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第2章 諍い
九条家当主
しおりを挟む「………」
部屋を出ていく紫苑を、思案げな視線で見送った拓也。
拓也もまた、紫苑から自分と同じ気配を感じ取っていた。
「尚希、あの人……」
拓也の言わんとすることは分かっていたのだろう。
尚希は頷いた。
「そうだよ。」
尚希が肯定すると、拓也はさらに唸った。
「そっか…。うーん、でも……半分はこっちの血が流れてるな。向こう側の人間にしては、においが薄すぎる。ただ、ちょっとおれたちの方のにおいが強めか。このにおいのバランスと考えると、母体……向こう側の人間は、母親の方か。」
すんと鼻を小さく鳴らして、拓也は独り言のように呟く。
それに、尚希は思わず苦笑を漏らした。
「相変わらず鼻が利くな。全部当たりだよ。お前は犬か?」
「うるせ。」
拓也も苦笑を交えて返すが、その後は会話が続かず、お互いに口を閉ざしてしまった。
何を話しても、すぐに会話が途切れてしまう。
状況が状況だけに、他愛ない会話は何の気休めにもならなかった。
何もできないのがもどかしい。
何かしたいのに、何をすればいいのか分からない。
無為に過ぎ去るだけの時間は、ただただ自分を持て余させるばかりだ。
しばらくして、閉じていた襖がまた開く。
床に落ちていた視線を上げると、蓮と紫苑、そして一人の中年男性が部屋に入ってくるところだった。
男性は部屋に一歩入ったところでふと立ち止まり、部屋全体を見回した。
そして、その目元を微かに和ませる。
「蓮、かなり上質な結界だ。初めてとは思えないな。」
彼は蓮を褒めたが、蓮の方はそれに答える様子はなかった。
その目が、今はそんなことなどどうでもいいと語っている。
男性は蓮に苦笑し、一瞬で表情を引き締めた。
部屋を進み、実の枕元に腰を下ろす。
実の首に手を当てたり頬に触れたりして、彼は目を閉じる。
そうして一通り実の体を検めた後、男性は大きく溜め息をついた。
次いで、男性は尚希たちの方を向く。
それに続いて、蓮と紫苑が彼の後ろに控えるような形で座った。
「遅くなって申し訳ありません。私は、九条隆文と申します。当主として、この九条家を取りまとめております。本当なら一刻も早くご友人を助けたいでしょうに、ここまでお待たせしてしまい、重ね重ねお詫びいたします。」
「い……いえ。こちらこそ、突然押しかけてしまってすみません。」
深々と礼をしてくる隆文に狼狽えながらも、尚希は自分も頭を下げる。
隆文は首を振った。
「気になさらないでください。あなた方が初めてこちらを訪ねてきた時、蓮から話は聞いています。我々を頼ってきた人を拒む理由はありませんよ。ですが、蓮から聞いたことだけでは私も把握しきれないことがある。もう一度、こうなった経緯を詳しく聞かせてもらえませんか?」
隆文の言葉に、拓也がびくりと肩を震わせた。
それを目にして、尚希は隆文の問いに答えることを躊躇してしまう。
「拓也、席を外しとくか?」
仕方ないとはいえ、再度これまでの経緯を話すことは、拓也にとってかなりの負担となるだろう。
無理をしてまで責め苦に耐える必要はない。
そう思って言ったのだが、拓也は首を上げると……
「大丈夫だ。」
はっきりと、そう口にした。
真っ向から見据えてくる瞳が、頑なにこちらの提案を拒否しているのが分かる。
故に、尚希はそれ以上言葉を重ねることはしなかった。
「分かりました。お話しします。」
拓也が膝の上で拳を握り締めるのが視界の隅で確認できたが、尚希はそれを意識の外へ追いやった。
拓也がここにいると言ったのだ。
自分がどうこう言っても仕方ない。
尚希は改めて、事の顛末を語った。
音にして言葉を絞り出す度に、過去のことがついさっき経験したことのように感じられて、どうしようもなく胸が痛んだ。
激しい後悔と怒りが嵐のごとく暴れ回って、目頭が熱くなる。
拓也も同じ心地なのか、握り締めた拳が微かに震えていた。
全てを語り終えるまでの気が遠くなるほど長く感じる短い時間を、二人はなんとか耐え抜いた。
「そうですか……」
隆文は険しい表情で、それだけを口にした。
「すみません。せっかくのご厚意を、無駄にしてしまって……」
深刻そうに実を見る隆文に、そう言わずにはいられなかった。
一方の拓也は、うつむいたまま微動だにしない拓也が。
大丈夫だろうかと心配になって拓也の顔を覗き込もうとした時、衣擦れの音がした。
気配が自分たちの傍に近付いてきて、肩に温かいものが置かれる。
驚いて顔を跳ね上げると、そこでは隆文が穏やかな顔立ちにぴったりの柔らかい笑顔を浮かべていた。
「大丈夫ですよ。必ず、実君を助けます。だから、そんなに自分を責めないでください。危ういとはいえ、実君はまだ生きています。実君は、あなた方にこんな風に自分を責めてほしくないから、頑張って命を繋いだのだと思いますよ。そして、あなた方はその想いに十分応えている。だから、大丈夫です。」
「……はい。」
尚希は、思わず視線を隆文から逸らしてしまった。
なんだか急に、今の自分が情けなく思えてきたのだ。
(実…)
実の表情は死人のように冷たい。
だが、隆文の言うとおり、実はまだ生きているのだ。
それなのに、自分たちがこうしていつまでも塞ぎ込んでいては、それこそ実の努力を無駄にしてしまうかもしれない。
そんな簡単なことを、今しがた知り合ったばかりの他人に指摘されてしまうとは。
自分がこうなのだ。
事件の当事者である拓也は先ほどよりもさらに深くうつむいていて、彼がどんな表情をしているのかは分からなかった。
「ところで、あなた方はこれからどうするおつもりで?」
「……え?」
質問の意味を掴み損ねて、尚希は間の抜けた声を出してしまった。
少し考えて、この後の予定を聞かれているのだと思い至る。
「えっと……とりあえず、このままここに居座っていても迷惑だと思うので、一旦帰ります。」
「おや、そうですか?」
隆文が意外そうに微かに目を見開いた。
そんな隆文の反応に、尚希は首を捻る。
「実君はこちらでお預かりさせていただきますが、本当にお帰りになっても大丈夫なんですか?」
「あっ…」
すっかり失念していた。
返答を失った尚希に、隆文は悪戯っぽく微笑む。
「やはり、無理なようですね。布団は、こちらに用意しましょうか?」
「すみません……」
尚希は素直に頭を下げた。
ここは、隆文の厚意に甘えるしかない。
今実と離れるなんて、自分も拓也も絶対に無理だ。
生きているとはいえ、実の状態はあまりにも危うい。
何かあった時、すぐに対応できるくらいの状態は維持しておきたいところである。
「いいんですよ。この家は、死神の被害に遭われた方やその関係者を泊めるために、かなり大きく造られているんです。蓮や紫苑が小さかった頃は、お泊まり会といったら我が家となるくらいで。家内も上機嫌で食事を作っているところですし、遠慮する理由はありません。」
隆文は一度笑みを深め、ゆっくりと立ち上がった。
「さて。じゃあ、布団を運ぼうか。蓮、紫苑、手伝ってもらえるかな?」
「分かった。」
「はーい。」
蓮と紫苑が、それぞれに返事をして立ち上がる。
「あ、オレも手伝います。全部を任せるのは、さすがに悪いですから。ほら、拓也も。」
「あ……ああ。」
尚希に促されて、拓也もぎこちない動きで皆に倣う。
眠る実を残した室内に、無を塗りたくったような静寂が落ちる―――
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