世界の十字路

時雨青葉

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第2章 影

嫌な予感

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 まだ秋の初めとはいえ、朝はぐっと冷える。


 夏だった地球とは全く違う環境に、体がついていけなかったらしい。
 思ったよりもかなり早く目が覚めてしまった。


 薄暗い室内で天井を見つめていた実は、再び眠ることを諦めて体を起こした。
 そこで、かけ布団の上に厚めの肩かけが置いてあることに気付いた。


 おそらく、尚希が置いていったのだろう。
 世話焼きの彼がいかにもやりそうなことである。


 実はくすりと微笑んで、肩かけを羽織った。


(それにしても……)


 実は細く息を吐き、目を閉じて頭上を仰ぐ。


 身を包むのは、地球とは異なる魔力に富んだ空気。


 それを深く吸い込めば自分の中に力が満たされるような感覚がして、地球にいる時以上に身が安らいだ気がした。


(帰って、きたんだな……)


 実感する。
 自分は、この世界に戻ることを選んだのだと。


 シルヴィスたちと共に、ろうする世界にとどまることもできた。
 だけど自分は、他でもない自分の意志で地球とこの世界に帰ってきた。


 自分が抱えるものは、誰かに押しつけていいほど軽いものじゃない。
 自分のことは自分でケリをつける。


 そう思っての結論だった。
 でも……


「………」


 実は、表情にうれいを帯びさせる。


 本音を言えば、自信はない……なんて。
 そう思ってしまうのは、いけないことだろうか。


 目を閉じて自分の中に意識を傾ければ、じわじわと二つの感情がせり上がってくる。


 人間を恐れ、誰も信じられないのだから孤独でいいと思う気持ち。


 ひとりを恐れ、何もかもを皆に打ち明けて、温かい胸の中に飛び込んでしまいたいと願う気持ち。


 どちらの気持ちも、同じくらいの勢力で自分を揺さぶってくる。


 とはいえ、それは以前のような気が狂うほどの苦しみではない。


 桜理の一件から、不安定だった今と昔のバランスは明らかに安定しているように思える。


 どちらの価値観が勝ったわけでもなく、自分でもよく分からない宙ぶらりんの状態で。


 明らかに違っていたはずの、魔力を封じる前後の自分。
 そのどちらでもあり、やはりそのどちらでもない。
 今はそんな状態だ。


 最初は戸惑って悩みもしたけど、いくら考えても答えが出ないので、そのうち考えることを諦めた。


 正確に言うなら、そんなことを考える余裕がなくなったという表現の方が正しいか。


 実は思わず苦笑する。


 桜理の命を背負うことを選んで、生きることに肯定的になった途端、色々と大変だった。


 拓也たちには言っていないが、じつはこちらで殺されかけた経験が何度もある。


 グランのようにいにしえの暗示の影響でやいばを向ける人もいたし、ただ単に周囲を大きく超越したこちらの魔力に怯えて、訳も分からず攻撃してくるやからもいた。


 それに加えて、拓也を狙った死神とのあの事件だ。
 あれはさすがに、本気で死ぬかと思った。


 そう考えると、生きようと決めてからというもの、命を狙われる頻度が急に跳ね上がったように思える。


 なんとも皮肉な展開になっている気がするけど、それを悲嘆しようとは思わない。


 この命が、周りと違うものだとは理解している。
 だから、この先にあるのがいばらの道だろうと覚悟の上だ。


(そうとでも思わないと、やってけないもんな……)


 実は一人、自嘲的な笑みを浮かべる。


 ―――ザザッ…


「!!」


 思わず耳を押さえる実。


 なんだか、ここに来てからノイズがいつもより激しい。


 多少のノイズならもう慣れたのだが、今のノイズは右から左に流せるものではなく、もっと頭の奥に響いてくるようなものだった。


 存在感だって、いつもより濃い気がする。


 これが何を意味するのかは分からない。
 けれど、なんとなく嫌な予感がする。


 小さく息をついた実は、拓也が眠っているだろう隣の部屋の方向を仰ぐ。


 思えば、尚希が何かしらの問題を起こすのは、これが初めてか。


 尚希を気にしてあんなに悩んでいた拓也のことだから、仮に尚希に帰れと言われたとしても、意地でも帰らないだろう。


 ここまで来てしまった以上、自分も最後まで付き合うつもりでいる。


 いつもは自分が巻き込む立場だったのだから、たまには協力しないと二人に申し訳が立たない。


(やれるだけのことはやらないと。)


 そう思いながら、実はベッドからゆっくりと足を下ろした。
 いつもは冷たいフローリングの感触も、今日は柔らかい絨毯じゅうたんの感触だ。


 どこに向かうわけでもなく部屋の中を歩き回って、ふと目に止まったカーテンに近寄る。


 カーテンを開けると、そこにはやっと白み始めた空が広がっていた。


 日が昇るにはまだ時間がかかりそうだ。
 窓の外には、しんと静まり返った空気が満ちている。


 手持ちぶさただった実は、外の景色を興味深く観察する。


 ここから見えるのはちょうど屋敷の裏に当たるのだが、すぐ近くに一つの建物があった。


 質素な建物だ。
 高さはこの屋敷よりも少し高いくらいだが、その面積はこの屋敷よりかなり狭い。


 白塗りの外壁に茶色の屋根というシンプルな色彩の建物には、両開きの扉が一つと数えるほどの窓があるだけで、それ以外の装飾は全く見当たらなかった。


(なんだろ…? 塔や見張り台にしては、造りが不自然だしなぁ……)


 興味をそそられた実は窓を開けて、朝の冷たい微風を全身に受けながら少し身を乗り出してみる。


 誰かが出入りしていればその様子から建物の用途が推測できたのだが、生憎あいにくと今は無人。


 建物の前から伸びているレンガ敷きの道を辿ると、それは広い裏庭を通ってこの屋敷の影へと消えていっていた。


 多分、昨日は通らなかった分かれ道の左側がここに通じているのだろう。
 ということは、正門からの出入りがそれなりにあるのか。


 暇潰しのように考えを巡らせる実の耳に、微かな物音が入ってきたのはその時。


 窓から身を引いて外の景色を全体的に眺めると、建物の扉が開いていることに気がついた。


(尚希さん…?)


 そこから出てきたのは尚希だった。


 こんな早い時間に、何をしているのだろうか。
 話しかけようかと思ったが、尚希を見てとっさに声を引っ込める。


 静かに扉を閉めた尚希は、そこから微動だにしない。


 こちらに背を向けている尚希だが、彼が険しい表情をしているのは想像にかたくなかった。


 この距離からでも、尚希が殺気立った魔力をほとばしらせているのが分かる。
 肌がピリピリとしびれるようだ。


「………」


 実は、尚希の様子をじっとうかがう。


 珍しいことに、尚希はこちらが見ていることに気付かない。


 あの尚希が他人の気配に反応しないなんて、よほど自分の感情に飲まれているようだ。


 ―――ザ…


 嫌な予感が、さらに募る。


 無意識に肩かけに伸びた手が、しわくちゃになるほどに強く、それを握り締めていた。

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