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第1章 罠
心に沁みる優しさ
しおりを挟む「そうか…。楠木と話をつけたのか。」
「うん。」
昨晩の報告を聞いた拓也の反応は、やはり自分と同じように静かなものだった。
実は大きく息を吐いて、窓から見える青空を仰いだ。
「さすがに、この前の一件はこたえたよ。俺はもう、殺されるだけの存在じゃないらしいから……」
自分の知らないところで、〝鍵〟の存在意義が変わってきている。
それは自分にとって驚愕すべきことであり、認識を改めなければならないことでもあった。
殺すだけならば、悪意は自分だけに向かってくる。
それならまだよかった。
けれど、自分を利用するために近付いてくる悪意は、いつ自分以外の誰かに向かうか分からない。
自分を支配下に入れるために、誰がどういう手段に出るのか全く予想できないのだ。
それは、自分の身が危険にさらされるよりも怖く思えることだった。
「これ以上、梨央をこっち側に踏み込ませるわけにはいかないから。桜理みたいに大切に守ってもらえるなんて……そんな奇跡、二度も三度も起こるわけがないんだし。」
実の声のトーンが少し下がる。
自分を支えたいと、これまで色々と尽くしてくれた梨央。
彼女の気遣いに救われたことはたくさんある。
彼女の気持ちを知った時にはさすがに驚いたけど、その気持ち自体はとても嬉しかった。
―――でも、これ以上はだめだと思った。
高校が別になったことで、梨央と会う機会はぐっと減った。
そのおかげで、梨央がアズバドルの事件に巻き込まれたことは、桜理の一件以来全くない。
踏ん切りをつけるなら、今が一番いい。
自分から遠ざかった新しい環境で、梨央にはまた新しい幸せが訪れるだろう。
梨央の気持ちに応えられない以上、自分はそう願うことしかできない。
昨日梨央に放った、絶縁とも思える言葉。
きっと、梨央を深く傷つけてしまっただろう。
それでも、後悔はしていない。
少しばかり、この胸は苦しく痛むけれど……
「実。」
ふいに、拓也が口を開く。
「あんまり気に病むなよ。お前がどう思ってたとしても、おれはお前が間違ってるとは思わない。」
拓也のその言葉に、実は思わず目を丸くした。
昨日のことを後悔はしていない。
それでも、こうやって誰かにはっきりと自分の行動を肯定してもらえると、胸のわだかまりが心なしか和らぐ気がした。
拓也と知り合って、ちょうど二年くらい。
あれだけ色んなことを一緒に乗り越えてきただけあって、こういう時に自分がどう感じているのか、拓也には手に取るように分かるようだ。
(まったく…。どうしてこんなに、俺が欲しい言葉をくれるんだか……)
意識はしていなかったが、こう言われたことで、自分が本当はそういう言葉を欲しがっていたのだと知る。
きっと、昨日のことを後悔はしていなくても、その選択に自信を持ちきれてはいなかったのだろう。
拓也の言葉は、確実に自分の背を押してくれている。
「ありがとう、拓也。」
素直にそう言うと、拓也は電話の向こうで少し戸惑っているようだった。
それに微笑みつつ、実は電話を切る。
「実ー。」
そのタイミングを見計らっていたかのように、声をかけられた。
窓から身を離してそちらを見ると、晴人と悠がこちらに手を振っていた。
「午後、全クラス体育館に集合だってさ。」
そう言う晴人を、実はどこかまぶしげに見つめる。
晴人の様子は、いつもと変わらない。
華奈美と別れた傷からも、かなり立ち直ったようだ。
あの一件で自分の正体を垣間見ただろうに、晴人はそれでもこうやって、しつこいくらいにつきまとってくる。
今までと寸分違わぬ、無邪気な笑顔で。
自分が自分の正体について触れられたくないことを知っているから、一定の距離からは決して踏み込んでこない。
それは、晴人の思いやりに他ならないと思う。
だから自分は、晴人には以前と変わらないまま、なんの遠慮もなく接することができる。
晴人の優しさに甘えて。
晴人の背に、思い切りもたれかかって。
本当に、自分の周りは優しい人たちばかりだ。
「了解!」
実は笑って、晴人たちの元へ走った。
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