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第5章 残された時間
朝の奇襲訪問
しおりを挟む「実、最近変だよね。」
そう言われたのは、ある土曜日の朝のこと。
「………は?」
唐突に投げかけられたその言葉に、実はその一言だけを発して固まってしまった。
玄関に立ち尽くしたまま、今朝突然押しかけてきた客を見やる。
「………」
「何黙ってるのよ。」
「いや、逆に何を言えと…?」
「変だって言われたのは否定しないの? まあいいよ、ちょっと入れて。」
そう言って、梨央は実の返事を待たずに家の中に足を踏み入れた。
「あ、ちょっと!」
後ろで実が焦ったような声をあげるが、梨央は振り返らない。
構うものか。
このくらい強引な手段に出れば、どうせ実は帰れと言えないはずだ。
梨央の予想どおり、実は梨央を追い出すことはせずに、溜め息を一つ吐き出すだけ。
そんな実を無視して、梨央はさっさと廊下を歩く。
昔から何回も来たことのある家なので、部屋の位置は把握済み。
一直線にリビングを目指し、ダイニングテーブルの椅子に座る。
実はというと、すぐには座らずにキッチンに入り、てきぱきとお茶の用意を始めた。
相変わらず、手際がいいことで。
梨央は、お茶が運ばれてくるまで実の姿を見つめていた。
しばらくして、目の前に紅茶の入ったティーカップとポットが置かれる。
ティーカップの隣には、当然のようにミルクとスティックシュガーが。
こちらの好みを的確に捉えているティーセット。
それを眺める梨央は、むすっと頬を膨らませた。
この奇襲訪問が何度目かは忘れたけれど、いつどんなタイミングで押しかけても、こうやって文句のつけようもないもてなしを受ける。
急な訪問に実も多少は慌てるかと思いきや、今のように涼しい顔で好みの飲み物を出してくるのだ。
それが、なんとなく面白くない。
実は紅茶を出すと、またキッチンに引っ込んでいった。
次に出てきた時には、数種類の菓子が乗った皿を手に持っている。
至れり尽くせりで、ますます面白くない。
一度くらいは、実の慌てふためいた姿を拝んでみたいものだ。
実は皿をテーブルの上に置くと、コーヒーが入ったマグカップを片手にようやく席に着いた。
「急に来たのに、完璧な対応だよね。」
少しの悔しさを込めて、梨央はそう言う。
対する実は、静かにコーヒーを飲むだけだった。
「まあ、ある程度のことは母さんに叩き込まれてるから。」
「そういえば、おばさんは?」
「今日も仕事。」
無関心に言う実。
梨央は軽く相槌を打ちながら、紅茶にミルクと砂糖を入れて、スプーンでからりと中をかき混ぜた。
実際のところ、自分は実の母親に数える程度しか会っていない。
何度もこの家に遊びに来たことはあるけど、いつも仕事でいないのだ。
学校行事には時々顔を出すらしいが、やはり忙しいのか、一度実の顔を見るとすぐに帰ってしまうらしい。
「一度、ちゃんとお話ししてみたいなぁ。」
梨央が独り言のように呟くと、途端に実が心底嫌そうな顔をした。
「梨央、悪いことは言わないからやめといた方がいいよ。後悔するから。」
本気でそう思っているのだろう。
実の目には、一点の曇りもない。
「え、なんで? 実のお母さんってどんな人? そこまで言われると、逆に興味湧くんですけど。」
「あの人は、仕事と人をいじって楽しむことを生きがいにしてる人だよ。梨央なら確実に、とことん遊ばれるって。」
澱みなく語る実。
そんな実を、梨央はまじまじと見つめる。
(そう言われると……)
思ったのはそんなこと。
こちらの視線が少し不快なのか、しばらくして実が顔をしかめた。
「な、何…?」
「さすがは親子だと思って。」
梨央は思ったことをそのまま口にする。
「どういう意味?」
「だって、実も好きじゃない? 人をからかうの。いつもは三村のせいで目立たないけど。」
「それは……」
黙って目を逸らす実。
図星のようだ。
気まずい空気をごまかすように、実は一つ咳払いをしてコーヒーを啜った。
その後、小さな音と共にマグカップがテーブルに置かれる。
そのコーヒーを見つめる実の口元が、少しだけ寂しそうな笑みを浮かべた。
「親子……ね。血は繋がってなくても一緒に暮らしてるんだし、似てくるもんなのかな。」
「!!」
実の口から漏れた言葉に、梨央はハッと息を飲んだ。
しまった。
よりにもよって、実にこんなことを言ってしまうなんて。
「ごめん。こんな話しちゃって……」
「なんで謝るの? 別に、大したことじゃないよ。俺だって、ちょっと前までは本当の母さんだと思って疑ってなかったんだし。」
実は穏やかに微笑む。
そこに、先ほど垣間見えた寂しさはなかった。
実の気丈とも言える態度に、心がつきりと痛む。
それを気取られないように、紅茶を飲んで歪みかけた顔をごまかした。
そのごまかしが、実にどこまで通用していたかは分からないけれど。
「で、今日はどうしたの?」
落ち着いた口調で、実が問う。
「何よ、用がなきゃ来ちゃいけないの?」
なんだか急かされているような気がして、不快感を露わに言い返す梨央。
それに、実は特に気を害した風でもなく首を横に振った。
「いや、そういうわけではないけどね。今日は俺の方に用事があるから、できるだけ手短にしてほしいかなって思って。」
「………っ」
梨央は、思わず目元に力を込めた。
落ち着いて揺るがない実の瞳。
どれだけ目を凝らしても、その瞳から実の心を窺い知ることはできない。
いつもはすぐに引き下がるのだが、今日は少し粘ってみることにした。
元々、朝っぱらから実の家に押しかけた大半の理由がこれなのだ。
「用事って何?」
「色々。」
「ちゃんと教えてよ。」
「梨央には関係ないことだよ。」
落ち着いていて静かなのに、とても冷たい一言。
それを聞いた瞬間、溜まりに溜まっていた感情が爆発した。
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