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第32話 邂逅
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女性の悲鳴が聞こえた瞬間、俺の心臓がどくん、と大きく跳ねた。
俺の脳裏に、あの記憶が鮮烈に蘇る。マンションの屋上から落下してくる少女。重なり合った唇。
(……まさか、あの子なのか?)
この世界に来て一ヶ月。生存することに必死で、彼女の安否を確認する余裕などなかった。だが、あの悲鳴。
――もし発電機を回しっぱなしにしていたら、今の悲鳴(インシデント)には一生気づけなかっただろう。ボアと遭遇して逃げ帰った際、周囲の音を聞き逃さないために発電機を止めていた俺の判断が、結果的に、100メートル先の死の広間から届いた微かな声を俺の耳に届けたのだ。
「……っ!」
俺は解体途中の作業を放り出し、すぐさまスチールラックへ駆け寄った。円形の盾を掴もうとしたが、ヌルリと指が滑る。ボアの解体中だった俺の手は、血と脂でコーティングされている。
「無理やり通すしかない!」
俺は盾の裏側の革ベルトに、強引に左腕をねじ込んだ。肘まで深く通し、腕の太さで固定する。装着感は最悪だが、これなら握らなくても落ちない。
次に右手。あるのは解体作業に使っていた工業用アルコールのボウルだ。
バシャッ!
俺は迷わず右手を突っ込み、脂を強引に分解して布巾で拭った。最低限の摩擦(グリップ)は確保した。俺はスケルトンナイトの剣をガシリと握りしめ、地を蹴った。
全速力で駆け出した――その、瞬間だった。
ズルッ。
腰回りに、取り返しのつかない違和感。
「……うおっ!?」
俺は慌てて急ブレーキをかけ、盾を装着した左手でガシッと腰を押さえた。
日本で80kgあった体重は、今や50キロ台まで激減している。普段は鎧で押さえられていたが、本気の全力疾走による遠心力に、ガバガバになったウエストが耐えられるはずもなかった。
「いかん、社会的に死ぬ……!」
俺は左腕でズボンを引き上げ、盾ごと腰骨に押し付けるように固定した。そのまま前傾姿勢で再び走り出した。
短い通路を抜けて辿り着いたそこは、巨大なドラゴンの白骨が屹立する「竜の墓場」だった。その足元、無数の人骨の山の中に、彼女はいた。
見覚えのあるブレザータイプの制服。恐怖に見開かれた瞳。
「きゃああああああああかっ!!」
血まみれの変質者にしか見えない俺を認め、彼女が絶叫する。俺はすぐさま立ち止まり、右手の剣を床に置いた。
「……驚かせてすまない。魔物の解体をしていたんだ」
返り血で汚れた服を指し示す。「怪しい者じゃない……とは言い難い格好だが、ここは安全だ。10分待ってくれ。向こうで血を洗い流して着替えてくるから」
踵を返そうとした俺の背中に、「一人にしないでください……っ!」という悲痛な声が突き刺さった。俺は足を止め、立ち尽くした。
「……わかった。なら、これを持っていろ。身を守るものがないと不安だろう」
俺は腰のコンバットナイフを抜き、一度床に置くと、彼女の方へ向かって軽く蹴り出した。
**チリリ……**と、金属が石の床を滑る音が響く。
「……本来、道具をこんな無作法に扱いたくはないんだがな。今は仕方がない」
不用意に近づいてパニックを招くより、この「無作法」が今は最適なリスクヘッジなのだ。彼女はおずおずとナイフを拾い上げ、震える手でそれを抱え込んだ。
「場所を変えよう。お互い聞きたいことがあると思うが、俺もここは落ち着かないんだ」
俺が見上げんばかりのドラゴンの骨を指差すと、彼女も釣られて恐る恐る振り返った。だが、その巨大な死の象徴を直視した直後、弾かれたように慌てて俺の方へと向き直った。
今の彼女にとって、血まみれの俺よりも、この空間の異常さと孤独の方が遥かに恐ろしいのだ。
「……い、行きます……」
蚊の鳴くような声で、彼女は言った。
「いい子だ。俺は佐東(さとう)、君は?」
「あ……如月 雫(きさらぎ しずく)です……」
「如月さんか。よし、ついてきてくれ。あっちだ!」
俺は床の剣を拾い上げると、真っ直ぐに拠点の方へと剣先を向けた。ここから先は俺が安全を確保(スキャン)する。彼女が小さく頷いたのを確認し、俺はゆっくりと歩き出した。
その時、作業服の裾(すそ)にギュッと強い重みが加わった。
彼女が、震える指先で俺の作業服の裾を、藁にもすがる思いで掴んだのだ。
足元には無数の人骨。一歩踏み出すたびに骨が砕ける音が響く。彼女はもう、足元を見るのも、この先の闇を凝視するのも怖くて仕方がないのだろう。
俺は何も言わず、彼女が転ばないよう、一歩一歩を確実に踏みしめて歩き出した。左手でズボンを死守し、右手で剣を構え、背後に怯える少女を引いて。
「……大丈夫だ。すぐ近くだ」
通路の先から、オレンジ色の柔らかな光が見えてきた。
俺たちは不気味に沈黙する竜の墓場を後にし、文明の残滓(ざんし)が待つ拠点へと足を踏み入れた。
俺の脳裏に、あの記憶が鮮烈に蘇る。マンションの屋上から落下してくる少女。重なり合った唇。
(……まさか、あの子なのか?)
この世界に来て一ヶ月。生存することに必死で、彼女の安否を確認する余裕などなかった。だが、あの悲鳴。
――もし発電機を回しっぱなしにしていたら、今の悲鳴(インシデント)には一生気づけなかっただろう。ボアと遭遇して逃げ帰った際、周囲の音を聞き逃さないために発電機を止めていた俺の判断が、結果的に、100メートル先の死の広間から届いた微かな声を俺の耳に届けたのだ。
「……っ!」
俺は解体途中の作業を放り出し、すぐさまスチールラックへ駆け寄った。円形の盾を掴もうとしたが、ヌルリと指が滑る。ボアの解体中だった俺の手は、血と脂でコーティングされている。
「無理やり通すしかない!」
俺は盾の裏側の革ベルトに、強引に左腕をねじ込んだ。肘まで深く通し、腕の太さで固定する。装着感は最悪だが、これなら握らなくても落ちない。
次に右手。あるのは解体作業に使っていた工業用アルコールのボウルだ。
バシャッ!
俺は迷わず右手を突っ込み、脂を強引に分解して布巾で拭った。最低限の摩擦(グリップ)は確保した。俺はスケルトンナイトの剣をガシリと握りしめ、地を蹴った。
全速力で駆け出した――その、瞬間だった。
ズルッ。
腰回りに、取り返しのつかない違和感。
「……うおっ!?」
俺は慌てて急ブレーキをかけ、盾を装着した左手でガシッと腰を押さえた。
日本で80kgあった体重は、今や50キロ台まで激減している。普段は鎧で押さえられていたが、本気の全力疾走による遠心力に、ガバガバになったウエストが耐えられるはずもなかった。
「いかん、社会的に死ぬ……!」
俺は左腕でズボンを引き上げ、盾ごと腰骨に押し付けるように固定した。そのまま前傾姿勢で再び走り出した。
短い通路を抜けて辿り着いたそこは、巨大なドラゴンの白骨が屹立する「竜の墓場」だった。その足元、無数の人骨の山の中に、彼女はいた。
見覚えのあるブレザータイプの制服。恐怖に見開かれた瞳。
「きゃああああああああかっ!!」
血まみれの変質者にしか見えない俺を認め、彼女が絶叫する。俺はすぐさま立ち止まり、右手の剣を床に置いた。
「……驚かせてすまない。魔物の解体をしていたんだ」
返り血で汚れた服を指し示す。「怪しい者じゃない……とは言い難い格好だが、ここは安全だ。10分待ってくれ。向こうで血を洗い流して着替えてくるから」
踵を返そうとした俺の背中に、「一人にしないでください……っ!」という悲痛な声が突き刺さった。俺は足を止め、立ち尽くした。
「……わかった。なら、これを持っていろ。身を守るものがないと不安だろう」
俺は腰のコンバットナイフを抜き、一度床に置くと、彼女の方へ向かって軽く蹴り出した。
**チリリ……**と、金属が石の床を滑る音が響く。
「……本来、道具をこんな無作法に扱いたくはないんだがな。今は仕方がない」
不用意に近づいてパニックを招くより、この「無作法」が今は最適なリスクヘッジなのだ。彼女はおずおずとナイフを拾い上げ、震える手でそれを抱え込んだ。
「場所を変えよう。お互い聞きたいことがあると思うが、俺もここは落ち着かないんだ」
俺が見上げんばかりのドラゴンの骨を指差すと、彼女も釣られて恐る恐る振り返った。だが、その巨大な死の象徴を直視した直後、弾かれたように慌てて俺の方へと向き直った。
今の彼女にとって、血まみれの俺よりも、この空間の異常さと孤独の方が遥かに恐ろしいのだ。
「……い、行きます……」
蚊の鳴くような声で、彼女は言った。
「いい子だ。俺は佐東(さとう)、君は?」
「あ……如月 雫(きさらぎ しずく)です……」
「如月さんか。よし、ついてきてくれ。あっちだ!」
俺は床の剣を拾い上げると、真っ直ぐに拠点の方へと剣先を向けた。ここから先は俺が安全を確保(スキャン)する。彼女が小さく頷いたのを確認し、俺はゆっくりと歩き出した。
その時、作業服の裾(すそ)にギュッと強い重みが加わった。
彼女が、震える指先で俺の作業服の裾を、藁にもすがる思いで掴んだのだ。
足元には無数の人骨。一歩踏み出すたびに骨が砕ける音が響く。彼女はもう、足元を見るのも、この先の闇を凝視するのも怖くて仕方がないのだろう。
俺は何も言わず、彼女が転ばないよう、一歩一歩を確実に踏みしめて歩き出した。左手でズボンを死守し、右手で剣を構え、背後に怯える少女を引いて。
「……大丈夫だ。すぐ近くだ」
通路の先から、オレンジ色の柔らかな光が見えてきた。
俺たちは不気味に沈黙する竜の墓場を後にし、文明の残滓(ざんし)が待つ拠点へと足を踏み入れた。
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