観月異能奇譚

千歳叶

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第五章 朧月

実験体、微笑む少女

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 三日後の夕方。客が退店したテーブルを片付けていると、声をかけられた。

「音島さん、この後お時間ありますか?」
「綾? 時間ならいっぱいあるよ、どうかした?」

 振り向くと、そこにはふわふわと柔らかそうな長髪の少女――綾がいる。まだ学校の制服を身につけているから、支度をする前に話しかけてきたのだろう。

「相談したいことがあるんです。……研究所、って言えばわかってくれますか?」
「……相談相手がわたしでいいの? 役に立てるかわからないけど」

 綾の言う「相談」は店じまい後に回し、わたしたちは普段通りの業務に戻った。

「お二人とも、今日はもう上がっていいですよ」

 それから約一時間ほど。昭人の声がかかり、わたしたちは帰り支度を始める。
 静かな更衣室でもそもそと着替え、店の制服でもあるエプロンを畳みながら綾を呼んだ。

「さっきの話、どこか落ち着ける場所でした方がいい?」

 わたしの質問に、綾は考え込むようなそぶりを見せた。数秒の間が空いて、彼女は小さく頷く。

「そうですね。あまり他の人に聞かれたくない話なので……」
「わかった。帰りが遅くなってもいいか昭人に聞いてくる」

 休憩スペースでも貸してもらえれば御の字だ。そんなことを考えながら尋ねると、昭人はあっさりと許可を出してくれた。どうせなら、とカフェオレまで淹れてもらい、わたしと綾は休憩スペースで向かい合う。

「さっそくですが、私と研究所の関係を説明させてください」

 綾は普段と変わらない口調で説明を始めた。彼女の持つ異能に目をつけられ、幼少期から数多くの実験をさせられた――そんな重苦しい過去を、平然と。
 言葉を失うわたしに構わず、綾は「昔の話ですけどね」と微笑む。その顔から負の感情を読み取ることはできなかった。

「……綾の異能って、そんなにすごいものなの?」

 これ以上聞きたい内容でもないし、こんな話を平然とする綾の顔を見続けたくもない。わたしは話題を変えることにした。

「あれ? もしかして、異能の説明忘れてました?」

 綾は目を丸くすると、唐突にわたしの右手を掴む。戸惑いながらの問いかけはさらりと流されてしまった。
 それから一秒、二秒……三秒――不意に、秒針の音が聞こえなくなったことに気づく。しんと静まりかえった世界に、わたしと綾の呼吸音だけが響いた。

「私の異能は時間操作です。名前の通り、時間を操ることができます」

 不気味な静けさの中、綾の声が耳に届く。千波と同じ異能なのか。内心で呟いた。
 しかし、五秒経っても止まった時間が動き出す兆しはない。そこは千波と違う点だ。

「時間、どれくらい止められるの?」
「私が止めようとしている限り、永遠に」

 何気なくした質問には、目を剥くような回答が返ってきた。絶句していると、綾は「でも」と続ける。

「異能よりも先に私の身体が限界を迎えますけどね。理論上は永遠に止めていられる、ってだけです」

 試してみましょうか? そんなことを宣う綾に慌てて首を振った。軽い気持ちで試すものでもないだろうに。
 慌てるわたしを楽しそうに眺めた綾は、何かを思いついたのか「そうだ」と手を合わせた。

「音島さんも異能者なんですよね。他の異能を持つ人のお話、聞いてみたいです」
「面白い話はできないけど……」

 平然と恐ろしい話を続けられるよりは多少マシだ。わたしは考えながら〈九十九月〉での出来事を話した。他人の異能を模倣する異能を持っている、ということも。

「……なるほど」

 綾の呟く声は心なしか低く聞こえた。目を伏せていた彼女は「それなら」と顔を上げる。

「研究所があなたを狙う理由は十分すぎるほどありますね」
「多分……? あと、綾の知り合いらしい研究員と会話したけど――」
「不知火さんのことですか? ……いえ、確実にそうでしょうね」

 わたしの言葉を遮り、綾はそう断定した。掴まれたままの右手がじわじわと冷たくなっている気がする。それが彼女の心情を表したものなのかはわからないが。

「あの人は私に同情的ですから、きっと私を案じているようなことを言われたんじゃないですか?」
「……っ」

 よくわかったね――そう、言ったつもりだった。しかし口からこぼれたのは言葉にもなっていない掠れた音だけ。目を見開くわたしを不思議そうに見る綾は、異常に気づいていないようだ。

「音島さん?」

 困ったように呼ばれても、わたしの口から言葉は出てこない。ぱくぱくと、餌をねだる鯉のように口を開閉させる。

 頭の頂上から、さあっと冷えていくような感覚。心臓はバクバクとうるさいくらい拍動しているのに、血が巡っていくような感覚は一向に訪れない。
 もしや、これが貧血か。その割に意識はクリアなのが不可解だ。よく耳にするような症状――例を挙げるなら目眩――は現れていない。
 混乱の中で荒く呼吸を繰り返すわたしを観察するように見やった綾は、あ、と小さく声を発した。

「……もしかして、私のせい?」
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