【完結】烏公爵の後妻〜旦那様は亡き前妻を想い、一生喪に服すらしい〜

七瀬菜々

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ifの世界線のお話

7:分岐(2)

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 ハディスに『勝手にシャロンを連れ帰らない』という条件を出されたサイモンは、その条件を飲み、公爵邸へと急いだ。
 何も知らない行き交う人の笑い声が神経を逆撫でする。
 途中の信号機が青に変わるまでの僅かな時間さえも惜しく、焦れば焦るほど公爵邸はずっと遠くに感じた。

 公爵邸の正門前に着いた彼は門番の静止も押し切り、公爵家自慢の庭園を突っ切ると、勢いよく玄関の扉を開ける。
 中で仕事をしていたメイドたちは突然の彼の登場に驚き、騒ぎ始めた。
 サイモンは近くにいたシノアを捕まえると、早口で「お嬢はどこか」と捲し立てる。
 突然のことに混乱する彼女はうまく言葉が出てこない。

「いかがなさいましたか、サイモン殿」

 騒ぎを聞きつけたセバスチャンは急いでサイモンの元に駆けつけ、シノアを後ろに下がらせた。
 彼はサイモンを奥方の友人として認めてはいるが、流石にこのような急な訪問に身勝手な振る舞いは看過できない。
 どうしたのと問うその声には、非難の色が含まれていた。

 しかしサイモンは今度は彼に掴みかかると、シャロンは今どこにいるのかと問いただす。

「奥様は今、研究室にいらっしゃいますが」
「案内してくれ」
「事情をご説明していただかねばご案内は致しかねます」
「お嬢が死ぬかもしれない」
「はい?」
「詳しくは後で説明する。違っていたら罰してくれて構わない。頼む」

 サイモンの剣幕に、流石に只事ではないことを感じ取ったセバスチャンはとりあえず研究室へと案内することにした。

「シノア、ご案内して差し上げなさい。君の方が足が速い」
「わかりました!こちらです!」

 シノアはセバスチャンの指示通り、サイモンを案内する。
 中央の螺旋階段を一段飛ばしで駆け上がると、長い廊下を進み、途中の通路を左へ曲がる。

「こ、ここです」

 その先にあった部屋の扉を、シノアはコンコンとノックする。
 しかし返事はない。
 仕方なくドアノブに手をかけるが、鍵がかかっていた。

「あれ?いらっしゃらないのかな?」

 首を傾げたシノアは、後ろから息を切らせながら着いてきているセバスチャンに声をかける。

「奥様はこちらではないのでしょうか?」
「いや、そんなことは…」

 セバスチャンは確かにここにいるはずだと言った。
 するとサイモンは2人に少し下がっているように言い、思い切り扉を蹴破った。

「ちょ!?」
「サ、サイモン殿!?」

 ウィンターソン公爵の邸の扉を平民が蹴破るなど、とんでもない暴挙だ。
 だが、セバスチャンの非難の声は彼には届かない。

「え?サ、サイモン…?」

 室内にいたシャロンは驚いたように目を見開いた。
 そして驚いて手元が滑ったのか、彼女は手に持っていた小瓶を落とした。
 その小瓶はコロコロと転がり、サイモンの足元まで運ばれる。

 彼は静かにそれを拾い上げ、握りしめる。

「ど、どうしたの?急に…」

 サイモンが顔を上げてシャロンを睨みつけると、彼女は何かを誤魔化すような下手くそな笑みを浮かべた。
 彼女のその笑顔でサイモンは自分の推測が推測でないことを悟る。

「これ、何ですか?」

 自分の手の中にある小瓶について、サイモンは尋ねた。
 地を這うような低い声にシャロンはビクッと肩を硬らせる。

「そ、それは、その、風邪薬よ。最近調子が悪くて」
「そうですか。俺も調子が悪いんでもらってもいいですか?」
「…え?」

 サイモンはシャロンの返事も待たずに小瓶の蓋を開ける。
 小瓶の中から漂う明らかな異臭に、彼は顔を顰めた。

「だ、だめ!!」

 シャロンは小瓶の中身を飲もうとするサイモンに突進した。彼はその衝撃で尻餅をつく。
 手に持っていた小瓶は床に落ち、中身は床に溢れた。
 後ろで呆然としているシノアとセバスチャンは訳がわからずにキョトンとしていた。


「シノアさん。すぐに拭くものと、後、できれば消毒用のアルコールを持ってきてくれませんか」
「は、はい」
「セバスチャンさん、人払いを」
「かしこまりました」

 シノアは言われるがままに雑巾と消毒用アルコールと取りに行く。セバスチャンは辺りにいたメイドに、適当な理由をつけてしばらく実験室に近づくなと伝えた。


 サイモンは床に両手をつき、俯いた状態で呆然としているシャロンの頬を軽く叩いた。

「…何してんですか」
「…ご、ごめんなさい」
「謝罪が聞きたい訳じゃない。どういうつもりでこれを作ったのかと聞いてるんです」
「…だって、だって…もう、疲れた。疲れたの…」

 ぽたり、ぽたりと水滴が落ち、床の絨毯を濡らす。
 シャロンは目を見開いたまま、ただ『もう疲れた』と繰り返した。

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