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第二部・最終章 最高の騎士
第二十九話
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斧を握る。
振り上げる。
叩き下ろす。
これだけの動作なのに、少しでも気を抜くと当たりどころが狂い、両腕に容赦ない反動を跳ね返していた。呼吸、拍子、速度、体重移動、それら全てを完璧に制御して初めて、重い斧の刃は秘められた威力を全て薪に伝え、高く澄んだ音を心地よく響かせる。
以前なら、全て意識しながら作業に取り組んでいたため、体力と精神の減りは尋常じゃなかった。一日のノルマを終える頃には、腕が上がらなくなっていた。
しかし今は違う。一週間前にあったゴブリン隊長との戦い以降、筋力がついたのか分からないが、重い斧も楽に振れるようになり、今では他の村人たちの薪割りを手伝っている。
「ご……じゅ……う!!」
最後の一撃で薪を割り、澄んだ音を撒き散らす。カズヤはたまらず斧を取り落とし、そのまま数歩後ろによろめくと、深い苔の上にどさりと座り込んだ。
座ったまま手探りで革の水筒を摑み上げる。すっかり温くなった水をがぶがぶ飲み、ようやく人心地ついてから、しばらく座り込んだ。
斧を振るのが楽になり、無駄な動きを削減できたから、以前より消耗を抑えられてはいるが、限界は来る。既に薪割りを始めてから四時間近く休憩なしで斧を降り続けているから、流石に腕も痛くなってきた。
だが、作業ペースはかなり早くなった。始めたばかりの頃は午前中だけで五十本だったが、今日は三百本はできた。
汗に濡れた黒い前髪を掻き上げ、体を起こす。しかし、すぐには斧を拾わず、手を腰に当てて頭上を仰ぐ。
六の月もまだ半ばの空は呆れるほどに青く、その真ん中に張り付いた太陽は空から溢れんばかりの光を放っている。
いつ見ても、元いた世界となんら変わらない空。なのに、根本から違う世界に訪れてから、早くも一ヶ月経とうとしている。
今の生活に満足しているというのに、不思議と罪悪感が湧かないのは、何故だろう。向こうでは、俺の帰りを待つ家族や友人がいるというのに、時折、ここから消えたくないと思ってしまうのは、いけないことなのだろうか。
「……駄目だ、こんなこと考えちゃ」
物思いにふける自分に言い聞かせるように呟く。すると、不意に背後からキーンと高く響く声が投げかけられた。
「こら──っ! またさぼってるわね!!」
聴き慣れた声に、カズヤは動きを停止する。
「やべっ……」
首を竦めてから、おそるおそる振り向く。
教会の裏口前に、両手を腰に当て、ぐいっと胸を反らす人影があった。カズヤは、少々引きつった笑みを浮かべながら声をかけた。
「や……やあセレナ、今日はずいぶん早いね」
「ぜんぜん早くないよ、いつも通りよ」
人影がつんと顔を反らすと、頭の両側で結わえた長い髪が、わずかな木漏れ日の下でも眩い金色の光を放った。修道服に身を包んだ少女の右手には、大ぶりの籐かごを下げている。
彼女の名はセレナ。魔術の才能を伸ばすため、シスターから個人教授を受けている。
両親は既に亡くなっており、身寄りのない子供たちと一緒に教会に住み込んでいる彼女は、正体の分からない俺のことを助けてくれた命の恩人でもあり、大事な友達でもある。毎日、薪割りの仕事の合間に、昼ご飯を持ってきてくれる。
とはいえ、仕事をサボるとかなり怒る。
「さぼってないさぼってない! 午前の仕事はもうちゃんと終わったんだよ」
早口にそう弁解する。
セレナはもう一度、強い光を放つ瞳でカズヤをひと撫ですると、呆れたようにふっと頰を和ませた。
「仕事が終わって呆けてる暇があるなら、村の人たちにどんどん頼んでいいって言おうかしら」
「や、やめてくださいセレナ様!」
「冗談だよ。──さ、早くお昼にしましょう。今日は、カズヤくんの大好物を作ったの」
セレナは籐かごを地面に下ろすと、中から大きな白布を取り出し、ぱんと音をさせて広げた。平坦な場所を選んで敷かれた布に、そそくさと靴を脱ぎ飛ばしたカズヤが飛び乗る。飢えた労働者の前に、次々と料理が並べられた。
今日の献立は、チーズと燻製肉を挟んだ薄切り黒パン、数種類の干し果物と、いうものだった。一見質素な献立ではあるが、彼女が作った料理は何故かとても美味い。
すぐ眼前に教会があるのだから中で食べればいいと思われるが、昼食の時は外で二人だけで食べるようにしてる。深い理由はなく、ただの成り行きだ。
……しかし、なんでだろうな。凄く懐かしく感じるのは。
彼女と一緒に食べる昼食が、セレナの笑顔を近くで見るのが、懐かしく思えるのは。
「……どうしたの?」
無意識に見詰めていたらしく、慌てながら顔をパンに戻す。
「……あれ?」
パンを食う手を止め、左手を離してから眺める。
──なんだろう。違和感が……。
特に怪我をしたわけでもないのに、左腕全体から違和感を感じる。言うなれば、無くなったものを見ているような気持ちになる。
なんとも言えない思慮に陥りそうになりながら、顔を上げる。そして、両眼を見開く。
先程までいたはずのセレナが、目の前から居なくなっている。それだけじゃない。手に持っていたパン、白布に籐かご、薪割り用の斧、終いには教会そのものが消えている。
何が起きているのか全く分からない中、突如カズヤの頭に響く声があった。
『まさか、貴様自身が造られた存在だったとはな』
***
……あったかいな。
もう少し、このままでいたい。
カズヤは、まどろみから目覚める寸前の浮遊感に意識をたゆたわせながら、淡く微笑んだ。
揺れる日差し。
体を受け止める、華奢な膝。
左手を優しく包み込む、小さな手。
…………母さん。
こんなふうに、膝を乗せてもらうのは何年ぶりだろう。この安心感を……完全に守られて、心配事なんか一つもない。何もかも大丈夫な感じを、長いあいだ忘れていた。
でも……もう、起きなきゃ。
そして、カズヤは、そっと睫毛を持ち上げた。
見えたのは、微風で横に流れる金髪と、その下に、今にも泣き出しそうな表情を浮かべた、セレナ。
何故彼女が泣きそうになっているんだろう……。そもそも、なんで俺の左腕は、ここにあるんだろう。確か俺は、邪教神との戦いで左腕を斬られて、それから……。
そうだ。奴の黒い剣に、心臓を刺されて、決死の覚悟で相打ちを狙ったんだ。でも仕留めきれず、一瞬の油断を突かれて、精神を支配されてたんだ。
でも、さすが天界の騎士だな。敵の総大将から助け出してくれるなんて。騎士さえいれば、何もかも安心。
……違う。
支配された精神の中、朧にだがまだ、俺の意思は残って……いや、残してもらっていた。
邪教神は、敢えて俺の精神をわずかに──外の世界を認識できるようにだけ残し、騎士が傷つく姿を見せてきた。最強の存在が無様に敗れ、絶望する瞬間を味わうために。
あの時、霞む視界の中に見えたのは、セレナではなくカムイだった。命の恩人である彼が、俺を取り戻すために必死に戦ってくれていたのを、朧げの意識の中で見た。
そして俺は、カムイの剣から伝わる意思のお陰で──一時的ではあるが目覚ることができた。油断した邪教神の隙を突いて、なんとか支配から逃れることができたが、その後のことはよく覚えていない。
「……セレナ」
震える唇から、目に映る人物の名を呼ぶ。
セレナは両眼を見開くと、零れる涙を抑えようとせずに、
「あなたは、大馬鹿者です……一人で、邪教神に挑むなんて……人界一の馬鹿者です……」
と、以前は激怒した侮辱言葉を投げかけてきた。
「……ごめん」
一言謝ってから、上体を起こす。すぐに視線を落とし、切断されたはずなのに、そこに存在する左手に移す。
俺の左手は、確かにある。視線を伝い、切断面であった肩口を隠す衣服を巻き上げる。
驚くことに、左腕は異常なくくっついている。接合した痕は一切見受けられず、綺麗にくっついている。
試しに数回振り動かすも、全く異常はない。今まで通り普通に動く。四肢の損傷ほどの大怪我を完治させるのは、騎士が詠唱する高位治癒術を一時間ほど施されなければ絶対に有り得ない。しかも、時間が経つごとに必要になる時間は延びていく。
ましてや俺の場合、その場凌ぎのために傷口を焼いて塞いでいる。そうなればもう、騎士の治癒術でも難しい。
そうなってしまえば、完治させられる可能性があるのはもう、世の理から逸脱した存在による治療以外にない。
──創世神のお陰……だよな。
意外にもすんなり受け止められる自分に呆れながら、顔を元に戻す。
途端、眼前に広がった色彩と、水のせせらぎ、そして甘い香りに五感が呑まれ、カズヤは一瞬の目眩に襲われた。
教会の内部であることは間違いない。彼方には下層と同じく白い大理石の壁が見える。
しかし、広大な床は、これまでのような石張りではなかった。代わりに、柔らかそうな芝が密に生い茂っている。芝生の各所では色とりどりの聖花が咲き誇っていて、香りの源はそれらしい。
驚いたことに、少し離れたところには綺麗な小川までもが流れ、水面をきらきらと輝かせていた。出入り口と思しき扉からは、芝生を貫いて煉瓦敷きの道が延び、小川に架かる木橋を経て先へと続いている。
間違いない。ここは統制教会第四十九層《空中庭園》だ。創世神の話で存在することは知っていたが、入ったのは今回が初めての層。
カズヤがいるのは、川の向こうの小高い丘の頂上。花々が咲き乱れる斜面を、悠然と見下ろすことができる。背後を振り返ると、一本の樹が生えていることに気付いた。
それほど大きな樹ではない。細い枝には濃い緑色の葉と、十字形をした小さな花が見てとれる。遥か高い天井間近の壁に設けられた窓から差し込む光が、ちょうどその樹に投げかけられて、無数の花をまるで黄金のように輝かせている。
細い幹もまた、陽光を浴びて滑らかに光り──そしてその根本にも、ひときわ眩い金色の煌めきがある。
樹の幹に背中を預け、涙を拭き取ったセレナと、再び目が合う。
「セレナ。俺は、何時間寝てた?」
カズヤの問いに、セレナはしばし間を開け
「……半刻ほど」
躊躇いながら、応えた。
「その間に何が起きたか、手短に頼む」
間髪入れないカズヤの問いにも、セレナは悠然とした対応を取った。体をセレナに向けてから、傍らにいる小さな存在──戴天に気付く。
幼竜は俺が動いたのに気付くと、小さな両翼を必死に仰ぎながら右手に乗り、いつもの定位置である右肩に乗り上がった。
くるるる、と心配そうな喉声を上げ、頭をすり寄せてくる。
「あはは……心配してくれてるのか。ありがとう」
微笑みながら頭を撫でると、戴天は嬉しそうに鳴きながら傷痕の残っていない右頬を舐めてきた。まだゴツゴツしてない綺麗な舌触りが頰を通して伝わってくる。
「もう、くすぐったいだろ」
笑いながら戴天の頭を突くと、不意に正面からとてつもない気配を感じ取り、一人と一匹は同時に前を向いた。先には、軽蔑──嫉妬のようにも見える──視線を放つセレナが、無言で睨みつけている。
流石の戴天も危険を察知したのか、すぐに右肩から降りて、膝の上で丸まった。
「……あなたを神の庭園に転送させてから、創世神様はすぐに治療に取り掛かりました。正直、助からないと思っていましたが、流石は創世神様。たった二刻で完治させました。どういった治療をしたのかまでは教えてくれませんでしたが、あなたの身を預かった私は、新鮮な空間魔素が漂う空中庭園に赴きました。ここならば、もし容体が急遽悪化したとしても、質の良い治癒術で対応できますからね」
長広舌の大雑把な話に納得していると、思考力が戻り始めたせいか、セレナに問うた。
「それで、カムイさんは?」
俺のために必死に戦ってくれたお礼を伝えたいのに、先ほどから姿が見当たらない。邪教神が離れてからの記憶はないが、あの場にカムイとセレナがいたことははっきりと覚えている。
「どこにいるんだ? もしかして、もう任務に?」
カムイの名を出してから黙り出したセレナにしつこく問いだすと、
「その質問は、オレが答えるぜ」
木橋の方から野太い声が聞こえてきた。
カズヤはゆっくりと体の向きを変えて、声の主を見た。
東域風の、ゆったりとした前合わせの衣。低い位置で結わえた幅広の帯。その左腰に、無造作に突っ込まれた無骨な長剣。両足に突っかけているのは、奇妙な木製の履き物。
侍を思わせる格好をしているのは、天界の騎士を統べる騎士長であり、一応は師匠のヒサカゲだ。
短く刈り込まれた頭髪をごしっと擦り、声の主は口許をニヤリと笑みを刻んだ。
「よう、嬢ちゃん、少年。二人とも、思ったより元気そうで安心したぜ」
「師しょ……ヒサカゲさん」
思わず師匠と呼びそうになるのをどうにか抑え、騎士長の名を告げる。
騎士長は斜面を悠然と昇り、カズヤの真正面で座り込んだ。
まずセレナの瞳を見詰め、ぐっと力強く頷く。
口許が引き締まる。鋭い双眸から放たれる眼力が、一気に強まる。
すう、とヒサカゲが長く息を吸った。周囲の空気がちりちりと冷えていくのをカズヤは感じた。
次いで、騎士長は信じられない一言を告げた。
「カムイは、帰ってきてない」
俺は、騎士長の発言の意味を瞬時に理解は愚か、認識すらできなかった。それでも、非情な言葉は続いた。
「創世神殿と嬢ちゃんの報告を聞いてから、邪教の間と呼ばれる、最南の境界線に位置する大地に向かった。だがそこには、二人の姿はなかった」
「……嘘だ。そんなデタラメ、信じない……」
「酷な話だが、事実だ。激しく争った痕跡はあったが、カムイの姿は何処にもなかった」
騎士長の両眼を見れば分かる。情けの嘘など、言ってないのが。
「有り得ない……俺は、信じないぞ。だって、カムイさんは、最強の騎士なんだから……俺のことも、助けてくれたんだ。絶対、生きてるに決まってる」
ようやく現実を受け止めたカズヤは、絵空事のように呟きながら、よろよろと立ち上がる。
このまま騎士長が通った道を歩いて行き、扉から出て邪教の間と言われる場所に行けば分かる。カムイさんは、絶対に……。
「現実を受け止めろ、カズヤ。カムイは死んだんだ」
背後から聞こえた非情なる言葉が耳に届いた瞬間、怒りで何も考えられなくなり──。
腰の剣に、自然と手を添えた。下りかけた斜面を一気に駆け上り、剣の刃圏に入ると同時に、騎士長の首めがけて抜刀する。
ガキィーン!! と甲高い衝突音で我に返り、俺の居合切りを受け止めるセレナが目に入る。
「どけセレナ!! この人だけは、この人だけは!!」
剣に握る手に力を込めながら、反射的に叫ぶ。
「落ち着きなさい! 騎士長に当たったところで、事態が動くわけではないでしょ!」
「うるさい! あんたが、あんたがもっと早く行っていれば、カムイさんは!」
行き場のない怒りに身を任せていると、交差する剣の向こうから、無骨で巨大な拳が飛んできた。
拳は左頬に直撃し、カズヤの身は簡単に宙を舞い、斜面に背中から滑り落ちていき、小川に着水する。
顔を上げると、こちらに悠然と歩み寄る騎士長が、顎に手を添え太い笑みを刻んだ。
「いいぜ。弟子の八つ当たりに付き合うのが、師の務めだからな」
「……ふざけるな!」
怒号を迸らせ、剣を雑に構えながら無防備な突撃を繰り出す。
──五分後。
師と弟子の決闘──というよりも、一方的な殴り合いを終えたカズヤは、大の字で横たわっていた。
最初は剣を使っていたのだが、遠目のセレナからでも分かるほど乱雑で隙だらけの斬撃を意図も容易く避けていた。剣での攻撃が無駄と判断したのか、腰の留め具に雑に取り付けてから、騎士長と同じように拳を震い始めた。
だが、以前のキレのある体術とは対照的に、素人同然の動きは全く当たらず、これも余裕で躱されていた。
一切反撃しなかった騎士長は、カズヤの動きが鈍くなった途端、腹筋に向けて重い一発を叩きつけた。カズヤは最初よりも高く飛び、受け身も取らず背中から地面に叩きつけられた。
起き上がる気配はないが、気絶しているわけでもない。恐らく、騎士長が手加減したのだろう。彼の頭を、冷やすために。
「どうだ。少しは、落ち着いたか」
寝そべるカズヤを見下ろしながら、笑みを刻んだ騎士長が尋ねるも、カズヤは何も言い返さなかった。
そこでセレナは、一応彼はまだ安静にしていなければいけないのを思い出し、急いで駆け寄った。
「大丈夫ですか? まだ痛みますか?」
倒れ伏すカズヤの横で膝を曲げ、上体を助け起こす。
「騎士長、まだ彼は安静の身ですよ。何も殴る必要は……」
「いいんだよ嬢ちゃん。男ってのは、一度くらい殴られなきゃ一人前にはなれないもんなんだからよ」
そんな理由で、怪我人を殴ったの? この人は。
常に尊敬し、唯一心を許していた騎士長ではあるが、時々出る父親のような部分には頭を悩まされる。
「……一人前にするためとは言え、随分と情け容赦なく殴ってきたじゃないですか」
顔を上げたカズヤが、騎士長を睨みながら物申した。
だが騎士長は太い笑みを一切緩めずに、顎に手を当てながら応えた。
「そりゃお前さんがまだガキだからだよ。現実も受け止められず、誰かに八つ当たりするしか出来ないガキを躾るには、こっちの方が簡単だからな」
「馬鹿言わないでくださいよ。俺は、あんたの子供じゃないんですよ」
「子供じゃないが、弟子だ。弟子を一人前にするのも、師の務めだからな」
「……アホらしい。だけど……」
緩慢な動きでゆっくりと立ち上がると、口から垂れる血を手で払い、騎士長に頭を下げた。
「少しだけ、落ち着きました」
「そうか。なら、さっさと創世神殿の元へ向かいな。嬢ちゃんもだ」
「え?」
カズヤは間抜けな声を出しながら顔を上げ、騎士長の顔を見上げた。
騎士長はまずカズヤを、次にセレナに顔を向けてから言った。
「オレがここに来たのは、創世神殿からの伝言を言いにきたんだ。少年が目覚めたら、嬢ちゃんと二人で私の元に来て欲しいそうだ。要件までは教えてもらってないが、かなり真剣な話だと思うぜ」
「待ってください」
セレナは、説明を済ませて立ち去ろうとした騎士長を呼び止めた。
「カズヤは分かりますが、何故私もなのですか」
「悪いな嬢ちゃん。オレも知らないんだ」
それだけ答えると、騎士長は今度こそ出て行った。
先程まで荒々しかった空中庭園が、一変して静寂に包まれた。
だがカズヤはそんなこと一切気にせず、今にも倒れそうなほどよろつきながら、騎士長が出て行った扉へと進んで行く。
「……少し、休んだらどうですか」
ここから五十層までに、何百段もの階段がある。普段なら特に気にせず上がれるが、騎士長との殴り合いをした今のカズヤでは、少々厳しいかもしれない。
しかしカズヤは歩みを止めなかった。
木橋にまで到達すると、歩みを止めて振り返った。
「早く行こう……創世神が、待ってるからな」
「そうですが、あなたは少し休んだ方が……」
「カムイさんが繋いでくれたこの命……一分一秒とも無駄にはできないんだよ」
そう言う彼の瞳に、煌めくものがあった。すぐに顔を逸らしたが、それが涙なのは火を見るより明らかだった。
途端、セレナの胸が熱くなる。時々カズヤを見ると感じる火照りは、不快なものではないが、少しだけ切なくなる。
この感情の正体は未だ解らない。でももし、想像通りの感情なのだとしたら……。
セレナはそこで考えるのをやめ、倒れそうになるカズヤを抱き止める。左腕の下に自分の腕を回し、助け起こす。
「セレナ……」
「お礼は不要です。あなたに合わせていたら、創世神様の元に行くまでに時間が掛かってしまいますからね」
「……そっか。なら、早く行こうか」
愛想笑いで応えると、二人は扉から出て行った。
その時セレナは、いつの間にか体の火照りが収まっていることに気づくことはなかった。
階段を上り終え、何度目かの《神の庭園》へと通ずる扉前に立つ。
今回は設置された転送術がないか警戒しながら、重々しい両扉を二人で押し開くと、巨大な窓から差し込む陽光がセレナの鎧に反射し、仄白い光の粒を漂わせた。
時刻は、九の月二十五日の午前二時といったところか。半刻もの間意識を失っていたのだから、教会に戻ってきたのは午後二時、邪教神との戦いは午後一時半だったのだろう。
三週間前までなら、とうに中等修剣士寮の自室のベッドに入っている頃合いだ。講義と稽古の疲れで毎日泥のように眠り、起床の鐘が鳴るまで決して目を醒まさなかったものだ。
なんて過去を思い返しながら、自分に言い聞かせた。
──もし、邪教神の言う通りなのだとしたら。
──俺は、二度と過去を思い返すようなことはしない……するわけにはいかないだろう。
あの言葉が真実ならば、俺は騎士以上に存在してはいけない存在だ。彼ら──セレナとシスターを裏切ったことになる。サヤ、ワタル、マリナ女史、キクノ、ヒサカゲ、そして散ってしまったユリ、カムイさんたちのことも、裏切ったことになる。
真実を知るのは怖い……今すぐ、セレナを連れてコドールの村に帰って、全て忘れて静かに暮らしていたい。
だが、それも出来ない。
自分で言ったじゃないか。真実から目を背けるのは、正しい行いじゃないと。
邪教神の言葉が、俺を絶望させるために吐いた妄言の可能性もある。やはりここは、一度はっきりさせた方がいい。
顔を上げたカズヤは、ゆっくりとあたりを見回した。
部屋のぐるりを取り囲む硝子窓の向こうは、曇りなき晴天空。立ち並ぶ、巨大な剣の飾りを取り付けられた柱に、陽光が当たってきらきらと輝く。
ふと──。
邪教神の戯言が頭に響き、軽く頭を抑える。その際、視線が上を向く。
十メートル以上も高いところにある純白の天蓋には、前に見た時と同じように、神話の絵物語が描かれている。神々や巨大な竜、そして人間たちの細密画の各所には小さな水晶が嵌め込まれ、清らかな光を放つ。
そんな水晶の中に、一際強く光るものがある。
……なんだろう。あの、光……?
水晶の一つに、カズヤがじっと眼を凝らそうとした、その時。
「二人とも、待ってたわ」
今度は、違う方向から本物の声が聞こえた。素早く顔を前に戻す。
広大な部屋の真ん中には、見慣れた円形のテーブルが据えられている。こちら側に木製の椅子が二つ並んでおり、向こう側には一つ置かれている。
そして、向こう側に座る人物。声の主である、創世神ヒヅキ。
どうやら俺とセレナを待っていたらしく、華奢な足を組みながら待ち構えていた。
「立って話すのもなんだから、まずは座りなさい。話はそれからよ」
立ち尽くす二人に促すと、まず互いに顔を合わせ、警戒しながら椅子に歩み寄る。同時に着席すると、二人の前に紅茶の注がれたカップが出てきた。
だが二人は一切気にせず、創世神の言葉を待ち続けた。
本人は、いつもと変わらない感じに紅茶を一口飲んでから、ゆっくりとカップを机に置いてから喋った。
「話したいこと、聞きたいことは沢山あるだろうけど、まずは私の用事から済まさせてもらうわね」
そう言うと彼女は、セレナの方へ顔を向けた。
「騎士セレナ。あなたにはこれより、カズヤ──特異点護衛の任を授けます」
特異点護衛の任だぁ!?
任務を授かった本人はなんのことか分からず困惑している中、名を呼ばれた特異点であるカズヤは、胸中でそう叫んだ。
本人以上に戸惑っているカズヤを尻目に、セレナは創世神に意見した。
「何故、私目がカズヤの護衛をしなければならないのですか。別に嫌と言うわけでも……むしろ、嬉しいですけど……」
後半は若干聞き取りづらい声量だった。
「そもそも、特異点とはなんなのですか。それが判明しない以上、任務に集中できない恐れがあります」
──おお、言うなあ。
セレナの堂々たる口上を聞きながら、俺は胸中で少しばかり重みに欠ける感想を呟いた。
意外と落ち着きながら、俺も聞きたいことを堂々と聞くなんて、流石セレナ。頑固者なだけはある。と言っても、セレナからすれば任務の内容に出てきた特異点という単語を知りたいだけなんだろうけど。
騎士の質問を聞いた創世神は、今度はこちらに顔を向けてきた。しばし俺の顔を見つめ、一度頷いてから言った。
「今から話すのは、カズヤくんにも大いに関わる話です。聞く覚悟は、ありますか?」
真剣な表情で尋ねる創世神に対して、
「今更、そんなこと聞かないでください。……真実を知る覚悟は、あります」
二つ返事で応える。
セレナは特に何も言わず、同意見とばかりに頷いた。
君にもとんでもない隠し事をしてるんだけど……と思いながら、創世神に目を向き直す。
「……特異点というのは、世界の常識・法則を逸脱し、時空間に多大な影響を与える特殊な存在を指す名称。それが、カズヤくんなのよ」
「世界の常識から逸脱……。カズヤは、創世神様と同じ存在という訳ですか?」
「近いようで違うわ。彼は私や邪教神のように、空間に直接干渉するようなことはできない。間接的に影響を与えはするけど、それも全くの無意識によ。彼が望んで干渉できはしないから、そこは私たちとは違う」
「では、カズヤは一体どういった影響を与えているのですか?」
食い入るように質問された創世神は、カズヤに言葉を振った。
「それは……本人が一番理解しているはずです」
二人のやり取りを黙って見ていたカズヤは、落ち着いた物腰で答えた。
「特異点の説明を聞いた後で、少しだけ思い当たる節があります……。それが関係してるかは解りませんが」
「構いません。話しなさい」
「……俺は、中都の学園に通うために、ある辺境の村から旅を続けていたんだ。その途中で、サランとアースリアに立ち寄った」
旅の記録を思い出すように話し、恐らく創世神が予想している内容を話す。
「俺が行く先々で、必ず何かが起きるんだ。サランでは魔獣が街を襲う。アースリアでは暗黒騎士の襲撃。中都では禁書目録違反。教会内では魔界の民と遭遇。そんな感じで、俺が行く先々では必ず何かが起きているんだ」
最初のコドールの村でのことも話そうかと思ったが、セレナの身を案じて黙ることにした。またもし、彼女の心に良からぬ現象が起きてしまったら大変だから。
「そんなの、単なる偶然の連続ではないのですか?」
「最初は偶然だと思ったよ。でも、流石に二回も魔界の民と人界内で遭遇したのは、偶然では片付けられないよ」
今度は何も言い返せずに、セレナは口を紡いだ。
「カズヤくんの言う通り、彼は今まで多くの戦いに巻き込まれている。人界の民とは思えないほどに、ね」
「なるほど……だから、あれほど戦いに慣れていたのですね。しかし……」
感心したように呟いたセレナであったが、未だ納得できないのか続けて問うた。
「それと特異点の護衛の関連性が分かりません。第一、カズヤを誰から護ればいいのかさえ分からなければ、護衛など出来ません」
「おっと、その点については分かってるから大丈夫だ、セレナ」
悠揚迫らぬ声を挟んだのは、カズヤだった。
「えっ……知ってるの?」
絶句するセレナと創世神を焦らすように、腕を組んでからカズヤは続けた。
「邪教神は俺に言ったんだ。特異点を手に入れることで、完璧に復活すると。俺という特異点を狙っているのは邪教神だけだが、奴は魔界の支配者であり指揮官だ。来たるべき大戦時に、魔界軍総動員で俺を狙ってくる恐れがある。それで君は、迫りくる魔界軍から俺を護るのが任務なわけ。分かった?」
珍しく長広舌で説明すると、今度はすんなりと納得したのか、特に何かを言うわけでもなく潔く頷いた。
創世神も、少しの情報だけでそこまで推測したことに驚いているのか、唖然としている。
カズヤは、生まれた静寂を破るように、自分が一番聞きたかった問いを口にした。
「創世神。邪教神は特異点である俺を手に入れ、完璧に復活したら、一体何が起きるんですか」
「……全てが、無に還します」
創世神の静かな声は、鞭のような鋭さを帯びてぴしりと俺たちの耳を打った。
「無に……還す……?」
機械的に繰り返してから、俺は今更のように両眼を見開いた。
「どういう意味なのですか、それは……?」
「言葉通りよ。聖邪の間……全ての始まりの場所に、特異点である君を取り込んだ状態で到達すれば、人界も、魔界も、二つの世界が無に還る。民も、一人残らず」
そう言い切った創世神の顔は、毅然とした決意と覚悟に満ちていて、俺はしばらく口を開くことができなかった。時間を掛けて、どうにか彼女の言葉が指し示す最終的解決を具体的にイメージする。
「それは……つまり、邪教神が俺を取り込み、聖邪の間に到達した時点で、世界は終わりを迎えるのか?」
「端的に換言するなら正解ね。より正確に言うなら、肉体に邪教神自体の精神が乗り移り、君の意思が欠片も残らずに消えてしまったら、その時点で世界は終わる。邪教神が望むのは特異点である肉体だけであり、君の魂ではないからね。……騎士カムイには本当に感謝してるわ。精神を支配された君を取り返した彼は、紛れもなく世界を救った救世主よ」
「……だから邪教神は、俺だけを転送させたのか」
「今回は失敗に終わったけど、一度の失敗で諦めるような奴じゃない。きっとこれからも、君を狙い続ける。邪教神の実力は君が一番知ってると思うから、騎士を護衛役として側に置いておく。……本当は私がずっと側にいてあげたいのだけれど、それも難しいからね」
そう語る創世神の声には、深い諦めと無力感の余韻が感じ取れるのみだった。
「もちろん、理想を言うなら、君の身を半永久的な凍結処理を施して、教会内に保護しておくのが一番なのだけれど……」
末恐ろしい提案をしてくるも、創世神の双眸から哀愁が漂っているのが感じ取れる。
今の話が本当なのだとしたら──俺は自分が思っていたよりも重要な存在ということになる。俺の行動一つで異世界全体の運命を揺るがすほどに。
「どうする、カズヤくん。強制はしないけど……あなたが望むなら、凍結処理を施してあげる。目を覚ますのは、少なくとも大戦後になっちゃうけど……世界が無に還るよりかは、少しだけ希望のある世界になってるはずよ」
……此処は、創世神の申し立てをすんなりと受け入れるのが、正しい選択なんだろう。俺が下手な行動に出なければ、少なくとも全員の命が散ることはない。大戦で両国のうち、片方が滅んだとしても、全員が仲良く死ぬよりかはいいに…………。
何を考えているんだ。俺は。
今の俺が選ぼうとする選択は、言い換えてしまえば命の選別だ。
魔界だろうが、人界だろうが関係ない。世界の命運を、そこに住む人たちの運命を決めるなんて。そんな真似をする資格と権利が、この俺にあるのだろうか。
解ってる。多くの魔界の民を殺した俺に、今更泣き言をいう資格なんてないことぐらい。
でも、規模が違いすぎる。今までは、向かってくる敵として認識していたから、命を奪う行為に少しばかり抵抗はなかった。
だが、大戦となれば話が違う。敗北した方は、戦いとは関係のない者の命まで奪うことになる。
「俺……俺には……」
無理だ、選べない。という言葉を、しかし口に出すことができずに、俺はただすがるように創世神の何もかも見透かしたような瞳を見詰めた。代わりに出てきたのは、何とも情けない泣き言だった。
「──そもそも、前の世界じゃ単なる凡人だった俺が、なんで特異点なんだ? 言っておくけど、この世界じゃ、俺だけが持ってるアドバンテージなんか何もないんだ。魔術も、剣の腕も、俺以上の奴は沢山いるのに、なんで俺なんだよ」
俺の後ろ向きな抗弁を辛抱強く最後まで聞いた創世神は、やれやれとばかりに首を振った。
そんな時、隣で紅茶を一口啜ったセレナが、不意に告げた。
「創世神様。なぜカズヤが特異点なのですか? 彼に、他の民とは違う点があるのでしょうか?」
「……この事実は、きっとカズヤくんを悲しませるかもしれないけど……」
困惑する俺を見てから力強く頷いた。恐らく彼女が言おうとしているのは、邪教神から告げられた真実だろう。
まだ半信半疑である、あの言葉。今の状態で聞くのはやめろ、と言わんばかりに手が震えていた。
それでも俺は、逃げずに聞くことにした。確信はないのだが、俺が特異点として選ばれた理由と、今から話されるのは直接関係してると思えるから。
そんな思慮を読み取ったかのように、創世神はまたもや哀しみを目に宿し、口を開いた。
「……かつて、人界には騎士をも凌駕するほどの魔術師が存在しました」
急な話の展開に一瞬唖然としてしまったが、創世神は気にする様子もなく淡々と続けた。
「その魔術師は、生涯をある実験に費やしました。生物の創造という、もっとも忌むべき実験にね」
その話に、カズヤは僅かながら心覚えがあった。
アースリアを襲ったマガツヒと呼ばれる怪物。あれも、それと酷似した存在なのだから。
生物の創造は過去に多くの魔術師が行っていたが、全員失敗に終わっている。
「魔術師は、多くの人族を拉致、解剖していった。といっても、魔術師の実験は成功することはなかったけど」
「当然でしょう。生命は、契りを交わした夫婦の合意の元に執り行われる行為によって誕生するのですから」
「そうね。いつかセレナちゃんも、自分の子を身篭る時がくるものね。案外、近いうちに」
「──な!? 何をおっしゃるのですか創世神様! 私はまだ……心の準備が……」
堅物のセレナが取り乱すなんて……。しかし近いうちとはどういう意味だ?
「って、そんな下らない話はいいんです。早く、続きを」
「あら、ごめんなさいね。その話は、あとで追々話しましょう」
「おふざけはおやめください創世神様!」
「全くセレナちゃんは、そんなに慌ててどうしちゃったの? もしかして、もうお相手が近くにいたりしちゃう?」
茶番じみたやりとりを冷ややかに見届けてから、表情を引き締め、続けた。
「世の理から逸脱した行為ゆえに、彼らの底知れない好奇心は刺激されたんでしょうけど、成功しない実験に嫌気をさした魔術師もまた多かった。そんな中で一人、実験を続けた魔術師がいる。それが、さっきも言った、騎士すら凌駕する魔術師」
徐々に威圧感を帯びる創世神の声色に、カズヤの震えは無意識に収まっていた。
「彼は自分の生涯をかけて実験を続けた。しかし、生物の創造は完遂することができなかった。だが彼は、他の魔術師とは違う方法を思いついた」
「他の魔術師と、違う方法……? それは一体なんですか?」
「生物の創造ではなく、肉体の創造です」
その発言を聞いただけで、カズヤの中にあった疑惑が、確信へと変わろうとした。
「肉体……人族の体を創造するなんて、可能なのですか?」
「可能よ。魔術師は既に解剖などで人体の構造を熟知していたからね。人族の体を構成している元素は全部で二十九種で、六割は水でできているから、上手く調節していけば難なく創造できるわ」
「そうですか……しかし、納得できません。肉体を造りだした所で、命がなければ亡骸と変わりません」
「セレナちゃんの言う通り。人間を動かすには、やはり命──意思が必要だった。だから魔術師は、希少な魔石で代用しようとした。でも結局は、肉体が動くこともなく、魔石も取り出せなくなった」
「ならば、生物の創造は失敗に終わったのですね」
「ええ。魔術師はその後、禁書目録によって強制的に実験を止める他なかった。……だけど、行き過ぎた欲望を、抑えることができなかった。ゆえに魔術師は、自分の命を肉体に宿らせようとした」
「ッ!? そんなこと、不可能に決まってます!」
今度はセレナが声を荒げながら、全力で否定した。
それも当然だ。人界では、命が散れば天界へと召されると、古くから伝承されている。本当は天界など存在せず、普通に天に召されるだけなのだが……。
とにかく、人の命は消えれば二度と戻ることはない。例え、空っぽの肉体であろうと。
「結果、空の肉体に魂が乗り移ることはなかった。教会は魔術師の亡骸を廃棄したのち、創造された肉体を回収しようとしました。しかし……」
「肉体は、回収できなかった」
創世神の発言を遮り、カズヤが言った。
「魔術師の実験室にあるはずの肉体は何処にも存在せず、回収することができなかった。だからあなたは、監視生物を人界全土に放ったんですよね」
「……正解」
創世神の反応を見て、もはや疑う余地もなくなってしまった。
震えが収まった両手をきつく握り締め、カズヤは、自分が恐れた真実を述べた。
「魔術師は、生涯で創り上げた最高傑作を教会に手渡さず、辺境の地へと飛ばした。誰にも気付かれないほどの場所……。休息日以外に、あまり人が立ち寄らない森に」
「カズヤ……?」
隣から、怪訝そうな表情で尋ねてくるセレナの声が、この時だけは遠くから聞こえてきた。
「そして、その肉体にある魂が憑依した……。立て続けに起きた自然災害に巻き込まれ失われた命が、運悪く……」
──これ以上言うな! 戻れなくなるぞ!
思考が、喋ること自体を阻止しようとしてくる。だが今は、考えて喋っているのではなく、直感に任せて口が動いているため、全く意味がない。
「……俺、自分がなんで魔術が扱えるのかが、ずっと分からなかったんです。人界の民じゃないのに、たった数日勉強しただけで魔術が扱えることが。人界の民じゃないのに、なんで創世神の恩恵が扱えるのか。なんで、命を奪う真似をする時に、右眼が痛むのか」
異世界に来てから、まるで自分の体じゃないような現象は数多くあった。元の世界では一度も感じたことのない現象は、転移時のショックかと思っていた。
だがそれらは、一切異常ないことなんだ。この、異世界においては。
「……俺なんですよね。その、魔術師が創り出した、肉体っていうのは」
震える声で、創世神とセレナに告げた。最後の、望みを賭けて……。
──頼む! 一言、たった一言否定してくれるだけでいいんだ!
そうでもしなければ、俺は認めてしまうことになる。
騎士以上に、自分という存在が偽りであることを。
しかし、返ってきた答えは、願いとは違うものだった。
「邪教神に言われたのね。自分の体のことを」
「……それは、認めるということですか」
往生際悪くも、創世神に問い返す。
しばし間を空け、カップに注がれた紅茶を一口啜り、机に置いてから、普段と変わらぬ声色で語った。
「黙っていたけれど、君は既に亡くなっているの。あの日、邪教神の復活によって異世界全域に異常な自然現象が起きてしまい、あなたがいた世界との間に存在した壁に亀裂が生じた。衝撃は別世界にも及んでしまい、その事故にあなたは巻き込まれてしまった。でも、不幸中の幸いと言うべきか、あなたの魂は消滅することなくこちらの世界に紛れ込んだ」
「そして、コモレヴィの森に放置された肉体に乗り移った……というわけですね」
結論を急かすように答えながら、続けて尋ねた。
「でも、それなら俺はなぜ、元の世界と同じ顔なんですか。これも、偶然というんですか?」
「いえ、それは違います。肉体は魂の入れ物のため、最初に魂が想像した姿形へと変貌する様になっています。記憶は魂にも刻まれているため、記憶も失うことはなかったんでしょう。災害に巻き込まれたのに無傷だったのは、君が最後に見た自分の姿が、まだ傷を負っていない状態だったからよ」
「……成る程。人界の民でもない俺が魔術を扱えたのは、肉体がこの世界のものだからか。ですが、何故禁書目録を違反しようとしたら、右眼が痛むんですか?」
「君の体は魔術師が作り出した肉体のため、制限された機能が存在するのよ。作られた肉体には意思も記憶もないから、禁書目録は絶対遵守という掟も存在しない。だからもし、肉体を所持する者が禁書目録違反を働こうとしたら、人間の重要な器官である視覚に激しい痛みを発生させ、行動を抑制させようとする。と言っても君は、その制限を自分の力で無理矢理突破したけどね」
右眼を引っこ抜いて突破したが、あの痛みはそんな理由があったのか。
そして今、全てが分かった。
何故俺が無傷の上、見知らぬ格好で倒れていたのか。創世神の恩恵を使うことができるのかを。
俺はずっと、元の世界で過ごしてきた肉体がそのまま転移したとばかり考えていた。だが、元の肉体は既に死んでおり、今の肉体は人界で産まれたものだから、俺は魔術を扱えていたんだ。
最初から、憶測は間違っていた。俺は転移したのではなく、転生していたんだ。別の肉体に、魂が乗り移っていたんだ。
だがこの際、その辺はどうでもいい。
如何なる理由があろうと、俺という存在が偽りであることは変わらない。
元の世界では死亡扱い、異世界では間違った存在。
つまり俺という存在は、何処にも居場所がないも同然。世界の命運どうこう以前の話だったのだと、痛感させられた。
振り上げる。
叩き下ろす。
これだけの動作なのに、少しでも気を抜くと当たりどころが狂い、両腕に容赦ない反動を跳ね返していた。呼吸、拍子、速度、体重移動、それら全てを完璧に制御して初めて、重い斧の刃は秘められた威力を全て薪に伝え、高く澄んだ音を心地よく響かせる。
以前なら、全て意識しながら作業に取り組んでいたため、体力と精神の減りは尋常じゃなかった。一日のノルマを終える頃には、腕が上がらなくなっていた。
しかし今は違う。一週間前にあったゴブリン隊長との戦い以降、筋力がついたのか分からないが、重い斧も楽に振れるようになり、今では他の村人たちの薪割りを手伝っている。
「ご……じゅ……う!!」
最後の一撃で薪を割り、澄んだ音を撒き散らす。カズヤはたまらず斧を取り落とし、そのまま数歩後ろによろめくと、深い苔の上にどさりと座り込んだ。
座ったまま手探りで革の水筒を摑み上げる。すっかり温くなった水をがぶがぶ飲み、ようやく人心地ついてから、しばらく座り込んだ。
斧を振るのが楽になり、無駄な動きを削減できたから、以前より消耗を抑えられてはいるが、限界は来る。既に薪割りを始めてから四時間近く休憩なしで斧を降り続けているから、流石に腕も痛くなってきた。
だが、作業ペースはかなり早くなった。始めたばかりの頃は午前中だけで五十本だったが、今日は三百本はできた。
汗に濡れた黒い前髪を掻き上げ、体を起こす。しかし、すぐには斧を拾わず、手を腰に当てて頭上を仰ぐ。
六の月もまだ半ばの空は呆れるほどに青く、その真ん中に張り付いた太陽は空から溢れんばかりの光を放っている。
いつ見ても、元いた世界となんら変わらない空。なのに、根本から違う世界に訪れてから、早くも一ヶ月経とうとしている。
今の生活に満足しているというのに、不思議と罪悪感が湧かないのは、何故だろう。向こうでは、俺の帰りを待つ家族や友人がいるというのに、時折、ここから消えたくないと思ってしまうのは、いけないことなのだろうか。
「……駄目だ、こんなこと考えちゃ」
物思いにふける自分に言い聞かせるように呟く。すると、不意に背後からキーンと高く響く声が投げかけられた。
「こら──っ! またさぼってるわね!!」
聴き慣れた声に、カズヤは動きを停止する。
「やべっ……」
首を竦めてから、おそるおそる振り向く。
教会の裏口前に、両手を腰に当て、ぐいっと胸を反らす人影があった。カズヤは、少々引きつった笑みを浮かべながら声をかけた。
「や……やあセレナ、今日はずいぶん早いね」
「ぜんぜん早くないよ、いつも通りよ」
人影がつんと顔を反らすと、頭の両側で結わえた長い髪が、わずかな木漏れ日の下でも眩い金色の光を放った。修道服に身を包んだ少女の右手には、大ぶりの籐かごを下げている。
彼女の名はセレナ。魔術の才能を伸ばすため、シスターから個人教授を受けている。
両親は既に亡くなっており、身寄りのない子供たちと一緒に教会に住み込んでいる彼女は、正体の分からない俺のことを助けてくれた命の恩人でもあり、大事な友達でもある。毎日、薪割りの仕事の合間に、昼ご飯を持ってきてくれる。
とはいえ、仕事をサボるとかなり怒る。
「さぼってないさぼってない! 午前の仕事はもうちゃんと終わったんだよ」
早口にそう弁解する。
セレナはもう一度、強い光を放つ瞳でカズヤをひと撫ですると、呆れたようにふっと頰を和ませた。
「仕事が終わって呆けてる暇があるなら、村の人たちにどんどん頼んでいいって言おうかしら」
「や、やめてくださいセレナ様!」
「冗談だよ。──さ、早くお昼にしましょう。今日は、カズヤくんの大好物を作ったの」
セレナは籐かごを地面に下ろすと、中から大きな白布を取り出し、ぱんと音をさせて広げた。平坦な場所を選んで敷かれた布に、そそくさと靴を脱ぎ飛ばしたカズヤが飛び乗る。飢えた労働者の前に、次々と料理が並べられた。
今日の献立は、チーズと燻製肉を挟んだ薄切り黒パン、数種類の干し果物と、いうものだった。一見質素な献立ではあるが、彼女が作った料理は何故かとても美味い。
すぐ眼前に教会があるのだから中で食べればいいと思われるが、昼食の時は外で二人だけで食べるようにしてる。深い理由はなく、ただの成り行きだ。
……しかし、なんでだろうな。凄く懐かしく感じるのは。
彼女と一緒に食べる昼食が、セレナの笑顔を近くで見るのが、懐かしく思えるのは。
「……どうしたの?」
無意識に見詰めていたらしく、慌てながら顔をパンに戻す。
「……あれ?」
パンを食う手を止め、左手を離してから眺める。
──なんだろう。違和感が……。
特に怪我をしたわけでもないのに、左腕全体から違和感を感じる。言うなれば、無くなったものを見ているような気持ちになる。
なんとも言えない思慮に陥りそうになりながら、顔を上げる。そして、両眼を見開く。
先程までいたはずのセレナが、目の前から居なくなっている。それだけじゃない。手に持っていたパン、白布に籐かご、薪割り用の斧、終いには教会そのものが消えている。
何が起きているのか全く分からない中、突如カズヤの頭に響く声があった。
『まさか、貴様自身が造られた存在だったとはな』
***
……あったかいな。
もう少し、このままでいたい。
カズヤは、まどろみから目覚める寸前の浮遊感に意識をたゆたわせながら、淡く微笑んだ。
揺れる日差し。
体を受け止める、華奢な膝。
左手を優しく包み込む、小さな手。
…………母さん。
こんなふうに、膝を乗せてもらうのは何年ぶりだろう。この安心感を……完全に守られて、心配事なんか一つもない。何もかも大丈夫な感じを、長いあいだ忘れていた。
でも……もう、起きなきゃ。
そして、カズヤは、そっと睫毛を持ち上げた。
見えたのは、微風で横に流れる金髪と、その下に、今にも泣き出しそうな表情を浮かべた、セレナ。
何故彼女が泣きそうになっているんだろう……。そもそも、なんで俺の左腕は、ここにあるんだろう。確か俺は、邪教神との戦いで左腕を斬られて、それから……。
そうだ。奴の黒い剣に、心臓を刺されて、決死の覚悟で相打ちを狙ったんだ。でも仕留めきれず、一瞬の油断を突かれて、精神を支配されてたんだ。
でも、さすが天界の騎士だな。敵の総大将から助け出してくれるなんて。騎士さえいれば、何もかも安心。
……違う。
支配された精神の中、朧にだがまだ、俺の意思は残って……いや、残してもらっていた。
邪教神は、敢えて俺の精神をわずかに──外の世界を認識できるようにだけ残し、騎士が傷つく姿を見せてきた。最強の存在が無様に敗れ、絶望する瞬間を味わうために。
あの時、霞む視界の中に見えたのは、セレナではなくカムイだった。命の恩人である彼が、俺を取り戻すために必死に戦ってくれていたのを、朧げの意識の中で見た。
そして俺は、カムイの剣から伝わる意思のお陰で──一時的ではあるが目覚ることができた。油断した邪教神の隙を突いて、なんとか支配から逃れることができたが、その後のことはよく覚えていない。
「……セレナ」
震える唇から、目に映る人物の名を呼ぶ。
セレナは両眼を見開くと、零れる涙を抑えようとせずに、
「あなたは、大馬鹿者です……一人で、邪教神に挑むなんて……人界一の馬鹿者です……」
と、以前は激怒した侮辱言葉を投げかけてきた。
「……ごめん」
一言謝ってから、上体を起こす。すぐに視線を落とし、切断されたはずなのに、そこに存在する左手に移す。
俺の左手は、確かにある。視線を伝い、切断面であった肩口を隠す衣服を巻き上げる。
驚くことに、左腕は異常なくくっついている。接合した痕は一切見受けられず、綺麗にくっついている。
試しに数回振り動かすも、全く異常はない。今まで通り普通に動く。四肢の損傷ほどの大怪我を完治させるのは、騎士が詠唱する高位治癒術を一時間ほど施されなければ絶対に有り得ない。しかも、時間が経つごとに必要になる時間は延びていく。
ましてや俺の場合、その場凌ぎのために傷口を焼いて塞いでいる。そうなればもう、騎士の治癒術でも難しい。
そうなってしまえば、完治させられる可能性があるのはもう、世の理から逸脱した存在による治療以外にない。
──創世神のお陰……だよな。
意外にもすんなり受け止められる自分に呆れながら、顔を元に戻す。
途端、眼前に広がった色彩と、水のせせらぎ、そして甘い香りに五感が呑まれ、カズヤは一瞬の目眩に襲われた。
教会の内部であることは間違いない。彼方には下層と同じく白い大理石の壁が見える。
しかし、広大な床は、これまでのような石張りではなかった。代わりに、柔らかそうな芝が密に生い茂っている。芝生の各所では色とりどりの聖花が咲き誇っていて、香りの源はそれらしい。
驚いたことに、少し離れたところには綺麗な小川までもが流れ、水面をきらきらと輝かせていた。出入り口と思しき扉からは、芝生を貫いて煉瓦敷きの道が延び、小川に架かる木橋を経て先へと続いている。
間違いない。ここは統制教会第四十九層《空中庭園》だ。創世神の話で存在することは知っていたが、入ったのは今回が初めての層。
カズヤがいるのは、川の向こうの小高い丘の頂上。花々が咲き乱れる斜面を、悠然と見下ろすことができる。背後を振り返ると、一本の樹が生えていることに気付いた。
それほど大きな樹ではない。細い枝には濃い緑色の葉と、十字形をした小さな花が見てとれる。遥か高い天井間近の壁に設けられた窓から差し込む光が、ちょうどその樹に投げかけられて、無数の花をまるで黄金のように輝かせている。
細い幹もまた、陽光を浴びて滑らかに光り──そしてその根本にも、ひときわ眩い金色の煌めきがある。
樹の幹に背中を預け、涙を拭き取ったセレナと、再び目が合う。
「セレナ。俺は、何時間寝てた?」
カズヤの問いに、セレナはしばし間を開け
「……半刻ほど」
躊躇いながら、応えた。
「その間に何が起きたか、手短に頼む」
間髪入れないカズヤの問いにも、セレナは悠然とした対応を取った。体をセレナに向けてから、傍らにいる小さな存在──戴天に気付く。
幼竜は俺が動いたのに気付くと、小さな両翼を必死に仰ぎながら右手に乗り、いつもの定位置である右肩に乗り上がった。
くるるる、と心配そうな喉声を上げ、頭をすり寄せてくる。
「あはは……心配してくれてるのか。ありがとう」
微笑みながら頭を撫でると、戴天は嬉しそうに鳴きながら傷痕の残っていない右頬を舐めてきた。まだゴツゴツしてない綺麗な舌触りが頰を通して伝わってくる。
「もう、くすぐったいだろ」
笑いながら戴天の頭を突くと、不意に正面からとてつもない気配を感じ取り、一人と一匹は同時に前を向いた。先には、軽蔑──嫉妬のようにも見える──視線を放つセレナが、無言で睨みつけている。
流石の戴天も危険を察知したのか、すぐに右肩から降りて、膝の上で丸まった。
「……あなたを神の庭園に転送させてから、創世神様はすぐに治療に取り掛かりました。正直、助からないと思っていましたが、流石は創世神様。たった二刻で完治させました。どういった治療をしたのかまでは教えてくれませんでしたが、あなたの身を預かった私は、新鮮な空間魔素が漂う空中庭園に赴きました。ここならば、もし容体が急遽悪化したとしても、質の良い治癒術で対応できますからね」
長広舌の大雑把な話に納得していると、思考力が戻り始めたせいか、セレナに問うた。
「それで、カムイさんは?」
俺のために必死に戦ってくれたお礼を伝えたいのに、先ほどから姿が見当たらない。邪教神が離れてからの記憶はないが、あの場にカムイとセレナがいたことははっきりと覚えている。
「どこにいるんだ? もしかして、もう任務に?」
カムイの名を出してから黙り出したセレナにしつこく問いだすと、
「その質問は、オレが答えるぜ」
木橋の方から野太い声が聞こえてきた。
カズヤはゆっくりと体の向きを変えて、声の主を見た。
東域風の、ゆったりとした前合わせの衣。低い位置で結わえた幅広の帯。その左腰に、無造作に突っ込まれた無骨な長剣。両足に突っかけているのは、奇妙な木製の履き物。
侍を思わせる格好をしているのは、天界の騎士を統べる騎士長であり、一応は師匠のヒサカゲだ。
短く刈り込まれた頭髪をごしっと擦り、声の主は口許をニヤリと笑みを刻んだ。
「よう、嬢ちゃん、少年。二人とも、思ったより元気そうで安心したぜ」
「師しょ……ヒサカゲさん」
思わず師匠と呼びそうになるのをどうにか抑え、騎士長の名を告げる。
騎士長は斜面を悠然と昇り、カズヤの真正面で座り込んだ。
まずセレナの瞳を見詰め、ぐっと力強く頷く。
口許が引き締まる。鋭い双眸から放たれる眼力が、一気に強まる。
すう、とヒサカゲが長く息を吸った。周囲の空気がちりちりと冷えていくのをカズヤは感じた。
次いで、騎士長は信じられない一言を告げた。
「カムイは、帰ってきてない」
俺は、騎士長の発言の意味を瞬時に理解は愚か、認識すらできなかった。それでも、非情な言葉は続いた。
「創世神殿と嬢ちゃんの報告を聞いてから、邪教の間と呼ばれる、最南の境界線に位置する大地に向かった。だがそこには、二人の姿はなかった」
「……嘘だ。そんなデタラメ、信じない……」
「酷な話だが、事実だ。激しく争った痕跡はあったが、カムイの姿は何処にもなかった」
騎士長の両眼を見れば分かる。情けの嘘など、言ってないのが。
「有り得ない……俺は、信じないぞ。だって、カムイさんは、最強の騎士なんだから……俺のことも、助けてくれたんだ。絶対、生きてるに決まってる」
ようやく現実を受け止めたカズヤは、絵空事のように呟きながら、よろよろと立ち上がる。
このまま騎士長が通った道を歩いて行き、扉から出て邪教の間と言われる場所に行けば分かる。カムイさんは、絶対に……。
「現実を受け止めろ、カズヤ。カムイは死んだんだ」
背後から聞こえた非情なる言葉が耳に届いた瞬間、怒りで何も考えられなくなり──。
腰の剣に、自然と手を添えた。下りかけた斜面を一気に駆け上り、剣の刃圏に入ると同時に、騎士長の首めがけて抜刀する。
ガキィーン!! と甲高い衝突音で我に返り、俺の居合切りを受け止めるセレナが目に入る。
「どけセレナ!! この人だけは、この人だけは!!」
剣に握る手に力を込めながら、反射的に叫ぶ。
「落ち着きなさい! 騎士長に当たったところで、事態が動くわけではないでしょ!」
「うるさい! あんたが、あんたがもっと早く行っていれば、カムイさんは!」
行き場のない怒りに身を任せていると、交差する剣の向こうから、無骨で巨大な拳が飛んできた。
拳は左頬に直撃し、カズヤの身は簡単に宙を舞い、斜面に背中から滑り落ちていき、小川に着水する。
顔を上げると、こちらに悠然と歩み寄る騎士長が、顎に手を添え太い笑みを刻んだ。
「いいぜ。弟子の八つ当たりに付き合うのが、師の務めだからな」
「……ふざけるな!」
怒号を迸らせ、剣を雑に構えながら無防備な突撃を繰り出す。
──五分後。
師と弟子の決闘──というよりも、一方的な殴り合いを終えたカズヤは、大の字で横たわっていた。
最初は剣を使っていたのだが、遠目のセレナからでも分かるほど乱雑で隙だらけの斬撃を意図も容易く避けていた。剣での攻撃が無駄と判断したのか、腰の留め具に雑に取り付けてから、騎士長と同じように拳を震い始めた。
だが、以前のキレのある体術とは対照的に、素人同然の動きは全く当たらず、これも余裕で躱されていた。
一切反撃しなかった騎士長は、カズヤの動きが鈍くなった途端、腹筋に向けて重い一発を叩きつけた。カズヤは最初よりも高く飛び、受け身も取らず背中から地面に叩きつけられた。
起き上がる気配はないが、気絶しているわけでもない。恐らく、騎士長が手加減したのだろう。彼の頭を、冷やすために。
「どうだ。少しは、落ち着いたか」
寝そべるカズヤを見下ろしながら、笑みを刻んだ騎士長が尋ねるも、カズヤは何も言い返さなかった。
そこでセレナは、一応彼はまだ安静にしていなければいけないのを思い出し、急いで駆け寄った。
「大丈夫ですか? まだ痛みますか?」
倒れ伏すカズヤの横で膝を曲げ、上体を助け起こす。
「騎士長、まだ彼は安静の身ですよ。何も殴る必要は……」
「いいんだよ嬢ちゃん。男ってのは、一度くらい殴られなきゃ一人前にはなれないもんなんだからよ」
そんな理由で、怪我人を殴ったの? この人は。
常に尊敬し、唯一心を許していた騎士長ではあるが、時々出る父親のような部分には頭を悩まされる。
「……一人前にするためとは言え、随分と情け容赦なく殴ってきたじゃないですか」
顔を上げたカズヤが、騎士長を睨みながら物申した。
だが騎士長は太い笑みを一切緩めずに、顎に手を当てながら応えた。
「そりゃお前さんがまだガキだからだよ。現実も受け止められず、誰かに八つ当たりするしか出来ないガキを躾るには、こっちの方が簡単だからな」
「馬鹿言わないでくださいよ。俺は、あんたの子供じゃないんですよ」
「子供じゃないが、弟子だ。弟子を一人前にするのも、師の務めだからな」
「……アホらしい。だけど……」
緩慢な動きでゆっくりと立ち上がると、口から垂れる血を手で払い、騎士長に頭を下げた。
「少しだけ、落ち着きました」
「そうか。なら、さっさと創世神殿の元へ向かいな。嬢ちゃんもだ」
「え?」
カズヤは間抜けな声を出しながら顔を上げ、騎士長の顔を見上げた。
騎士長はまずカズヤを、次にセレナに顔を向けてから言った。
「オレがここに来たのは、創世神殿からの伝言を言いにきたんだ。少年が目覚めたら、嬢ちゃんと二人で私の元に来て欲しいそうだ。要件までは教えてもらってないが、かなり真剣な話だと思うぜ」
「待ってください」
セレナは、説明を済ませて立ち去ろうとした騎士長を呼び止めた。
「カズヤは分かりますが、何故私もなのですか」
「悪いな嬢ちゃん。オレも知らないんだ」
それだけ答えると、騎士長は今度こそ出て行った。
先程まで荒々しかった空中庭園が、一変して静寂に包まれた。
だがカズヤはそんなこと一切気にせず、今にも倒れそうなほどよろつきながら、騎士長が出て行った扉へと進んで行く。
「……少し、休んだらどうですか」
ここから五十層までに、何百段もの階段がある。普段なら特に気にせず上がれるが、騎士長との殴り合いをした今のカズヤでは、少々厳しいかもしれない。
しかしカズヤは歩みを止めなかった。
木橋にまで到達すると、歩みを止めて振り返った。
「早く行こう……創世神が、待ってるからな」
「そうですが、あなたは少し休んだ方が……」
「カムイさんが繋いでくれたこの命……一分一秒とも無駄にはできないんだよ」
そう言う彼の瞳に、煌めくものがあった。すぐに顔を逸らしたが、それが涙なのは火を見るより明らかだった。
途端、セレナの胸が熱くなる。時々カズヤを見ると感じる火照りは、不快なものではないが、少しだけ切なくなる。
この感情の正体は未だ解らない。でももし、想像通りの感情なのだとしたら……。
セレナはそこで考えるのをやめ、倒れそうになるカズヤを抱き止める。左腕の下に自分の腕を回し、助け起こす。
「セレナ……」
「お礼は不要です。あなたに合わせていたら、創世神様の元に行くまでに時間が掛かってしまいますからね」
「……そっか。なら、早く行こうか」
愛想笑いで応えると、二人は扉から出て行った。
その時セレナは、いつの間にか体の火照りが収まっていることに気づくことはなかった。
階段を上り終え、何度目かの《神の庭園》へと通ずる扉前に立つ。
今回は設置された転送術がないか警戒しながら、重々しい両扉を二人で押し開くと、巨大な窓から差し込む陽光がセレナの鎧に反射し、仄白い光の粒を漂わせた。
時刻は、九の月二十五日の午前二時といったところか。半刻もの間意識を失っていたのだから、教会に戻ってきたのは午後二時、邪教神との戦いは午後一時半だったのだろう。
三週間前までなら、とうに中等修剣士寮の自室のベッドに入っている頃合いだ。講義と稽古の疲れで毎日泥のように眠り、起床の鐘が鳴るまで決して目を醒まさなかったものだ。
なんて過去を思い返しながら、自分に言い聞かせた。
──もし、邪教神の言う通りなのだとしたら。
──俺は、二度と過去を思い返すようなことはしない……するわけにはいかないだろう。
あの言葉が真実ならば、俺は騎士以上に存在してはいけない存在だ。彼ら──セレナとシスターを裏切ったことになる。サヤ、ワタル、マリナ女史、キクノ、ヒサカゲ、そして散ってしまったユリ、カムイさんたちのことも、裏切ったことになる。
真実を知るのは怖い……今すぐ、セレナを連れてコドールの村に帰って、全て忘れて静かに暮らしていたい。
だが、それも出来ない。
自分で言ったじゃないか。真実から目を背けるのは、正しい行いじゃないと。
邪教神の言葉が、俺を絶望させるために吐いた妄言の可能性もある。やはりここは、一度はっきりさせた方がいい。
顔を上げたカズヤは、ゆっくりとあたりを見回した。
部屋のぐるりを取り囲む硝子窓の向こうは、曇りなき晴天空。立ち並ぶ、巨大な剣の飾りを取り付けられた柱に、陽光が当たってきらきらと輝く。
ふと──。
邪教神の戯言が頭に響き、軽く頭を抑える。その際、視線が上を向く。
十メートル以上も高いところにある純白の天蓋には、前に見た時と同じように、神話の絵物語が描かれている。神々や巨大な竜、そして人間たちの細密画の各所には小さな水晶が嵌め込まれ、清らかな光を放つ。
そんな水晶の中に、一際強く光るものがある。
……なんだろう。あの、光……?
水晶の一つに、カズヤがじっと眼を凝らそうとした、その時。
「二人とも、待ってたわ」
今度は、違う方向から本物の声が聞こえた。素早く顔を前に戻す。
広大な部屋の真ん中には、見慣れた円形のテーブルが据えられている。こちら側に木製の椅子が二つ並んでおり、向こう側には一つ置かれている。
そして、向こう側に座る人物。声の主である、創世神ヒヅキ。
どうやら俺とセレナを待っていたらしく、華奢な足を組みながら待ち構えていた。
「立って話すのもなんだから、まずは座りなさい。話はそれからよ」
立ち尽くす二人に促すと、まず互いに顔を合わせ、警戒しながら椅子に歩み寄る。同時に着席すると、二人の前に紅茶の注がれたカップが出てきた。
だが二人は一切気にせず、創世神の言葉を待ち続けた。
本人は、いつもと変わらない感じに紅茶を一口飲んでから、ゆっくりとカップを机に置いてから喋った。
「話したいこと、聞きたいことは沢山あるだろうけど、まずは私の用事から済まさせてもらうわね」
そう言うと彼女は、セレナの方へ顔を向けた。
「騎士セレナ。あなたにはこれより、カズヤ──特異点護衛の任を授けます」
特異点護衛の任だぁ!?
任務を授かった本人はなんのことか分からず困惑している中、名を呼ばれた特異点であるカズヤは、胸中でそう叫んだ。
本人以上に戸惑っているカズヤを尻目に、セレナは創世神に意見した。
「何故、私目がカズヤの護衛をしなければならないのですか。別に嫌と言うわけでも……むしろ、嬉しいですけど……」
後半は若干聞き取りづらい声量だった。
「そもそも、特異点とはなんなのですか。それが判明しない以上、任務に集中できない恐れがあります」
──おお、言うなあ。
セレナの堂々たる口上を聞きながら、俺は胸中で少しばかり重みに欠ける感想を呟いた。
意外と落ち着きながら、俺も聞きたいことを堂々と聞くなんて、流石セレナ。頑固者なだけはある。と言っても、セレナからすれば任務の内容に出てきた特異点という単語を知りたいだけなんだろうけど。
騎士の質問を聞いた創世神は、今度はこちらに顔を向けてきた。しばし俺の顔を見つめ、一度頷いてから言った。
「今から話すのは、カズヤくんにも大いに関わる話です。聞く覚悟は、ありますか?」
真剣な表情で尋ねる創世神に対して、
「今更、そんなこと聞かないでください。……真実を知る覚悟は、あります」
二つ返事で応える。
セレナは特に何も言わず、同意見とばかりに頷いた。
君にもとんでもない隠し事をしてるんだけど……と思いながら、創世神に目を向き直す。
「……特異点というのは、世界の常識・法則を逸脱し、時空間に多大な影響を与える特殊な存在を指す名称。それが、カズヤくんなのよ」
「世界の常識から逸脱……。カズヤは、創世神様と同じ存在という訳ですか?」
「近いようで違うわ。彼は私や邪教神のように、空間に直接干渉するようなことはできない。間接的に影響を与えはするけど、それも全くの無意識によ。彼が望んで干渉できはしないから、そこは私たちとは違う」
「では、カズヤは一体どういった影響を与えているのですか?」
食い入るように質問された創世神は、カズヤに言葉を振った。
「それは……本人が一番理解しているはずです」
二人のやり取りを黙って見ていたカズヤは、落ち着いた物腰で答えた。
「特異点の説明を聞いた後で、少しだけ思い当たる節があります……。それが関係してるかは解りませんが」
「構いません。話しなさい」
「……俺は、中都の学園に通うために、ある辺境の村から旅を続けていたんだ。その途中で、サランとアースリアに立ち寄った」
旅の記録を思い出すように話し、恐らく創世神が予想している内容を話す。
「俺が行く先々で、必ず何かが起きるんだ。サランでは魔獣が街を襲う。アースリアでは暗黒騎士の襲撃。中都では禁書目録違反。教会内では魔界の民と遭遇。そんな感じで、俺が行く先々では必ず何かが起きているんだ」
最初のコドールの村でのことも話そうかと思ったが、セレナの身を案じて黙ることにした。またもし、彼女の心に良からぬ現象が起きてしまったら大変だから。
「そんなの、単なる偶然の連続ではないのですか?」
「最初は偶然だと思ったよ。でも、流石に二回も魔界の民と人界内で遭遇したのは、偶然では片付けられないよ」
今度は何も言い返せずに、セレナは口を紡いだ。
「カズヤくんの言う通り、彼は今まで多くの戦いに巻き込まれている。人界の民とは思えないほどに、ね」
「なるほど……だから、あれほど戦いに慣れていたのですね。しかし……」
感心したように呟いたセレナであったが、未だ納得できないのか続けて問うた。
「それと特異点の護衛の関連性が分かりません。第一、カズヤを誰から護ればいいのかさえ分からなければ、護衛など出来ません」
「おっと、その点については分かってるから大丈夫だ、セレナ」
悠揚迫らぬ声を挟んだのは、カズヤだった。
「えっ……知ってるの?」
絶句するセレナと創世神を焦らすように、腕を組んでからカズヤは続けた。
「邪教神は俺に言ったんだ。特異点を手に入れることで、完璧に復活すると。俺という特異点を狙っているのは邪教神だけだが、奴は魔界の支配者であり指揮官だ。来たるべき大戦時に、魔界軍総動員で俺を狙ってくる恐れがある。それで君は、迫りくる魔界軍から俺を護るのが任務なわけ。分かった?」
珍しく長広舌で説明すると、今度はすんなりと納得したのか、特に何かを言うわけでもなく潔く頷いた。
創世神も、少しの情報だけでそこまで推測したことに驚いているのか、唖然としている。
カズヤは、生まれた静寂を破るように、自分が一番聞きたかった問いを口にした。
「創世神。邪教神は特異点である俺を手に入れ、完璧に復活したら、一体何が起きるんですか」
「……全てが、無に還します」
創世神の静かな声は、鞭のような鋭さを帯びてぴしりと俺たちの耳を打った。
「無に……還す……?」
機械的に繰り返してから、俺は今更のように両眼を見開いた。
「どういう意味なのですか、それは……?」
「言葉通りよ。聖邪の間……全ての始まりの場所に、特異点である君を取り込んだ状態で到達すれば、人界も、魔界も、二つの世界が無に還る。民も、一人残らず」
そう言い切った創世神の顔は、毅然とした決意と覚悟に満ちていて、俺はしばらく口を開くことができなかった。時間を掛けて、どうにか彼女の言葉が指し示す最終的解決を具体的にイメージする。
「それは……つまり、邪教神が俺を取り込み、聖邪の間に到達した時点で、世界は終わりを迎えるのか?」
「端的に換言するなら正解ね。より正確に言うなら、肉体に邪教神自体の精神が乗り移り、君の意思が欠片も残らずに消えてしまったら、その時点で世界は終わる。邪教神が望むのは特異点である肉体だけであり、君の魂ではないからね。……騎士カムイには本当に感謝してるわ。精神を支配された君を取り返した彼は、紛れもなく世界を救った救世主よ」
「……だから邪教神は、俺だけを転送させたのか」
「今回は失敗に終わったけど、一度の失敗で諦めるような奴じゃない。きっとこれからも、君を狙い続ける。邪教神の実力は君が一番知ってると思うから、騎士を護衛役として側に置いておく。……本当は私がずっと側にいてあげたいのだけれど、それも難しいからね」
そう語る創世神の声には、深い諦めと無力感の余韻が感じ取れるのみだった。
「もちろん、理想を言うなら、君の身を半永久的な凍結処理を施して、教会内に保護しておくのが一番なのだけれど……」
末恐ろしい提案をしてくるも、創世神の双眸から哀愁が漂っているのが感じ取れる。
今の話が本当なのだとしたら──俺は自分が思っていたよりも重要な存在ということになる。俺の行動一つで異世界全体の運命を揺るがすほどに。
「どうする、カズヤくん。強制はしないけど……あなたが望むなら、凍結処理を施してあげる。目を覚ますのは、少なくとも大戦後になっちゃうけど……世界が無に還るよりかは、少しだけ希望のある世界になってるはずよ」
……此処は、創世神の申し立てをすんなりと受け入れるのが、正しい選択なんだろう。俺が下手な行動に出なければ、少なくとも全員の命が散ることはない。大戦で両国のうち、片方が滅んだとしても、全員が仲良く死ぬよりかはいいに…………。
何を考えているんだ。俺は。
今の俺が選ぼうとする選択は、言い換えてしまえば命の選別だ。
魔界だろうが、人界だろうが関係ない。世界の命運を、そこに住む人たちの運命を決めるなんて。そんな真似をする資格と権利が、この俺にあるのだろうか。
解ってる。多くの魔界の民を殺した俺に、今更泣き言をいう資格なんてないことぐらい。
でも、規模が違いすぎる。今までは、向かってくる敵として認識していたから、命を奪う行為に少しばかり抵抗はなかった。
だが、大戦となれば話が違う。敗北した方は、戦いとは関係のない者の命まで奪うことになる。
「俺……俺には……」
無理だ、選べない。という言葉を、しかし口に出すことができずに、俺はただすがるように創世神の何もかも見透かしたような瞳を見詰めた。代わりに出てきたのは、何とも情けない泣き言だった。
「──そもそも、前の世界じゃ単なる凡人だった俺が、なんで特異点なんだ? 言っておくけど、この世界じゃ、俺だけが持ってるアドバンテージなんか何もないんだ。魔術も、剣の腕も、俺以上の奴は沢山いるのに、なんで俺なんだよ」
俺の後ろ向きな抗弁を辛抱強く最後まで聞いた創世神は、やれやれとばかりに首を振った。
そんな時、隣で紅茶を一口啜ったセレナが、不意に告げた。
「創世神様。なぜカズヤが特異点なのですか? 彼に、他の民とは違う点があるのでしょうか?」
「……この事実は、きっとカズヤくんを悲しませるかもしれないけど……」
困惑する俺を見てから力強く頷いた。恐らく彼女が言おうとしているのは、邪教神から告げられた真実だろう。
まだ半信半疑である、あの言葉。今の状態で聞くのはやめろ、と言わんばかりに手が震えていた。
それでも俺は、逃げずに聞くことにした。確信はないのだが、俺が特異点として選ばれた理由と、今から話されるのは直接関係してると思えるから。
そんな思慮を読み取ったかのように、創世神はまたもや哀しみを目に宿し、口を開いた。
「……かつて、人界には騎士をも凌駕するほどの魔術師が存在しました」
急な話の展開に一瞬唖然としてしまったが、創世神は気にする様子もなく淡々と続けた。
「その魔術師は、生涯をある実験に費やしました。生物の創造という、もっとも忌むべき実験にね」
その話に、カズヤは僅かながら心覚えがあった。
アースリアを襲ったマガツヒと呼ばれる怪物。あれも、それと酷似した存在なのだから。
生物の創造は過去に多くの魔術師が行っていたが、全員失敗に終わっている。
「魔術師は、多くの人族を拉致、解剖していった。といっても、魔術師の実験は成功することはなかったけど」
「当然でしょう。生命は、契りを交わした夫婦の合意の元に執り行われる行為によって誕生するのですから」
「そうね。いつかセレナちゃんも、自分の子を身篭る時がくるものね。案外、近いうちに」
「──な!? 何をおっしゃるのですか創世神様! 私はまだ……心の準備が……」
堅物のセレナが取り乱すなんて……。しかし近いうちとはどういう意味だ?
「って、そんな下らない話はいいんです。早く、続きを」
「あら、ごめんなさいね。その話は、あとで追々話しましょう」
「おふざけはおやめください創世神様!」
「全くセレナちゃんは、そんなに慌ててどうしちゃったの? もしかして、もうお相手が近くにいたりしちゃう?」
茶番じみたやりとりを冷ややかに見届けてから、表情を引き締め、続けた。
「世の理から逸脱した行為ゆえに、彼らの底知れない好奇心は刺激されたんでしょうけど、成功しない実験に嫌気をさした魔術師もまた多かった。そんな中で一人、実験を続けた魔術師がいる。それが、さっきも言った、騎士すら凌駕する魔術師」
徐々に威圧感を帯びる創世神の声色に、カズヤの震えは無意識に収まっていた。
「彼は自分の生涯をかけて実験を続けた。しかし、生物の創造は完遂することができなかった。だが彼は、他の魔術師とは違う方法を思いついた」
「他の魔術師と、違う方法……? それは一体なんですか?」
「生物の創造ではなく、肉体の創造です」
その発言を聞いただけで、カズヤの中にあった疑惑が、確信へと変わろうとした。
「肉体……人族の体を創造するなんて、可能なのですか?」
「可能よ。魔術師は既に解剖などで人体の構造を熟知していたからね。人族の体を構成している元素は全部で二十九種で、六割は水でできているから、上手く調節していけば難なく創造できるわ」
「そうですか……しかし、納得できません。肉体を造りだした所で、命がなければ亡骸と変わりません」
「セレナちゃんの言う通り。人間を動かすには、やはり命──意思が必要だった。だから魔術師は、希少な魔石で代用しようとした。でも結局は、肉体が動くこともなく、魔石も取り出せなくなった」
「ならば、生物の創造は失敗に終わったのですね」
「ええ。魔術師はその後、禁書目録によって強制的に実験を止める他なかった。……だけど、行き過ぎた欲望を、抑えることができなかった。ゆえに魔術師は、自分の命を肉体に宿らせようとした」
「ッ!? そんなこと、不可能に決まってます!」
今度はセレナが声を荒げながら、全力で否定した。
それも当然だ。人界では、命が散れば天界へと召されると、古くから伝承されている。本当は天界など存在せず、普通に天に召されるだけなのだが……。
とにかく、人の命は消えれば二度と戻ることはない。例え、空っぽの肉体であろうと。
「結果、空の肉体に魂が乗り移ることはなかった。教会は魔術師の亡骸を廃棄したのち、創造された肉体を回収しようとしました。しかし……」
「肉体は、回収できなかった」
創世神の発言を遮り、カズヤが言った。
「魔術師の実験室にあるはずの肉体は何処にも存在せず、回収することができなかった。だからあなたは、監視生物を人界全土に放ったんですよね」
「……正解」
創世神の反応を見て、もはや疑う余地もなくなってしまった。
震えが収まった両手をきつく握り締め、カズヤは、自分が恐れた真実を述べた。
「魔術師は、生涯で創り上げた最高傑作を教会に手渡さず、辺境の地へと飛ばした。誰にも気付かれないほどの場所……。休息日以外に、あまり人が立ち寄らない森に」
「カズヤ……?」
隣から、怪訝そうな表情で尋ねてくるセレナの声が、この時だけは遠くから聞こえてきた。
「そして、その肉体にある魂が憑依した……。立て続けに起きた自然災害に巻き込まれ失われた命が、運悪く……」
──これ以上言うな! 戻れなくなるぞ!
思考が、喋ること自体を阻止しようとしてくる。だが今は、考えて喋っているのではなく、直感に任せて口が動いているため、全く意味がない。
「……俺、自分がなんで魔術が扱えるのかが、ずっと分からなかったんです。人界の民じゃないのに、たった数日勉強しただけで魔術が扱えることが。人界の民じゃないのに、なんで創世神の恩恵が扱えるのか。なんで、命を奪う真似をする時に、右眼が痛むのか」
異世界に来てから、まるで自分の体じゃないような現象は数多くあった。元の世界では一度も感じたことのない現象は、転移時のショックかと思っていた。
だがそれらは、一切異常ないことなんだ。この、異世界においては。
「……俺なんですよね。その、魔術師が創り出した、肉体っていうのは」
震える声で、創世神とセレナに告げた。最後の、望みを賭けて……。
──頼む! 一言、たった一言否定してくれるだけでいいんだ!
そうでもしなければ、俺は認めてしまうことになる。
騎士以上に、自分という存在が偽りであることを。
しかし、返ってきた答えは、願いとは違うものだった。
「邪教神に言われたのね。自分の体のことを」
「……それは、認めるということですか」
往生際悪くも、創世神に問い返す。
しばし間を空け、カップに注がれた紅茶を一口啜り、机に置いてから、普段と変わらぬ声色で語った。
「黙っていたけれど、君は既に亡くなっているの。あの日、邪教神の復活によって異世界全域に異常な自然現象が起きてしまい、あなたがいた世界との間に存在した壁に亀裂が生じた。衝撃は別世界にも及んでしまい、その事故にあなたは巻き込まれてしまった。でも、不幸中の幸いと言うべきか、あなたの魂は消滅することなくこちらの世界に紛れ込んだ」
「そして、コモレヴィの森に放置された肉体に乗り移った……というわけですね」
結論を急かすように答えながら、続けて尋ねた。
「でも、それなら俺はなぜ、元の世界と同じ顔なんですか。これも、偶然というんですか?」
「いえ、それは違います。肉体は魂の入れ物のため、最初に魂が想像した姿形へと変貌する様になっています。記憶は魂にも刻まれているため、記憶も失うことはなかったんでしょう。災害に巻き込まれたのに無傷だったのは、君が最後に見た自分の姿が、まだ傷を負っていない状態だったからよ」
「……成る程。人界の民でもない俺が魔術を扱えたのは、肉体がこの世界のものだからか。ですが、何故禁書目録を違反しようとしたら、右眼が痛むんですか?」
「君の体は魔術師が作り出した肉体のため、制限された機能が存在するのよ。作られた肉体には意思も記憶もないから、禁書目録は絶対遵守という掟も存在しない。だからもし、肉体を所持する者が禁書目録違反を働こうとしたら、人間の重要な器官である視覚に激しい痛みを発生させ、行動を抑制させようとする。と言っても君は、その制限を自分の力で無理矢理突破したけどね」
右眼を引っこ抜いて突破したが、あの痛みはそんな理由があったのか。
そして今、全てが分かった。
何故俺が無傷の上、見知らぬ格好で倒れていたのか。創世神の恩恵を使うことができるのかを。
俺はずっと、元の世界で過ごしてきた肉体がそのまま転移したとばかり考えていた。だが、元の肉体は既に死んでおり、今の肉体は人界で産まれたものだから、俺は魔術を扱えていたんだ。
最初から、憶測は間違っていた。俺は転移したのではなく、転生していたんだ。別の肉体に、魂が乗り移っていたんだ。
だがこの際、その辺はどうでもいい。
如何なる理由があろうと、俺という存在が偽りであることは変わらない。
元の世界では死亡扱い、異世界では間違った存在。
つまり俺という存在は、何処にも居場所がないも同然。世界の命運どうこう以前の話だったのだと、痛感させられた。
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