世界の十字路

時雨青葉

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第1章 罠

時が凍る―――

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「………ひっく……」


 ずっとすすり泣いているユエ。
 その隣で、実は疲労困憊こんぱいといった様子で肩を上下させていた。


 あんな無茶な魔法の使い方は初めてかもしれない。
 少しの後悔と、大部分の仕方ないという気持ちが心の中で交錯する。


 どれくらいの人にユエの出現を見られたか分からないので、あのワンフロア全体に眠りと記憶改ざんの魔法をかけた。


 しかも、なんの準備もなく急にだ。


 いつぞやのサリアムのように、学校全体への暗示という広範囲の魔法もあるが、あれはそれなりの下準備があってこそできる芸当だ。


 今回とは訳が違う。


 魔法の出力は調整したので、おそらく眠った人たちはもう起きているだろう。
 本人たちは、自分がどうして倒れているのか分からないだろうが。


 一つ気になることがあるとすれば晴人のことだが、彼のことだからこちらを疑ったとしても追及はしてこないはずだ。


 とにかく今は、地球では考えられない現れ方をしたユエの存在と、ユエと自分が知り合いだという事実を揉み消せればそれでいい。


 人々が一斉に倒れたことは多少騒ぎになるかもしれないが、ユエと自分のことで騒ぎになるよりは遥かにマシだ。


 ……まあ、そんな理屈はともかく。


「つ……疲れた……」


 途方もない疲労が実の頭を埋め尽くす。


 焦りのあまり、思わず家まで逃げてきてしまった。


 不特定多数の対象への昏睡と記憶の改ざん、それに加えての次元移動という魔法の連続酷使のせいで、体はひどい疲労感に包まれていた。


 本当ならもう動きたくないが、今はそんなことも言っていられない。


 実はなんとか呼吸を落ち着けて、椅子から立ち上がる。
 そして、未だに泣きやまないユエの前にしゃがんだ。


「ユエ、何があったの?」


 小さな体に問いかける。


「アティがあそこまで慌てるくらいだ。相当大変なことになってるんでしょ?」


 アティの焦った声。
 きっと、事態は急を要する。


 ユエは答えない。
 相変わらず、くぐもった泣き声が耳朶じだを打ってくるだけだ。


「ユエ!」


 実は、ユエの薄い肩を掴んだ。


「大丈夫だから!」


 驚いて見開かれた黒い瞳に、実は強く言い聞かせる。


「俺がなんとかするから、ちゃんと話してくれ。桜理に何があったんだ!?」


 最後は、悲鳴のような叫びになってしまった。


 本音を言えば、今すぐにでも向こうへ行きたい。
 それでもこんなユエを放っておけないと、必死に理性を保っているのだ。
 頭の中は焦りと恐怖と不安でないまぜになって、混乱しそうになっている。


 桜理に何か危険なことが起こること。
 それは、自分が何よりも恐れていることなのに……


「桜理……が……」


 実の雰囲気に気圧けおされたユエの唇が、微かに震える。
 そして―――




「桜理が、いなくなっちゃった。」
「―――」




 実の目が凍った。


 時間が止まる。
 音という音が、唐突に消え失せる。


 痛いほどの静寂の中で、ユエの声だけが反響を残して空気を震わせている気がした。


「捜しても、どこにもいないの。」
「………」


 実は口を閉ざす。


 広がる無音。
 深まる沈黙。


 ユエは目に溜まった涙を拭う。
 ふと、その頭に何かが被せられた。


 それは、実がさっきまで着ていた制服のブレザーだ。


「実?」


 何も言わずに立ち上がった実を見上げ、ユエは首を傾げる。


「ユエ。送るから、拓也たちの所にいて。」


 零れた声は、まるで深い水底のように静かだった。


 実が腕を振るうと、光の帯がその身を包み始める。
 ユエを自分の近くに呼び、実は深く息を吸った。


「拓也、尚希さん。」


 魔力を込めた声で、遠くに意識を飛ばす。


「緊急事態が起きたので、俺は行きます。俺から事情を話している暇はないので、拓也たちの家に一人置いていきます。詳しくは、その子に聞いてください。」


 言うだけ言って、実は一方的に繋がりを断つ。


「桜理、無事でいて…っ」


 その声は、悲痛な響きを伴っていた。

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