺の前で、ジュウオンジはほんの少しだけ表情を変えてみせた。挑発するように……わずかに牙を剥く肉食獣のように。
「もっとも、一本先取は双方の合意がなくては行えない。禁書目録にそう定められているからな。ゆえに、お前が拒むのなら寸止めでも構わないが、どうする」
 ずっと低くざわめいていた、周囲の生徒たちが一様に押し黙った。
 寸止めにしておきなさい! というサヤの声が背中越しに聞こえるようだった。
 ワタルも言うに及ばずだろう。俺とても、学園内での強者に実剣で初撃決着を挑むほど無謀じゃない。
 寸止めにするつもりだった、のだが。
「おいおい、まさか逃げんのかよ」
 という言葉が、右側から飛んできた。
 顔を向けるとそこには、彼の取り巻きである小太りな生徒が、不適に笑いながらこちらを見ていた。
「こんな大事にしておきながら、まさか寸止めで終わらせるわけないよな~」
 わざとらしい声量で吐き散らすと、痩せ細った方の生徒も続けて言った。
「それとも、急に怖くなったのか~」
 はやし立てるように続く煽りにつられ、周囲の生徒まで騒ぎ始めた。
「そうだそうだ! 寸止めなんて生温いのやめちまえー」
「どうせ怪我しても大丈夫なんだから頑張れー」
 などと言う言葉が、そこら中から響いてくる。こうなってしまっては、もう簡単に拒否できない。
 まさかジュウオンジ、これを狙っていたのか。そこまでして俺に一撃入れたいというのか。
「どうするんだ? 俺は別に寸止めでも構わないぜ」
 ニヤニヤ笑いながら言うあたり、本当に全て仕組んでやったことになる。
 見かけによらず巧妙な男に感服しながら、決意を固めた。
「……分かった。受けるよ」
 背後でサヤががくりと項垂れる気配。ワタルは鋭く吸い込んだ息をぐっと止める。
 そして、誰かが、背後でやれやれとため息をついた──気がした。

   ***

 修剣学園中央修剣場、と名前こそ厳めしいが、つまりは大きめの体育館だ。
 床は磨き抜かれた白板張りで、材は黒っぽいものに変えてある正方形の試合場が九面取られている。
 周囲には階段状の観覧席が設けられ、最大のイベントである修剣士大会トーナメントの際には、全生徒・講師合わせて三百五十人を収容できるだけのキャパシティがある。
 ジュウオンジが選んだ中央の試合場の枠線近くからちらりと周囲を見ると、詰めかけた生徒の数は早くも百を超えているようだ。
 門限前ということを考えれば、学園内にいた生徒が半分以上集まったのだろう。講師も四人ほど来ている。
 観覧席に視線を送ると、最前列に陣取る取り巻きが、にやにやと底意地の悪い笑みを浮かべている。ジュウオンジに斬られる所を早く見たい、と顔に書いてあるようだ。
 売り言葉に買い言葉で引き受けたことに後悔はない……というか、あの状況では、とても断れそうになかった。
 試合場の反対側で愛剣の刃を確かめるジュウオンジの様子を見やりながら、ひそやかな葛藤にとらわれていると──。
「カズヤ」
 後ろからワタルに呼びかけられ、俺は弾かれるように振り向いた。
 緑色の瞳でまっすぐ俺を見つめ、普段通りの、優しい物腰で囁いた。
「僕は君の強さを信じる。信じるがゆえに教えておく。戦いは、意志の強さで変わる」
「意志の、強さ」
 呟く俺に、そっと頷きかけた。
「そう。ジュウオンジは学園入学以前から、実剣による一本勝負を幾度となく行なって、自分に絶対の自信を持ってる。その自信が、恐るべき意思となり、剛剣を生み出しているんだ」
 即座には理解の難しい話だったが、俺は頭の中で自分に馴染んだ理屈に置き換え、なるほどと頷いた。
 全ては《想いの力》なのだ。
 ジュウオンジは自分の強さに絶対の自信を持っており、それを自らの意思に変換しているから、剛剣を生み出している。
 自分の剣で勝利することでその自信は徐々に膨らんでいき、無類の強さを得るのか。
 言い換えれば、俺がこの決闘でまんまと一撃喰らってしまえば、ジュウオンジの意思は更に強化されてしまうわけだ。そしてそうなる可能性は正直、かなり高い。
 ワタルとの決闘を前に、むざむざ敵に塩を送るわけにはいかない。
 ここはどんな無様だろうと前言撤回し、寸止めに変更してもらうべきか……と考えた、その時。
 いつしか俯きかけていた俺の両肩にぽんと手を置き、ワタルは言った。
「それでも、僕は君を信じてる。君が勝つこと」
「……そうだな」
 呟き、すぐに深く頷く。
「任せてくれ。俺の実力、みせてやるからよ」
「ああ。楽しみにしてるよ」
 その言葉を聞いた瞬間、俺はあらゆる迷いが霧散するのを感じた。
 負けて相手の糧となってしまうことを怖れるなど、負け犬の言い訳だ。ひとたび剣を握れば、あとは全身全霊でぶつかるのみ。
 ワタルにこくりと頷き返すと、俺は右に視線を振り、観覧席の手すりから乗り出すようにこちらを見ているサヤと視線を合わせた。
 にやりと笑いかけると、サヤはいつもの心配顔ながらも、どこか安心したように頷いた。
 一歩下がると、それを待っていたかのように、試合場の反対側から、荒れ狂った声が飛ぶ。
「そろそろいいか!」
 俺はゆっくりと振り向くと、試合場の境界線を示す黒い板ギリギリまで進み──途端。
 ずきん、と右眼の奥に鋭い痛みが走る。
 ずきん、ずきん、と絶え間なく襲いかかる。右側の視界が血のような赤色に染まり、全てを覆い尽くしていく。
 それと同時に、質素な革靴に包まれた足は、ただの一歩すら前に進むことができなかった。
 俺は……痛みを知ってる。
 これは、セレナを亜人から助ける時──ゴブリンの首を跳ねようとした瞬間に感じたものだ
 なんなんだこれは。俺の体は、どうなってしまったんだ。
 心の片隅から、かすかな声でそう叫ぶ。
 更に激痛が襲い、あらゆる思考を吹き飛ばす。
 右眼の激痛に悶えそうになるのを必死に堪え、俺は一歩踏み出そうとした。
 ──こんな痛みがなんだ。
 俺は、ワタルと約束したんだ。俺の実力を見せるって。
 その約束を破るぐらいならら俺は自分で自分が許せない。
 ジュウオンジに勝つために、俺の邪魔をするな!
 自分自身に叫びながら、俺は無理矢理足を踏み出した。途端、右眼の激痛は綺麗さっぱり消え失せ、余韻すら残さなかった。
 自分の身に起きた現象が何なのか分からないが、そんなものどうでもいい。
 ジュウオンジと同時に、右拳で左胸を軽く叩く略式の騎士礼を行う。
 正規の試合ではないので審判役の講師はいないが、決着に迷う怖れはない。先に斬られて血を流した方が負けだ。
 一歩前に出て、試合場に踏み込む。二歩、三歩、四歩目で、白い横板を嵌め込んだ開始線に達する。
 お互い腰から、それぞれの剣を音高く抜いた。
 金茶色の柄と磨き上げられた鋼色の刀身を持つジュウオンジの剣には、周囲の生徒たちから「おおっ」という感嘆の声が上がったが、次に俺の剣を見た途端、それは戸惑ったようなどよめきに変わる。柄も刀身も漆黒な実剣など、誰も見たことがないのだろう。
「おいおい、辺境の村は剣の手入れすら教えてないのかよ!」
 観覧席の取り巻きが、小声を装いながらも充分周りに聞こえるボリュームで叫ぶと、
「そう言うなよ。あいつは忙しくて、剣を磨くひまもないんだよ。もしかしたら、あれが村の風習かもな!」
 と皮肉で返すと、周囲の生徒たちから失笑が上がった。
 だがそれも、互いがゆっくりと剣を動かし始めた途端、一気に静まりかえる。
 ──この緊張感、あの時以上か。
 過去の戦闘よりも強烈な威圧感を肌で感じながら、剣に炎素を宿す。
 ジュウオンジも、やや長めの刀身と柄を持つ剣を、両手でゆるやかに持ち上げていく。
 刀身の周囲が陽炎のように揺らいで見えるのは錯覚ではない。奴が宿した炎素が空間を振動させているのだ。
 ズッ、とひときわ重々しい揺らぎを放ち、ジュウオンジは大上段の構えを完成させた。
 審判役がいないため、開始の合図は互いの呼吸が合致した瞬間──つまり、一瞬の出遅れが勝敗を分ける。
 修剣場が静寂に包まれると、双方は地を蹴り、凄まじい勢いで距離を詰めた。
 ジュウオンジは大上段からの唐竹割りを、カズヤは右水平斬りを繰り出し、豪快な衝撃音が修剣場に鳴り響いた。
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竹桜
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 ある部屋の中で男が画面に向かいながら、ゲームをしていた。  そのゲームは主人公の勇者が魔王を倒し、ヒロインと結ばれるというものだ。  そして、ヒロインは4人いる。  ヒロイン達は聖女、剣士、武闘家、魔法使いだ。  エンドのルートしては六種類ある。  バットエンドを抜かすと、ハッピーエンドが五種類あり、ハッピーエンドの四種類、ヒロインの中の誰か1人と結ばれる。  残りのハッピーエンドはハーレムエンドである。  大好きなゲームの十回目のエンディングを迎えた主人公はお腹が空いたので、ご飯を食べようと思い、台所に行こうとして、足を滑らせ、頭を強く打ってしまった。  そして、主人公は不幸にも死んでしまった。    次に、主人公が目覚めると大好きなゲームの中に転生していた。  だが、主人公はゲームの中で名前しか出てこない悪役顔のモブに転生してしまった。  主人公は大好きなゲームの中に転生したことを心の底から喜んだ。  そして、折角転生したから、この世界を好きに生きようと考えた。  

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