世界の十字路

時雨青葉

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第1章 罠

転落

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 ぱさり、と。
 漆黒の向こうから現れたのは、透明感を感じさせる淡い栗毛色だった。


「俺だって。」
「実!?」


 フードを取った実は、桜理を見てほっと息をついた。
 しかし、対する桜理は実の登場に心臓を直接鷲掴わしづかみにされたような心地になる。


(嘘……来るのが早すぎるわよ。)


 この屋敷に着いてから、まだ一日と経っていないのに。
 頭の中に不安が渦巻いて、目の端に熱いものが溜まる。


「気配はするのに返事がないから焦ったよ。無事でよかっ―――」
「この馬鹿!!」


 桜理は、無意識にそう叫んでいた。


 あまりにも唐突かつ想定の範囲を大きく超えた罵倒に、実は目を丸くして固まってしまう。


「…………はあっ!?」


 しばらくの沈黙の後、実の口から出たのは素っ頓狂な声だった。


「ちょっ……馬鹿ってなんだよ!?」
「馬鹿ったら馬鹿よ! なんでこんなに早いのよ!」


 桜理は実の胸に顔をうずめて、ぽかぽかとその胸を叩く。


 実はそんな桜理に戸惑っているようだったが、そのただならぬ様子から、何か事情があることはみ取ったようだった。


「待った。とにかく落ち着いて。何があったの?」
「何があった、じゃないわよ! この緊急事態に。」


「だから何が……」
「今回は、私じゃなくて実が狙いなのよ!!」


 噛みつくような勢いで叫ぶと、途端に実から戸惑いが消えていった。


「あー、なるほど。どうりでこの屋敷じゃ、魔法が使いにくいように細工されてるわけだ……」


 全ての事情を察したらしい実は、ふうと重たげな溜め息を吐いた。


 その察しのよさに、実ならこのくらいの罠なんて簡単に見抜けただろうにと思う。


 しかし、実は自分のためなら罠だと承知していても乗り込んでくるとも分かっているから、余計に自分の不甲斐ふがいなさが身にみるのだ。


 そんな自分を内心で罵倒しながら、桜理はまた実の胸を叩く。


「なのに、何をのこのこと助けに来てんのよ、ばかぁー……」
「だから、馬鹿はないでしょ。こっちは慌てて来たんだからね?」
「十分馬鹿よ! 私なんかのために、こんな所に来るなんて!!」


 つい口から出てしまったその言葉は、実のしゃくさわったようだった。
 目元を険しくした実の口調が、一気に荒々しくなる。


「はあっ!? 桜理に何かあって、俺が動かないわけないだろ!?」


「ああもう! それが分かってたから、実が来る前にどうにか逃げようと、あれこれ考えてたのよ!!」


 売り言葉に買い言葉の勢いで先ほどまで考えていたことを実に言うと、実の顔からさあっと血の気が引いていくのが分かった。


「怪我する気なの!? それに、どうにかここから逃げたとしても、歩いて帰れる距離じゃないんだよ!? 俺と違って桜理は魔法が使えないんだ。頼むから、あんまり無茶しないでよ!!」


「そんなこと言ったって……」


 桜理は顔を覆う。


 理不尽な怒りをぶつけてしまっているのは分かっているし、実の言うことが正しいのも分かっている。


 しかし、理性では割り切れない悔しさがせり上がってきて、どうしようもないのだ。


 言い争いに夢中で、お互いしか認知していなかった二人は気付かなかった。
 いつの間にか、敵の侵入を許していたことに。




「―――まったく、悠長なものですね。」
「!?」




 ふいに割り込んできた声に、実の肩が大きく跳ねる。


「桜理、危ない!」


 本能的に危険を感じて、とっさに桜理を突き飛ばした。


 同時に自分も一歩後ろに身を引くと、一拍遅れて目の前を細身の槍が通過していった。


 戦いに慣れた体が動くままに床を蹴ると、小さい矢が自分を追うように次々と床に刺さっていく。


 流れる視界の端で確認すると、ボウガンを構えた人間が複数いることが分かった。


 ただでさえ魔法が阻害されている屋敷の中だ。
 あの装填速度に魔法で応戦するのは厳しいか。


 実は一つ舌打ちをすると、さらに大きく跳躍した。
 空中で一回転しながら、ボウガンを持った連中の一番後ろに着地。
 彼らがこちらを向く前に、近くにいた男性の首に渾身の手刀を叩き込む。


 そのまま一気に、邪魔な連中を片付けようとした時―――


「!?」


 自分の体を襲った衝撃に、実は大きく目を見開いた。


 自分じゃない誰かの魔力が、動きを封じようとしてくる感覚。
 反射的にそれにあらがおうとした瞬間に感じた、その魔力の波動。




「―――――え……」




 一瞬。
 ほんの一瞬。
 頭が真っ白に染まる。


 これは―――……


「―――っ!!」


 その瞬間に後ろから物理的な衝撃が走って、肩から全身にかけてを灼熱が貫いた。


「実!!」


 桜理の悲痛な叫びが脳裏を揺さぶり、実はハッと我に返る。


 熱い部分に手をやると、肩でぬるりとした感触がする。
 次いで目をそこに向ければ、血に濡れた矢が突き出していた。


 淡い青のワイシャツに広がっていく鮮血。
 どうやら、後ろからボウガンで撃たれたようだ。


 その現実を認識するかしないかというせつの間に、ぐにゃりと視界が大きく歪んだ。


「!?」


 状況を理解する前に、地面が大きく揺れる。
 踏ん張ろうにも思うように体が動かず、床に膝をつくことになってしまった。


「特注のしびれ薬ですよ。よく効くでしょう?」
「て……め……」


 口も上手く動かない。
 なんとか顔を上げると、こちらを見下ろす男性の姿がぼやけて見えた。


「あなたのために用意したんです。はなから、真っ向にやり合う気はないのでね。」


 勝ち誇った顔をする男性。


 完全に隙を突かれてしまったか。
 少しばかり悔しく思ったが、思考はすぐに方向性を切り替える。


 これは絶好のチャンスだ。
 今なら、この場にいる人々の注意は桜理から完全にれている。


「………っ」


 実はうつむき、拡散しそうな意識を寄せ集める。
 頭の中で術式を完成させてしまえば、その後は早かった。


 あっという間に桜理の周囲に光を帯びた風が発生し、彼女の身を包み込む。


「………っ!? 嫌! 実!!」


 自分が何をしたのか、桜理は一瞬で見抜いた様子。
 しかし、こちらとしても止めるわけにいかない。


 他の人々が戸惑っている間に、桜理の姿はその場から消えた。


「せめて……桜理の安全だけは、確保させて……もら、うよ……」


 こちらを面白くなさそうな目で見下ろす男性に、実は無理やり笑って見せる。


「余計な真似を……」


 低い声で呟いた男性は実に向かって手を伸ばすと、その肩に刺さる矢を一気に引き抜いた。


「ぐっ…」


 にぶくなる五感の中で、鮮烈な熱を伴った激痛が暴れ回る。
 思わずうめいた実の後頭部に、追い打ちをかけるように衝撃が襲いかかった。


 瞬く間に視界が闇に浸食されていって。
 そして―――


(どうして……)




 自分の周囲に未だにまとわりつく魔力のざんに、泣きそうになった―――



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