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第3章 何に代えても貫きたい想い
ノルンの頼み
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あの話し合いから密かな厳戒体制が始まったのだが、今日は事件らしい事件も起こることなく、皆が寝静まる時間を迎えた。
無表情なクルオルに加え、こちらは猫被りなどお手のものである。
当然周囲に違和感を持たせることなどはなく、ここに来てからのいつもの一日が過ぎた。
「……い」
「ん…」
「おい。」
「ううん……」
しつこくノルンに呼びかけられ、実は布団に潜ったまま不愉快そうに顔をしかめた。
「なんだよ。俺はもう眠い。長話になら付き合わないぞ。」
腕輪を外した上に拓也から魔力の補給を受けてもなお、やはり体のだるさがしつこく残っている。
特に差し迫った状況というわけではないし、さすがにこれ以上の無茶をやらかす気はなかった。
「違うのだ。少し個人的な野暮用があってだな……向かってほしい場所があるのだ。」
「向かってほしい場所?」
実は、渋々ながらも素直に体を起こして訊き返す。
ノルンの声に、いつもの飄々とした明るさがない。
それが少しだけ引っ掛かった。
「そうだ。大事な用なのだ。」
ノルンは、どこか独り言のように言うだけ。
「まあ、遠くないならいいけどさ。……いいの?」
あえて声のトーンを落として問う。
今のところ、こちらの最大の手札は、敵からは双蓮の種が誰に根付いているか分からないということだ。
いつ誰に見張られているとも分からない状況で一人だけ違う動きを見せれば、この最大の手札を捨てることになりかねない。
「………」
実の言葉が意味するところをきっちり理解しているらしく、ノルンは何も返せずに黙っている。
少し意地が悪かったかもしれない。
実は、くすりと微笑んだ。
「分かったって。どこに行きたいわけ?」
訊ねると、ノルンが小さく「え…」と呟くのが聞こえた。
「長の間だが……いいのか?」
「別に。ばれないように移動する手段なんて、人間の中じゃたくさんあるんだよ。ましてや、一度行ったことがある場所なら楽勝。」
お代は、今の意外そうな間抜け声ということにしてやろう。
実は腕を振るって魔力を操り始める。
それに応えた魔力は光をまとった風となり、実を包んで消えた。
短い旅を終えれば、そこはもう長の間の中だ。
「ね?」
ふわりと絨毯の上に着地し、実は自慢げに笑う。
「おお……」
ノルンはかなり驚いているようで、それ以上の言葉を継げないようだった。
「何を驚いてるのさ? あんたらだって、似たような移動手段を使ってるよね?」
こちらに来る時に、川面に飛び込んだことを思い出す。
おそらく、ウェールの民は水面に映る月を媒介にして次元移動を行うのだろう。
集落のどこから移動するのかは知らないが、ここまで月と密接に生きている一族だ。
この推測は、限りなく正しいと思っている。
「そうだな。確かに手段は知っている。だが、私は実際にそれを行ったことがないのだ。人の世界への接触は禁忌の上、私はもうここを出られないからな。」
ノルンの声に微かに含まれた感情。
それを、実はなんとなく感じ取っていた。
これは、もう行くことはできない集落の外と禁忌とされる人の世界に対する、ちょっとした憧れと羨望だ。
「……興味があるなら、なんで長になろうと思ったの?」
外に出たいと望むなら、長ではなくクルオルのような立場を目指せばよかったのではないだろうか。
そう思って訊いてみたのだが、ノルンはその質問に対してくすくすと笑った。
「半分以上は若気の至りだ。別に、民衆を清く正しく導こうなどとは考えていなかった。どうせ、こんな若造が選ばれるはずもないと思っていたしな。ちょっと、いい格好をしてみたかっただけなのだよ。」
懐かしげに語るノルンは、どこか楽しそうだ。
「それに、あの時はそんなに外への思慕はなくてな。長になってからなのだ。……ここ以外の空を仰いでみたいと、そう思うようになったのは。知ることは、時にかくも歯痒くて虚しいものだ。」
「………」
実は、何も言えずに口を閉ざした。
知ることは虚しい、と。
ノルンは特に何かを訴えたくてそう言ったわけではないのだろうが、その言葉に共感する自分がいた。
どれだけ賢くても、どれだけ博識でも、どれだけ悟り深くても、それが必ずしも幸せに繋がるとは限らない。
知るからこそ他人と一線を引くし、理解してしまうからこそ動けなくなることもある。
自分の本当の気持ちすらも抑え込めるしかない時だってあるのだ。
だって……自分が心に抱く本当の気持ちが、どうしようもなく他人を傷つけてしまうと理解っているんだもの。
そして、こんなことなら、いっそのこと馬鹿で愚鈍ならよかったと思ってしまう。
そんな願いこそ馬鹿らしく、贅沢で過ぎたものだと分かっているのに……
結局のところ、人間はこうして自分にないものを願ってしまうのだろう。
いくら人間離れした力を持っていたとしても、それは自分とて同じこと。
神聖などという言葉は欠片もない。
(何してるんだろう、俺……)
ふと思考が外れた方向へ飛びそうになり、実はハッとして頭を振った。
「で、ここに何の用なの?」
沈みかけた思考は一旦隅に置いておき、気を取り直して実は訊ねる。
それで、ノルンも目的を思い出したようだった。
「おお、そうだったな。そのレリーフの前に立ってはくれないか?」
ノルンが示しているのは、一対の翼をあしらったレリーフ。
実は部屋の奥に移動し、指示されたようにレリーフの前に立つ。
「次は?」
「そこに手を置いてくれ。」
言われるがままに、実は手をレリーフの上に重ねる。
すると、仄かにレリーフが光り出し、微かな地響きが室内を襲った。
レリーフ周囲の壁に亀裂が走り、地を擦る音と共に動き始める。
最終的にそこに現れたのは、人一人が通れるほどの隠し通路だった。
「へえ、なるほど……そういう仕組みがあるものだったんだ。このレリーフ。」
「やはり勘付いておったな。ここに着目された時は、さすがに私も焦ったぞ。」
その言葉に嘘はないのか、ノルンは何やら複雑そうだ。
初めてここに入った時には言わなかったが、双蓮の種とこのレリーフの間に、ごくわずかな力の繋がりが見えた気がしていた。
それを気のせいだとごまかしたのは、力の繋がりがあまりにも微少で指摘できるほどの確証が持てなかったのと、単純に興味がなかったからだ。
何かしらのからくりがあるのだろうが、それが何なのかまでは分からなかったし、知る必要もないと思っていた。
……が、まさかこんな風に知ることになろうとは。
「俺がこのからくりを動かせるってことは、鍵は双蓮の種なのかな?」
「そのとおりだ。さあ、早く進むぞ。」
「はいはい。」
まるで洞窟のような通路の中に、実は足を踏み入れた。
無表情なクルオルに加え、こちらは猫被りなどお手のものである。
当然周囲に違和感を持たせることなどはなく、ここに来てからのいつもの一日が過ぎた。
「……い」
「ん…」
「おい。」
「ううん……」
しつこくノルンに呼びかけられ、実は布団に潜ったまま不愉快そうに顔をしかめた。
「なんだよ。俺はもう眠い。長話になら付き合わないぞ。」
腕輪を外した上に拓也から魔力の補給を受けてもなお、やはり体のだるさがしつこく残っている。
特に差し迫った状況というわけではないし、さすがにこれ以上の無茶をやらかす気はなかった。
「違うのだ。少し個人的な野暮用があってだな……向かってほしい場所があるのだ。」
「向かってほしい場所?」
実は、渋々ながらも素直に体を起こして訊き返す。
ノルンの声に、いつもの飄々とした明るさがない。
それが少しだけ引っ掛かった。
「そうだ。大事な用なのだ。」
ノルンは、どこか独り言のように言うだけ。
「まあ、遠くないならいいけどさ。……いいの?」
あえて声のトーンを落として問う。
今のところ、こちらの最大の手札は、敵からは双蓮の種が誰に根付いているか分からないということだ。
いつ誰に見張られているとも分からない状況で一人だけ違う動きを見せれば、この最大の手札を捨てることになりかねない。
「………」
実の言葉が意味するところをきっちり理解しているらしく、ノルンは何も返せずに黙っている。
少し意地が悪かったかもしれない。
実は、くすりと微笑んだ。
「分かったって。どこに行きたいわけ?」
訊ねると、ノルンが小さく「え…」と呟くのが聞こえた。
「長の間だが……いいのか?」
「別に。ばれないように移動する手段なんて、人間の中じゃたくさんあるんだよ。ましてや、一度行ったことがある場所なら楽勝。」
お代は、今の意外そうな間抜け声ということにしてやろう。
実は腕を振るって魔力を操り始める。
それに応えた魔力は光をまとった風となり、実を包んで消えた。
短い旅を終えれば、そこはもう長の間の中だ。
「ね?」
ふわりと絨毯の上に着地し、実は自慢げに笑う。
「おお……」
ノルンはかなり驚いているようで、それ以上の言葉を継げないようだった。
「何を驚いてるのさ? あんたらだって、似たような移動手段を使ってるよね?」
こちらに来る時に、川面に飛び込んだことを思い出す。
おそらく、ウェールの民は水面に映る月を媒介にして次元移動を行うのだろう。
集落のどこから移動するのかは知らないが、ここまで月と密接に生きている一族だ。
この推測は、限りなく正しいと思っている。
「そうだな。確かに手段は知っている。だが、私は実際にそれを行ったことがないのだ。人の世界への接触は禁忌の上、私はもうここを出られないからな。」
ノルンの声に微かに含まれた感情。
それを、実はなんとなく感じ取っていた。
これは、もう行くことはできない集落の外と禁忌とされる人の世界に対する、ちょっとした憧れと羨望だ。
「……興味があるなら、なんで長になろうと思ったの?」
外に出たいと望むなら、長ではなくクルオルのような立場を目指せばよかったのではないだろうか。
そう思って訊いてみたのだが、ノルンはその質問に対してくすくすと笑った。
「半分以上は若気の至りだ。別に、民衆を清く正しく導こうなどとは考えていなかった。どうせ、こんな若造が選ばれるはずもないと思っていたしな。ちょっと、いい格好をしてみたかっただけなのだよ。」
懐かしげに語るノルンは、どこか楽しそうだ。
「それに、あの時はそんなに外への思慕はなくてな。長になってからなのだ。……ここ以外の空を仰いでみたいと、そう思うようになったのは。知ることは、時にかくも歯痒くて虚しいものだ。」
「………」
実は、何も言えずに口を閉ざした。
知ることは虚しい、と。
ノルンは特に何かを訴えたくてそう言ったわけではないのだろうが、その言葉に共感する自分がいた。
どれだけ賢くても、どれだけ博識でも、どれだけ悟り深くても、それが必ずしも幸せに繋がるとは限らない。
知るからこそ他人と一線を引くし、理解してしまうからこそ動けなくなることもある。
自分の本当の気持ちすらも抑え込めるしかない時だってあるのだ。
だって……自分が心に抱く本当の気持ちが、どうしようもなく他人を傷つけてしまうと理解っているんだもの。
そして、こんなことなら、いっそのこと馬鹿で愚鈍ならよかったと思ってしまう。
そんな願いこそ馬鹿らしく、贅沢で過ぎたものだと分かっているのに……
結局のところ、人間はこうして自分にないものを願ってしまうのだろう。
いくら人間離れした力を持っていたとしても、それは自分とて同じこと。
神聖などという言葉は欠片もない。
(何してるんだろう、俺……)
ふと思考が外れた方向へ飛びそうになり、実はハッとして頭を振った。
「で、ここに何の用なの?」
沈みかけた思考は一旦隅に置いておき、気を取り直して実は訊ねる。
それで、ノルンも目的を思い出したようだった。
「おお、そうだったな。そのレリーフの前に立ってはくれないか?」
ノルンが示しているのは、一対の翼をあしらったレリーフ。
実は部屋の奥に移動し、指示されたようにレリーフの前に立つ。
「次は?」
「そこに手を置いてくれ。」
言われるがままに、実は手をレリーフの上に重ねる。
すると、仄かにレリーフが光り出し、微かな地響きが室内を襲った。
レリーフ周囲の壁に亀裂が走り、地を擦る音と共に動き始める。
最終的にそこに現れたのは、人一人が通れるほどの隠し通路だった。
「へえ、なるほど……そういう仕組みがあるものだったんだ。このレリーフ。」
「やはり勘付いておったな。ここに着目された時は、さすがに私も焦ったぞ。」
その言葉に嘘はないのか、ノルンは何やら複雑そうだ。
初めてここに入った時には言わなかったが、双蓮の種とこのレリーフの間に、ごくわずかな力の繋がりが見えた気がしていた。
それを気のせいだとごまかしたのは、力の繋がりがあまりにも微少で指摘できるほどの確証が持てなかったのと、単純に興味がなかったからだ。
何かしらのからくりがあるのだろうが、それが何なのかまでは分からなかったし、知る必要もないと思っていた。
……が、まさかこんな風に知ることになろうとは。
「俺がこのからくりを動かせるってことは、鍵は双蓮の種なのかな?」
「そのとおりだ。さあ、早く進むぞ。」
「はいはい。」
まるで洞窟のような通路の中に、実は足を踏み入れた。
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