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第三部・三章 血流大戦(後編)
第十六話
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急げ。
急げ、急ぐんだ。
両の拳を握り締め、副騎士長ジンは胸の裡で繰り返しそう叫んだ。
広大な峡谷に張り渡された十本の荒縄を、暗黒騎士とデーモンたちが五本ずつ分け合って渡り始めている。
両手両脚を縄に絡め、ぶら下がって進もうとするのだが、綱渡りの訓練などしたことのない兵たちの動きはぎこちない。せめて全員分の命綱を用意し、配布する時間があればよかったのだが、皇帝はその猶予を与えてくれなかった。
飛竜を往復させる、というジンの希望もあっさり退けられてしまった。昨夜、特異点を奪取できなかった自分への戒めらしい。貴様らは我の命令に黙って従っていればいい、という皇帝の氷のような声が耳朶に染み付いている。
ジンが歯嚙みしつつ見守る先で、最も進みの早い部下がようやく縄の中ほどにまで達した。
黒色の鎧は早朝の冷気に晒されて淡く輝き、滴る汗がこの距離からでも見て取れる。やはり相当の荒行なのだ。
その時だった。
巨大な谷間を、ひときわ強い突風が吹き抜けた。
びょおおおっ! と縄が鳴り、左右に大きく揺れる。
「あっ……!」
ジンは思わず声を上げた。数人の同胞が、汗で濡れた掌を縄から滑らせたのだ。
谷間に反響する、吼えるような叫び声。
あれは断じて悲鳴ではない。と若き騎士は歯嚙みしながら念じた。戦場ではなく、曲芸の真似事をさせられたあげくに命を落とすことへの、無念の咆哮なのだ。
突風の一吹きで、十名を超える暗黒騎士とデーモンが、底無しの暗闇へと落下していった。
しかし、すぐ後に続く者たちは、果敢に綱渡りを続けた。こちら側の根本では、約三メルの間隔を開けて、次々と新たな兵が縄に取り付いていく。
無情にも、突風は断続的に吹き寄せ、その度に命が失われた。いつしか、ジンの握り拳からは、赤い滴が零れつつあった。
──無駄死にだ。
いや、それ以下だ。弔うべき骸すらも残らないのだから。
しかもその理由が、五種会議の悲願である人界侵攻ではなく、特異点などという代物を皇帝が欲しがっているからとなれば、故郷に残る者たちにどう詫びていいのかも解らない。
──急げ、急いてくれ。これ以上の邪魔が入る前に全員渡り終えてくれ。
若き騎士の願いが伝わったのか、あるいは綱渡りに慣れたせいか。速度を上げた先頭の兵らがようやく向こう岸に到着した。五秒ほど遅れて、次の者も大地に足を下ろす。
この調子だと、十本の縄を一万の兵が渡り終えるのに、一時間以上は楽に掛かる。そんな長時間、敵がこの作戦に気付かないなどということが有り得るとは思えない。
しかし、いまだけは万に一つの幸運を祈るしかなかった。
恐ろしいほどの速度で太陽が東の空から昇り、黒い大地を赤く照らし出していく。
対して、渡り終えた兵たちの数は、じれったいほどゆっくりとしか増えていかない。多くの落下者を出しながら、五十が百となり、二百となり、ようやく三百を超えた時。
谷の向こう岸、黒々と連なる丘の稜線に、六頭の騎馬が姿を現した。
──たった六……偵察兵か。ならば、敵が態勢を整えるまで、まだ少しの猶予はある。
その判断、あるいは希望は、一瞬で打ち砕かれた。
六騎は、峡谷目掛けて一直線に丘を駆け下り始めたのだ。翻るマント、煌めく甲冑、そして何よりも全員から陽炎のように立ち上る強烈な気配を、ジンは否応なく感じた。
──天界の騎士!
「敵襲だ!! 守れ!! 縄を死守しろぉ──ッ!!」
対岸に降り立っているラギルスの叫びが、まるで耳元で叫ばれているかのように響いた。
すでに渡溝を終えた三百強の兵たちの半数が、縄を留める丸太杭の根本で円陣を組む。残りはその前に並び、迎撃態勢を取る。
飛翔するが如き速度で、丘から峡谷までの千メルを駆け抜けた敵騎士たちは、同時に馬から飛び降りると一丸となって右端の縄へと突進した。
先頭を走るのは、ゆったりとした異国の衣装をまとう偉丈夫。その右には、昨夜ジンと戦ったカズヤの姿が見える。左には、漆黒の鎧を輝かせる女騎士。
三人に囲まれた鎧を着ていない男が一人と、さらにその後ろにもう二人いるようだが、詳細は確認できない。
額に浮かぶ冷や汗を飛び散らせながら、数十人の暗黒騎士が六人の騎士を包み込むように突進した。
「ハアァァ────ッ!!」
猛々しい喊声とともに、剣が騎士らに降り注ぐ。
ちか、ちかちか、と剣光が立て続けに瞬いた。
大量の鮮血が、逆向きの滝となって空へと噴き上がった。その下で、暗黒騎士たちの腕が、脚が、そして首が呆気なく体から切り離されるのが見えた。
直後。
三騎士の背後から、銀色の輝きが、光の帯を引きながら高々と舞い上がった。
それは、赤い朝焼けの中、弧を描いて暗黒騎士たちの頭を飛び越え──いまも大量の兵たちが取り付いている、右端の縄へと──。
「や、やめろおおおぉぉぉ──ッ!!」
自身の絶叫に紛れることなく、ぶつっ、というかすかな切断音を聞き分けた。
決して斬れないはずの荒縄が、中央から切断される。張力の反動で、大蛇のように宙をうねった。
ひとたまりもなく振り落とされ、谷底へと落ちていく数十人の同胞たち。
その光景を、見開いた両眼に焼き付けながら、ジンは我知らず口走っていた。
「これは……これは、戦なんかじゃない。こんなものが、戦いと呼べるのか」
背後に立ち並ぶ騎士も、いまばかりは何も言えないようだった。
軽業師の真似事をさせられたあげく、敵の前に立つことすら叶わずに、地割れに呑み込まれていく仲間たち。彼らは断じて、こんな死に方をするために長く辛い修練に耐えてきたのではない。
故郷で彼らの帰りを待つ、老いた親や幼い子供らに何と伝えればいいのだ。敵の刃に雄々しく立ち向かい、誉れある散りざまを得たのではなく、鍛えた剣技を振るう機会も与えられぬまま地の底に消えたなどと、どうして言えよう。
立ち尽くすジンの耳に、騎士たちの無念の絶叫が幾重にもこだました。
──必ず、仇は取る。だから許せ。何もできない俺を、許してくれ。
ひたすらにそう念じたものの、しかし何者を仇と定めればいいのか、ジンには即座に判断できなかった。
十倍もの軍勢を前に、敵の天界の騎士たちも必死なのだ。こちらの兵が全員谷を渡り、整列し終えるまで待っていてくれ、などと頼めるはずもない。むしろ、時宜を逃さず対応するために、たった六人で斬り込んできたその胆力は見事ですらある。
ならば、いったい誰が。
何者が、騎士たちの犬死にの責を負うべきなのか。
こうしてただ、阿呆のように両手を握って立っていることしかできない俺か。
それとも──。
歪む視界の向こうで、二本目の縄が切断されて宙に舞った。
銀色の光が、きらきらと瞬きながら暁の空に大きな弧を描く。
一秒後、乾いた音とともに太いロープが真ん中から切断され、黒い蛇のように宙をうねった。それにしがみついていた数十人の敵兵たちが、口々に悲鳴を上げながら底無しの峡谷へ落下していく。ロープを切った投刃は、急角度でターンして、主であるワタルの手に戻る。
創世神とワタルの二人で生成した鋼素で出来た投刃は、恐ろしいまでの精密性と鋭さを兼ね備えていた。
敷設された十本のロープのうち、速くも五本が切断される様子を見ても、誰一人として誇らしい気にはなれなかった。むしろ、無慈悲な命令を受けて捨て身で谷を横断している敵兵たちの、文字通りの命綱を断つことに苦痛を感じているようだ。
それは、ワタルの傍らで白馬の手綱を握るヒヅキも同じだった。
ヒサカゲとカズヤ、セレナ、キクノ、ワタル、ヒヅキの五人が馬で駆けつけた時にはもう数百人の敵兵が峡谷を渡り終えていて、彼らは残りのロープを守るべく果敢に攻撃してきた。ほとんどの敵は先を行くヒサカゲ、キクノ、カズヤの三人が斬り伏せたが、数名は側面からワタルを狙ってきて、彼を守るためにセレナとヒヅキも剣を振るわざるを得なかった。
敵兵士の傷口から迸る鮮血と怨嗟の満ちた悲鳴、そして失われる命は、ヒヅキの心に耐えがたい痛みをもたらした。
しかも、悲壮な決意を秘めた表情で次々と飛びかかってくる黒騎士やデーモンたちは、決して己の意思でそうしているわけではない。
絶対強者である皇帝に命じられ、無駄死にと知りつつ攻撃してきているのだ。
しかしヒヅキは、全精神力を振り絞ってその考えを意識から排除した。
いまは邪教神を倒すことを、何よりも優先しなくてはならない。
魔界の戦力は、この暗黒騎士団とデーモンを残すのみと聞いた。無謀な峡谷横断作戦を逆利用して敵兵力を損耗させれば、邪教神の打てる手も尽きてくるはずだ。
「──よし、六本目に行くぞ!!」
騎士長ヒサカゲの力強い声が、ヒヅキの想念を中断させた。即座に応答するカズヤ、キクノ、セレナに少し遅れて、ワタルも「はい!」と叫び返す。
馬首を巡らせて西に移動しようとした時、後方で角笛の音が高らかに響き渡った。
振り向くと、約一キロ離れた丘を、整然と隊列を組んだ人界守備軍囮部隊の衛士たちが駆け下りてくる光景が見えた。騎士たちに遅れることわずか十五分で武装と編成を終え、野営地から出撃してきたのだ。
「ったく……大人しくしてない奴らだ」
ヒサカゲは渋い顔で衛士たちを見やったが、すでに峡谷を渡り終えた敵兵の数は五百ほどにも達しているので、このタイミングでの援軍はありがたい。衛士たちが敵兵を牽制してくれれば、残り五本のロープを切るのにそう苦労はするまい。
──この戦いは、どうやらこっちの勝ちね、兄さん。
ヒヅキが胸中で呟いた、その言葉が消えないうちに。
奇妙な現象を、両の瞳がとらえた。
血の色の朝焼けに染まる空から、不思議なものが降りてくる。
空よりもひときわ紅く輝く線。一本ではない。数十……数百。
いや、数千か。
降り注ぐ線は密度を上げていき、やがて一本の柱となって、峡谷のこちら側、戦場から東に一、二キロほど離れた場所に音もなく降り注いだ。
いつしか、ヒヅキのみならず他の騎士たちや、魔界の暗黒騎士やデーモンたちさえも、足を止めてその奇妙な現象に見入っていた。
乾いた地面に突き刺さった最初の赤線が、不定形の塊となって蠢き──。
それが人の形を取るまで、ほんの数秒しかかからなかった。
暗黒騎士副団長ジンは、身のうちに滾る憤怒を、一瞬にせよ忘れた。
──あれは、何だ。
どうにか縄を渡り終えた五百人の魔界兵が、六人の敵兵に果敢に攻め掛かろうとしている。
しかし、突然彼らの動きが止まり、呆気に取られた様子で戦場の外に眼を向けた。
引き寄せられるように顔を動かしたジンが見たのは、彼らから東に二キロルほど離れた場所に降り注ぐ、深紅の雨だった。
天から、奇妙な振動音を放ちつつ、無数の赤い線が伸びてくる。
それらは、地面に接すると同時に膨れ上がり、たちまち人間の姿へと変化した。
出現したのは、暗赤色の鎧に身を固め、長剣や戦斧、長槍で武装した兵士たちだった。
色はともかく、鎧の形状は暗黒騎士団のそれとよく似ている。皇帝が、神の力で援軍を送り込んだのか、と最初は思った。
しかし直後、言いしれない違和感がジンを襲った。
赤い兵士たちの、規律や統制とは無縁な立ち姿は、騎士団の一員だとはとても思えない。
そして何よりも、彼らの数。
奇妙な雨がようやく止んだ時、大地に出現した兵士たちの集団は、にわかに信じがたい規模にまで膨らんでいた。ざっと目算しただけでも一万は軽く超え、二万……ことによると三万人にも達するだろう。暗黒騎士団にそれほどの予備兵力があったのなら、五種会議などとっくに形骸化し、ラギルスが魔界の実質的支配者となっていたはずだ。
それに、こちら側で綱渡りの順番を待っている暗黒騎士たちの間からも、驚きの声が上がっている。全員知らないのだ。あの軍団が何なのか。
だとすればやはり、あの赤い兵士たちは、皇帝にして堕天の神である邪教神が地の底かどこかから秘術によって召喚した、《死邪》なのだろう。
そう認識した直後、ジンの驚きは、深い憤りへと変化した。
あんな大軍を召喚できるのなら──。
なぜ、もっと早く実行しなかったのか。これでは、無謀な横断作戦で命を散らした同胞とデーモンたちは、敵を陣地から引っ張り出すための囮だったかのようではないか。
いや──もしかしたら、それが真実なのか。
皇帝は、自らの軍団で倒させる敵をおびき寄せるだけのために、あんな、まるで殺してくれと言わんばかりの横断作戦を命じたのか。
…………違う。
今回の作戦に限ったことじゃない。大門への攻撃が始まったその時から、魔界の被害は大きすぎた。ゴブリン隊、ジャイアント隊、オーガ隊、女性騎士団をほぼ全滅させておきながら、皇帝は彼らの死を悼むどころか、姿を現そうとさえしなかったのだ。
つまり、皇帝にとっては、五万もの魔界全てが最初からただの捨石だったということだ。
若き副騎士長ジンはこれまで、ラギルスと騎士団員以外に興味を持たない若者だった。
いまこの瞬間、彼は初めて、自らが属する魔界と人界を含む世界全体を俯瞰する視点を得た。その見地は、彼の中に、解決不可能な矛盾を生み出した。
邪教神は我ら騎士団にとって、絶対的な君主。魔界は、強者に従わなければならない。
しかし。
しかし──。
行き場のない苛立ちを胸に秘めた副騎士長の視線の先で、三万にも及ぶ深紅の軍勢が走り始めた。
彼らの行く手では、峡谷南側の丘を降りてきた約一千の人界守備軍の兵士たちが、天界の騎士と合流して迎撃態勢を取りつつある。
そして両者の中間では、五百の暗黒騎士とデーモンたちが、どう動けばいいのか解らない様子で立ち尽くす。
いかに邪教神の策が無慈悲極まるものであろうとも、しかしこれで、少なくともあの五百人の命は救われたことになるのか。
ジンは、意識の片隅でそう思った。
しかし彼は、この期に及んでもなお、邪教神の冷酷さを見誤っていた。
皇帝が召喚した三万の軍勢は、人界軍ではなく、わずか五百の魔界軍に真っ先に襲いかかったのだ。
無数の剣が、戦斧が、槍が、赤い朝陽を浴びてぎらぎらと輝き──。
血に飢えた叫び声とともに、味方であるはずの暗黒騎士やデーモン目掛けて振り下ろされた。
「な……何なんだ、あの連中は!?」
騎士長ヒサカゲの驚声に、カズヤは何と答えていいのか解らなかった。
突然戦場の東側に降下した三万もの兵士たちは、邪教神が呼び出した軍勢であることは明らかだ。
「まさか……死邪」
セレナの唖然とした一言に、全員が反応する。
有り得ない。死邪は邪教神が選別した四人から構成される地位。あれだけの軍勢を有しているなど、ヒヅキ自身も知り得ていない。
いや。
いや──。
忘れたのか。魔界は何百という時間を戦力強化に費やした。邪教神もまた、今度こそ全てを支配するために力を蓄えてもなんらおかしくはない。
しかし、なればこそだ。
死邪はなぜ、友軍であるはずの暗黒騎士とデーモンたちに真っ先に襲い掛かり、躊躇いなく剣や斧を振り下ろしているんだ。
「な、何を……!?」
「お前たち、味方じゃないのか……!?」
騎士たちは驚愕の声を漏らしながら攻撃を防ごうとするが、余りにも数が違いすぎる。更に、赤い兵士たちの武器や鎧は、魔界軍のそれよりスペックが上らしく、掲げられた剣や盾を次々とへし折り、打ち砕いていく。両軍の衝突部では、たちまち悲鳴と鮮血が迸り始める。
「……騎士長、提案があります」
両の拳を強く握りながら、隣に立つ師匠に物申す。他の騎士の視線が集まるのを意識しながら、躊躇わず口にする。
「死邪を倒しましょう……」
俺の提案に、全員が息を呑む。
今の発言をそのまま捉えるなら、遠回しに魔界軍を救助していることになる。
敵である魔界軍を助けるなんて馬鹿げている。むしろこの状況を利用して後方に撤退。死邪と思しき軍勢から距離を取って迎撃態勢を整えるべきだ。
それが騎士として、正しい選択なのだ。
──でも、それでも俺は。
目の前で無為に散る命に震えるカズヤの右肩を──。
華奢な手が、しっかりと押さえた。
「……ヒヅキさん……!?」
嗄れ声で、神の巫女の名を叫ぶ。
美貌に確たる決意を浮かべた創世神ヒヅキは、素早くかぶりを振ると言った。
「駄目よ、カズヤくん。彼らには悪いけど……今あなたを失うわけにはいかない」
「で……でも、こんなのって……いくら敵だからって、こんなの間違ってます!」
右肩を押さえる手を振り払い、人外守備軍全員の前に飛び出すと、大声で叫ぶ。
「お願いします、皆さん! 死邪を倒すために力を貸してください!」
ふざけた命令──願いだと、自分でも分かる。
当然、誰も動かなかった。
それでも俺は、激しく身振りしながら必死に訴えた。
「……俺たちの、人界守備軍目的はなんですか!? 魔界軍の根絶? 人界の民以外の殲滅? どれも違うでしょ! 俺たちが戦ってる理由は、人界を守るためでしょ!」
ざわめきがピタリと収まり、張り詰めた静寂が囮部隊全体を満たしていた。騎士たちも、意表を突かれたように両眼を見開いている。
自分の言葉がどこに行き着くのか、カズヤにも解らなかった。ただ溢れてくる感情を、意思を、一生懸命言葉に変え続けた。
「魔界の民も同じだ! 邪教神の命令なんかじゃない。彼らにも、俺たちと同じ信念があり、守りたい存在がいるから戦っているんだ!」
張り詰めた緊張感が、急激に高まっていく。針で一突きすれば、何倍もの怒りが爆発するに違いない。
しかし、カズヤは、左手を胸に押し当てて尚も叫んだ。
「彼らも、俺たち同じ人間なんだ! 魔界を守るために剣を取り、そこで待つ家族や友人、愛する人のために戦ってる、俺たちと同じ命を持った存在なんだ!!」
胸から離した手で、今なお無惨に殺されていく魔界の民──同じ存在を指し示す。
「同じ思いを胸に戦うみんななら分かるはずだ! 仲間を失う辛さや……悔しさがッ!!」
ついに、カズヤの眼から涙が溢れた。それを拭いもせず、カズヤは最後の言葉を絞り出した。
「……力や、争いだけじゃ本当の平和なんか手に入らない! 強い憎しみと哀しみしか残らないッ!! 対話し、苦しみや悲しみを分かち合って初めて、平和の尊さに気付くんだ! 今死邪を放置し、魔界軍が全滅したら、残された者たちから憎しみが生まれて、また新たな戦争が始まる! それを避けるためにも、今は彼らを守るべきなんだ!! お願いします……力を貸してください……!!」
躊躇なく頭を下げ、戦場に立つ者全員に懇願する。
戸惑い、焦り、共感する囁き声があちこちから聞こえてくる。だが、誰一人として共に戦うと名乗り出てはくれない。
「……やりましょう、カズヤ」
緊迫した空気を破ったのは、硬い決意を浮かべた騎士セレナだ。
隣に並び立つと、真正面に顔を向けながら言った。
「私の任務は、お前の護衛……ならば、如何なる場所だろうと共に行動せねばいけませんからね」
「……セレナ……」
「それに……死邪は後の我々にとっても弊害となり得る。……魔界と共闘してでも排除しておきたいですしね」
不謹慎極まりない提案をサラリと言ってのけると、囮部隊全体を戸惑いが支配する。
宿敵である魔界と共闘するなど、誰も考えたことが、考えようともしなかった。
「……今のうちに削れる戦力は削るべき、だな」
セレナの言葉を引き取り、騎士長ヒサカゲが太く笑った。
この状況でも余裕を失わない騎士たちの胆力は見事だが、彼らの表情には、これまで以上の覚悟が漲っていることをカズヤは察した。
騎士長は俺たちの前に立つと、振り返って宣言した。
「強制はしない。オレたちについてくる奴らは、前に出ろ」
最高指揮官の指示を聞いた衛士たちに、戸惑いと焦燥が浮かび上がる。だが、数秒後にはそれが完全に消え去り──。
磨き込まれた長剣を高々と掲げ、雄叫びを上げた。
騎士長は強く頷き、強靭な声を響かせた。
「よおォし!! 全軍、密集陣形!! 死邪に包囲された魔界軍を救助したのち、一点突破でずらかるぞ!!」
急げ、急ぐんだ。
両の拳を握り締め、副騎士長ジンは胸の裡で繰り返しそう叫んだ。
広大な峡谷に張り渡された十本の荒縄を、暗黒騎士とデーモンたちが五本ずつ分け合って渡り始めている。
両手両脚を縄に絡め、ぶら下がって進もうとするのだが、綱渡りの訓練などしたことのない兵たちの動きはぎこちない。せめて全員分の命綱を用意し、配布する時間があればよかったのだが、皇帝はその猶予を与えてくれなかった。
飛竜を往復させる、というジンの希望もあっさり退けられてしまった。昨夜、特異点を奪取できなかった自分への戒めらしい。貴様らは我の命令に黙って従っていればいい、という皇帝の氷のような声が耳朶に染み付いている。
ジンが歯嚙みしつつ見守る先で、最も進みの早い部下がようやく縄の中ほどにまで達した。
黒色の鎧は早朝の冷気に晒されて淡く輝き、滴る汗がこの距離からでも見て取れる。やはり相当の荒行なのだ。
その時だった。
巨大な谷間を、ひときわ強い突風が吹き抜けた。
びょおおおっ! と縄が鳴り、左右に大きく揺れる。
「あっ……!」
ジンは思わず声を上げた。数人の同胞が、汗で濡れた掌を縄から滑らせたのだ。
谷間に反響する、吼えるような叫び声。
あれは断じて悲鳴ではない。と若き騎士は歯嚙みしながら念じた。戦場ではなく、曲芸の真似事をさせられたあげくに命を落とすことへの、無念の咆哮なのだ。
突風の一吹きで、十名を超える暗黒騎士とデーモンが、底無しの暗闇へと落下していった。
しかし、すぐ後に続く者たちは、果敢に綱渡りを続けた。こちら側の根本では、約三メルの間隔を開けて、次々と新たな兵が縄に取り付いていく。
無情にも、突風は断続的に吹き寄せ、その度に命が失われた。いつしか、ジンの握り拳からは、赤い滴が零れつつあった。
──無駄死にだ。
いや、それ以下だ。弔うべき骸すらも残らないのだから。
しかもその理由が、五種会議の悲願である人界侵攻ではなく、特異点などという代物を皇帝が欲しがっているからとなれば、故郷に残る者たちにどう詫びていいのかも解らない。
──急げ、急いてくれ。これ以上の邪魔が入る前に全員渡り終えてくれ。
若き騎士の願いが伝わったのか、あるいは綱渡りに慣れたせいか。速度を上げた先頭の兵らがようやく向こう岸に到着した。五秒ほど遅れて、次の者も大地に足を下ろす。
この調子だと、十本の縄を一万の兵が渡り終えるのに、一時間以上は楽に掛かる。そんな長時間、敵がこの作戦に気付かないなどということが有り得るとは思えない。
しかし、いまだけは万に一つの幸運を祈るしかなかった。
恐ろしいほどの速度で太陽が東の空から昇り、黒い大地を赤く照らし出していく。
対して、渡り終えた兵たちの数は、じれったいほどゆっくりとしか増えていかない。多くの落下者を出しながら、五十が百となり、二百となり、ようやく三百を超えた時。
谷の向こう岸、黒々と連なる丘の稜線に、六頭の騎馬が姿を現した。
──たった六……偵察兵か。ならば、敵が態勢を整えるまで、まだ少しの猶予はある。
その判断、あるいは希望は、一瞬で打ち砕かれた。
六騎は、峡谷目掛けて一直線に丘を駆け下り始めたのだ。翻るマント、煌めく甲冑、そして何よりも全員から陽炎のように立ち上る強烈な気配を、ジンは否応なく感じた。
──天界の騎士!
「敵襲だ!! 守れ!! 縄を死守しろぉ──ッ!!」
対岸に降り立っているラギルスの叫びが、まるで耳元で叫ばれているかのように響いた。
すでに渡溝を終えた三百強の兵たちの半数が、縄を留める丸太杭の根本で円陣を組む。残りはその前に並び、迎撃態勢を取る。
飛翔するが如き速度で、丘から峡谷までの千メルを駆け抜けた敵騎士たちは、同時に馬から飛び降りると一丸となって右端の縄へと突進した。
先頭を走るのは、ゆったりとした異国の衣装をまとう偉丈夫。その右には、昨夜ジンと戦ったカズヤの姿が見える。左には、漆黒の鎧を輝かせる女騎士。
三人に囲まれた鎧を着ていない男が一人と、さらにその後ろにもう二人いるようだが、詳細は確認できない。
額に浮かぶ冷や汗を飛び散らせながら、数十人の暗黒騎士が六人の騎士を包み込むように突進した。
「ハアァァ────ッ!!」
猛々しい喊声とともに、剣が騎士らに降り注ぐ。
ちか、ちかちか、と剣光が立て続けに瞬いた。
大量の鮮血が、逆向きの滝となって空へと噴き上がった。その下で、暗黒騎士たちの腕が、脚が、そして首が呆気なく体から切り離されるのが見えた。
直後。
三騎士の背後から、銀色の輝きが、光の帯を引きながら高々と舞い上がった。
それは、赤い朝焼けの中、弧を描いて暗黒騎士たちの頭を飛び越え──いまも大量の兵たちが取り付いている、右端の縄へと──。
「や、やめろおおおぉぉぉ──ッ!!」
自身の絶叫に紛れることなく、ぶつっ、というかすかな切断音を聞き分けた。
決して斬れないはずの荒縄が、中央から切断される。張力の反動で、大蛇のように宙をうねった。
ひとたまりもなく振り落とされ、谷底へと落ちていく数十人の同胞たち。
その光景を、見開いた両眼に焼き付けながら、ジンは我知らず口走っていた。
「これは……これは、戦なんかじゃない。こんなものが、戦いと呼べるのか」
背後に立ち並ぶ騎士も、いまばかりは何も言えないようだった。
軽業師の真似事をさせられたあげく、敵の前に立つことすら叶わずに、地割れに呑み込まれていく仲間たち。彼らは断じて、こんな死に方をするために長く辛い修練に耐えてきたのではない。
故郷で彼らの帰りを待つ、老いた親や幼い子供らに何と伝えればいいのだ。敵の刃に雄々しく立ち向かい、誉れある散りざまを得たのではなく、鍛えた剣技を振るう機会も与えられぬまま地の底に消えたなどと、どうして言えよう。
立ち尽くすジンの耳に、騎士たちの無念の絶叫が幾重にもこだました。
──必ず、仇は取る。だから許せ。何もできない俺を、許してくれ。
ひたすらにそう念じたものの、しかし何者を仇と定めればいいのか、ジンには即座に判断できなかった。
十倍もの軍勢を前に、敵の天界の騎士たちも必死なのだ。こちらの兵が全員谷を渡り、整列し終えるまで待っていてくれ、などと頼めるはずもない。むしろ、時宜を逃さず対応するために、たった六人で斬り込んできたその胆力は見事ですらある。
ならば、いったい誰が。
何者が、騎士たちの犬死にの責を負うべきなのか。
こうしてただ、阿呆のように両手を握って立っていることしかできない俺か。
それとも──。
歪む視界の向こうで、二本目の縄が切断されて宙に舞った。
銀色の光が、きらきらと瞬きながら暁の空に大きな弧を描く。
一秒後、乾いた音とともに太いロープが真ん中から切断され、黒い蛇のように宙をうねった。それにしがみついていた数十人の敵兵たちが、口々に悲鳴を上げながら底無しの峡谷へ落下していく。ロープを切った投刃は、急角度でターンして、主であるワタルの手に戻る。
創世神とワタルの二人で生成した鋼素で出来た投刃は、恐ろしいまでの精密性と鋭さを兼ね備えていた。
敷設された十本のロープのうち、速くも五本が切断される様子を見ても、誰一人として誇らしい気にはなれなかった。むしろ、無慈悲な命令を受けて捨て身で谷を横断している敵兵たちの、文字通りの命綱を断つことに苦痛を感じているようだ。
それは、ワタルの傍らで白馬の手綱を握るヒヅキも同じだった。
ヒサカゲとカズヤ、セレナ、キクノ、ワタル、ヒヅキの五人が馬で駆けつけた時にはもう数百人の敵兵が峡谷を渡り終えていて、彼らは残りのロープを守るべく果敢に攻撃してきた。ほとんどの敵は先を行くヒサカゲ、キクノ、カズヤの三人が斬り伏せたが、数名は側面からワタルを狙ってきて、彼を守るためにセレナとヒヅキも剣を振るわざるを得なかった。
敵兵士の傷口から迸る鮮血と怨嗟の満ちた悲鳴、そして失われる命は、ヒヅキの心に耐えがたい痛みをもたらした。
しかも、悲壮な決意を秘めた表情で次々と飛びかかってくる黒騎士やデーモンたちは、決して己の意思でそうしているわけではない。
絶対強者である皇帝に命じられ、無駄死にと知りつつ攻撃してきているのだ。
しかしヒヅキは、全精神力を振り絞ってその考えを意識から排除した。
いまは邪教神を倒すことを、何よりも優先しなくてはならない。
魔界の戦力は、この暗黒騎士団とデーモンを残すのみと聞いた。無謀な峡谷横断作戦を逆利用して敵兵力を損耗させれば、邪教神の打てる手も尽きてくるはずだ。
「──よし、六本目に行くぞ!!」
騎士長ヒサカゲの力強い声が、ヒヅキの想念を中断させた。即座に応答するカズヤ、キクノ、セレナに少し遅れて、ワタルも「はい!」と叫び返す。
馬首を巡らせて西に移動しようとした時、後方で角笛の音が高らかに響き渡った。
振り向くと、約一キロ離れた丘を、整然と隊列を組んだ人界守備軍囮部隊の衛士たちが駆け下りてくる光景が見えた。騎士たちに遅れることわずか十五分で武装と編成を終え、野営地から出撃してきたのだ。
「ったく……大人しくしてない奴らだ」
ヒサカゲは渋い顔で衛士たちを見やったが、すでに峡谷を渡り終えた敵兵の数は五百ほどにも達しているので、このタイミングでの援軍はありがたい。衛士たちが敵兵を牽制してくれれば、残り五本のロープを切るのにそう苦労はするまい。
──この戦いは、どうやらこっちの勝ちね、兄さん。
ヒヅキが胸中で呟いた、その言葉が消えないうちに。
奇妙な現象を、両の瞳がとらえた。
血の色の朝焼けに染まる空から、不思議なものが降りてくる。
空よりもひときわ紅く輝く線。一本ではない。数十……数百。
いや、数千か。
降り注ぐ線は密度を上げていき、やがて一本の柱となって、峡谷のこちら側、戦場から東に一、二キロほど離れた場所に音もなく降り注いだ。
いつしか、ヒヅキのみならず他の騎士たちや、魔界の暗黒騎士やデーモンたちさえも、足を止めてその奇妙な現象に見入っていた。
乾いた地面に突き刺さった最初の赤線が、不定形の塊となって蠢き──。
それが人の形を取るまで、ほんの数秒しかかからなかった。
暗黒騎士副団長ジンは、身のうちに滾る憤怒を、一瞬にせよ忘れた。
──あれは、何だ。
どうにか縄を渡り終えた五百人の魔界兵が、六人の敵兵に果敢に攻め掛かろうとしている。
しかし、突然彼らの動きが止まり、呆気に取られた様子で戦場の外に眼を向けた。
引き寄せられるように顔を動かしたジンが見たのは、彼らから東に二キロルほど離れた場所に降り注ぐ、深紅の雨だった。
天から、奇妙な振動音を放ちつつ、無数の赤い線が伸びてくる。
それらは、地面に接すると同時に膨れ上がり、たちまち人間の姿へと変化した。
出現したのは、暗赤色の鎧に身を固め、長剣や戦斧、長槍で武装した兵士たちだった。
色はともかく、鎧の形状は暗黒騎士団のそれとよく似ている。皇帝が、神の力で援軍を送り込んだのか、と最初は思った。
しかし直後、言いしれない違和感がジンを襲った。
赤い兵士たちの、規律や統制とは無縁な立ち姿は、騎士団の一員だとはとても思えない。
そして何よりも、彼らの数。
奇妙な雨がようやく止んだ時、大地に出現した兵士たちの集団は、にわかに信じがたい規模にまで膨らんでいた。ざっと目算しただけでも一万は軽く超え、二万……ことによると三万人にも達するだろう。暗黒騎士団にそれほどの予備兵力があったのなら、五種会議などとっくに形骸化し、ラギルスが魔界の実質的支配者となっていたはずだ。
それに、こちら側で綱渡りの順番を待っている暗黒騎士たちの間からも、驚きの声が上がっている。全員知らないのだ。あの軍団が何なのか。
だとすればやはり、あの赤い兵士たちは、皇帝にして堕天の神である邪教神が地の底かどこかから秘術によって召喚した、《死邪》なのだろう。
そう認識した直後、ジンの驚きは、深い憤りへと変化した。
あんな大軍を召喚できるのなら──。
なぜ、もっと早く実行しなかったのか。これでは、無謀な横断作戦で命を散らした同胞とデーモンたちは、敵を陣地から引っ張り出すための囮だったかのようではないか。
いや──もしかしたら、それが真実なのか。
皇帝は、自らの軍団で倒させる敵をおびき寄せるだけのために、あんな、まるで殺してくれと言わんばかりの横断作戦を命じたのか。
…………違う。
今回の作戦に限ったことじゃない。大門への攻撃が始まったその時から、魔界の被害は大きすぎた。ゴブリン隊、ジャイアント隊、オーガ隊、女性騎士団をほぼ全滅させておきながら、皇帝は彼らの死を悼むどころか、姿を現そうとさえしなかったのだ。
つまり、皇帝にとっては、五万もの魔界全てが最初からただの捨石だったということだ。
若き副騎士長ジンはこれまで、ラギルスと騎士団員以外に興味を持たない若者だった。
いまこの瞬間、彼は初めて、自らが属する魔界と人界を含む世界全体を俯瞰する視点を得た。その見地は、彼の中に、解決不可能な矛盾を生み出した。
邪教神は我ら騎士団にとって、絶対的な君主。魔界は、強者に従わなければならない。
しかし。
しかし──。
行き場のない苛立ちを胸に秘めた副騎士長の視線の先で、三万にも及ぶ深紅の軍勢が走り始めた。
彼らの行く手では、峡谷南側の丘を降りてきた約一千の人界守備軍の兵士たちが、天界の騎士と合流して迎撃態勢を取りつつある。
そして両者の中間では、五百の暗黒騎士とデーモンたちが、どう動けばいいのか解らない様子で立ち尽くす。
いかに邪教神の策が無慈悲極まるものであろうとも、しかしこれで、少なくともあの五百人の命は救われたことになるのか。
ジンは、意識の片隅でそう思った。
しかし彼は、この期に及んでもなお、邪教神の冷酷さを見誤っていた。
皇帝が召喚した三万の軍勢は、人界軍ではなく、わずか五百の魔界軍に真っ先に襲いかかったのだ。
無数の剣が、戦斧が、槍が、赤い朝陽を浴びてぎらぎらと輝き──。
血に飢えた叫び声とともに、味方であるはずの暗黒騎士やデーモン目掛けて振り下ろされた。
「な……何なんだ、あの連中は!?」
騎士長ヒサカゲの驚声に、カズヤは何と答えていいのか解らなかった。
突然戦場の東側に降下した三万もの兵士たちは、邪教神が呼び出した軍勢であることは明らかだ。
「まさか……死邪」
セレナの唖然とした一言に、全員が反応する。
有り得ない。死邪は邪教神が選別した四人から構成される地位。あれだけの軍勢を有しているなど、ヒヅキ自身も知り得ていない。
いや。
いや──。
忘れたのか。魔界は何百という時間を戦力強化に費やした。邪教神もまた、今度こそ全てを支配するために力を蓄えてもなんらおかしくはない。
しかし、なればこそだ。
死邪はなぜ、友軍であるはずの暗黒騎士とデーモンたちに真っ先に襲い掛かり、躊躇いなく剣や斧を振り下ろしているんだ。
「な、何を……!?」
「お前たち、味方じゃないのか……!?」
騎士たちは驚愕の声を漏らしながら攻撃を防ごうとするが、余りにも数が違いすぎる。更に、赤い兵士たちの武器や鎧は、魔界軍のそれよりスペックが上らしく、掲げられた剣や盾を次々とへし折り、打ち砕いていく。両軍の衝突部では、たちまち悲鳴と鮮血が迸り始める。
「……騎士長、提案があります」
両の拳を強く握りながら、隣に立つ師匠に物申す。他の騎士の視線が集まるのを意識しながら、躊躇わず口にする。
「死邪を倒しましょう……」
俺の提案に、全員が息を呑む。
今の発言をそのまま捉えるなら、遠回しに魔界軍を救助していることになる。
敵である魔界軍を助けるなんて馬鹿げている。むしろこの状況を利用して後方に撤退。死邪と思しき軍勢から距離を取って迎撃態勢を整えるべきだ。
それが騎士として、正しい選択なのだ。
──でも、それでも俺は。
目の前で無為に散る命に震えるカズヤの右肩を──。
華奢な手が、しっかりと押さえた。
「……ヒヅキさん……!?」
嗄れ声で、神の巫女の名を叫ぶ。
美貌に確たる決意を浮かべた創世神ヒヅキは、素早くかぶりを振ると言った。
「駄目よ、カズヤくん。彼らには悪いけど……今あなたを失うわけにはいかない」
「で……でも、こんなのって……いくら敵だからって、こんなの間違ってます!」
右肩を押さえる手を振り払い、人外守備軍全員の前に飛び出すと、大声で叫ぶ。
「お願いします、皆さん! 死邪を倒すために力を貸してください!」
ふざけた命令──願いだと、自分でも分かる。
当然、誰も動かなかった。
それでも俺は、激しく身振りしながら必死に訴えた。
「……俺たちの、人界守備軍目的はなんですか!? 魔界軍の根絶? 人界の民以外の殲滅? どれも違うでしょ! 俺たちが戦ってる理由は、人界を守るためでしょ!」
ざわめきがピタリと収まり、張り詰めた静寂が囮部隊全体を満たしていた。騎士たちも、意表を突かれたように両眼を見開いている。
自分の言葉がどこに行き着くのか、カズヤにも解らなかった。ただ溢れてくる感情を、意思を、一生懸命言葉に変え続けた。
「魔界の民も同じだ! 邪教神の命令なんかじゃない。彼らにも、俺たちと同じ信念があり、守りたい存在がいるから戦っているんだ!」
張り詰めた緊張感が、急激に高まっていく。針で一突きすれば、何倍もの怒りが爆発するに違いない。
しかし、カズヤは、左手を胸に押し当てて尚も叫んだ。
「彼らも、俺たち同じ人間なんだ! 魔界を守るために剣を取り、そこで待つ家族や友人、愛する人のために戦ってる、俺たちと同じ命を持った存在なんだ!!」
胸から離した手で、今なお無惨に殺されていく魔界の民──同じ存在を指し示す。
「同じ思いを胸に戦うみんななら分かるはずだ! 仲間を失う辛さや……悔しさがッ!!」
ついに、カズヤの眼から涙が溢れた。それを拭いもせず、カズヤは最後の言葉を絞り出した。
「……力や、争いだけじゃ本当の平和なんか手に入らない! 強い憎しみと哀しみしか残らないッ!! 対話し、苦しみや悲しみを分かち合って初めて、平和の尊さに気付くんだ! 今死邪を放置し、魔界軍が全滅したら、残された者たちから憎しみが生まれて、また新たな戦争が始まる! それを避けるためにも、今は彼らを守るべきなんだ!! お願いします……力を貸してください……!!」
躊躇なく頭を下げ、戦場に立つ者全員に懇願する。
戸惑い、焦り、共感する囁き声があちこちから聞こえてくる。だが、誰一人として共に戦うと名乗り出てはくれない。
「……やりましょう、カズヤ」
緊迫した空気を破ったのは、硬い決意を浮かべた騎士セレナだ。
隣に並び立つと、真正面に顔を向けながら言った。
「私の任務は、お前の護衛……ならば、如何なる場所だろうと共に行動せねばいけませんからね」
「……セレナ……」
「それに……死邪は後の我々にとっても弊害となり得る。……魔界と共闘してでも排除しておきたいですしね」
不謹慎極まりない提案をサラリと言ってのけると、囮部隊全体を戸惑いが支配する。
宿敵である魔界と共闘するなど、誰も考えたことが、考えようともしなかった。
「……今のうちに削れる戦力は削るべき、だな」
セレナの言葉を引き取り、騎士長ヒサカゲが太く笑った。
この状況でも余裕を失わない騎士たちの胆力は見事だが、彼らの表情には、これまで以上の覚悟が漲っていることをカズヤは察した。
騎士長は俺たちの前に立つと、振り返って宣言した。
「強制はしない。オレたちについてくる奴らは、前に出ろ」
最高指揮官の指示を聞いた衛士たちに、戸惑いと焦燥が浮かび上がる。だが、数秒後にはそれが完全に消え去り──。
磨き込まれた長剣を高々と掲げ、雄叫びを上げた。
騎士長は強く頷き、強靭な声を響かせた。
「よおォし!! 全軍、密集陣形!! 死邪に包囲された魔界軍を救助したのち、一点突破でずらかるぞ!!」
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