盾の間違った使い方

KeyBow

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第62話 涙と覚悟の撤退戦

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「いやぁぁぁっ!! 佐東さんッ!!」
​ 私は半狂乱になって、佐東さんの腕を掴んで引っ張っていた。
 重い。ビクともしない。
 数百キロはある巨大な猪の死体が、佐東さんの下半身を完全に押し潰している。
​「動いてよぉ! どいてよぉぉっ!!」
​ 私は泣きじゃくりながら、さらに力を込めて彼の腕――右手に装備された『スパイクシールド』ごとその腕を引いた。
 その時だった。
​ ゴリッ。
​ 嫌な感触が手に伝わった。
 人間の関節が、ありえない方向に引っ張られた時の音。
​「……あっ」
​ ハッとして手元を見る。
 佐東さんの肩が、不自然な形に盛り上がっていた。
 私が……私が無理に引っ張ったせいで、肩が抜けた?
​「ごめんなさい、ごめんなさいっ……!」
​ 私は慌てて手を離した。
 どうしよう。どうすればいいの。
 このままじゃ佐東さんが死んでしまう。圧迫死してしまう。
 でも、私にはこの巨体を動かす筋力なんてない。
​(……なんて言ってた? 佐東さん、最後に……なんて?)
​ パニックで真っ白になりそうな頭を、必死に殴って回想する。
 意識を失う直前、彼は私に何かを伝えようとしていた。
​『……アイ……テム……』
『……しま、え……』
​ アイテム、しまえ。
 アイテム……? しまう……?
​「……あッ!」
​ 電流が走ったように理解した。
 アイテムボックス!
 この猪は、もう「死体」だ。つまり、ただの「アイテム」だ。
 なら、私の魔法で収納できる!
​「私……バカだ……ッ!」
​ なんでこんな基本的なことに気づかなかったの。
 自分の愚かさを呪いながら、私は猪の死体に手を押し当てた。
​「収納(イン)ッ!!」
​ シュンッ。
 空間が歪み、佐東さんを押し潰していた巨大な質量が、一瞬にして亜空間へと消え去った。
​「佐東さん!」
​ 重しが取れた佐東さんの体があらわになる。
 ぐったりとして、動かない。顔色は土気色で、唇も紫になっている。
 私は震える手で杖を握りしめた。
 治さなきゃ。まずは身体を!
​「慈愛の光よ……傷つきし肉体を修復したまえ! ミドルヒール!!」
​ カァァァッ!
 力の限り魔力を込めた光が、佐東さんを包み込む。
 圧迫されていた胸郭が正常な形に戻り、外れていた右肩の骨も、ボコッという音と共に元の位置へ収まった。
 顔色に赤みが戻り、止まりかけていた呼吸が、スースーと安定した寝息に変わる。
​「……よかった……生きてる……」
​ 私はへなへなと座り込んだ。
 でも、まだ終わっていない。
 佐東さんは目を覚まさない。度重なる戦闘と吐血、そして今の圧迫による酸欠で、完全に意識を失っている。
 ここはまだ通路だ。いつ他の魔物が来るか分からない。
 拠点(ホーム)まで運ばなきゃ。
​「……う、ぐぬぬ……ッ!」
​ 私は佐東さんの身体を起こそうとした。
 でも、重い。
 筋肉質な身体に加えて、左腕のL字シールド、右腕のスパイクシールド、そして背中の巨大なタワーシールド。
 フル装備の佐東さんは、私一人で抱えるには重すぎた。
 無理に引きずれば、また怪我をさせてしまうかもしれない。
​(どうやって……どうやって運べば……)
​ 途方に暮れかけた時、ふと『アイテムボックス』の中にある道具を思い出した。
 いつか佐東さんが、「これを持っておけ」と言って渡してくれた登山用のザイル(ロープ)のことだ。
​『万が一のとき、ロープがあれば何かと便利だ』
『例えばどんな時ですか?』
『そうだな……。例えば俺が落とし穴にはまったりしたら、ロープがあれば引き上げられるだろ? 逆に下に降りるときとかさ』
​ あの時は、「そんなドジ踏まないでくださいよ」なんて笑って返したけれど。
 今の状況は、まさにその「万が一」だ。
​(落とし穴から引き上げられるなら……平らな道なら、私でも引っ張れるはず!)
​ 私は急いでロープを取り出した。
​「失礼します……! よっ、と……!」
​ 私は必死になって、うつ伏せの佐東さんをひっくり返し、仰向けにした。
 ゴロン、と鈍い音がする。
 背中に背負っていた『タワーシールド』が下になり、石床と接する形になる。
​「これなら……!」
​ 私は閃いた。
 このタワーシールドは、佐東さんの身体をすっぽり覆うほど大きい。そして、表面は滑らかな金属でできている。
 これなら「ソリ」の代わりになるはず!
​ 私は佐東さんの頭側に回り込んだ。
 タワーシールドの上部には、持ち運びや固定のための頑丈な「取っ手」がついている。
 私は震える指でロープを結び、その取っ手の一つにしっかりとくぐらせて固定した。
 そして、ロープの反対側を輪っかにして、自分の身体にたすき掛けにする。
​「……ふぅ、ふぅ……ッ」
​ 準備はできた。
 私は進行方向――拠点の方角を向き、地面を踏みしめた。
 背中には、私の命の恩人。私のヒーロー。
 このフル装備のヘビー級を、私ひとりで運ばなきゃいけない。
 重いのは覚悟の上だ。歯を食いしばり、全身のバネを使って引っ張る!
​「……いくぞ! よい、しょぉぉぉぉッ!!」
​ 私は掛け声と共に、思いっきり地面を蹴った。
​ スーッ……。
​「……え?」
​ 予想していた「ズズズッ」という重い抵抗感がない。
 拍子抜けするほど軽く、背後の佐東さんが滑らかについてきたのだ。
 私が勢い余ってつんのめりそうになり、慌てて足を止める。
​ スーッ、トン。
​ 私が止まっても、慣性の法則で佐東さんの身体が少しだけ滑り、私の足元で静かに止まった。
​「す、すごい……」
​ 私はまじまじと、佐東さんの背中――今はソリ代わりになっている『タワーシールド』を見つめた。
 ゴツゴツした見た目に反して、その表面は鏡のように滑らかに磨き上げられている。
 きっと、摩擦抵抗を極限まで減らす特殊な表面加工がされているんだわ。
​(さすが佐東さんの装備……。こんな用途(ソリ)にも使えるなんて、高性能すぎる!)
​ 私は感動した。
 これなら、非力な私でも拠点まで運べる!
​「よし……これならいけるッ!」
​ 私は再びロープを握りしめ、今度は軽快な足取りで歩き出した。
 後ろから、スーッ、スーッという滑らかな音がついてくる。
​ ――だが、雫は気づいていなかった。
 いくら摩擦が少ないとはいえ、総重量100キロを超える成人男性と金属鎧の塊を、女子高生が片手で引けるはずがないことに。
 ミノタウロス撃破による大量の経験値。
 それによるレベルアップが、彼女のステータス、特に『筋力(STR)』を劇的に向上させていたことに。
​ 今の彼女なら、ロープなど使わずとも、佐東を軽々と背負ってダッシュすることすら可能だったのだが……。
 本人が「盾の性能のおかげ」と信じ込んでいるため、そのポテンシャルが露見するのは、もう少し先の話である。
​ こうして、勘違い少女による決死の搬送作戦は、意外なほどスムーズに幕を開けたのだった。
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