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第60話 大丈夫ですから
しおりを挟む「前も言ったけど俺はあんたの会社に入るつもりはない」
「強情だねえ。そんな事だろうと思って今日はこんなものを用意してきたんだ。これここまで持ってくるの重かったんだからね。よいしょっと……」
そう言って床に下ろしていたバックから取り出したそれを雑にテーブルに並べる。
「――凄い……」
その光景に景さんは不安そうな眼差しを送り、ちらりと俺の顔を窺う。
「現金で買収か?やることが随分と汚いな」
「いやいやいやいや、これは常套手段だよ。野球でもサッカーでも契約金を提示するだろ? それと同じさ。ただ違うのはこの金はあくまでもうちの会社に来て貰う為のものでしかないって点。お給料は別に、しかも破格なものを用意して――」
「そんなものいくら積まれても無駄ですから」
テーブルに置かれた札束のタワーを一瞥すると俺はきっぱりと言って退けた。
はっきり言って、その札束を今すぐ鷲掴みしたい気持ちはある。あるけど、金以上に俺にはここの人達が大切だし、10年勤務した思い入れもある。
そんな簡単にはいくわけがないんだよなあ!
「宮下君……」
「景さん、大丈夫です。俺はなんだかんだ言ってこの店が大好きで、それにどんな理由があったとしても店長と景さんにはこれでもかってくらい感謝してます。まだまだ恩返し出来てるなんて思っていないし、それは一生掛けていかないと思ってます」
景さんは目を少しだけ潤ませながら、口元に手を当てた。
ちょっと臭すぎる事言っちゃったと思ったけど、感動してもらえてるなら良かった。
「かーっ! 今の時代に感情論だけで一生やってこうなんて甘い、甘いって!今はいいかもしれないけど、成功例が出た事で競合店はバンバン増えるだろうし、今後探索者の平均レベルが上がれば上がる程他の肉の供給も上がってコボルト肉やオーク肉なんていう雑魚モンスターの肉は競争に負けるよ。大量生産が可能だとしても腐るほど探索者を買い込んでる大手が参入してきたらそれは固有の特徴にはならない。場合によっては同じ方法を用いられる可能性だってある。おじさんはこんな10年後にはダメになってそうな焼肉屋で低賃金労働するような人間じゃないんだよ!」
「10年後の事なんて誰も分からない。もしかしたら店を閉めないといけないって状況が来るかもしれない。でも俺はここがなくなるまで勤めていたい」
「そ……じゃあここが、焼肉森本がなくなればおじさんはうちに、兄さん、橘圭一の立ち上げた『橘フーズ』に来てくれるんだね」
「それってどういう――ん? 兄さん?」
「これでも社長の弟兼副社長っていう肩書きなんだよね。若い若いっていっつもおっさん達に言われるのはきついけどある程度自由が利くから楽しいもんさ」
そう言うと『橘フーズ』の副社長は立ち上がって店をぐるぐると見て回る。
ここがなくなればなんていう脅し文句を言った後とは思えないほど楽しそうなその顔は、反対に恐ろしく見えてしまう。
「ここってさぁ、場所借りてるんだよね?それで借りてから結構経つよね?」
「えっと、その、はい。借りてから10年以上経ってます。建物自体はもっと前から……」
にっこりと笑いながら質問されると景さんが不安そうに答える。
この質問この笑い顔嫌な予感しかしない。
「俺の親父がここの地主でさぁ、この土地も貸してるんだよ。確かもう数年で契約期間一杯だから延長の話があったはずだけど……。延長させないように仕向けたらさぁここどうなるのかな?」
こんな悪どい顔は見た事がない。
現金に脅し。
こいつ……そこまでして俺を雇用して何をさせたいってんだよ。
「あははははははははははっ!2人ともそんな怖い顔しないでよ!まだどうなるのかな考えただけじゃん! からかいがいがあるなぁ!」
「……俺はお前には絶対屈しないからな」
「そう……まぁせいぜい強がってればいいさ。そんな強行手段に出なくても探索者であるおじさんはもっともっと自分を強くしたくなる。強いモンスターと戦いたくなる。毎日ドラゴンを殺したくなる。そうなればうちの会社が期待に答えられる場所だって直ぐに気付くよ。おじさん、強さをもて余してるよね?もっともっと暴れて殺してみんなに讃えられたいって、そんな感情が募って募ってどうしようもなくなる時を楽しみに待ってるよ。ただ覚えてて。俺はあんまり気が長い方じゃないってね」
そう言い残すと『橘フーズ』の副社長は現金をバックに戻して店を出ていった。
残された俺と景さんの間に生まれる沈黙。
あーもうどうしてくれるんだよこの空気っ!
「引き抜きのお誘い……されてたんだ」
「あの、すみません言うタイミング逃しちゃって……」
「危険なダンジョンに行かないでって言ったから。もしかしたらそれが原因で宮下君が、もし、もしも、いなくなったらって考えただけで、私……」
「さっきも言いましたけど、大丈夫です。絶対ここを離れません。それでもって店も潰させません。大丈夫、大丈夫ですからそんな顔しないでください」
「……うん。ごめんなさい」
俺は涙を浮かべる景さんをそっと優しく抱きしめると、落ち着いてくれるまで待ち続けるのだった。
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