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第6章 帰郷
止められない変化
しおりを挟む「実!?」
拓也の声を振り切るように、実は全力疾走で森の中を駆け抜けた。
(やめて……)
実は怯えた表情で耳元に手をやる。
頭の中で、声が響いていた。
―――殺してしまおう。
他の誰でもない自分自身の声が、そう囁いてくるのだ。
―――俺を邪魔する奴ら、俺を殺そうとする奴ら、みんな殺せばいいんだよ。
違う!!
頭に響く声を、全身全霊で否定する。
必死で走った。
この声から逃げるように、この声を振り切るように、ただひたすらに足を動かした。
(嫌だ……嫌なのに…っ)
こんなにも全力で否定しているのに、頭が冷水を浴びせられたように冴えていくのが分かる。
それと反比例するように、今までの自分がどんどん曖昧になっていく。
人を殺すなんてことはしたくないのに、全身が氷みたいに冷えて、思考まで凍りついてしまいそうで……
気を抜けば、頭に響く声に従いそうになっている。
(嫌だ…っ)
怖い。
自分が変わっていくのが怖い。
そして、それに抗いきれないのがもっと怖い。
―――殺そう。殺してしまえばいい。
違う!!
そんなこと、思ってない!
―――殺してしまえば、簡単なんだ。
そんなことない!
―――どうせみんな、俺を殺そうとするんだ。なら、俺が殺したっていいじゃん。
そんなの、俺が思ってることじゃない!!
「実! どうしたんだよ、一体!!」
実の後ろ姿に向かって、拓也は大声で呼びかける。
しかし、その言葉を聞いても、実は立ち止まらなかった。
「父さんが俺を地球に逃がした本当の理由は、器になる危険性から逃れるためでもないし、俺が〝鍵〟だったからでもない!!」
実は頭を抱えて叫んだ。
「父さんは……俺が〝鍵〟だと知った時、見てしまったんだ! 俺が〝鍵〟だと周りに知られた時の未来を…っ」
「実!!」
拓也がようやく実の腕を掴む。
それに構わず半狂乱で前へ進もうとする実を、拓也は近くにあった木に押さえつけた。
「実! 落ち着け!!」
肩を強く揺らして、拓也は実に強く呼びかける。
「俺、は……」
苦しげで途切れ途切れの息の中、実の顔が泣きそうに歪む。
顔を両手で覆って、実はずるずると座り込んだ。
「どうしよう……さっきから、殺せばいいって声が消えないんだ。だめだって……そう分かってるのに、みんなが俺を殺そうとしてくるなら、俺だって人を殺してもいいはずだって……そう思ってる自分がいる。」
実の告白に、拓也が瞠目して息を飲んだ。
「このまま俺がここで育てば、いつかは俺が〝鍵〟だと周りに知られる日が来る。その時が来てしまったら、幼い俺は……俺を殺そうとする奴らを殺してしまう。それが、父さんが見た未来だった。」
「………っ」
それを聞いた拓也の瞳に、一瞬だけ暗い何かがよぎる。
目を塞ぐ実はそのことに気付かないまま、覇気のない声で訥々と語った。
「だから父さんは、俺を地球に逃がした。殺意が向けられない世界に行けば、そんな未来は来ないって願って。俺も、自分が殺されない世界があるなら、それが一番楽だと思って、この世界を捨てることを選んだんだ……」
実は片膝を抱えて、そこに額をうずめた。
闇の中で迎え入れた、幼い自分の姿を映したモノ。
あれは封じていた魔力が具現化したものであると同時に、記憶を失う前の自分の心が具現化したものでもあったのだろう。
自分が忘れていた自分。
結局は同じ自分だから、ここまで飲み込まれそうになる。
―――ねぇ、殺しちゃおうよ。
今も脳裏に響く、どこか無邪気な自分の声。
体と意識が、自然とその声に応えようとしているのが分かる。
周りが殺そうとしてくるなら自分が殺したって構わないだろうという声に、そうかもしれないと思う心があるのも事実だ。
(こんなの、嫌だよ…っ)
実はきつく目をつぶって頭を振る。
認めたくない。
この声を受け入れてしまえば、自分がどんな人間になるかは明白だ。
この心を容認するということは、人殺しを容認するようなもの。
認めてしまえば、きっと自分は躊躇いなく人を殺す。
それだけは、絶対に嫌だ。
(なのに……)
実は、疲れたように大きく息をつく。
なのにどうして、身も心もこんなに冷たくなっていくのだろう―――
黙り込んだ実に対し、拓也とついさっき追いついてきた梨央は、何も言えずに彼を見下ろすことしかできなかった。
実は、他でもない自分の心に絶望している。
そんな実に、一体どんな言葉をかけられるだろうか。
「………っ」
拓也は目元を険しく寄せた。
エリオスが実をこの世界から切り離したかった理由が、今なら痛いほど分かる。
実が生まれながらに背負ってきたものは、あまりに重すぎる。
殺さず殺させず、単純に切り離すという方法があるなら、その道を選ぶのが実にとっても世界にとっても一番幸せだ。
それなのに……あの神とこの国は、エリオスと実が願った幸せを、こうも簡単に踏みにじったというのか。
神の器が欲しいという、身勝手で傲慢な理由で。
(やっぱり、こんな奴ら…っ)
湧き上がった感情に、拓也は唇を噛む。
胸の中にたぎる黒い炎。
それに飲み込まれそうになり、拓也は寸でのところでそれを踏みとどまる。
今は自分のことよりも、実のことを優先するべきだ。
「実…」
うなだれる実に、拓也は手を差し伸べようとした。
しかしその時―――実が急に、手を前に突き出した。
微かな音を立てて風が唸る。
その直後、拓也の後方にある木の一部が豪快に弾けた。
「………え?」
状況を把握できない拓也は、実に手を差し伸べた体勢のまま固まる。
くつくつ、と。
押し殺した笑い声と共に、実の肩が震える。
持ち上がった実の顔は、不気味な暗い笑みに満たされていた。
「出てきなよ。そこにいるんでしょ? ―――サリアム。」
傷ついた木々の向こうに、実はそう声をかけた。
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