世界の十字路

時雨青葉

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第5章 それぞれの選択

記憶がないことは―――

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 今日もまた、あの場所へ行く。
 多くの仲間を引き連れて、新たな仲間となるかもしれない人たちを迎えに。


 ずっとこんなことを繰り返してきたせいか、何もなかった森の中には一本の獣道ができあがった。


 いつものようにその道を進むと、辿り着いたそこには珍しく先客がいた。


「また来ていたのですか?」


 声をかけると、先客がゆっくりと振り向いてきた。


 ―――ああ、この目だ。


 そう思う。


 どこまでも静かなのに、自分の中の何かに揺れている。


 強い光と揺らがない決意を宿すのに、一方でものすごくはかなくて、触れれば壊れてしまうのではないかと思わせる危うさを秘めた、矛盾する瞳。


 初めて会った時、まずこの目に妙に惹かれたのだ。


 後ろで仲間たちがざわつく。
 特にその中の一人が、怯えたように身をすくませたのが気配で分かった。


「ここは私だけでいいので、あなたたちは戻っていいですよ。」


 そう言うと、仲間たちは素直に元来た道を引き返していった。
 それを見送っていると、今度は先客の方から声をかけてくる。


「あの人、ついてなくて平気なの? すごく顔色が悪かったけど。」


 先客の視線は、小さくなる仲間たちを追っていた。


「彼女は、あなたを恐れたんですよ。実君。」
「俺を?」


 実は、きょとんとして目をまたたいた。


 こうしていれば、可愛げのある普通の少年に見える。
 先ほど感じた妙な心地が錯覚だったのではと思ってしまうくらいだ。


「昨日、あなたが驚かせすぎたみたいですね。覚えていませんか?」
「……ああ、昨日の。」


 言われて、実はようやく思い出す。
 怯えていたあの女性は、昨日植物を操って自分たちを捕らえようとした人か。


(そういえば、本気でいこうと全力出してたからなぁ……)


 確かに、普通の人間に恐怖を植え付けるにはあれで十分かもしれない。
 実が複雑な顔をしていると、シルヴィスが口を開いた。


「待っているのですか? 新しい人が来るのを。」


 前方。
 この後異変が起こるであろう場所を見据みすえて、シルヴィスは静かに訊ねる。


 それに、実は静かに首を振った。


「いや。多分、向こうから誰かが来ることはもうないだろうな。」


 今頃、学園は休校だ。


 事件になんらかの進展が見られない限り、学園の門が再び外に向けて開くことはないだろう。


「ただ……ここから何人が帰れるんだろうって、そう思って。」


 どこか空虚さをはらんだ声で、実はささやくようにそう告げる。


「ここにいると、自分の無力さばかり痛感するよ。みんなが苦しんでるのに……俺はただ、見ていることしかできない。それどころか、俺自身がこの有り様だ。情けないな。」


 自嘲的に言う実の足元から微かな音がして、シルヴィスはごく自然にそちらに視線をやった。


 そして、そこにあった光景に目をくことになる。


 実の足元では、植物が異常な様子を呈していたのだ。


 異常に成長しているもの。
 反対に枯れ果てているもの。


 その状態は植物により様々だったが、通常ではありえない状態だというのは共通している。


「……ああ、これ?」


 シルヴィスの視線を追った実は、淡く微笑んだ。


「ひどいでしょ? これでも、腕輪の力を借りながら精一杯抑えているつもりなんだけどさ……」


 実が地に手を差し伸べる。


 すると、それに応えるように成長したつるが伸びて、実の手に巻きついた。
 実が手を引くと、その意思に応えた蔓が静かに植物の群れの中に戻っていく。


 それを眺める実が、より複雑な感情をたたえた。


「でも、完全には抑えきれない。それだけ、精神がり減ってる証拠―――」
「―――っ」


 シルヴィスは、実の言葉をさえぎるようにその左腕を掴んだ。
 シャツの袖口そでぐちから、銀色に光る腕輪が覗く。


「これは…っ」


 戦慄せんりつを覚えた。
 腕輪は明らかに発熱し、腕輪に触れる肌を真っ赤に焼いていたのだ。


「どうして…っ」


 真っ赤にれた手首を思わず握り締め、シルヴィスはうめく。
 その痛みに、実が顔を若干引きつらせた。


「こんなの、なんでもないよ。これを外したら、この辺り一帯をさらにしかねないんだ。多少の自己犠牲は必要だよ。」


 実はシルヴィスの腕を振り払う。
 その目には、何かかたくなな感情がこびりついているように見えた。


「そうだ。俺も、訊きたいことがあるんだ。」


 なかば強引に話題を変えた実は、シルヴィスに意見させる間も与えずに、目を鋭く光らせて話を進める。




「あんたさ……本当は、ここに来る前の記憶が残ってるんじゃないの?」




 訊きたいと言いながら、実の口調は断定的だった。
 そして、それを聞いた瞬間、シルヴィスの手がピクリと震える。


「……どうして、そう思うのですか?」


 実の予想どおり、シルヴィスは嫌疑をかけられても動じなかった。


「あんたには、他の奴らに見えるものがなかったから。」
「それはなんですか?」


 あくまでも冷静に、シルヴィスは言葉をつむぐ。
 だからこその、異様な威圧感。


 対する実も、その威圧感に負けない冷静さで彼と対峙する。


「ここの人たちは、俺たちにあまり近付かない。最初は、俺たちを刺激しないためなんだと思った。でも、本当は違う。あの人たちは俺たちに近付かないんじゃなくて、近付きたくないんだ。」


 自明の事実のように、実はそう結論づける。


「帰りたいと騒ぐ俺たちを見る度、ここの人たちの目には影が差す。捨てたはずの自分がかい見えるのかどうかは知らないけど、俺が見た人たちはみんなそうだった。あんたを除いて、ね。」


「………」


 シルヴィスは黙したまま、実に先をうながすだけ。
 実もそれに応えて、淡々と自分の推測の根拠を述べ続ける。


「あんただけには、他の人みたいな追い詰められたような動揺が見えないんだ。だから、違和感があった。なんであんただけは、何も感じていないような顔ができるんだろうって。だって……どんなに年月が経ったって、記憶がないことはものすごく怖いはずなのに…っ」


 小さい頃の自分に感情がリンクして、思わず実はシャツのそでを握り締めた。


 記憶がないということは、それだけでとても怖いのだ。


 自分を成り立たせる確固たるものが何もなくて、周りと違うという疎外感と孤独感にさいなまれる。


 だけど、自分の中が空っぽでどうすればいいか分からないから、他人にも自分にもすがりつけない。


 仮にも記憶がない状況を経験してきたのだ。
 それがどれだけ苦しくて、いかに精神をえぐるのかは、嫌というほど知っている。


 たとえ同じ境遇の人がたくさんいようと、その恐怖は完全には消えやしない。


「……あなたは、ここの住民たちの状況をすでに経験しているのですね。」


 シルヴィスはそんなことを呟いた後、小さく息をついた。


「私は―――」


 その唇が、微かに動き出す。

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