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第5章 それぞれの選択
丘の上で
しおりを挟む頼むから、オレを無視するなよ。
一人で沈んだ顔なんてしないでくれ。
思いの丈を込めて引き止めると、実が足を止めた。
振り向いた実は、初めて会った時のような、不思議な輝きを灯した瞳をしていた。
実は小さく手招きをする。
オレが首を傾げると、実は斜面の上を指し示してから再び歩き始めた。
とりあえず、上まで来いということらしい。
上まではあと少しだ。
ぬかるむ道を、今度は滑らないように気をつけて進む。
丘の頂上に着くと、そこには古いベンチとテーブルがあって、実がベンチに腰かけて待っていた。
「わあ…っ」
実の隣まで来たオレは、そこに広がる光景に感激してしまった。
そこからは、公園を一望できた。
景色もさることながら、涼しい風が吹き抜ける静かなこの場所は、なかなかに居心地がいい。
「すげぇ…。こんな所があったんだぁ……」
実の隣ではしゃぎながら言うと、実は控えめに答えた。
「父さんと、一回来たんだ。……ここに来たばっかりの時。」
実は片膝を抱えて、その景色を見つめる。
「僕は覚えてないけど……僕は、事故に遭ったんだって。」
唐突に、実はそんなことを話し出した。
事故という単語にぎょっとしつつも、オレは実の話を聞こうと集中する。
「起きたら知らない人がいっぱいいて、知らないところにいた。お父さんとお母さんだけは分かったけど、自分の名前は分からなかった。何も分からなかった。〝きおくそうしつ〟っていうんだって。」
服を握る実の手に、ぎゅっと力がこもる。
「僕……何も覚えてない。みんなは覚えてるのに、僕だけ…。だから、怖い。僕は……僕が怖いんだ。」
自分自身が怖いと言う実の気持ちは、オレにはさっぱり分からない。
でも、ここで分からないって言っちゃだめだって。
なんとなく、そう思った。
「みんな、僕といたらきっと変だって思う。嫌な気持ちになるかもしれない。晴人君も、この前はとっても怖かったんじゃないかって思ったんだ。だから、話すのが怖くて……ごめんね。」
小さく謝った実が、涙をこらえるように目元を歪める。
「みんなが嫌な気持ちになるのは嫌だから、僕はみんなといない方がいいのかなって思ったんだ。……だけど、なんか馬鹿みたいだ。晴人君、しつこいんだもん。」
「しつこいってなんだよ!」
正直、実の言うことはかなり難しくて理解できなかった。
だけど、最後の言葉にだけはたまらず言い返す。
「だってそうじゃん。」
実は膝に顔をうずめる。
「僕は……あんなことがあって、晴人君に嫌われたって思ったんだ。だけど晴人君、いつもと一緒だった。嬉しかったけど、またあんなことがあったらどうしようって…。そしたら、晴人君と上手く話せなくて。だから話さないようにしてたのに……晴人君、何回も何回も、僕に話しかけてきた。」
「いやいや、当たり前じゃん!」
塞ぎ込む実に、オレは我慢できずに口を挟む。
「友達がいたら話しかけるのって、普通のことだろ?」
オレにとって、それはご飯を食べるくらい当然で普通のこと。
それなのに、オレがそう言うと、実は目をしばたたかせて言葉を失った。
「何も覚えてないからってなんだよ。楽しいこととかは、また作ればいいじゃん。ただそれだけだろ?」
さらに言葉を重ねると、実はどこか困った顔に。
だから、さっきからなんでそんな顔ばっかりすんの?
オレ、変なこと言ってる?
実の反応の意味が分からなくて首を傾げると、実はおずおずと口を開いた。
「それだけって……変だと思わないの?」
「えっ? 全然。」
むしろ、なんで変に見えるんだろう。
オレなんて、昨日の晩ご飯も思い出せないのに。
オレにはやっぱり、実がどうしてそう思ってしまうのかが不思議でならなかった。
「お前がどんな奴でも、オレはお前の友達だぞ。ずーっとな!」
驚く実に、オレは思いっきり笑ってやった。
難しい話は置いといて、オレが実の友達でいたいことだけは確か。
だったら、それでいいじゃん。
「な!」
固まる実に、もう一度声をかける。
すると、実は長い前髪で顔を隠すようにうつむいた。
「……ほんと………馬鹿みたいだ。」
最初にその口から零れたのは、そんな言葉。
言い返そうとした矢先、実が顔を上げてまっすぐにオレを見た。
そして―――
「でも……それでいいのかな? ……よろしく、晴人君。」
にっこりと笑う実。
それは今例えるなら、ずっと萎んでいた花が、長い時間を経てようやく咲いた瞬間に似ていると思う。
照れくさそうなその笑顔は、今までの控えめな笑顔の何倍も、実の持つ魅力を引き出していたように見えた。
―――やっと、笑ってくれた。
ただそれだけのことが本当に嬉しくてたまらなくて、こっちも笑わずにはいられなかった。
「おう、任せとけ!」
互いに笑い合って、やっと壁を越えられた気がした。
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