異世界転生 剣と魔術の世界

小沢アキラ

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第三部・第四章 人の意思

第十八話

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 ヒヅキが生み出した石橋を一気呵成いっきかせいに突進してきた四千の暗黒騎士たちは、辛くも生き残っていた二百ほどの仲間と合流すると、人界軍のすぐ横を駆け抜け、まるで巨大な破城槌はじょうついの如く敵軍のど真ん中に激突した。
 一斉に振り下ろされる剣が、赤い兵士たちの剣をへし折り、鎧を叩き割った。血煙を撒き散らし、二十人以上の敵が後方へと吹っ飛ぶ。
 闘気の全てを込めた斬撃を放ち終わった十人は、すっと横に広がって隙間を空けると、その間から真後ろの十人が飛び出てきて横列を組む。
「ハアアッ!!」
 今度は槍による刺突が、これも見事にシンクロした動作で撃ち出された。再び大量の敵が、砲撃でもされたかのように四散した。
「……すっげぇ」
 何百という兵士を斬り倒したカズヤは、思わず呟いた。隣で水を飲むセレナの横顔にも、うっすらとだが感心しているような気配が滲む。
 暗黒騎士たちの一挙一動に一秒の乱れも遅れもない。長い鍛錬で培われた精密な動作や連携が嫌でも知らされる。十人が十列で百人の集団が幾つも、まるで工事用重機のように敵を蹂躙していくさまを見ていて空恐ろしいほどだ。
「感心してる場合じゃないぞ。このまま南に抜けたとして、その後はどうするつもりだ? あれだけの数の敵、我々が手を組んでもこの場で殲滅するのは骨が折れるぞ」
 カズヤの隣で腕組みをして立つ黒騎士──ジンが厳しい表情で言った。
 師匠が拉致された創世神を追いかけてから、暗黒騎士団長と副騎士長と合流し、簡潔な事情を話したのち共に剣を振るっている。
 宿敵とも呼べるラギルスとジンの二人と共闘する日が来るなんて思わなかったが、いざ味方になると頼もしい。
 だが、前への突進力だけなら無敵と思える暗黒騎士団でも、数倍の歩兵に側面から突っ込まれて崩される集団も出始めている。何せ、召喚された死邪の数は、いまだ二万を軽く超えるのだ。
「セレナ、解放術は?」
「使えますが、この場で使えば味方を巻き込む恐れがあります」
「…………敵陣を破って南へ抜けたら、そのまま一気に前進して敵から距離を取りましょう。セレナ、死邪と十分な距離が取れたら、すぐに解放術をしてくれ」
 顔を向けると、セレナは短い間を開けてから力強く頷いた。
 暗黒騎士との共闘には心残りがあるだろうに、騎士として衛士を守ろうとする意思には素直に感服させられる。
 一瞬の思考を巡らせ、騎士長が飛び去った南を見据える。
 ──この先には、聖邪の間がある。
 騎士長の援護に向かうにしても、結局はに向かうのは、変えられない運命なんだな……。
「どうしたカズヤ」
 ジンの呼びかけで我に返り、反射的に尋ねる。
「一応聞くが、お前らは邪教神から何か聞いてないのか? 例えば、特異点についてとか」
 ジンは、カズヤの爛々らんらんと輝く眼を凝視し、急き込むように詰問した。
「詳しくは聞いてない。第一、皇帝はなんでお前をこうも欲しがるんだ。特異点が皇帝の手に落ちたら、いったい何が起きるんだ?」
「この世界が……滅びる。人界も、魔界も」
 カズヤは、短く答えた。副騎士長の両眼が、愕然と見開かれる。
「邪教神が特異点である俺の肉体を乗っ取り、聖邪の間に到った時……この世界は、人界も、魔界も、そこに住む人々を含めて全て無に還るんだ」
 自分の言葉が現実離れしていることを、カズヤは頭の片隅で意識した。
 しかし、これはまったくの事実なのだ。具体的な終末は解らないが、神の巫女の二人が自分を本気で取り合っているからには疑いようもない。
「邪教神を倒すには、創世神の力が必要だ。……だから俺は、師匠と一緒に助けに行きたいんだ」
 すると、ジンはラギルスをちらりと見てからすぐに顔の向きを戻し、掌の拳を打ち付けて叫んだ。
「なら、ここは俺たちに任せて行ってこい」
「行ってこい、て……お前……」
 カズヤは呆然と宿敵の若々しい顔を見た。
「お前たちは、魔界の民だろ? なんで、そこまで……」
 すると敵将は、ふんと鼻を鳴らし、吐き捨てるように言った。
「君主は、我ら五種会議の前で、確かに言ったのだ。自分の望みは創世神の首と特異点だと、それさえ手に入ればあとはどうでもよい、とな。創世神を攫った時点で、君主の目的の半分は達せられた……。更に、特異点たる君が共闘……一時的にだが特異点を奪取できたことになる。つまり、我らの任務も一切合財終わったというわけだ。あとは、我らが何をどうしようと……たとえ君主から創世神を奪い返そうとする人界軍に協力しようがこっちの自由、そういうことだ」
 なんという、牽強府会けんきょうふかいな。
 カズヤは唖然とラギルスの顔を見た。しかしそこにあったのは、威勢のいい言葉とはほど遠い、悲壮な決意の色だった。
 両眼でカズヤを見て、暗黒騎士長は言った。
「……我は……我らは、君主に直接は逆らえぬ。あの力は圧倒的だ……。頭に残る呪いがいまだ生きている限り、君主に改めて君らと戦うよう命じられたら、従うしかない。──だから、我ら暗黒騎士団とデーモン隊は、ここで赤い兵隊を防ぐ。君たち人界軍は、君主を追いかけるんだ。そして……君主を……あやつを……」
 突然言葉を切り、騎士長は、頭痛で顔を歪めた。
「あやつに、教えてやってくれ。我らは、貴様の人形ではないと」
 ちょうどその時、一際高らかな騎士たちの喊声かんせいが、戦場の南から響いた。部隊の先頭が、ついに赤の歩兵軍の囲みを破り、荒野へと抜け出たのだ。
「よし……」
 偉丈夫の長は、凄まじい声量で命じた。
「魔界軍よ! 人界軍が南へ後退するまで、その突破口を保持せよ!!」
 カズヤに視線を戻し、すかさず言う。
「君たちも早く行け!! そう長くは持たない!!」
 大きく息を吸い、カズヤは頷いた。
 ──この人も、同じだ。
 理不尽な命令を許せず、強靭で誇り高い意思で支配者に反逆する人間に他ならない。仲間が渡っているロープを無慈悲に切断し、百人以上を斬り殺した俺たちに、叩き付けたい恨みと憎しみだってあるだろうに。
「……ありがとうございます」
 どうにかそれだけを口にし、カズヤは身を翻した。

 部下たちが東西に構えて保持する突破口を、黒色の髪の騎士と、七百ほどに減った人界軍が走り抜けていくのを、ラギルスは無言で見送った。
 土煙から視線を外し、隣に立つ副騎士長を見やる。
「……よいのか、ジンよ」
「何がですか」
 じろりと睨まれ、肩をすくめて言い直す。
「お前は、カズヤと再戦することを望んでいるのだろう? 生きて戻れるか解らぬのに、ここに残ったことを後悔しておらぬか?」
 真新しい鎧をかしゃりと鳴らし、若き騎士は肩をすくめた。
「あいつを斬るのは俺です。あんな連中には譲れません」
「ふっ、そうか」
 今度こそ、ラギルスは朗らかに笑った。
 犬死にしていく仲間を助けたい。それだけを願っていたはずの自分が、赤い軍勢から人界軍を守るために部隊全体の命運を賭けようとしているのはどうにも不思議だったが、しかし、胸中には爽やかな風が吹いていた。
 ──悪くないな。
 世界を丸ごと守るためなら、故郷に残る者たちも、解ってくれるだろう。
「よし!! 円陣を組め!! 全周防御!! 寄ってくる愚者どもを、片っ端から倒すのだ!!」
「ふっふっふ……貴様にしては面白い命令だな、ラギルスよ」
 音もなく背後に現れたザルザードが、血塗れの両拳をごきごきと鳴らした。

「……追いつけると思うか?」
 カズヤの問いに、セレナは厳しい表情を浮かべて答えた。
「正直、微妙なところです。こちらには飛竜が三匹残っています。……しかし、万全に駆れるのはキクノ殿の飛竜のみ。それに知ってると思いますが、飛竜は定期的に休憩を挟まねば速度を落としてしまう。騎士長は引き連れた二匹の竜を交代で乗り換えて疲労を抑えることはできますが、一匹で邪教神に追いつくのは難しい……」
 となると、あとは邪教神に騎士長が追いついて、可能な限り時間を稼いでくれることを祈るのみだ。
 しかし、首尾よく邪教神を捕捉したとして──。
 騎士長ヒサカゲは、邪教神に単独で勝てるのだろうか?
 報告で能力について知っているとはいえ、相手は世の理から逸脱した存在。たとえ一騎当千の天界の騎士の長といえども、一対一での戦いは厳しいものになるのではないだろうか。
 そこまで考えた時、キクノがきっぱりとした口調で言った。
「もし追いつければ、騎士長はかならず創世神様を取り戻すに決まってる。あの方は、人界最強の剣士なのだから」
「……そうですね」
 カズヤも、ぐっと強く頷いた。
 師匠を信じる。あの人は、人界最強の守護者にして、俺の自慢の師匠なんだから。
「ならば、俺たちも全隊で南に進みましょう。幸い、この先はひたすら平坦な土地が広がっているようです。師匠には追いつけないでしょうが、何かの助けになれるかもしれません」
「解ったわ、カズヤ君。至急出発の準備をさせるわ!」
 キクノは走る速度を上げ、一足先に森の中へと消えた。
 その背中を見送りながら、カズヤは自分に言い聞かせた。
 最後まで諦めるか……たとえ何度傷つけられようと──どれほどの痛みを与えられようとも、絶対に諦めるものか。

「──全軍、出発!!」
 隊列の先頭を、キクノの飛竜である秋雨が走り始める。四百人の前衛部隊が騎馬と徒歩で続き、補給物資を載せた八台の馬車と、三百人の後衛部隊も順に移動を開始する。
 移動時間だけでも休憩しなさい、と言われたカズヤは、補給物資を載せた馬車の中で軽食を口にしていた。
 正直、食欲は愚か空腹など微塵も感じていないが、セレナとサヤの二人に無理してでも食えと言われたので仕方なく承諾した。
 卵とハムのサンドを咥えながら、カズヤは考えた。
 戦うべき敵は、邪教神ただ一人。
 刺し違えてでも必ず倒してみせる。赤い軍勢たちの追撃を防ぐために死地に残ったラギルスとジン、そして四千の暗黒騎士のためにも。

 この戦争において最大の大規模戦闘となるはずの激突は、高く上り切った太陽の下で開始された。
 先行したヒサカゲを追うように、人界軍七百人は必死の南進を続けた。
 後方から地響きを立てて追ってくる赤い軍団がいるが、多少引き離しつつある。しかし衛士たちも馬たちも、このまま走り続けることはできない。
 カズヤは、補給隊の馬車の天蓋に立ち、祈るように南を凝視し続けた。
 二十分ほど前進すると、地平線に巨大な神殿めいた遺跡の影が浮かび上がった。
 人や亜人を含めて、大きな生物の気配はない。風化した石ばかりが静かに眠っている。
 まっすぐ延びる道を挟んで、二棟の平べったい神殿が横たわっている。高さは二十メートルほど、幅は一棟が三百メートル以上もあるだろうか。敵軍の包囲を防ぐ障壁としては充分な規模だ。
 二つの神殿の間を抜けて、道はそのまま南へ延びている。参道めいた印象を受けるのは、道の両側に奇怪な巨像が幾つも並んでいるからだ。
 東洋風の仏像でも、西洋風の神像でもない。強いて言えばどこか南米の遺跡を彷彿とさせる、ずんぐりと四角いシルエット。顔には真ん丸い眼と巨大な口が彫り込まれ、胸の手前で短い手を合わせている。
 あれは──かつてこの地に暮らした魔界の種族が、岩山から掘り出したものか? たとえば、死者に捧げる巨大な墓標として……?
 不吉な想念を、カズヤは短い吐息で押しやった。
 部隊の先頭を走る飛竜の背中の騎士キクノに、大声で伝える。
「あの参道の中ほどで、敵を迎え撃ちましょう!」
 すぐに、了解! という声が返った。
 数分後、部隊はその勢いを減じることなく、神殿に挟まれた道に突入した。左右から、四角い巨大神像たちが無言で見下ろしてくる。馬のひづめと衛士のブーツが、土から石畳へと変わった路面に硬い音を響かせる。
 ひんやりと冷たい空気を切り裂いて、キクノの凛々しい声が命じた。
「よし、前衛部隊は左右に分かれて停止! 馬車隊と後衛部隊を通せ!」
 さっと割れた前衛のあいだを八台を馬車が進み、魔術師を主とした後衛もそれに続くと、参道のいちばん奥で停止する。そこに設けられた巨大な門から、乾いた風がひゅうっと吹き抜けてきてカズヤの髪を揺らす。
 静寂を感じるのは一瞬だった。赤い軍勢が放つどろどろという地響きが参道にまで届き、左右の神像がぱらぱらと細かい砂を落とす。
 魔界軍が取り逃がした軍勢は、一万近くいる。見事に半分に分けられたのか。
 カズヤは馬車から飛び降りると、先頭に立つ三人──ワタルとサヤ、セレナ──に声を掛けた。
「これが最後の戦いだ。絶対、生きて帰るぞ」
「当然です」
「当たり前だろ」
「帰ったら、何か奢りなさいよ」
 三人は固く握った拳を伸ばす。カズヤも同じ仕草で拳を突き出し、短く微笑みかけた。
「大丈夫、お前たちは俺が守るから」
 それは、半ば自分に向けた言葉だった。
 守ってみせる。二度と、あんな思いはしたくない……。
 学園で守ることの出来なかったを思い出し、チクリと痛む胸に右手を軽く当て、カズヤは身を翻した。
 前衛部隊の先頭では、キクノがてきぱきと衛士たちを配置していた。
 参道の幅はおよそ二十メートル。守るには少し広すぎるが、この人数でも完全ブロックした上で部隊のローテションを行うのは不可能ではあるまい。
 要は、後方に控える魔術師たちの支援魔術が続くあいだに、犠牲者を極力抑えつつ一万数千の敵を削り切ることが可能かどうかだ。幸いなのは、赤い兵士たちに、魔術攻撃を仕掛けてくる者がいないこと。
 赤い兵士は何故か終始無言のため、魔術を詠唱してこない。不気味ではあるが、この状況ではありがたい。
 いざとなれば──。
 俺一人で、敵の全軍を斬り伏せる。
 カズヤは大きく息を吸い、決意とともに体の底に溜めた。
 傷を受けた時の恐るべき痛みに最後まで耐え切れるだろうか。心が痛みに負けてしまえば体も深く傷つき、命はあれども剣を振れないという無様を晒すことになる。
 カズヤは瞼を閉じ、戦場に立つ衛士たちのことを思った。彼らは自分以上の恐怖を背負っているに決まっている。
 それでも、魔界の民を助けるために剣をとってくれた。ならば、俺が怖気づくわけにはいかない。
 再び歩き出した時、心にはもう一片の恐れもなかった。

  ***

 肉厚の大剣が、カズヤの左腕を掠めた。
 焼けた金串を押し当てられるような感覚。
 ──屈するものか!!
 強く念じる。途端、肌に刻まれた傷が、すうっと消えていく。後方の魔術師部隊の治癒術のお陰だ。
 その時にはもう、右腕が煙るように閃いて、眼前の兵士の右肩から袈裟懸けを叩き込んでいる。
 兵士の上体が滑り落ちると、残された肉体とどさりと倒れ伏した。
 いまのが何人目の敵なのか、すでに数えられなくなっている。
 それどころか、古代遺跡での戦端が開かれてもう何分、何十分経ったのかすら定かではない。ひとつだけ確かなのは、参道の入り口から雪崩れ込んでくる赤い歩兵たちは、まだまだ無限に等しいほどの数が残っている、ということだけだ。
 ──この程度の持久戦……。師匠との稽古に比べれば、大したない。
 内心でそう嘯いたカズヤは、仲間の骸を踏み越えて飛びかかってきた新たな敵の斧を焔天剣で払いのけた。
 体勢を崩す敵の心臓に的確な刺突を叩き込みながら、ちらりと左右に視線を走らせる。
 参道中央で奮戦するカズヤの右側では、天界の騎士キクノが飛翔鞭を飛ばし、ワタルが複合魔術で死体の山を築いている。二人の攻撃の威力と照準の正確さは空恐ろしいほどで、こちらはもうしばらく任せていても大丈夫そうだ。 
 しかし問題は左サイド。セレナとサヤを中心に隊長格の衛士たちを配置しているが、徐々に戦線が押し込まれているのが解る。
「左翼、交代の間隔を速めろ! 治癒術も中央はもういい! 左を重点的に詠唱しろ!」
「カズヤ、私達はまだまだ行けます!」
 最前線で叫び返したセレナの華焔剣が超高速で一回転し、敵兵を三人まとめて吹き飛ばすが、直後セレナもがくりと膝を突いてしまう。先の見えない長丁場の乱戦にはやはり不馴れなのか。
 それにセレナの剣技は流麗にして勇壮だが、正々堂々としすぎている。フェイントや崩し技をほとんど使わずに大技にいくので、技前技後の硬直時間に敵兵が闇雲に振り回す武器で小傷を負ってしまうのだ。すでに鎧は傷だらけになり、青色の衛士服も各所に血が滲んでいる。
「いいから下がるんだセレナ! サヤを信じろ!」
 カズヤの指示に、セレナは唇を嚙んで頷くと「すぐに戻ります!」という声を残して後退した。戦列に空いた穴を、すぐにサヤが埋める。しかし彼女の顔にも、疲労が色濃く浮かんでいる。
 左翼の疲弊に加えて、カズヤには気がかりなことがもう一つあった。
 いま戦ってる赤い鎧の歩兵たちの動きが、時間が経つ度に洗練されている気がする。最初は単純な突撃だけだったのに、急に戦術的な動きを取り始めた。
 自分が敵の立場ならどうするだろう。剣を閃かせながら、カズヤは考えた。
 普通なら、後方からの遠隔攻撃。だが敵に魔術師はいない。
 となれば弓だが、人界軍にとっては幸いなことに弓兵は見当たらない。あとは手持ちの武器を投げるくらいだが、それはないだろう。投げた者はもう戦闘に参加できないも同義だ。
 どうやら敵にはこの膠着状況を打開するすべはない、と判断してよさそうか。
 ならば、当初の予定通り、一万数千の敵を削り切るのみ。
 カズヤが決意を新たにしたのと、ほとんど同時に。
 参道の入り口が、さっと黒く翳った。
 差し込む朝日が遮られたのだ。横一列に並ぶ巨大な盾と、旗竿のように林立する長大なランスに。
 ──重槍兵!!
「槍の突撃が来る!! 全員、無理に避けようとするな! 穂先をしっかり見て、初撃を回避して懐に入れば倒せる!!」
 カズヤが左右の味方に向けて叫ぶと同時に、ガシャッ! と金属音が轟き、巨大なランスが一斉に構えられた。
 横一列に二十人も並んだ重槍兵たちが、無言のまま突進を開始する。
 赤い津波にも似た圧力に、衛士たちが浮き足立つ気配がした。頼むみんな、落ち着いてくれ! と念じながら、カズヤは自分めがけて突進してくる敵兵を凝視した。凶悪に黒光りするランスが、一撃必殺の威力を秘めて迫る、
 ぎりぎりまで引きつけ──今!
 黄色い火花を散らしながら、刃が槍の側面を滑っていく。鋭い切っ先はカズヤの顔のすぐ右を通過し、後ろに流れる。
「……死ねっ!!」
 罵りとともに、見上げるように大柄な敵の喉元、鎧の隙間に剣を突き刺す。生々しい手応え。ヘルメットの下から鮮血が噴き出す。
 響いた悲鳴は、敵兵のものではなかった。
 右翼の衛士数名が、ランスを回避しきれずに体を貫かれたのだ。
「ッ…………!!」
 歯を食い縛り、カズヤは持ち場を離れて右へ走った。息絶えた衛士からランスを引き抜こうとしている敵兵の頭を、通り抜きざまの水平斬りで斬り飛ばす。血に濡れる刃を構え直し、次の敵の両腕を斬り落とす。
 三人目の敵兵が突き出すランスを、垂直ジャンプで回避。槍の上に着地するやそのまま駆け上り、敵の肩に足を掛けると、左手でヘルメットを持ち上げ、露出した首筋に剣を深々と埋め込む。
 沈む敵兵の背中に乗ったまま、カズヤは叫んだ。
「負傷者は後方へ!! 最優先で治癒術を!!」
 改めて周囲を確認すると、二十人の重槍兵は騎士キクノやサヤたちの奮闘もあってどうにか退けられたが、こちらも六人の衛士がランスの直撃を受けたようだった。うち三人は、恐らくもう助からないだろう。
 ──この戦法を繰り返されたら、数で圧倒的に劣る人界軍はいずれ戦列を保てなくなる。
 その戦慄を、再びの地響きが現実へと変えた。次の重槍兵二十人が、参道の入り口から突進してくる。
 カズヤは、押し寄せるランスの群れから視線を引き剥がし、本来の持ち場である戦列の中央を見た。
 そこでは、まだ幼さの残る顔をした少年衛士が、がくがくと両膝を震わせながら剣を構えていた。
「はっ…………!」
 鋭く喘ぎ、カズヤは右に走った。
 左から迫るランスと、立ち尽くす少年衛士のあいだに飛び込む。もう剣での防御は間に合わない。ぎらつくランスの穂先を、左手で摑み止めようとする。
 滑らかな鋼のランスは、返り血で濡れた左手の中でずるりと滑り──。
 鈍い衝撃が、全身を揺らした。声も出せないまま、カズヤは自分の脇腹を深々と刺し貫いた巨大な金属を見下ろした。
「く……う……うぅッ!!」
 カズヤは、喉から溢れ出しかけた悲鳴を、どうにか低い呻き声に押し留めた。
 ──痛いわけないだろ。
 この程度の傷、痛いわけない!!
 黒光りするランスは、左の脇腹を深々と刺し貫いている。きっと背中からは一メートル以上も飛び出しているだろう。
 肩越しにちらりと確認すると、真後ろにいた少年衛士は、切っ先に頰を掠められるだけで済んだようだ。カズヤは、蒼白な顔で自分を見上げる少年に、全精神力を振り絞って微笑みかけた。
「怪我は……ない……?」
 少年衛士は呆然と頷いた。
 ──この子の命に比べれば……俺の命なんて!!
「うぅ……あッ!!」
 体を貫くランスを握ったままの左手に、ありったけの力を込める。
 バギン! と耳障りな音を立てて、直径五センチを超えた金属を回し、赤い兵士の顔に突き刺す。
 兵士は後ろに倒れると、手を背中に回し、突き出た槍を摑んで引っ張る。
 目の前に火花が散り、電撃めいた痛覚が頭の天辺から爪先まで駆け抜けた。しかしカズヤは手を止めず、力任せにランスを引き抜くと、それを地面に放り捨てた。
 腹の巨大な傷と、口の両方から凄まじい量の鮮血が迸ったが、体をふらつかせることもなく口許を左手で拭い、カズヤは眼前で倒れ伏す兵士を見下ろす。
 この戦場を覆う苦しみや悲しみは、本来存在する必要のなかったものだ。
「たっ……たす……け……っ」
 悲鳴が、カズヤの想念を停止させた。視線を向けると、地面に倒れた衛士目掛けて、巨大なランスが突き下ろされようとしているところだった。
「や……やめろぉぉぉ!!」
 激情を雄叫びに変え、カズヤは地を蹴った。
 右手の焔天剣を思い切り前へと突き出す。足裏に風素を配置し、解放する。
 足が地面から離れ、眩く光る彗星となってカズヤは飛翔した。
 衛士を殺そうとしていた槍兵が、高々と跳ね上げられた。その向こうにいた敵も、同様の運命を辿った。さらにもう一人。
 四人目の体を神像の足許に縫い止めて、加速が終了した。肩で息をしながら振り向く。
 重槍突撃の第二波でも、人界軍に五人以上の死傷者が出たようだ。しかし、参道入り口ではすでに、第三波の二十人が突撃の用意をしている。
 敵の骸から剣を引き抜き、カズヤが叫んだ。
「全員、持ち場を死守!! キクノさん、中央に移動してください!!」
 カズヤの脇腹から流れ続ける鮮血に気付き、顔を強張らせる若い騎士に、安心させるように短く微笑みかけてからカズヤは続けた。
「──俺は、敵陣に一人で斬り込みます。討ち漏らした敵だけ、お願いします」
「あ……カズヤ君!?」
 喘ぐような声を出すキクノや他の衛士たちに、固く握った左拳を掲げ。
 カズヤは、一直線に走り出した。

  ***

 何故、追いつけない。
 天界の騎士長ヒサカゲは、焦燥と驚きを等しく感じていた。
 飛竜二頭による追跡は、もう二時間以上も続いている。
 人界守備軍が野営していた森、奇怪な巨像が林立する遺跡を通過して、かつてないほど深く魔界の南部に分け入りながらも、敵との距離がまるで縮まる様子がない。創世神を拉致した邪教神の飛竜は、相変わらず地平線に浮かぶ極小の黒点のままだ。
 邪教神は、一頭きりの飛竜に、自身とヒヅキの二人を乗せて飛んでいる。
 対するヒサカゲは、神立と戴天の二頭に交互に騎乗して、二頭の疲労を可能な限り抑えている。理屈では、そろそろ追いついていてもおかしくないはずだ。
 いったい、なぜ追いつけないのか。邪教神は、飛竜に何を施したというんだ。
 いくらなんでも、このまま無限に飛べるというわけではないだろう。魔界の最南端にある聖邪の間に辿り着くまでには、最低二度は飛竜を休息させる必要があるはずだ。しかしヒサカゲを乗せる竜たちも、同様に休息しなくてはならない。速度が同じなら、永遠に距離は縮まらない。
 やむを──得ないか。
 地平線の彼方まで届く射程の魔術など、ヒサカゲにも到底操れない。いまこの状況を打破できる可能性があるとすれば、それは唯一……。
 騎士長は、右手でそっと左腰の愛剣を撫でた。
 ひんやりと硬く、頼もしい手触り。しかし、剣の命が限界に近いのは感覚的に判る。大門で使用した大規模な解放術の代償が、予想以上に大きかったのだ。
 ヒサカゲがこれから使おうとしている術は、神器《斬穿剣》の隠された、
 使えるのはたったの一度。その一撃を、針の穴に目を瞑って通すほどの精密さで命中させねばならない。
 ヒサカゲは、騎乗していた戴天の首筋を軽く叩いてねぎらうと、ひょいと隣の神立の背に飛び移った。
 長年共に戦った相棒に、手綱を持つこともなく意思を伝え、高度を慎重に調整する。
 照準するのは、遙か地平線に滲む、砂粒のような黒点。
 邪教神本人を狙いたいのはやまやまだが、負のマイナス因子によって消滅される危険がある。どうにか動きが見て取れる、黒い飛竜の右翼に全精神力を集中する。
 鞍の上に仁王立ちになったヒサカゲの右手が、ゆるりと動いた。
 使い込まれた革鞘から、全体が同一の素材で造られている大剣を滑らかに抜き出す。
 体の右側に立てて構えられた鋼の刀身が、かすかな光を帯びた。式句なしで、解放術を発動させたのだ。陽炎のように揺らぐ長剣は、飛竜が前進するにつれて、無数の残像を後方に引いていく。
「恨むなよ……」
 剛毅な口許が短く動き、罪なき飛竜への詫び言を囁く。
 直後、薄青い色のの瞳をすうっと細め──世界最古の騎士ヒサカゲは、裂帛の気合を込めて叫んだ。
「斬穿剣──絶斬ゼツギリ!!」
 ズウッと重々しく、しかし凄まじい速度で剣が振り下ろされた。青い残像が斬撃の軌道に沿って無数に輝き、順に消えた。
 彼方の空で、邪教神の駆る黒い飛竜の右翼が、付け根から音もなく切断された。
 
 最後の力を振り絞りながら片翼のみで軟着陸し、細く一声いて息絶えた黒い飛竜を、邪教神は無感動に見下ろした。
 視線を外したときにはもう、記憶と思考から竜の存在を完璧に排除されていた。表情を変えずに、ぐるりと周囲を見渡す。
 墜落したのは、円柱状の奇岩が無数に立ち並ぶエリアの、ほぼ中央にそびえる一つの岩の頂上だった。高さが百メル、直径も三十メルはありそうだ。
 飛び降りるのは、少々無謀かもしれない。
 いまは無理に岩山から降りる必要はない。なぜなら、邪教神を何らかの手段で撃墜したであろう敵が、三匹の飛竜を伴って北から接近中だからだ。敵を処理し、しかるのちに新しい竜の精神を支配して、南下を再開すればいい。
 視線を真上に動かす。赤い空に張り付く太陽は、すでにかなりの高さに達している。
 戦場に召喚した死邪たちはどうなっているか。人界軍と魔界軍を殲滅できているか気にはなるが、死邪の数は三万もある。たかが一万数千しか残っていないはずの両陣営に、まともな抵抗はできまい。
 念のため、も出るよう命じている。
 不確定要素があるとすれば、やはり圧倒的多数だった魔界軍を退けた天界の騎士だが、接近中の追跡者は騎士だろう。北方の戦場には、残っていたとしても二人が三人。
 問題はおおよそクリアされていると判断し、邪教神は最後に、最も欲する特異点を思い浮かべた。
 もう少しで──我の永き夢が果たされる。
 体の芯でうごめく興奮を抑えらず、全身を震わせた。
 美しく清らかに精錬された魂を一瞬で味わうのは躊躇われる。
 たっぷり時間をかけたい。一欠片吸い出すにも、優美に、厳粛に、象徴的に味わいたい。絶望を与え、負の感情で支配されるその瞬間を堪能したい。
「……カズヤ……君の魂は、誰にも渡しはしないよ」
 囁き、邪教神は敵を迎え撃つべく、テーブル状になっている岩山の中央へと歩を進めた。

 ヒサカゲは、敵皇帝の飛竜が、すぐには脱出できそうもない高い岩山の上に墜落したのを視認した。
 絶技を使用したことによる強い疲労感を、気力で振り払う。
「よぉし……もうひとっ飛び、頼むぞ神立、戴天!!」
 ヒサカゲが叫ぶやいなや、二頭は力強く翼を打ち鳴らして加速した。敵が静止していれば、十キロルの距離でも飛竜にとってはほんのひとっ飛びだ。
 戦いの前に残されたわずかな時間を、ヒサカゲは半ば瞑想めいた思考に費やした。
 ──弟子を取って、正解だったな。
 忠実というわけではないが、素直でオレを慕ってくれたカズヤを弟子にして、一切の後悔はない。
 師匠とは本来、弟子を教え導くのが正しい姿。だが今俺は、何百年も付き合った創世神を救い出すために、単身で駆り出した。
 人界軍最高指揮官として許されない行為。だというのに、弟子はオレを咎めずに、手を貸してくれた。
 弟子と過ごした時間は、何百年と生きた時間の中では少しの刺激があれども、幸福な時間とは言えなかった。
 しかし──。
 カズヤと一緒にいる時間は、決して嫌ではなかった。
「お前は……最高の弟子だよ」
 呟き、最古の騎士はぱちりと双眸を見開いた。
 岩山のてっぺんに横たわる創世神の鎧と、その手前に影のようにひっそりと立つ皇帝邪教神の姿がはっきりと見て取れた。
「よし……お前らは、上空で待機! もし俺がやられたら、北に戻って部隊と合流しろ!」
 竜たちに低く指示し、ヒサカゲは神立の背中から、ふわりと体を躍らせた。
 
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