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第1章 隠し事
変わってしまった日常
しおりを挟む「実―――っ!!」
太陽が高く照りつける、八月の初め。
拓也は、実の家のインターホンを連打しまくっていた。
「おいおい、何もそこまで…。いないんじゃないのか?」
後ろで呆れぎみに言う尚希に、拓也は「いいや。」と確信に満ちた瞳を向けた。
「今日から塾が休みなのは知ってんだ。あの実が、外に出てるはずがないだろ。実! 出てこい!!」
ひらすら拓也が怒鳴っていると、ふと頭上で窓の開く音が。
「なんだ、拓也か……」
拓也と尚希が声のした方を見上げると、二階の窓枠に頭だけを乗せた実が、眠たそうな目で二人を見下ろしていた。
「んー…。面倒だから、勝手にここまで来ていいよ。母さんいないから。」
そう言うや否や、さっさと顔を引っ込めて窓を閉める実。
塾の夏期講習が終わったら、外には一歩も出ないと断言していただけのことはある。
部屋を出るのは、意地でも嫌らしい。
言われるがままに拓也たちが実の部屋に行くと、実はベッドの上で座って二人を待っていた。
Tシャツに半ズボン。
眠りから完全に覚めていない伏せ目がちの瞳に、所々寝癖がついた髪。
さっきまで眠っていたと見える。
「どうしたの、急に。せっかく塾という名の地獄から解放されて、ぐっすり眠ってたのに。」
「もう昼過ぎだ。別に、非常識って時間ではないと思うけど?」
「だって、今日は寝たのが朝方だったんだもん。まだ眠いよ。なんでそんなに怒ってるのさー…」
拓也の不機嫌丸出しの口調に対し、実は情けない声音で眉を下げている。
どこにでもありそうな、日常的で平和な光景だ。
―――ここまでは。
「向こうに行ってたからか?」
尚希が静かに、日常を非日常に切り替える言葉を突きつける。
その瞬間、半分寝ていた実の意識が一気に覚醒したようだった。
一瞬驚いて目を見開いた実の顔から、すっと表情が消えていく。
尚希の指摘に驚いているわけでもなく、かといってとぼける雰囲気もない。
実はただ、感情が消え失せた無表情で尚希を見上げるだけだ。
「………っ」
拓也の首筋を、夏の暑さとは別の意味の汗が流れた。
あれから数ヶ月が経ったのに、やはり実のこの表情には慣れることができない。
何もしてこないと分かっていても、どうしても本能的な恐怖が込み上げてきてしまう。
尚希も初めは実の激変ぶりについていけず、『お前、本当に実か…?』と、半ば唖然としていた。
だが、さすがというべきか、今は実の視線を苦笑くらいで受け止めている。
まあその裏側では、生きた心地がしていないのだろうけど……
実もそれは分かっているのだろう。
こちらを委縮させるような顔はあまりしないし、したとしてもすぐに別の表情へすり替えてくる。
今回も、実はものの数秒で悪巧みをするような微笑みで表情を彩った。
それで自然と、拓也と尚希の肩からも力が抜ける。
「へぇ…。どのくらい前から知ってたんですか?」
「オレは一週間くらい前からかな。こいつは、昨日ようやく感じ取ったみたいだけど。」
尚希はくいっと拓也を指差す。
すると、言われた拓也は少し悔しそうに尚希を睨んだ。
「悪かったな。確かに、お前より力を察知する能力は下だけどさ。けど、実がばれないように隠してたら、いくら勘が鋭くたってなかなか気付けないっての。」
「確かにな。」
尚希は否定しない。
「まあオレも、なんとなく感じてはいたけど、確証がなかったからお前に言わなかったんだし。」
「何言ってんだよ!?」
どこか暢気な尚希の物言いに、拓也が声を荒げた。
「こいつが今、向こうでどんなに危険な状況に立たされてるか分かってんだろ!? 本当なら、もう二度と向こうに関わらない方がいいんだぞ!!」
一息に言い切って、拓也はずいっと実に詰め寄った。
「お前もお前だ。なんでそんな危険なことをしてるんだ!? 自分の立場は分かってるはずだろ? 向こうで何してるんだよ!?」
拓也が詰問に近い口調で訊ねた途端、拓也を見る実の瞳に冷たい光が宿った。
その刺すような鋭い瞳に、拓也は思わずたじろいでしまう。
実の口から、抑揚のこもらない声が零れる。
「人殺し。」
「!?」
実の口から飛び出した物騒な言葉に、拓也と尚希が息を飲んで蒼白な顔をする。
実はそんな二人をじっと見つめて―――
「……なんてね。」
にっこりと、爽やかに笑った。
衝撃が抜け切らず、拓也は言葉を失ってしまう。
その傍らで、尚希が盛大に息をつきながら、すぐ側にあった椅子に腰を落とした。
「やめてくれ。今の実が言うと、冗談に聞こえない。それと、その顔はマジでエリオス様にそっくり。」
その言葉に込められた響きには、懇願に近いものがある。
実の笑みに、自嘲するような苦い色が混じった。
「やっぱり? ……でも、そういう気分にもなりますよ。あれじゃあ。」
「あれって?」
拓也と尚希に問うような視線を向けられ、実は肩をすくめた。
「そうだね。ばれたんだし、隠す必要もないか……」
悪びれもない様子で呟き、実は語り始めた。
事の始まりは、かれこれもう二ヶ月以上も前のことになるらしい。
退屈だから、暇潰しの相手をしろ。
そんな単純な理由でコンタクトを取ってきたのは、生まれ故郷のアズバドルに君臨する神であるレティルだったという。
提案された遊びは、彼が放つ人形を倒すこと。
もちろん最初は取り合うつもりもなかったそうなのだが、彼はあちらだろうが地球だろうが、所構わずに人形を放ってきたのだそうだ。
無関係の人を巻き込むわけにもいかず、仕方なくアズバドルに向かい、彼の相手をするしかなかったということらしい。
実の話を聞き終えた拓也が、おずおずと口を開く。
「お前、危険だとは思わなかったのか? もしものことがあったら―――」
「なに、拓也。俺がやられるとでも思ってるわけ?」
実があっさりと言ってくる。
瞬間、拓也が音を立てて固まった。
なんとかして言葉を紡ごうとするも返す言葉が見つからないらしく、口だけが無音で忙しなく動くだけだった。
拓也が返答につまる理由は、言うまでもない。
実の言葉を否定できないからだ。
実が過去の記憶と魔力を取り戻してすぐ、拓也と尚希は、実が持つ魔力の巨大さと魔法の技量に脱帽することになった。
拓也たちがフォローする必要もないくらいに、実の魔法に関する知識は完成形に近いものだったのだ。
使える魔法のレパートリーも申し分ない上に、その威力は幼い頃から知恵の園で技術を磨いてきた拓也たちに匹敵するほどだった。
サリアムの一件で色々と影響が出ていた中学校に対する処理を行ったのも実だ。
拓也の反応を横目に、実は溜め息をつく。
「あいつも分かってるんだよ。俺が絶対にやられないって。だから、あくまでもゲーム感覚なんだろうさ。」
うんざりと吐き捨てる実。
そんな実を、拓也たちは複雑な気持ちで見つめる他になかった。
空白だった過去を取り戻したことで、実は自分の身を守れるほどの力と知識を身につけた。
そしてその分―――ふとした時に、一人でいようとするようになった。
それが何を意味しているのか。
それを考えると切ないような、悲しいような、なんとも言えない心地になってしまう。
拓也たちが次の言葉を探して困惑している中、実がふと大きく伸びをした。
「う…」
実が身動ぎした瞬間、拓也が顔をしかめて口元を袖口で覆う。
「?」
「どうした?」
怪訝そうに首を捻る実と、気遣わしげに訊ねる尚希。
「……血のにおいがする。」
険しい目で実を見やる拓也が告げたのは、物騒な一言だった。
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