異世界転生 剣と魔術の世界

小沢アキラ

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第三部・第四章 人の意思

第二十話

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 絶望的な状況に抗い、最後まで戦場に立ち続けたのは、自作魔術《炎熱竜鎧》で己を強化したカズヤと、見事な機動力で敵を翻弄するサヤと、天界の騎士セレナとキクノ、及び彼女の騎竜、さらに騎士と竜に守られながらも果敢に魔術を唱え続ける魔術師ワタル。魔界側は、暗黒騎士団長ラギルスと副騎士長ジン、デーモンの長ボルザックの三名だけだった。
 カズヤは、極限の疲労と苦痛で霞む視界に、鬼気迫る戦いぶりを見せる騎士二人の姿を捉え続けた。
 十数分前、新米騎士は、前線に姿を現すや鞭を自在に飛翔させ、押し寄せる敵兵を片端から薙ぎ倒した。その恐るべき威力は、押し寄せる赤い軍勢の突撃を、数分にせよ押し返したほどだった。また、巨大な飛竜が放つ熱線も大いに敵を怯ませ、彼らがまさしく最強の存在なのだということを十二分に証明した。
 セレナとサヤも、単発剣技を流れるように放ち続け、時には解放術で赤い軍勢を少なくとも十数人は葬っていた。
 しかしやがて、敵も気付いた。騎士キクノは、鞭を操作している間は本人がほぼ無防備になってしまうということに。
 何十度目かに鞭が飛翔し、赤い軍勢の最前列を薙ぎ払いかけたその瞬間、後方から無数の長槍が投擲された。カズヤが密かに恐れた戦法が、ついに実行されたのだ。
 槍は、赤い空から黒い雨の如く降り注いだ。
 最初の攻撃は、キクノの飛竜が広げた翼と胴体で受け、主を守った。
 剥がれた鱗と赤い血を飛び散らせながら、竜はそのまま横倒しになった。
 すかさず、新たな槍の雨が投げ放たれた。
 ざああっと音を立て襲いかかる無数の穂先を一瞬見上げてから、騎士キクノは振り向くと、すぐ後ろにいたワタルを抱きかかえ、自分の下に隠した。
 次の瞬間、背中に二本の槍を受け、キクノはワタルを覆うように前のめりに倒れた。主を失った飛翔鞭が、一瞬の光を放って地面に落ちた。
 その頃にはもう、戦域の他の場所でも、戦闘はほぼ終了していた。
 力付き、倒れた共闘軍の兵に赤い兵士がいっせいに群がり、我先にと刃を叩きつけていく。血と肉、かすかな悲鳴が振り撒かれ、やがて途絶える。
 あるいは、盾や鎧を全て破壊され、体ひとつで地面に拘束されている者も多くいる。彼らの頰に伝う無念の涙は、傷から流れる血と同じくらい痛ましい。
 共闘軍二千人の防御陣はほぼ無力化され、いままでその中央に守られていた部隊がいよいよ露出し始めていた。
 非武装の補給部隊と魔術部隊を守ろうと、約四百人のデーモンと衛士たちが、ぐるりと輪になって剣を構えている。どの顔にも悲壮なまでの覚悟が満ち、じりじりと迫る赤い軍勢に向けて、決死の突撃をかけるその時を静かに待っている。
「…………やめろ…………」
 何百人目かは解らない敵を鉤爪で灼き斬りながら、自分の唇から零れた声を聞いた。
 それは、全身に受けた傷の痛みではなく、絶望と哀しみによって心が折れかけた音だった。
「頼むから……もうやめてくれ……」
 呟きとともに、全身を覆う《炎熱竜鎧》が消滅する。
 右手の焔天剣が地面に落ちて転がる。その傷だらけの刀身に、頬から滴る血と涙が小さく弾けた。
 そんな時。
 視界の端で、六人の赤い兵士に囲まれたサヤを捉える。
 鎧が半壊しており、下に着ている制服も破れている。露出した肌からは切り傷が走っており、額から血を流している。
 サヤの前に立ちはだかった赤い人影が、敵意に満ちた威圧とともに、両手剣を高々と振り上げた。
 ──その刹那。
 地面の焔天剣を拾い上げ、痛む脚を懸命に動かした。彼我十数メートルの距離を必死に詰め、振り下ろされる剣と彼女たちの間に割って入る。
 焔天剣を横に受け止めるも、両腕に力が入らず体勢を大きく崩す。焔天剣に無数の亀裂が走るのを見詰めながら、全膂力を振り絞って上に弾く。
 赤い兵士の振り上がった両腕に向け焔天剣を横薙ぎさせ斬り落とす。
 直後、左右から二本の刃が迫り来る。
 回避不可能。そう判断するやすぐに──。
 背後のサヤを突き飛ばし、迫り来る刃の刃圏から出す。
 片方の剣は左腕を斬り落とし、もう片方は背中を大きく削り切る。
 灼熱の痛みと深い喪失感が同時に襲いかかると、カズヤは前のめりで倒れ込んだ。後ろから必死に名を呼ぶ声が聞こえるが、首を動かすことすらできない。
 ──早く……逃げてくれ。
 そう言おうとしても、口が動いてくれない。
 目の前に立ちはだかった赤い人影たちが、複数の武器を振り上げる。
 だが、振り下ろす前に。
 雷鳴にも似た大音声が轟き、戦場のあちこちで進行中のあらゆる戦闘を停止させた。
 そこまでですよ────ッ!! と途轍もないボリュームで叫んだのは、いままでずっと離れた場所で戦闘を見守っていた肉団子の男だった。いや、もう正体は分かっている。
 赤い軍勢は一斉に武器を下ろす。カズヤを斬り伏せようとしていた男は、代わりに無造作な足蹴を見舞ってきた。
 身を反転させ倒れ伏したカズヤは、残った右腕で懸命に体を起こした。
 視線を巡らせると、黒の外套の裾を揺らしながらこちらに歩いてくるユリと、死邪の一人、愚餓ぐがの姿が見えた。
「カズヤッ!!」
 必死に名を呼びながら駆け寄ったサヤは、眼前に立つ赤い兵士に斬りかかろうとした。
 俺は残された腕でサヤの手を摑み、制した。
「やめ……ろ。返り討ちにあう」
 酷く掠れた声を聞いたサヤは、悔しそうに唇を嚙んだ。
 突然、傍に立っていた赤い兵士がサヤの髪を摑み、引っ張り上げた。悲鳴を漏らすサヤに兵士は聞く耳を持たず、力任せに引きずっていく。
 俺も残った右腕を摑まれ、同じように引きずられる。周囲でも、似たようなことが行われていた。どうやら、まだ生きている者を一箇所に集めるつもりらしい。
 愚餓は、いまなお兵士たちのすぐ近くまで平然と歩み寄ると、振り向いて片手を振り、カズヤを右腕を摑む兵士に何かを指示した。
 乱暴に背中を蹴り飛ばされて、カズヤは数メートルも吹き飛ぶと地面に転がった。周りに、立て続けに生き残った兵士が突き転ばされる。
 生存者の数は、すでに千を切っていた。
 鎧のお陰が日々の鍛錬か、暗黒騎士が多く残っている。
 皆、全武装を破壊され、または奪われて、ぼろぼろになった服しか身につけていない。露出した肌には傷が縦横に走り、折れた刃が突き刺さったままの者も多い。だが、彼らの顔に一様に浮かぶのは、深い無力感と敗北感だった。
 もうこれ以上、何も見たくなかった。地面に突っ伏して、最後の瞬間まで瞼を閉じていたかった。
 しかしカズヤは、滲む涙を通して、この戦場に立ってくれた仲間たちの姿を目に焼き付けようとした。
 視線を一回りさせたところで、少し離れた場所に倒れる騎士を見つけた。金色の髪は土埃にまみれ、青色の教会制服も各所で引き裂かれている。
 カズヤは這いずるようにその背中に近づくと、セレナの体に右腕を回した。
 セレナは一瞬全身を強張らせてから、カズヤの胸に頭を預けてきた。血と涙に汚れた頰がわななき、掠れた声が漏れた。
「わたし……みんなを……守れなかった……わたしのせいで……」
「違う……セレナは、悪くない」
 カズヤも、涙まじりの声で小さく叫んだ。
「セレナのせいじゃない。俺が悪いんだ……あの時、みんなを巻き込まなければ、こんなことには……」
「カズヤ……。わたし……知らなかった。負けるのが、こんなに辛いなんて……知らなかった……」
 返す言葉が見つからず、カズヤはもう一度強くセレナを抱き締めた。両眼から溢れた涙が、次々に頬を伝った。
 周囲を見渡すと、地面に倒れたまま動かないラギルスと、その隣に座るジンが見えた。
 ラギルスは、よくもこれで生きているものだと思えるほど酷く負傷していた。部下を守るために、よほど激しく戦い続けたのだろう。体には折れた剣や槍が何本も突き刺さり、腕と脚は一本ずつ失くしている。歯を食い縛っているのは、想像を絶する苦痛に耐えているからに違いない。
 その近くに座るジンは、こちらも酷い有様だ。右腕が肩の下から切断され、傷口に即席の包帯が巻いてある。
 生存者は全員、ほぼ同様の状態だった。
 武器も、鎧も、そして闘志も奪われて地に伏す千人を、愚餓はぐるりと睥睨し──巨大な口で、にやりと大きな笑みを浮かべた。
 さっと体を翻し、生き残りの兵士たちに向かい合う。
 皆殺しにしろ、という指示が発せられる瞬間を、カズヤは恐怖とともに待った。
 しかし、生き残りに向けて発せられたのは、意外な内容だった。
「武器を捨てて投降し、特異点を差し出しなさぁい。そうすれば、命だけは助けてあげますヨォ」
 全員の顔に、一瞬の驚きに続いて、深い憤激が走った。数歩前に出て、愚餓と向かい合ったのは、魔術師のワタルだった。ずっと最前線で戦い、倒れたキクノを守るために剣も奮ったのだろう。剣は刃こぼれし、額から血が垂れている。
 それでも毅然とした態度で、叫んだ。
「……ふざけるな!! 僕らは、大切な仲間を犠牲になんかしない!!」
「大切な仲間……? 滑稽ですネェ!」
 不快な高笑いを上げながら、愚餓は続けた。
「一つの命でお仲間が助かると言うんですかラァ、さっさと差し出した方が身のためですヨォ」
「彼を差し出してまで、僕らが命を惜しむと……」
「もういいワタル!」
 ワタルの言葉を遮り、カズヤは懸命に叫んだ。
 泣き噦るセレナをそっと離しながら立ち上がり、ワタルの隣に渡り歩く。顔を向け微笑み、生き残り全員に必死に懇願した。
「みんな……みんなは、生きてくれ。どんな屈辱を味わおうとも、生きてくれ。それが……散っていった者たちの……たった一つの…………」
 願いなのだから。
 胸が詰まり、そこまでは言葉にできなかった。
 しかし、生き残りたちはぐっと口を引き結び、顔を歪め、しばらく身を震わせていたが、やがてゆっくりと肩を落とした。
 最後に、俺を見詰めるサヤとセレナに微笑みかけ、愚餓とユリに顔を向ける。
「さぁ、どこにでも連れて行け。俺は逃げも隠れもしないさ」
「ふフゥン。潔くて感心感心ですヨォ」
 団子のような頭で頷きながら、隣に立つユリに何かを指示している。
 いったい何を……と思ったのも束の間、ユリがざくざくと音を立てて歩み寄ってきて、カズヤの前に立ちはだかった。
「……ユリ」
 彼女の名を呼ぶも、氷のような無機質な表情は微動だにしない。硬く結ばれた口からは何も発せられず、学園での綺麗だった双眸も今では光を失っている。
 俺はそれでも、彼女に語りかけた。
「なんで……こんなことを……。君は、こんなことをする子じゃなかったはずだ」
 必死に呼びかけると、硬く結ばれた口が微かに動く。
「…………うるさい」
 人間味を感じさせない冷徹な音質と一言と同時に、腹部に激しい鈍痛が生まれる。
 彼女の拳がめり込み、腹の底から血液が逆流してくる。
「がっ……」
 短い呻き声を血とともに吐きながら地面に膝を突くと、ユリは乱暴に髪を引っ張り、強引に立たせる。そして再び、腹部に鈍痛が生じる。
 今度は血が吐き出されることはなかったが、呼吸ができなくなるほどの息苦しさが襲ってくる。
「…………ユリ……なんで、こんなことを…………」
 無表情で苦悶する俺を見下ろすユリを見詰めながら訊ねるも、ユリは感情を一切表に出さずに無言で攻撃してくる。
 意識を失わないギリギリの攻撃を何度も繰り返され、息苦しさと鈍痛が交互に入れ替わって襲ってくる。
 突然、ユリは俺を雑に放り投げ、容赦なく蹴り倒した。
 セレナとジンが、同時に立ち上がろうとして兵士の剣に押し留められた。ラギルスも低い怒りの声を漏らし、サヤとワタルが細い悲鳴を上げる。
 しかしユリは気に留める様子もなく、カズヤに歩み寄るとつま先で乱暴にひっくり返した。
「早く立ちなさい……特異点は名ばかりで、ただの木偶なの?」
 今だけは、ユリの言葉なんて耳に届かなかった。
 ただ、口を動かして問うことしかできない。
「なんで……なの、……ユリ」
 未だなお同じ質問を繰り返すことに苛立ったのか、盛大な舌打ちとともに、ユリは膝を曲げ言った。
「冥土の土産に教えてあげる。私はね、愚餓の力で一時的に蘇れたのよ」
 愚餓の……力? 死んだ者を生き返させるのか。ならば何故、ピンポイントでユリを。
 口にしなかった問いを察したように、ユリが応えた。
「私が蘇った理由はね、あなたともう一度会うためよ。……ただ、勘違いしないでもらいたいのは、あなたを愛してるからじゃない」
 乱れた黒髪を摑み、強引に引っ張り上げると、至近距離で発した。
「あなたを──カズヤを憎んでるからよ」
「……えっ?」
「あんたなんかのために、私は死んだ。やっと手に入れた自由を捨ててしまった。なのにあんたは、私のことを忘れたかのように笑っている。それが許せなかったのよ」
「ち、違う……俺は、君のことを忘れてなんか……」
「下らないお世辞なんていらないんだよ!」
 罵り声とともに、腰の小刀を右肩に突き刺す。激痛が薄れた意識を強引に引き戻すと同時に小刀も引き抜かれ、俺の右眼に突き出される。
「だから私は蘇った! 死んでも消えない怨念を具現化する愚餓の力でね! カズヤ、あんたをこの手で殺すために!」
 小刀を無造作に引き戻しながら言い、カズヤの背後に立つ赤い兵士たちに聞き取れない言語で何かを指示する。一人が頷き、真新しい剣を手渡す。
「ちょっとちょっとォ。殺してはいけませんヨォ。特異点の身は確実に確保しなキャいけないんですからネェ」
 ユリの向こうに立つ愚餓が、不敵な笑みを浮かべながら呟いた。
「大丈夫ですよ。私は、生前では剣の腕はこの男以上でしたので」
 言うやすぐに、剣を振り上げる。
 ギラギラと凶悪なまでに輝く刀身が、赤く輝く。極薄の炎素を纏わせた長刀は、触れれば皮膚を焼き崩すに決まっている。
 カズヤは、最後まで諦めないという言葉を考えなかった。
 頭の中にあるのは、一つの感慨だった。
 ──自業自得……か。
 彼女の物言いは正しい。俺と出会わなければ、彼女は死ぬこともなかった。別の方法で自由を得て、幸せな時間を過ごせていたかもしれない。
 彼女の怨念が俺一人の死で解消されるのであれば、それでいい。それが、彼女を犠牲にしてまで生き残った俺の償い……。
 迫り来る炎素の刃を、カズヤは瞼を閉じて待ち受ける。炎素が皮膚を焼き斬り、首の肉を焼きながら断ち切るのを待ち続ける。
 
 ここにいる全員が、その結果を予想しなかった。
 
 極薄の炎素を纏わせた長剣は、カズヤの身に迫りつつ──。
 突然軌道を変え、背後に立つ二人の赤い兵士へと飛んだ。
 不意を突かれた二人は抵抗することなく、鎧を焼き斬りながら上半身と下半身が分断された。切断面から血が噴き出さないのは、斬れた瞬間に切断面が焼いて塞がったからだ。
 
 カズヤは──生き残りは、蘇ったユリの行動を理解できなかった。カズヤを痛めつけたはずなのに、今度は仲間である赤い軍勢を斬り伏せた。
「ユ……ユリ」
 思考がまとまらず、ただ呆然と掠れた声で名を呼ぶことしかできなかった。
 彼女は、倒れ伏すカズヤをしっかりと見据えたまま、温かく、優しい微笑みを浮かべ、言った。
「ごめんね、カズヤくん」
 その一言は、傷ついた精神や肉体に深く染み渡った。全身を苛む痛みも、内側から苦しめる精神負荷も、一瞬だけ忘れるほどに。
 赤い軍勢はユリの唐突な裏切りに戸惑っているのか、その場で硬直している。
 その隙に、ユリが差し伸ばしてくれた右手を摑み、引き上げてもらう。今度は乱暴にではなく、負傷した俺を案じてゆっくりと。
 隣に並び立つユリの表情には、先ほどまでの冷徹な表情ではなく、学園で見せてくれた優美な笑顔が浮かんでいる。
 俺は、少しの躊躇いと恐れを秘めながら、ユリに問うた。
「…………君は、俺を憎んでるんじゃないの……?」
 対するユリは、両眼に悲壮感を宿わせながら言った。
「……全く恨んでないわけじゃない。少なくとも、あなたと会わなければ死ぬことはなかった」
 次にユリは、両眼の悲壮感を慈愛に変え、続けた。
「でも、あなたと出会わなければ、私は自由にはなれなかったし、戦うこともできなかった。あなたを守るために死んだこと、後悔してないから」
「…………そう、か」
 どうにか絞り出せた一言は、自分の耳に長く留まった。
 ──ユリは、俺を恨んでいなかった。むしろ、後悔なんてしていなかった。
 それを知ることができて、心の枷が解除される。ユリを殺めてしまったあの日から、ずっと自分を戒めていた罪の意識が薄れていく。
 でも、心の片隅に留める。許されたとしても、己の愚かさを、二度と忘れないために。
「俺……ずっと後悔してたんだ。君を失ったことを……でも、それと同じぐらい、君に会いたかったんだ」
「私もだよ。もう一度カズヤくんと会って、そして…………」
「…………ユリ?」
 突然言葉が途切れたのに違和感を感じながら顔を横に向ける。瞬間、息を鋭く呑む。
 ユリの全身が、薄れている。まるで、死者が成仏するように。
「……どうやら、時間切れみたいね」
「時間切れって……まさか」
「そう。今のわたしは、地上に残る未練が生み出す仮の肉体。未練が果たされれば、肉体を維持できずに消えてしまう」
 薄れていくユリは、蒼白の笑みを俺に向けながら、切断された左腕に半透明の右手をかざした。そこには治癒術に酷似した光が現れ、傷口を包んでいく。
「時間がないから、手短に言うね。今から、あなたの左腕を蘇生させる。私の残された力を、全部使って」
「……ッ!? どういう……」
 食い下がろうとする俺を、ユリは空いた手で制した。
「私が蘇ったのは、あなたの傷を癒すため……誰よりも傷つき戦い続けたあなたを支えたくて、私は帰ってきたの。……でも、すぐにお別れが来ちゃったみたいね」
 蒼白の笑みに一滴の涙を流す彼女の左手を、俺は片手で懸命に握り締めた。
 死者だから温度はないはずなのに、温かい。
「短かったけど、嬉しかったよ」
「……俺もだよ。痛い目にあったけど、この時間を、決して忘れない。何日……何年経とうと、ユリと過ごした時間は絶対に忘れないよ」
「…………ありがとう。本当に、ありがとう、カズヤくん」
 最後の言葉が終わると同時に、ユリの全身が白い輝きとなって宙は散る。
 ──ユリ。安らかに、眠ってくれ……。
 学園で出会えた少女の冥福を祈り、左腕の肩口を包み込む、うっすらと光り輝く何かを見下ろす。金色の光の粒で空中に描き出されたそれは、五本の指をしっかりと広げた──左手。
 肩口と、幻の手を生やした腕が接触した瞬間。
 黄金の輝きが炸裂し、遺跡全体を照らし出し、赤い軍勢は後方に大きく跳ね飛ばした。
 輝きが薄れた時、カズヤが眼にしたのは、完全に実体を取り戻した左手だった。
「…………これで、まだ戦えるよ」
 左腕を作ってくれたユリに囁きながら、視線を横に滑らせる。捉えるのは、愚餓。
 愚餓は、何が起きたのか全く理解できていない──いや、最初から興味など示しておらず、ふざけた笑みを浮かべている。
「……気に入りませんネェ。あたしの《死者使役》で使役された死体は、あたしの命令外の行動はできないはずなのに」
「簡単な話さ」
 亀裂だらけの焔天剣を、痛みを全く感じさせない動作で拾い上げ、切っ先を突きつける。
「彼女の意思が、お前の意思を超えた。だから俺を助けるために動けた。それだけの話だよ。……信念も意思もない空っぽな肉団子には、理解できないだろうがな」
「なっ……な、な、なんっ……」
 カズヤの舌鋒に、愚餓の不愉快な雑言が止まった。限界まで歪められた丸顔が激しく痙攣し、滝のような脂汗が流れる。
「特異点ッ!! オマエ如きがあたしに舐めたクチをきくんじゃありませぇんヨ!!」
「真実を言っただけだ。違うとでも言うのか」
「違あぁ────う!! 違う違う違う違うッ!!」
 愚餓の両眼に、ぼっと音を立てて赤い炎が点った──ように見えた。
「アタシにだって信じるものはあるんですよう!! それは、ズバリ、忠誠ッ!! 我が尊く気高き邪教神様へと、偽りなき忠誠なりいいぃぃぃ──ッ!!」
 この時、この場所以外のどんな状況で聞いても三流芝居にしかなり得ない台詞ではあるが、しかし今だけは、ある種の悲壮感すら伴って、力強く戦場全体に響き渡った。それを放ったのが巨大な頭を持つ肉団子──道化師であったとしても。
 愚餓は燃え上がるまなこでカズヤを凝視し、両手を大きく広げる。
 突如、愚餓の全身が、赤々とした炎の如き輝きに包まれた。
「これがあたしの、邪教神様への忠誠心ですヨォ────ッ!!」
 しゅばばっと両手が空を切り、指先までがぴんと広げられたその四肢に、赤熱する幾つもの光点が宿った。
 生成されたルビーの如く輝くのは、炎素。数は、合計十個。生成できる素因の限界量だ。
 どうしても特異な外見と人格にばかり注意が向いてしまうが、愚餓もまた天界の騎士たちと同じように──あるいはそれ以上に長い経験を重ねてきた、恐るべき強敵なのだ。
 俺の戦慄を感じたのか、愚餓の両眼が勝ち誇るかのように細められ、次いで限界まで広げられた。小さな瞳孔が真紅の光を放ち、俺の恐れは驚愕へと変わった。熱血男の如く闘志餓炎となって眼に宿ったのか、と思ってからそうではないことに気付く。
 愚餓の両眼のすぐ前で燃える光は、大型の炎素だ。奴は己の両眼で素因を宿し、十二個の素因を生成したのだ。
 素因自体に属性に準じた性質が放散している。手に宿した炎素なら多少熱く感じるくらいで済むが、眼球の至近距離であれほど大きなものを保持すれば、無事では済まない。たちまち、両眼のまわりの皮膚がしゅうしゅうと音を立てて焦げ始める。
 しかし愚餓は、熱さも痛みも全く感じていないようだった。眼窩が黒ずみ、異相から凶相へと変じた顔全体でにんまりと笑ってみせると、愚餓はひときわ甲高い声で絶叫した。
「あたしの最大最強の闇魔術ウゥゥゥゥッ……! 我が肉体を生贄にッ!! 出でよ魔人ッ!!」 
 いったん縮められた両手が、眼にも止まらぬ速さで振り回された。発射された十の素因はすぐには変形せず、宙に五本ずつの平行線を描きながら、愚餓と俺の間の空間を猛烈なスピードで飛び回った。
 赤く輝く軌跡が、たちまちのうちに巨大な人間のかたちを描き出していくのを、俺は呆然と見守った。
 短い足。でっぷりと膨れた腹。妙に長い腕。そして角が何本も伸びる冠を載せた頭。まるで、愚餓をそのまま数倍に拡大したかのような巨人だ。
 ごうごうと燃え盛る身長五メートルの巨人を作り出した素因たちは、最後に道家服を彩る深紅の縦縞となって消えた。
 見上げるほど高いところにある巨人の顔は、愚餓の面相を模していながら、何倍も残酷そうに見えた。分厚い唇の隙間からは炎の舌がちろちろと見え隠れし、細長い吊り眼を作る亀裂からは、炎の巨人であるにもかかわらず凍てつくような冷気が放射されている。
 両手を振り回しながら炎素で巨人を組み上げた愚餓は、最後に、残る二つの素因を宿した両眼を、ばちっと音がするほどの勢いで閉じた。すると炎素が転移し、巨人の暗い眼窩に、赤く燃える瞳となって宿った。
 巨人は、愚餓の魂が乗り移ったかのように、殺意のこもった視線でぎろりと俺を見下ろした。尖った靴を履いた右足がゆっくり持ち上がり、少し前の地面を踏み締める。重い地響きとともに、大量の炎が巨人の足元から巻き起こり、周囲の空間を熱気で揺らめかせた。
 ──愚餓の姿があるってことは、巨人自体に攻撃したところでほとんど意味がない。
 本体を攻撃したいが、巨人の相手をしながらじゃ厳しいかもしれない。
 後ろの赤い軍勢は愚餓を指揮官として認識しているのか動こうとしない。今のうちに共闘軍が撤退してくれれば嬉しいのだが、いつ愚餓の攻撃の矛先が彼らに変わるか分からない状況じゃ、無闇に動かないでもらうほうがありがたい。
 協力を頼みたいが、これ以上彼らに無理を強いるのは嫌だ。自分が引き起こした結果には、自分一人で対処するしかない。
 しかし、対処法が思いつかない。巨人の一撃を辛うじて防げても、愚餓の元まで距離を詰めなければ勝てない。
「…………っ」
 唇を嚙む俺を嘲笑うかのように、燃え盛る巨人は、巨体をふらふら揺らしながらゆっくりと前進し始めた。とても敏捷とは言えない動きだが、サイズがサイズだ。一歩で一メートル以上の距離を詰めてくる。
 火炎巨人から放射される熱気が肌で感じられるほどの間合いになった時、ついに巨人が動いた。
 異様に長い右腕を高々と振りかぶり、隕石の如き勢いで振り下ろす。
 俺は両腕に持ち替えた焔天剣を上段に構え、降り注ぐ拳を真正面から受け止めた。
 巨獣に突撃されたような衝撃。両脚が地面に食い込み、思わず片膝立ちに移行する。
 左腕が再生したとはいえ、全身の傷が癒えたわけではない。受け止める衝撃で背中に負った切り傷から血が噴出し、他の傷口からも血が噴き出し始める。
 それだけじゃない。
 焔天剣に走る亀裂が刀身を八割ほど支配している。もはや無数の破片が宙に舞っており、軋む音が鮮明に聞こえる。
 これ以上受け止めれば俺の肉体は、焔天剣とともに砕ける。なんとかして攻撃を掻い潜り、一撃で愚餓を倒さねば勝機はない。
 ──どうすればいい!! 一か八か、前に転がるか!?
 タイミングを誤れば死亡する選択だが、迷ってる暇はない。二秒後に実行すると決断すると同時に。

 ──リベラシオンッ!!
 
 という掛け声と同時に、上段から圧しかける衝撃が消失する。見ると、巨人の右腕が第一関節から抉り取られたように消えている。
「ワタルッ!!」
 上空で叫ぶのは、サヤ。餓断剣の解放術《空間断裂》で巨人の右腕を断裂させたのだ。

 わずかに生まれた時間──八秒。
 
 サヤへの感謝の言葉を惜しみ、思考を巡らせる。
 魔術で撃破は不可。解放術も時間が足りない。俺に残された手段は、右手の焔天剣と、体に染み付いた技だけ。
 人界で過ごした二年の間に、俺は、多くの剣技を学び、習得してきた。その過程で俺は、この世界に於ける剣技は意思の強さで強大な力を発揮することに気付いた。
 なぜなら、異世界自体が、行動が導く結果を意思力が決定するから。
 すなわち。この異世界では、強い意思があれば威力や射程を拡張できる。
 しかしそれは、逆に言えば、恐れや怯え、躊躇いなどの負の意思が技を弱体化させてしまうということでもある。
 俺は自分が嫌いだ。何度も同じ過ちを犯す自分が嫌いでならなかった。
 しかし、たぶん、これだけは言える。いかに嫌おうとも、それは《水樹和也》を構成する一部であり、今の俺を形づくり、力を与えてくれているのだと。
 そう、あの頃の弱い自分は、いまもここにいる。
 残り七秒。
 大きく体を右に開き、腰を沈めた。
 右手の黒い剣を肩の高さまで持ち上げ、完全な水平に構えると、腰を更に落とす。
 左手を剣先に、カタパルトの如くあてがう。
 俺はいままでこの技を使ったことはない。理由は解っている。この技は未だ会得しておらず、また自分の弱さを痛感させられる技だからだ。
 わずかに透き通る黒い刀身の延長線上、十五メートル先に、愚餓の姿が見える。周囲が焦げた両眼は閉じられたままだが、いかなる術理によってか、火炎巨人と視界を共有していることは疑いようもない。つまり、俺のモーションにもすでに気付いているはずだ。
 攻撃は一度きり、決して防御も回避も許してはならない。その意味でも、十五メートルという距離はあまりに遠い。
 一秒だけでいい。愚餓の注意が俺から逸れれば……。
 残り六秒。
 思考を読んだかのように、顔の横を青く光る氷の矢が三本、青い閃光を引きながら愚餓へ放たれる。
 後ろに立つワタルが、愚餓さえ気付かないうちに凍素を生成し、矢に変換していたに違いない。
 ワタルの左手に導かれ、まず火炎巨人を右に迂回し、そこから左方向へと大きくカーブしながら舞い上がる。炎の赤に染まる遺跡に、氷の矢が描く青い軌跡は、強烈なコントラストを描いて眩く煌めいた。巨人の燃える瞳も、ぎょろりと動いて矢を追いかける。
 残り五秒。氷の矢が巨人に向かってそれまでに倍するスピードで、一直線に舞い降りた。その鋭利なやじりが狙ったのは──。
 巨人の右眼だった。
 残り四秒。
 ワタルが渾身の力で急降下させた氷の矢は、巨人の右眼に突き刺さる。だが痛みは感じておらず、気にする様子もなく氷の矢に手を伸ばす。
 残り三秒。
 愚餓の注意が氷の矢に向くより早く、俺の体は動き始めた。
 地を蹴り、疾駆する。風素なしで人族が出せる限界の速度を出し、愚餓との間合いを一気に詰める。
 加速を回転力に変え、背中を経由させて右肩に伝える。回転を再び直線運動に変換し、右腕と一体化した黒い剣に叩き込む。
 ジェットエンジンじみた金属質の轟音と、炎よりもずっと深い赤い閃光を放つ。
 サヤとワタルが作ってくれたチャンスは、絶対に無駄にはしない。
 二人の意思に応えなければ、騎士など名乗れない。俺を見守っている彼女に、顔向けできない。

 ──ユリ! 君の力、貸してくれ!
 みんなの明日を紡ぐために。
 仲間を、守るために!!

「う……おおおおぉぉぉぉ────ッ!!」
 絶叫と同時に、引き絞った剣を突き出す。剣に込められた深紅のエネルギーが剣の切っ先に集中し、愚餓の中心へと──最大の一撃を放った。
 魔術剣修道学園に通う修剣士が習う流派の最終奥義、《星砕せいそう》。流星をも砕く一撃。
 ユリが最も活用し、得意としていた技。そして、俺には使えないはずの技。
 流星にも似たエネルギーが、愚餓の胸を貫いた。
 愚餓は高々と宙を舞い、遠く離れた地面に重い音を立てて落下した。
 全精神力を使い果たしたカズヤは、再び片膝を突きながら、心の中でもう一度呼びかけた。
 ──ありがとう、ユリ。
 一度も練習したことのない剣技がなぜ、彼女が放った《星砕》同等の威力を有していたのかは解らない。
 もしかしたら……彼女との記憶が、思い出が、俺に力を貸してくれたのか。
 ありえない。記憶や思い出が人体に影響を与えるなんて……。
 いや、異世界では異常な現象が当たり前なんだ。彼女との繋がりが濃いからこそ、星砕が使えて、愚餓を倒せたんだ。
 両眼を瞑り、空の彼方へ想いを飛ばす。

 ──君が生きた証は……俺が受け継ぐよ。

 星砕はユリの象徴。この技が存在し続ける限り、ユリは全員の記憶の中で生き続ける。そうに決まってる。

 ──ピキンッ。
 
 と、乾いた破砕音が耳に届く。
 音の発生源は、見なくても分かる。
 下げた焔天剣を持ち上げ、ジッと見詰める。
 刀身はもう、亀裂で支配されている。星砕の一撃で、剣の命が尽きたのだ。
 カズヤは、焔天剣を抱きしめず、ゆっくりと鞘に納めた。
 カチンッ、という音と同時に、鞘の中で崩壊する音が届く。
 はらはらと崩れ落ちていく刀身が脳裏に浮かび、カズヤは名残惜しく呟いた。
「お疲れ様、焔天剣。……ありがとう」
 転生してから常に側で支えてくれた愛剣の鞘を撫で、両眼から零れる涙を止めようとしなかった。
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