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第76話 青きドレスの淑女と二ヶ月の怒り
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通されたスイートルームは、無駄に広かった。
ふかふかの絨毯、天蓋付きのベッド、そして窓の外に広がる王都の夜景。
だが、部屋の中央で対峙する俺たちと、聖騎士エレオノールの間には、微妙な空気が流れていた。
「……あの、申し上げにくいのですが」
エレオノールが鼻に手を当てて、少し顔を背けた。
俺も、自分の袖をくんくんと嗅いでみる。
「……くっさ」
自分でも引くほどの悪臭だった。
獣の脂、腐葉土、乾いた血、そして二ヶ月分の汗と垢。ダンジョンの中では感覚が麻痺していたが、こうして清潔な空間に来ると、自分たちが歩くバイオハザードであることがよく分かる。
「お話は、ご入浴された後にしましょう。私も装備を解き、平服に着替えたいですわ」
エレオノールは、窓を開け放ちながら提案した。
「この宿には、大浴場がございます。まずは旅の……いえ、その凄まじい汚れを落としてきてください。着替えはこちらで用意させますので」
「……助かる。正直、限界だった」
「うむ。わしも背中が痒くてかなわん」
「お風呂……! 夢みたいです……!」
俺たちは二つ返事で了承した。
「では、一時間後にまた伺います」
エレオノールは、逃げるように部屋を出て行った。
無理もない。俺なら即座に消臭スプレーを撒くレベルだ。
・
・
・
一時間後。
俺たちは、生まれ変わったような心地で部屋のソファに沈み込んでいた。
「……生き返った……」
大浴場は天国だった。
大量のお湯、石鹸の香り、そして足を伸ばせる湯船。
垢すりで皮膚が一枚剥けたんじゃないかと思うほど身体を洗い流し、髭も剃り、髪も洗った。
用意された服は、肌触りの良い麻のシャツとズボン。サイズもぴったりだ。
雫も、さっぱりした顔で、濡れた髪をタオルで拭いている。薄汚れたワークウェアから、可愛らしいワンピース姿に着替えており、年相応の少女に戻っていた。
「佐東さん、この服、ふわふわです」
「ああ、久しぶりの文明の味だな」
爺さんも、ボロボロのローブを脱ぎ捨て、こざっぱりした老人になっている。
そんな平和な時間を過ごしていると、控えめなノックの音が響いた。
「エレオノールです」
鍵を外してドアを開けると、そこには予想外の姿があった。
聖騎士、エレオノール。
だが、その姿は先程までの「白銀の鎧の騎士」ではなかった。
湯上がりなのだろう。まだ少し湿った赤毛を肩に流し、深い青色のドレスに身を包んでいる。
派手な装飾はないが、上質な生地で仕立てられたその服は、彼女の引き締まった肢体を優雅に包み込んでいた。
足元は武骨なブーツではなく、華奢なヒール。
スカートの裾から覗く脚のラインが、彼女がただの戦士ではなく、一人の女性であることを強烈に意識させた。
「……失礼します」
彼女は少し恥ずかしそうに頬を染めながら、部屋に入ってきた。
俺は思わず目を丸くした。
さっきまでの堅物女騎士と、同一人物とは思えない。このギャップは反則だろう。
「あー……その格好は?」
俺が率直に尋ねると、彼女は自身のスカートの裾を少し摘んで見せた。
「……驚かれましたか? これは地方の領主様にご挨拶する際などに着る、略式の礼服です。鎧は今、手入れに出しておりまして」
「なるほど。てっきり、寝間着で来るかと思ってたよ」
「まさか。これでも公務中ですので」
彼女は苦笑すると、改めて俺たちに向き直った。
そして、スカートの両端を優雅につまみ、片足を引いて、ゆっくりと膝を曲げた。
「改めまして。王都聖騎士団が一人、エレオノール・ヴァン・ガードナーと申します。以後、お見知り置きを」
完璧な、淑女の礼(カーテシー)だった。
背筋は一本の鋼のように伸び、下げた頭の角度、指先の所作に至るまで、一切の無駄がない。それでいて、流れるような優雅さがある。
映画や漫アニメでしか見たことのない、本物の貴族の所作。
そのあまりの美しさと、先程までの武骨な騎士姿との落差に、俺は完全に目を奪われてしまった。
(……すげぇ。本物だ……)
理屈抜きに、美しいものに見惚れてしまう。そんな男の単純な反応だった。
だが、その代償はすぐに支払われた。
「……ぐりっ」
「……んぐっ!?」
テーブルの下で、鋭い痛みが走った。
隣に座る雫が俺の足の甲を容赦なく踏み抜いていたのだ。
見れば、雫はそっぽを向いて、頬をふくらませている。
(……やべ、見とれすぎたか)
俺は冷や汗をかきながら、痛みに耐えた。
エレオノールが顔を上げ、何事もなかったかのように俺たちの向かい側のソファに腰を下ろす。
ドレス姿になっても、その背筋はピンと伸びており、騎士としての矜持を感じさせる。
「部下には席を外させています。ここでの話は、あくまで私個人の『確認』とお考えください」
その声は穏やかだが、瞳の奥には強い意志が宿っていた。
俺も痛みをこらえて姿勢を正す。湯上がりで緩んだ空気が、一気に引き締まる。
「ではサトウ殿、シズク殿。単刀直入にお聞きします」
部屋の空気が、張り詰める。
「あなた方は……異世界より召喚されし『勇者様』ではありませんか?」
勇者? 召喚?
その単語が出た瞬間。
俺の中で、風呂で温まったはずの血液が、急速に冷えていくのを感じた。
「……はっ」
乾いた笑いが漏れた。
俺は、ソファの背もたれに深く体重を預け、天井を仰いだ。
「召喚だと? 笑わせるな」
俺の視線が、ゆっくりとエレオノールに戻る。そこにはもう、ドレス姿の美女に見惚れる男の目はなかった。ナイフのように鋭く、冷たい光だけがあった。
「俺たちが気がついた場所がどこか、知ってるか?」
「え……?」
「死体の山だ。おびただしい数の冒険者の成れの果てと、瀕死のためか休眠中だったドラゴンの前だ」
俺の声は静かだった。
だが、その静けさの中に、この二ヶ月間で溜め込んだ、全ての怒りと理不尽さが凝縮されていた。
「食うものもなく、水もなく、武器などの装備もなく。ただの平服でな」
俺は自分の胸元――今は清潔なシャツだが、数時間前までは血と泥にまみれた作業着だった場所――を指差した。
「それを『召喚』だと言うのか? 『死地への流刑』か、あるいはドラゴンの餌としての『生け贄』の間違いじゃないのか?」
その、魂からの告発。
それは、聖騎士であるエレオノールでさえ、一瞬、気圧されるほどの凄みを持っていた。
彼女は目を見開き、言葉を失っている。
「聞かせろ」
俺は身を乗り出し、彼女の翠色の瞳を射抜いた。
「この国が、俺たちをあんな目に遭わせたのか?」
俺たちの立場は、いつの間にか逆転していた。
尋問されるべき「不審者」は今、この国の王家が行ったであろう非道を糾弾する「被害者」として、その牙を剥いていた。
湯上がりの穏やかな空気は霧散し、部屋には再び、ヒリつくような緊張が満ちていた。
ふかふかの絨毯、天蓋付きのベッド、そして窓の外に広がる王都の夜景。
だが、部屋の中央で対峙する俺たちと、聖騎士エレオノールの間には、微妙な空気が流れていた。
「……あの、申し上げにくいのですが」
エレオノールが鼻に手を当てて、少し顔を背けた。
俺も、自分の袖をくんくんと嗅いでみる。
「……くっさ」
自分でも引くほどの悪臭だった。
獣の脂、腐葉土、乾いた血、そして二ヶ月分の汗と垢。ダンジョンの中では感覚が麻痺していたが、こうして清潔な空間に来ると、自分たちが歩くバイオハザードであることがよく分かる。
「お話は、ご入浴された後にしましょう。私も装備を解き、平服に着替えたいですわ」
エレオノールは、窓を開け放ちながら提案した。
「この宿には、大浴場がございます。まずは旅の……いえ、その凄まじい汚れを落としてきてください。着替えはこちらで用意させますので」
「……助かる。正直、限界だった」
「うむ。わしも背中が痒くてかなわん」
「お風呂……! 夢みたいです……!」
俺たちは二つ返事で了承した。
「では、一時間後にまた伺います」
エレオノールは、逃げるように部屋を出て行った。
無理もない。俺なら即座に消臭スプレーを撒くレベルだ。
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一時間後。
俺たちは、生まれ変わったような心地で部屋のソファに沈み込んでいた。
「……生き返った……」
大浴場は天国だった。
大量のお湯、石鹸の香り、そして足を伸ばせる湯船。
垢すりで皮膚が一枚剥けたんじゃないかと思うほど身体を洗い流し、髭も剃り、髪も洗った。
用意された服は、肌触りの良い麻のシャツとズボン。サイズもぴったりだ。
雫も、さっぱりした顔で、濡れた髪をタオルで拭いている。薄汚れたワークウェアから、可愛らしいワンピース姿に着替えており、年相応の少女に戻っていた。
「佐東さん、この服、ふわふわです」
「ああ、久しぶりの文明の味だな」
爺さんも、ボロボロのローブを脱ぎ捨て、こざっぱりした老人になっている。
そんな平和な時間を過ごしていると、控えめなノックの音が響いた。
「エレオノールです」
鍵を外してドアを開けると、そこには予想外の姿があった。
聖騎士、エレオノール。
だが、その姿は先程までの「白銀の鎧の騎士」ではなかった。
湯上がりなのだろう。まだ少し湿った赤毛を肩に流し、深い青色のドレスに身を包んでいる。
派手な装飾はないが、上質な生地で仕立てられたその服は、彼女の引き締まった肢体を優雅に包み込んでいた。
足元は武骨なブーツではなく、華奢なヒール。
スカートの裾から覗く脚のラインが、彼女がただの戦士ではなく、一人の女性であることを強烈に意識させた。
「……失礼します」
彼女は少し恥ずかしそうに頬を染めながら、部屋に入ってきた。
俺は思わず目を丸くした。
さっきまでの堅物女騎士と、同一人物とは思えない。このギャップは反則だろう。
「あー……その格好は?」
俺が率直に尋ねると、彼女は自身のスカートの裾を少し摘んで見せた。
「……驚かれましたか? これは地方の領主様にご挨拶する際などに着る、略式の礼服です。鎧は今、手入れに出しておりまして」
「なるほど。てっきり、寝間着で来るかと思ってたよ」
「まさか。これでも公務中ですので」
彼女は苦笑すると、改めて俺たちに向き直った。
そして、スカートの両端を優雅につまみ、片足を引いて、ゆっくりと膝を曲げた。
「改めまして。王都聖騎士団が一人、エレオノール・ヴァン・ガードナーと申します。以後、お見知り置きを」
完璧な、淑女の礼(カーテシー)だった。
背筋は一本の鋼のように伸び、下げた頭の角度、指先の所作に至るまで、一切の無駄がない。それでいて、流れるような優雅さがある。
映画や漫アニメでしか見たことのない、本物の貴族の所作。
そのあまりの美しさと、先程までの武骨な騎士姿との落差に、俺は完全に目を奪われてしまった。
(……すげぇ。本物だ……)
理屈抜きに、美しいものに見惚れてしまう。そんな男の単純な反応だった。
だが、その代償はすぐに支払われた。
「……ぐりっ」
「……んぐっ!?」
テーブルの下で、鋭い痛みが走った。
隣に座る雫が俺の足の甲を容赦なく踏み抜いていたのだ。
見れば、雫はそっぽを向いて、頬をふくらませている。
(……やべ、見とれすぎたか)
俺は冷や汗をかきながら、痛みに耐えた。
エレオノールが顔を上げ、何事もなかったかのように俺たちの向かい側のソファに腰を下ろす。
ドレス姿になっても、その背筋はピンと伸びており、騎士としての矜持を感じさせる。
「部下には席を外させています。ここでの話は、あくまで私個人の『確認』とお考えください」
その声は穏やかだが、瞳の奥には強い意志が宿っていた。
俺も痛みをこらえて姿勢を正す。湯上がりで緩んだ空気が、一気に引き締まる。
「ではサトウ殿、シズク殿。単刀直入にお聞きします」
部屋の空気が、張り詰める。
「あなた方は……異世界より召喚されし『勇者様』ではありませんか?」
勇者? 召喚?
その単語が出た瞬間。
俺の中で、風呂で温まったはずの血液が、急速に冷えていくのを感じた。
「……はっ」
乾いた笑いが漏れた。
俺は、ソファの背もたれに深く体重を預け、天井を仰いだ。
「召喚だと? 笑わせるな」
俺の視線が、ゆっくりとエレオノールに戻る。そこにはもう、ドレス姿の美女に見惚れる男の目はなかった。ナイフのように鋭く、冷たい光だけがあった。
「俺たちが気がついた場所がどこか、知ってるか?」
「え……?」
「死体の山だ。おびただしい数の冒険者の成れの果てと、瀕死のためか休眠中だったドラゴンの前だ」
俺の声は静かだった。
だが、その静けさの中に、この二ヶ月間で溜め込んだ、全ての怒りと理不尽さが凝縮されていた。
「食うものもなく、水もなく、武器などの装備もなく。ただの平服でな」
俺は自分の胸元――今は清潔なシャツだが、数時間前までは血と泥にまみれた作業着だった場所――を指差した。
「それを『召喚』だと言うのか? 『死地への流刑』か、あるいはドラゴンの餌としての『生け贄』の間違いじゃないのか?」
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それは、聖騎士であるエレオノールでさえ、一瞬、気圧されるほどの凄みを持っていた。
彼女は目を見開き、言葉を失っている。
「聞かせろ」
俺は身を乗り出し、彼女の翠色の瞳を射抜いた。
「この国が、俺たちをあんな目に遭わせたのか?」
俺たちの立場は、いつの間にか逆転していた。
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