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第1章 見えない鎖
根深いトラウマ
しおりを挟む―――くんっ
「ん?」
急に服の裾を引かれて、実はその場で立ち止まった。
首を巡らせると、視界の隅に小さな手が見える。
今しがたベッドに寝かせたばかりの少女が、腕をめいいっぱいに伸ばして服を掴んでいた。
「ごめん、起こしちゃった?」
ベッドに戻り、側の椅子に座って少女の額をなでる。
しかし、少女は何も言わなかった。
薄く開いた目は虚ろで、焦点が合っていない。
どうやら、起きたわけではないようだ。
「……つい…」
ふいに、少女の口が微かに動く。
少女は両手を伸ばすと、実の服をぐちゃぐちゃに掴んで握り締めた。
「あ…つい……いたい……」
光を欠いた目から、涙がぼろぼろと零れる。
「いたいよ……くる…しい……やだ……やだやだやだ……」
熱に浮かされているのか、少女は泣きながら、うわ言のようにそう繰り返した。
「………」
実は眉を寄せる。
胸の中に、ものすごい速さで苦いものが広がっていくような気分。
泣きじゃくる少女に、別の少女が重なって見えた。
桜理のこともあって、小さな女の子が泣いている姿は苦手なのだ。
違うと分かっていても、どうしても桜理の姿と被ってしまう。
「………っ」
気を抜けば、体が震えそうになる。
こうやってすがられると、桜理を助けられなかった過去が嫌でも脳裏をよぎる。
そうなってしまうと理性だけで歯止めが利くわけもなく、無条件にこの子を助けてあげなくてはと思ってしまうのだ。
それはまるで義務感のように、自分の思考を埋め尽くしてしまう。
どんなに時間が流れても。
たとえ、桜理が許してくれているとしても。
やはり、トラウマは簡単には拭い去ることができないらしい。
目を逸らしたくなる衝動を、実はぐっとこらえた。
この子は桜理ではないのだと、何度も自分に言い聞かせる。
一つ深呼吸をして気持ちを静めた実は、少女の顔を真正面から見つめた。
「大丈夫だよ。」
少女の涙を指でそっと拭って、優しく告げる。
「痛くないよ。ちょっと熱いかもしれないけど、すぐによくなるから大丈夫。」
何度も大丈夫だと語りかけながら、実は繰り返し少女の頭をなでてやった。
伸ばされた小さな手を、力強く握り返してやる。
すると、実の服を掴んでいた少女の手がゆっくりと落ちた。
涙を流していた目も、次第にとろんと力を失っていく。
少女が完全に眠りに落ちるまで、実は握った手を離さなかった。
しかし、目を閉じはしたものの、少女の息は荒いままだ。
よほど熱が苦しいのだろう。
苦しそうに呻いては、細い声で熱いと訴えている。
実は一旦、少女から離れた。
エーリリテがテーブルに置いてくれた洗面器から、よく冷やされたタオルを取って固く絞る。
それを少女の額に乗せると、実は再び椅子に腰を下ろした。
この少女を抱えて家に飛び込んだ時、エーリリテは事情を聞かずに医者を呼んでくれた。
炎症がすでに肺にまで達しているらしく、もう少し発見が遅れていたら命の危険もあったそうだ。
解熱剤の注射を打って今に至るが、効き目はあまり芳しくないように見える。
実は、大きく上下する少女の胸にそっと手を置いた。
「……今は、この子を苦しめないであげて。」
呟いて、手のひらに魔力を集中させる。
少女の内側を蝕む力を集めて、自分の魔力で包む。
そして、少女を苦しめようと暴れる力を厳重に封じた。
それだけで、少女の呼吸がほんの少し楽そうになった。
その様子をじっと見つめ、実は表情を曇らせる。
少女が苦しんでいる原因は、風邪だけではない。
少女の体と心を支配している契約の力が、ただでさえ弱っている少女をさらに苦しめているのだ。
こんな幼い体に、幾重にも契約の重荷を背負っている少女。
一体、この子は何者なのだろう。
契約とは本来、契約を結ぶ両者の合意があって成立するものだが、こんな小さな子供にそんなことは分かるまい。
十中八九、これは一方的に結ばれた契約だろう。
「ひどいことをする。」
嫌悪感と共に吐き捨てる。
逆らうことすら知らない子供にこんなことをして、なんのメリットがあるというのだ。
(どうして……こんな風に、運命に縛りつけてしまうんだ。)
少女を蝕む契約の力が、少女を自由から遠ざける鎖に見えた。
どんなに自由に生きたくても、どんなに自分の理想を夢見ても。
運命の渦に巻き込まれて、そこから抜け出すことができない。
―――まるで、自分みたいに。
そう感じた途端に、思わず両手に力がこもった。
なんでも自分に重ねるのは、あまりよくないことだと思う。
下手に親近感を持って、相手のことを不用意に曲げてしまいたくはない。
そして何より、そう思うことは自分から他人の問題に巻き込まれにいくようなものだと、頭では分かっているじゃないか。
そんなことをしたところで、痛い目を見るだけだ。
そうと分かっているはずなのに……
(どうしても、放っておけないんだよな……)
心の中でだけ呟いて、実は少女の頭を優しくなでた。
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