観月異能奇譚

千歳叶

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プロローグ

「わたし」の新生

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「頼み?」
「そうだ。君には情報収集を頼みたい。君が見聞きしたことを僕たちに報告する、言ってしまえば密偵さ」
「密偵って言われても……わたしにできるとは思えないけど」

 小さく首を振った。しかし千秋は気にしたそぶりもなく話を続ける。

「大袈裟な言い回しをしたけど、組織内で誰かが怪しい動きをしていたら報告するだけの簡単な仕事だよ。専門的な知識も複雑なスキルも必要ない」
「千秋は求人サイトなの?」
「まさか。僕は君をスカウトしたいんだ」

 嘘か本気か読めないことを言った千秋は口元に笑みを浮かべた。口の端だけを吊り上げた、嫌な予感のする笑みだ。

「当然無理強いはしないけど、その場合は身の安全を保証できないなぁ」
「……脅すつもり?」
「事実を述べたまでさ。僕たちは君を保護したけど、他の幹部は君を侵入者として捕らえたいようだから」
「断ったら他の幹部に突き出すぞって言いたいんだね。やっぱり脅しだ」
「そこまではしない。もし捕まっても助けないよ、ってだけ。もし協力してくれるなら身の安全を確保しよう。さぁ、君はどうしたい?」

 微笑む千秋が悪魔のように見える。優しそうなのは表情だけだ。
 結局、わたしに提示された選択肢なんて一つしかない。諦めのため息をついて意思を告げる。

「わかったよ、あんたの提案に乗ればいいんでしょ。密偵でも何でもやってあげる」
「その気になってくれてよかった。言い忘れたけど報酬はこれくらい出すよ」

 千秋は紙に数字を書き連ねた。ゼロが六個は並ぶそれに驚きと疑念を隠せない。

「本当にそんな金額出せるの? 成功報酬だーって言っておいてそもそも払う気がないんじゃ……」
「半分は前金として渡すよ。残りは成功報酬だけど、それ以外に〈九十九月〉の職員としての給料も出す」

 ボーナスもあるよ、と千秋が無邪気な笑みを見せる。先ほどまでの不穏な笑顔は影も形もないし、言葉の真偽もわからない。

「信じるかどうかはわからないが、千秋は嘘をつかない。これだけの額でも払える心づもりがあるんだろう」

 千波は肩をすくめて言った。どこから出す気かは私も知らないが、という呟きは聞こえなかったことにする。
 仕方がない。わたしも彼女に倣って肩をすくめる。彼らの言葉を否定する根拠もないし、ひとまずは乗ってみるか。

「とりあえずはあんたたちを信じる。だから前金ちょうだい」
「信じているのは私たちじゃなくて金じゃないか、それ」
「まあまあ。初対面の人間よりお金の方が信用できるのは当然のことだから」

 わたしの発言に指摘を入れた千波を宥め、千秋は一枚のカードを取り出す。真っ黒なそれにはICチップらしき金色のものが見えた。

「急いで必要なものがあればこれで買っていいよ。使った金額だけ成功報酬が減るから、無駄遣いはしないようにね」
「わたし、小さな子供だと思われてる?」
「問題はそこじゃないだろう……!」

 幼子相手にするような口調に不満を露わにしていると、顔を青ざめさせた千波がカードを奪い取る。千秋に何かを耳打ちし、カードをしまうよう指示した。

「こいつの必需品は私が立て替える。千秋は手出ししないでくれ」
「えー」
「えー、じゃない。幹部のくせに不用心なのをどうにかしろとこの前も言っただろうが」

 千波はわたしを指さしながら千秋と言い争いを繰り広げている。どうでもいいが指をささないでほしい。

「まぁ千波が立て替えてくれるなら任せるよ。あとは君の呼び方をどうにかしないとね」
「そうだな。ずっと二人称で呼ぶのも面倒だ」

 意見を揃えた二人がじっと見つめてくる。わたしは視線を躱すように目を逸らした。難解そうな専門書の並ぶ本棚が眠気を誘う。

「二人に任せる……ふぁ、あ……」
「おい」

 大きなあくびをこぼすと、千波が目を鋭くしてこちらを見た。わたしは謝罪しながらあくびをもう一つ。

「……はぁ。あくびはともかく、私たちに丸投げするのはやめてくれ」
「僕も千波もネーミングセンスないからね。白いからシロ、って名付けられたくないなら自分で考えて?」

 それはない。わたしは半分停止していた思考を無理やり動かし始める。だが何も思い浮かばない。白紙そのものだ。
 腕を組んでうんうん唸っていると、目の前に鈍器のような書物が差し出された。表紙には観月大辞典と記されている。

「貸そうか。何かヒントになればいいんだけど」
「どうも」

 千秋に短く感謝を述べ、適当なページを開く。目に付いた単語は「落とし前」だ。

「落とし前……。わたしの名前、落とし前……?」
「いや、そのまま使う必要はないだろうが。一文字減らして『おとしま』とか」

 わたしの雑な発言へ律儀に突っ込む千波の案を採用する。表記は「音島」だ。どこからか聞こえてきた歌声につられた。

「これでいい? いいよね」
「まだだ、飽きるな」
「今決めたのは名字にあたる部分だからね、名前も考えないと。もう少し頑張って」

 千波に窘められ、千秋に宥められながら再び辞典と向き合う。次に引いたページで目に付いたのは「百分率」である。

「音島百分率……」
「さっきからどうして全部を使おうとするんだ」
「音島ブン」
「なぜそこを取った?」
「なんとなく『ひゃく』が気に食わなかったから」

 わたしはとぼけた発言を繰り返し、千波と漫才を繰り広げた。それを聞いていたのか、千秋がくすくす笑う。

「それなら『りつ』にすればいいんじゃないかな。表記を変えれば名前らしくなると思うよ」
「そっか。ありがとう、千秋」

 辞典で「りつ」の表記を調べ始めたわたしの耳を、千波の「……疲れる」という呟きが通り過ぎた。
 最終的にわたしが気に入ったのは調律の「律」だ。おとしまりつ、小さく口を動かして響きを確かめる。

「……一文字足してもいい?」
「どうぞご自由に。何を足すつもりだい?」
「月、って文字を付け加えたい。律に月で『りつき』とか」

 異能の説明があれこれ書かれたまま放置されている紙に、考えた名前を書き込む。

「音島律月、か。いい名前だな」

 千波がふっと笑みをこぼした。ぎこちなさはあるものの、含みのない笑みだ。
 つられるように笑うと、千秋もにっこりと笑う。こちらは本心なのか読めない笑顔である。

「さてと。名前も決まったことだし、改めて歓迎しようか」

 千秋はそう言うと、わたしに向けて手を差し出してきた。流されるように手を取り握手する。

「ようこそ〈九十九月〉へ、音島律月さん。ここはこの国における異能者の最終防衛線だ」
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