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第4章 急転
禁忌
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マンションの一室。
重たい鉄製のドアを開けた時、尚希はふと違和感を持った。
室内の明かりが一切灯っていなかったのだ。
玄関の電気を点けると、二回ほど電気が点滅した後、オレンジ色の柔らかい光が玄関を照らす。
照明に照らされた玄関には、見慣れた靴が隅の方に置いてあった。
拓也の靴だ。
帰ってきていないわけではないらしい。
「拓也?」
呼びかけるが、返事はなかった。
(寝てるのか…?)
まさか。
即座に否定する。
普段は十二時をすぎても床に着かない拓也が、まだ九時前だというのに眠っているなんて。
(でも、今日はテストだったからな……)
それならまだ、仮に眠っていたとしても納きるか。
尚希は今押したスイッチの下にある、もう一つのスイッチを押した。
すると、今度は廊下の蛍光灯が明るく光る。
靴を脱いで、冷えきったフローリングの床に足を下ろした。
廊下の突き当たりは、リビングと台所へ続く扉。
廊下の右側には、洗面台や脱衣所などがある。
そして、左側には今は閉じられた扉が二つ。
奥が自分の部屋。
手前が拓也の部屋になっている。
尚希は拓也の部屋の前で止まる。
じっとそこを見据えて、数回ノック。
「拓也? 寝てるのか?」
返事は、ない。
いや。
もちろん、眠っているなら返事がなくて当然なのだ。
でも、何故だろう。
―――ひどく、胸がざわつく。
昨日の出来事。
今日の出来事。
それらが脳裏によみがえって、嫌な想像ばかりが膨らんでいく。
「拓也?」
もう一度呼びかける。
「………」
返ってくるのは、ただ空虚な沈黙ばかり。
固唾を飲んで、尚希は拓也の部屋の前で立ち尽くす。
もやもやとした不安が、思考と心を満たしていく。
普段ならあまり気にしないこの沈黙が、今はとても苦しかった。
そっと、手を動かす。
スロー再生のようにゆっくりと動く手は、時々躊躇で止まりながら、それでも徐々に進んで部屋のドアノブを握った。
ぐるり、と。
それを回す。
手応えはなかった。
鍵はかかっていないようだ。
「………」
「………」
緊張に支配された沈黙と、夜の空気に溶けるかのような、ドア一枚向こうの沈黙。
異なる二つの沈黙が、不安をさらに掻き立てる。
いつの間にか、心臓が早鐘を打っていた。
確認するだけだ。
このドアを開いて、ベッドの拓也が穏やかな寝息を立てているのを見ればいい。
そうすれば安心する。
必死にそう言い聞かせるのに、気持ちは緊張と不安に焦らされるばかり。
「………」
沈黙は、尚希をどんどん追い詰める。
ようやく、ドアを押した。
わずかに開いたドアの隙間からは、やはり闇しか見えない。
もう少し。
もどかしく感じるほどゆっくりと、ドアを開けていく。
もう少し。
もう少し……
早くなる鼓動と呼吸の音を耳いっぱいに聞きながら、さらにドアを開いて―――
暗闇の中に放り出された拓也の腕が見えた。
「―――っ!?」
勢いよくドアを開いて、ドアのすぐ側にある電気のスイッチに手を伸ばした。
白い光に照らされる室内。
その中を確認した瞬間、体中の細胞という細胞が音を立てて凍りついた。
拓也が部屋の中で倒れている。
ぐったりと、両手を力なく投げ出して。
そして―――
その手と口元や、周辺の床を真っ赤に濡らして。
「拓也!!」
弾かれたように拓也に駆け寄って、その体を抱き上げる。
拓也の顔は明らかに生気を失っていて、後ろに落ちた髪の先から真紅の血がぽたぽたと雫を落としていた。
「―――っ」
混乱する思考。
今すぐにでも叫び出したい気分だった。
それでもなんとか理性を繋ぎ止め、尚希は震える手で携帯電話を取った。
実の番号を呼び出し、通話ボタンを押す。
これまでに、電話の呼び出し音がここまで長く感じたことはなかった。
気が遠くなりそうな長い呼び出し音が途切れた瞬間、尚希は抑えていた激情が決壊したかのように叫んでいた。
「実!! すぐ来てくれ! 緊急事態だ! ティルが……ティルが!!」
向こうから息を飲む気配が伝わったと思ったら、プツリと電話が切れた。
そのすぐ後。
「尚希さん!!」
真後ろから、自分を呼ぶ焦った声が響いた。
異常なほど早い到着。
魔法ですぐに飛んできてくれたようだ。
「これは…っ」
部屋に飛び込んできた実は、部屋の状況を見て息をつまらせながらも、すぐに拓也の前に膝をついて彼の様子を窺った。
気を失っている拓也は、浅い微かな呼吸を繰り返すだけ。
発熱しているのか、ものすごい汗だ。
「拓也……おい、拓也! しっかりしろ!!」
呼びかける勢いで拓也の肩に触れて、実はそこから感じ取れた異変に瞠目した。
急に顔色を変えた実に、尚希は半狂乱で訊ねる。
「実? ……どうしたんだよ!?」
「落ち着いてください!!」
実は一喝する。
「これは、かなりまずいですよ。体の中で、術の反動が荒れ狂ってます。このままだと、命を落とすのは時間の問題です。」
低いトーンで、実は恐ろしいことを口にする。
半狂乱だった尚希の表情が、その言葉をきっかけに感情を失う。
蒼白な顔。
彼にも、こちらの言いたいことが分かったのだ。
「まさか……ティルは……」
茫然と呟く尚希。
言いたくない。
冗談だと笑ってやりたい。
でも、言わなければならない。
実は、深く頷いた。
「拓也は―――禁忌を犯した可能性が高いです。」
拓也に触れて悟った事実を、重々しく告げる。
「そんな……」
尚希が苦しげに呻いた、その時。
「う…」
「!?」
下から微かな声がして、実と尚希は慌てて拓也を見下ろした。
「拓也!」
呼びかけると、拓也の目がうっすらと開いた。
「ティル……なんで、こんなことを…っ」
尚希が震える声で言う。
言葉は理解できているのか、拓也の口が微かに動いた。
「だめ、だったんだ……」
覇気のない、今にも途切れてしまいそうな声。
それに、実と尚希は必死に耳を澄ます。
「あの人が……死ぬところを、見ていられなかった。……二度も、同じ死に顔を見たくなかった。耐えられない……」
拓也の表情が歪む。
今にも泣きそうな、心底つらそうな表情だ。
思い詰めて、思い詰めて、心が限界まで追い詰められてしまった。
そんな経緯を、切実に訴えられているようだった。
(二度も?)
実は眉を寄せる。
そんな実の前で、拓也は両手で顔を覆った。
「あの死に顔を……―――母さんと同じ顔の死に顔なんて、耐えられなかったんだよ!! ぐ…っ」
叫んだ拍子に咳き込む拓也。
口を押さえた手の指の隙間から、新たに吐き出された鮮血が筋を作る。
それに驚きつつも、尚希が慌てて拓也の背をさする。
「―――っ」
拓也の言葉を受けて、実は息を飲んだ。
(そういうことか…っ)
実は、尚希の背後をキッと睨む。
そこには、朝より明瞭な姿で浮かんでいる影が。
拓也の最近の行動。
そして、今の言葉。
これらを総合的に考えれば、自ずと答えは出る。
死神が拓也に蒔いた、死のきっかけ。
それは、クリスマスの事故だ。
より正確に言うのなら、事故に巻き込まれた拓也が病院で例の患者に会うことが、拓也にとっての死のきっかけだったのだ。
きっと、あの死神には分かっていたのだ。
拓也が何度も会いに行っていた患者に、死が目前まで迫っているということも。
今さら周りが動いたところで、この展開は止められないということも。
(くそ…っ。何もかも、あいつの思いどおりかよ!)
実は舌打ちをする。
このままでは、何もできずに終わる。
ゆらゆらと揺れる影がこちらをせせら笑っているように感じて、怒りとも悔しさともつかない感情のせいで頭に血が上った。
タイムリミットは、拓也が死んで死神がその魂を狩るまで。
(どうすれば…っ!)
重たい鉄製のドアを開けた時、尚希はふと違和感を持った。
室内の明かりが一切灯っていなかったのだ。
玄関の電気を点けると、二回ほど電気が点滅した後、オレンジ色の柔らかい光が玄関を照らす。
照明に照らされた玄関には、見慣れた靴が隅の方に置いてあった。
拓也の靴だ。
帰ってきていないわけではないらしい。
「拓也?」
呼びかけるが、返事はなかった。
(寝てるのか…?)
まさか。
即座に否定する。
普段は十二時をすぎても床に着かない拓也が、まだ九時前だというのに眠っているなんて。
(でも、今日はテストだったからな……)
それならまだ、仮に眠っていたとしても納きるか。
尚希は今押したスイッチの下にある、もう一つのスイッチを押した。
すると、今度は廊下の蛍光灯が明るく光る。
靴を脱いで、冷えきったフローリングの床に足を下ろした。
廊下の突き当たりは、リビングと台所へ続く扉。
廊下の右側には、洗面台や脱衣所などがある。
そして、左側には今は閉じられた扉が二つ。
奥が自分の部屋。
手前が拓也の部屋になっている。
尚希は拓也の部屋の前で止まる。
じっとそこを見据えて、数回ノック。
「拓也? 寝てるのか?」
返事は、ない。
いや。
もちろん、眠っているなら返事がなくて当然なのだ。
でも、何故だろう。
―――ひどく、胸がざわつく。
昨日の出来事。
今日の出来事。
それらが脳裏によみがえって、嫌な想像ばかりが膨らんでいく。
「拓也?」
もう一度呼びかける。
「………」
返ってくるのは、ただ空虚な沈黙ばかり。
固唾を飲んで、尚希は拓也の部屋の前で立ち尽くす。
もやもやとした不安が、思考と心を満たしていく。
普段ならあまり気にしないこの沈黙が、今はとても苦しかった。
そっと、手を動かす。
スロー再生のようにゆっくりと動く手は、時々躊躇で止まりながら、それでも徐々に進んで部屋のドアノブを握った。
ぐるり、と。
それを回す。
手応えはなかった。
鍵はかかっていないようだ。
「………」
「………」
緊張に支配された沈黙と、夜の空気に溶けるかのような、ドア一枚向こうの沈黙。
異なる二つの沈黙が、不安をさらに掻き立てる。
いつの間にか、心臓が早鐘を打っていた。
確認するだけだ。
このドアを開いて、ベッドの拓也が穏やかな寝息を立てているのを見ればいい。
そうすれば安心する。
必死にそう言い聞かせるのに、気持ちは緊張と不安に焦らされるばかり。
「………」
沈黙は、尚希をどんどん追い詰める。
ようやく、ドアを押した。
わずかに開いたドアの隙間からは、やはり闇しか見えない。
もう少し。
もどかしく感じるほどゆっくりと、ドアを開けていく。
もう少し。
もう少し……
早くなる鼓動と呼吸の音を耳いっぱいに聞きながら、さらにドアを開いて―――
暗闇の中に放り出された拓也の腕が見えた。
「―――っ!?」
勢いよくドアを開いて、ドアのすぐ側にある電気のスイッチに手を伸ばした。
白い光に照らされる室内。
その中を確認した瞬間、体中の細胞という細胞が音を立てて凍りついた。
拓也が部屋の中で倒れている。
ぐったりと、両手を力なく投げ出して。
そして―――
その手と口元や、周辺の床を真っ赤に濡らして。
「拓也!!」
弾かれたように拓也に駆け寄って、その体を抱き上げる。
拓也の顔は明らかに生気を失っていて、後ろに落ちた髪の先から真紅の血がぽたぽたと雫を落としていた。
「―――っ」
混乱する思考。
今すぐにでも叫び出したい気分だった。
それでもなんとか理性を繋ぎ止め、尚希は震える手で携帯電話を取った。
実の番号を呼び出し、通話ボタンを押す。
これまでに、電話の呼び出し音がここまで長く感じたことはなかった。
気が遠くなりそうな長い呼び出し音が途切れた瞬間、尚希は抑えていた激情が決壊したかのように叫んでいた。
「実!! すぐ来てくれ! 緊急事態だ! ティルが……ティルが!!」
向こうから息を飲む気配が伝わったと思ったら、プツリと電話が切れた。
そのすぐ後。
「尚希さん!!」
真後ろから、自分を呼ぶ焦った声が響いた。
異常なほど早い到着。
魔法ですぐに飛んできてくれたようだ。
「これは…っ」
部屋に飛び込んできた実は、部屋の状況を見て息をつまらせながらも、すぐに拓也の前に膝をついて彼の様子を窺った。
気を失っている拓也は、浅い微かな呼吸を繰り返すだけ。
発熱しているのか、ものすごい汗だ。
「拓也……おい、拓也! しっかりしろ!!」
呼びかける勢いで拓也の肩に触れて、実はそこから感じ取れた異変に瞠目した。
急に顔色を変えた実に、尚希は半狂乱で訊ねる。
「実? ……どうしたんだよ!?」
「落ち着いてください!!」
実は一喝する。
「これは、かなりまずいですよ。体の中で、術の反動が荒れ狂ってます。このままだと、命を落とすのは時間の問題です。」
低いトーンで、実は恐ろしいことを口にする。
半狂乱だった尚希の表情が、その言葉をきっかけに感情を失う。
蒼白な顔。
彼にも、こちらの言いたいことが分かったのだ。
「まさか……ティルは……」
茫然と呟く尚希。
言いたくない。
冗談だと笑ってやりたい。
でも、言わなければならない。
実は、深く頷いた。
「拓也は―――禁忌を犯した可能性が高いです。」
拓也に触れて悟った事実を、重々しく告げる。
「そんな……」
尚希が苦しげに呻いた、その時。
「う…」
「!?」
下から微かな声がして、実と尚希は慌てて拓也を見下ろした。
「拓也!」
呼びかけると、拓也の目がうっすらと開いた。
「ティル……なんで、こんなことを…っ」
尚希が震える声で言う。
言葉は理解できているのか、拓也の口が微かに動いた。
「だめ、だったんだ……」
覇気のない、今にも途切れてしまいそうな声。
それに、実と尚希は必死に耳を澄ます。
「あの人が……死ぬところを、見ていられなかった。……二度も、同じ死に顔を見たくなかった。耐えられない……」
拓也の表情が歪む。
今にも泣きそうな、心底つらそうな表情だ。
思い詰めて、思い詰めて、心が限界まで追い詰められてしまった。
そんな経緯を、切実に訴えられているようだった。
(二度も?)
実は眉を寄せる。
そんな実の前で、拓也は両手で顔を覆った。
「あの死に顔を……―――母さんと同じ顔の死に顔なんて、耐えられなかったんだよ!! ぐ…っ」
叫んだ拍子に咳き込む拓也。
口を押さえた手の指の隙間から、新たに吐き出された鮮血が筋を作る。
それに驚きつつも、尚希が慌てて拓也の背をさする。
「―――っ」
拓也の言葉を受けて、実は息を飲んだ。
(そういうことか…っ)
実は、尚希の背後をキッと睨む。
そこには、朝より明瞭な姿で浮かんでいる影が。
拓也の最近の行動。
そして、今の言葉。
これらを総合的に考えれば、自ずと答えは出る。
死神が拓也に蒔いた、死のきっかけ。
それは、クリスマスの事故だ。
より正確に言うのなら、事故に巻き込まれた拓也が病院で例の患者に会うことが、拓也にとっての死のきっかけだったのだ。
きっと、あの死神には分かっていたのだ。
拓也が何度も会いに行っていた患者に、死が目前まで迫っているということも。
今さら周りが動いたところで、この展開は止められないということも。
(くそ…っ。何もかも、あいつの思いどおりかよ!)
実は舌打ちをする。
このままでは、何もできずに終わる。
ゆらゆらと揺れる影がこちらをせせら笑っているように感じて、怒りとも悔しさともつかない感情のせいで頭に血が上った。
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