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第1章 罠
緊急事態
しおりを挟む「あ――っ!」
さっきまでの笑顔はどこへ消えたのか。
集会が終わった後の晴人は、心底うんざりした顔で廊下を歩いていた。
「集会とか無理。たるいし眠いし…。なーにが〝最近は我が校でも、学力の低下が見られます〟だ。だったら集会じゃなくて、授業でもやってた方がいいじゃんかよー。」
しっかりと校長のものまねつきで、晴人は不平不満をまき散らしている。
とはいえ、文句を言っているのは晴人に限ったことではないので、目立つことはないのだけど。
実は、その背中に問いかけてみる。
「一時間の小言と五時間の補習、どっちを取る?」
「うぐ…っ」
大袈裟な動作で固まる晴人に、実は溜め息をついた。
「まったく。文句を言う労力があるなら、少しは頭に使ってやったらどう?」
「まあまあ。」
遠慮のない実の物言いに、悠が控えめに笑う。
そんな悠から逃げるように、実はふいっと顔を逸らした。
きつく言ったものの、常に学年で十位以内に入っている晴人には、文句を言う権利がないこともない。
ないのだが、こうして文句を言い始めると長いのが晴人なので、早いうちに黙らせておくに限るのだ。
「くっそー。学年主席は余裕だよなぁ。」
「さすがに、毎回一位ってのはないって。学校が学校だけに、試験は難しいし。」
「お前の場合は運動もできるから、総合成績は結局一位だろうが!」
「まあねー。」
恨めしげに晴人が叫ぶのを、実は軽く聞き流すのみ。
勉強については嫌いではないし、アズバドルの事件に巻き込まれてばかりのせいで時間が取れないことも多いので、結構努力しているつもりだ。
加えて運動については、うっかり本来の能力を出してしまわないように制御する努力が必要となる。
その結果を恨まれても、別に痛くも痒くもない。
「分かったよ。そう言うなら、頭に労力を使ってやろうじゃん。ってなわけで実、後で教えて。」
「えー…」
実は眉をひそめる。
予想はしていたが、なんの捻りもなくそう来るとは。
「なんでいつも俺なんだよ。先生に聞きに行けって。」
「先生の言うことが分かったら、そもそも授業が分からないなんて問題は起こらないだろ! それに、実に教えてもらうと、すっごく頭に入るんだよなー。実、教師の才能があるんじゃね? オレの家庭教師やらない?」
「断る。」
にべもなく斬り捨てると、晴人は露骨に傷ついた顔をした。
そして―――
「ふじー!! 実が冷たーい!」
そう喚いて、悠の胸に思い切り抱きつく。
「あー、はいはい。」
もう慣れたことなのか、悠は晴人の背を軽く叩くだけだった。
普通なら蹴飛ばしてもいいような行動だが、そこは晴人だから許されるようなものである。
「ほら見ろ。ふじは実みたいにオレを邪険にしないぞ! こうやって抱きついても、蹴っ飛ばしてこないし。」
「分かった分かった。よかったねー。」
悠の胸から顔を上げて抗議してくる晴人だったが、実はあっさりと流すだけ。
それに、晴人が目を見開く。
「ちょっ、何その棒読み!?」
「別に悪意はない。」
「いや、絶対あるって! もー、ふじー!!」
晴人がターゲットを悠に絞ったので、実はふと息をつく。
その時だ。
「―――…のる」
ふいに、誰かに呼ばれた気がした。
「?」
首を捻るが、周りの喧騒の中に自分を呼ぶ声はない。
「―――実。」
今度ははっきりと聞こえた。
それと同時に、この声が外からではなく、頭に直接響いてくるものだと理解する。
そして、この声には聞き覚えがあった。
(その声……アティ?)
脳裏に、桜の大木が揺れる。
「よかった。聞こえているな?」
実が心の中だけで答えると、声の主であるアティはほっとしたようだった。
「実、すまない。実は……かなりまずいことになってな。」
アティの気まずげな言葉の濁し方に、実は直感的に事情の一端を察する。
(まずいことって……まさか、桜理に何かあったのか!?)
アティが自分に対して言葉を濁すことといったら、それしか思い浮かばない。
一気に焦る実と同様に、アティも随分と焦っているようだった。
「つまりはそういうことなのだが、今は詳しく話している時間がない。宝樹石の繋がりから、なんとか声を届けているのだ。長くは持たない。」
(ちょっと!)
「詳しくはユエに聞け!」
「はっ!? それってどういう―――」
思わず直接声を荒げた、その時だ。
―――ぽんっ
頭上で、そんな間の抜けた音がする。
見上げれば、天井近くに突如として一人の少女が現れていた。
必然的に、その場にいた生徒たちの視線がそちらを向く。
そして、少女の姿を見た皆の表情がみるみるうちに変わっていった。
「え…」
上を見上げた生徒たちから、そんな声が零れる中……
(ええええぇぇぇっ!?)
ただ一人、実だけが心の中で絶叫する。
自分の身に何が起こっているのか分かっていないのか、少女は怯えた様子で体を丸めて目をきつく閉じている。
ふと、その体が重力に引っ張られて落下した。
「って、わああぁぁ!!」
とっさに動いた体が、落下する少女を地面に落ちる前に受け止めた。
「ユ……ユエ!?」
実の驚愕を滲ませた声に、きつく閉じていたユエの目がパッと開いた。
子供らしい大きな瞳が、実の顔を捉える。
その瞬間、その大きな目から涙が零れ落ちた。
「み……実ーっ!!」
ユエは実の首に手を回すと、そのまま大泣きする。
事態についていけず、実はぎこちない態度でユエの背を叩くしかなかった。
「……実?」
「―――っ!?」
控えめな晴人の声で、実の意識は一気に現実に引き戻された。
そうだ。
ユエだけに気を取られている場合ではない。
思い至らなければ。
今、ここがどこなのか。
状況を正確に把握した途端、冷や汗が滝のように流れ出してきた。
「その子……知り合い?」
問われて、実はからからに渇いた喉でありもしない唾を嚥下する。
背後では、徐々にざわめきが広がっている。
とても後ろを振り返る気にはなれない。
「実…?」
「みっ……」
次の瞬間、実はがむしゃらに叫んでいた。
「みんな眠れ! そんで忘れろーっ!!」
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