盾の間違った使い方

KeyBow

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第34話 本当のスタートライン

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 身なりを整え、清潔な姿となった俺は、改めて彼女に向き合った。先ほどまでの血まみれの不審者ではない。一人の大人として、まずは信頼に足る誠実さと、少しばかりの余裕を見せるべきだ。
「改めて挨拶をさせてくれ。俺は佐東 柾(さとう まさき)。……まあ、このダンジョンの『第一村人』だとでも思ってくれ」
 俺は少しばかりのユーモアを込めて右手を差し出した。彼女は一瞬きょとんとしたようだったが、俺の言葉にわずかに表情を緩め、おずおずと手を伸ばしてきた。
「あ……如月 雫(きさらぎ しずく)です……」
 小さな、しかし温もりのある手が俺の掌に重なる。確かな「人間」との接触に、俺の荒んでいた心も少しずつ解きほぐされるのを感じた。
 握手を終え、俺は彼女のブレザーに視線を落とした。
「如月さん……その服、かなり傷んでいるな。腕から血が出てるじゃないか! 見せてごらん。放っておいて化膿(かのう)したら後が怖い。幸い、俺は治療の魔法が使えるんだ」
 俺が彼女の腕にそっと手をかざし、「ヒール」と唱える。柔らかな光が消えた後、そこにあった擦り傷は跡形もなく消え去っていた。
「……すごい! 傷が消えて、痛みもなくなりました。本当に、魔法があるんですね」
 驚く彼女を見て、俺は自分の不手際に気づいた。俺の拠点には自作の木製椅子が一つしかない。今はそれに雫ちゃんが座っているため、俺が座る場所がないのだ。
「おっと失礼。俺も座ろうと思ったが椅子がないな。よし、今買うからちょっと待ってね」
 俺は空中にウィンドウを展開した。指先で操作し、人差し指で虚空をポチっと叩く。すると、光の粒子が集まり、細長い段ボール箱が目の前にポンと出現した。側面には『苦天(くてん)市場』のロゴが入っている。バリバリと破って取り出したのは、椅子……ではなく、『アルミ製 3段脚立(木目調)』だ。
「……ま、魔法使いさん、ですか……?」
「いや、そんなたいそれたもんじゃないよ。さっきも言った通り、ただの『買い物』さ。これなら踏み台にもなるし、一番上に座れば高さもちょうどいいんだ」
 俺は脚立を広げ、一番上の天板にドカッと腰を下ろした。
「さて、大事なことから確認させてくれ。……如月さん。君は、あのマンションの屋上から落ちてきた人だよね?」
 雫ちゃんの肩がビクリと跳ねた。「……はい。でも、落ちたんじゃなくて……突き落とされたんです」
 彼女は唇を震わせながら、絞り出すように語り始めた。知らない女の人三人に囲まれて連れていかれ、兄の名前を出されて因縁をつけられたこと。名字が違うからと信じてもらえず、三人掛かりでフェンスから突き落とされたという、あまりに理不尽な事実。
「……そうか。酷い目に遭ったな。君は、何も悪くない」
 俺は湧き上がる怒りを抑え、もう一つ確認のために問いかけた。
「……突き落とされ、ここに来る直前の記憶は?」
「えっと直前ですか?」
 雫ちゃんの顔が見る見るうちに赤く染まっていく。彼女は視線を泳がせ、モジモジと言い淀んだ。無意識に、指先が自分の唇に触れている。
「突き落とされて……下で……佐東さんと、ぶつかって……その……ごにょごにょ……」
 最後の方は声にならず聞き取れなかったが、その仕草で十分だった。あの感触、俺も覚えている。
「ああ。君は俺に向かって熱烈に突っ込んできたよ。……正直、当たる! と確信した瞬間、時間が止まって、辺りが光ったと思ったら、俺はあそこ、骨が転がる場所にいたんだ。それから一ヶ月過ぎた」
 雫ちゃんがハッとした顔をして俺を見た。「あっ! そう言えばさっき、マット・デイモンのように一ヶ月過ごしたって、言ってましたよね。……一ヶ月って、本当に……?」
「ああ。俺はあの日からここで一ヶ月、生き抜いてきたんだ。……多分、別の時間軸に送られたんだろうな。どっちがどうズレたのかは分からないけど」
 俺は冷静に事実を提示するためにスマホを取り出した。俺のスマホは【10月12日】、雫ちゃんのスマホは【9月12日】。やはり一ヶ月のラグがある。雫ちゃんはスマホをぎゅっと抱きしめた。
「あ、それ……タイプCか?」
 雫ちゃんがコクンと頷く。
「なら良かった。充電できるから安心しな。あのポータブル電源にケーブルがある。……でも、残念ながら電波は届かないからね。そこは割り切ってくれ」
 俺はウィンドウを開き、防災用品のカテゴリーから『【災害備蓄用】カフェオレ』をポチった。冷蔵庫から冷えた水も出し、清潔なカップに注いで彼女の前に出す。
 一つ200ポイントもする一品だ。日本円にして2000円前後。普段の俺なら絶対に避ける贅沢品だが、「しかし、今買わずしていつ買うのか!」という思いが、俺の指を動かした。
「まずはこれを。甘いものは落ち着くぞ。……ただの水も、冷えていれば美味いもんだ」
「あ、ありがとうございます」
 甘く温かいカフェオレを一口飲み、雫ちゃんは少し表情を和らげた。俺も水を一口飲み、彼女を真っ直ぐに見据えた。
「いいかい、如月さん。これから話すのは、からかったり嘘をついたりしてるわけじゃあないからね。普通なら信じられないことだけど、さっきの『買い物』や『傷を治した』のも、これから話すことに関係してるんだ。まずはざくっと話すね。質問は後からまとめて聞くから。いいかな?」
 雫ちゃんはおずおずと頷いた。
「君は、いわゆる『異世界ファンタジー』って知ってるかな?」
「アニメとか小説にあるのですよね?」
「そうだ。話が早い。ここは、俺たちのいた世界じゃない。魔法が使える異世界、ファンタジーの世界に迷い混んじまったんだ」
 そこから、俺は自分が知る限りの情報を彼女に伝え始めた。
「ここがダンジョンの最奥だということ。それから、さっきの広間にいたボスのことだが……あいつは今、死んでいるのか、生きているか分からないが全く動かない。ただ、普通はボスを倒したら先への通路とか、入り口へ行くギミックが現れるはずなんだと思うんだよ。それがない。ひょっとしたら、一時的に活動を停止しているだけかもしれない。だからあそこには絶対に近付かないようにしてくれ」
 俺は少しだけ、自分の過去をかいつまんで話した。
「……実は、俺が一ヶ月前に意識を取り戻したのも、あの広間だったんだ。その時は、そこらに転がっていたあの盾だけを持って必死にここへ逃げ込んできた。と言うか、他に出入り口が見当たらなかったんだ。正直どんな危険が潜んでいるか分からない。怖くて行けず、あそこに入るのは、今日が二度目なんだよ」
 外の通路には魔物が徘徊しており、この世界にはスキルやレベルという概念があること。そして、生き抜くための唯一の命綱である『ギフト』のこと。
 雫ちゃんは、ただ黙って、俺の報告に耳を傾けていた。時折、冷たい水を口に含みながら、彼女の瞳には少しずつ現実を受け入れる光が宿っていく。
 それが、俺と彼女の、本当の意味での出会いだった。
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