【完結】アッシュフォード男爵夫人-愛されなかった令嬢は妹の代わりに辺境へ嫁ぐ-

七瀬菜々

文字の大きさ
10 / 149
第一章 輪廻の滝で

9:歓迎のイノシシ

しおりを挟む
 アッシュフォードのお屋敷は、大貴族の屋敷しか見てきていないアイシャにとってはかなりこじんまりとした邸宅だった。
 しかし正門をくぐった先にあるアーチや、その周辺の庭はよく手入れされており、大変美しかった。それこそ春になるのが待ち遠しく感じるほどに。

「ようこそおいでくださいました」

 馬車を降りたアイシャを出迎えたのはオリーブブラウンの長い髪を後ろで一つにまとめた、笑顔が爽やかな青年だった。服装からしておそらくこの屋敷の執事だろう。テオドールと名乗った彼は、その珍しい深紅の瞳を細めてアイシャに歓迎の言葉を伝えた。
 そして同じように彼の後ろにいる10名ほどのメイドやフットマンも、深々と頭を下げてアイシャを歓迎した、のだが……。

「……?」

 若干、彼らの笑顔が引き攣っているようにも見えるのは気のせいだろうか。

(歓迎されていない?)

 アイシャは一気に不安になった。
 主人が望んでいない結婚だ。押し付けられるようにして嫁いできた女を使用人が受け入れられないのはよくある事。この屋敷で快適に過ごすためには彼らの心を掴む必要がある。アイシャは不安から小さくため息をこぼした。
 すると主人の不安を感じ取ったのか、後ろで控えていたランがそっと手を握って無言のエールを送った。
 ギュッと握られた手は少し冷たく、けれど唯一絶対の味方がいるという心強さをアイシャに与えた?

(……そうね、ラン。弱気になってはいけないわ。頑張ると決めたじゃない!)

 アイシャはランの手を握り返し、決心したように顔を上げると、目の前の柔らかく微笑みかけた。

「本日よりお世話になります、アイシャ・ブランチェットです。まだまだ若輩者ですが、どうぞよろしくお願いしますね」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。我々使用人一同は奥様がお越しになられるのを首を長くして待っていたんですよ」
「私もこの地に来ることができて、とても嬉しいです」
「そう言っていただけるとは、光栄です」
「……あ、こちらは私についてきてくれた専属メイドのランです」
「よ、よろしくお願いします」
「はい、よろしくお願いしますね。ランさん」
「……」
「……」
「……」
「えーっと……、今日は晴れて良かったですね?」
「そう、ですね……。ははっ……」

 爽やかに挨拶を交わすも徐々に話題に詰まる。妙な沈黙がここにいる全員を気まずくさせた。
 はてさて、どうすべきなのか。
 結婚など初めてなので何が正解なのかはわからないが、多分流れ的にはこの後、騎士団に別れを告げてこのテオドールという男に邸宅内を案内してもらえるだろう。しかしアイシャにはその前に会わねばならない人物がいるはずで……。
 アイシャはその気まずい沈黙の中、軽くあたりを見渡し、この場所にいるべきはずの人間を探した。

 だが、いない。

 出迎えられた時から薄々感じていた違和感はこのせいだったようだ。そしてテオドールの額に冷や汗が滲んでいるのも、おそらくそのせいだろう。

(これは言っても良いの?それとも言わないべきなの?)

 これがアッシュフォード流の出迎えなのかとも考え、アイシャは助けを求めるように振り向いたが、背後に控える護衛の騎士たちは皆揃ってアイシャから視線を逸らした。
 彼らの反応を見るに、やはりこの状況は普通ではないらしい。

「……あの、テオドールさん?」
「呼び捨てで構いません。ぜひ、テオとお呼びください」
「ええ、わかったわ。では、テオ。ひとつ聞いても良いかしら」
「……はい、なんでしょう」
「男爵様はどちらに?」
「……」

 そう聞いた途端、テオドールの顔からサアッと血の気が引いた。
 その反応はどう見ても、この場に彼がいないことがおかしいという事を示していた。 
 では、なぜこの場に彼がいないのか。急用、急病……、色々考えられなくもないが、おそらくは……。

(イアン・ダドリーは私を歓迎していない、ということかしら)

 出迎えないということは、歓迎していないということ。この結婚に納得していないということ。
 アイシャはそう考えた。そう考えるの一番が自然だからだ。
 そもそもの話、イアン・ダドリーは貴族となってまだ二年。やらねばならないこと、学ばねばならないことが多すぎる彼はまだ妻を必要としていなかったはずだ。
 それなのに突然、皇帝から側近の娘を押し付けられた上に、それが当初約束していた『帝国一の美女』ではなくその姉の地味な女と言われたら腹も立つだろう。
 アイシャは仕方がないと思いつつも、少し寂しそうに目を細めた。

「あ、あの……」
「大丈夫よ、テオ」
「お、奥様?」
「わかっています。この結婚は色んな人の思惑が産んだ悲劇。男爵様もご納得されていないのでしょう?」
「え!?」
「しかし残念なことに、もう私が彼の妻となることを覆すことはできない。だから私はこれから少しずつでも、男爵様に認めていただけるように頑張るわ。私、頑張るのは得意なの」
「ち、ちが……」

 アイシャはそう言って笑顔を作る。
 彼女がとんでもない誤解をしていることに気がついたテオドールは訂正しようと大きく首を横に振った。
 しかしその時、後ろに控えていた護衛たちが何故かザワザワとし始め、そして振り返る間もなく、突如として現れた大きな影がアイシャを呑み込んだ。
 
「……は?」
「え?」

 テオドールはアイシャの後方を見上げ、口をあんぐりと開けて固まってしまった。
 アイシャはキョトンとしながら振り返る。
 獣のような形の影に獣の匂い。何だか嫌な予感しかしないが……。

「出迎えるつもりだったが、間に合わなかったか……。申し訳ない。アッシュフォードへようこそ、アイシャ嬢」

 振り返ったアイシャの目の前にいたのは大きなイノシシの死体を担いだ、黒髪に金色の瞳の……、熊のような大男。
 イノシシから滴る血が、彼の白いシャツを赤く染めていて、何というか、多分魔族ってこんな姿をしているのだろうなと思えた。

「……き」
「き?」
「き、き……、きゃああ!?」
「え!? あ、おい!!」

 心が荒んでいようとも生粋のお嬢様。温室育ちのアイシャは、当然の如くこんなイノシシの死骸など見たこともないわけで……。


 彼女はその場で気絶した。



 
しおりを挟む
感想 211

あなたにおすすめの小説

突然決められた婚約者は人気者だそうです。押し付けられたに違いないので断ってもらおうと思います。

橘ハルシ
恋愛
 ごくごく普通の伯爵令嬢リーディアに、突然、降って湧いた婚約話。相手は、騎士団長の叔父の部下。侍女に聞くと、どうやら社交界で超人気の男性らしい。こんな釣り合わない相手、絶対に叔父が権力を使って、無理強いしたに違いない!  リーディアは相手に遠慮なく断ってくれるよう頼みに騎士団へ乗り込むが、両親も叔父も相手のことを教えてくれなかったため、全く知らない相手を一人で探す羽目になる。  怪しい変装をして、騎士団内をうろついていたリーディアは一人の青年と出会い、そのまま一緒に婚約者候補を探すことに。  しかしその青年といるうちに、リーディアは彼に好意を抱いてしまう。 全21話(本編20話+番外編1話)です。

虐げられた令嬢は、姉の代わりに王子へ嫁ぐ――たとえお飾りの妃だとしても

千堂みくま
恋愛
「この卑しい娘め、おまえはただの身代わりだろうが!」 ケルホーン伯爵家に生まれたシーナは、ある理由から義理の家族に虐げられていた。シーナは姉のルターナと瓜二つの顔を持ち、背格好もよく似ている。姉は病弱なため、義父はシーナに「ルターナの代わりに、婚約者のレクオン王子と面会しろ」と強要してきた。二人はなんとか支えあって生きてきたが、とうとうある冬の日にルターナは帰らぬ人となってしまう。「このお金を持って、逃げて――」ルターナは最後の力で屋敷から妹を逃がし、シーナは名前を捨てて別人として暮らしはじめたが、レクオン王子が迎えにやってきて……。○第15回恋愛小説大賞に参加しています。もしよろしければ応援お願いいたします。

侯爵令嬢リリアンは(自称)悪役令嬢である事に気付いていないw

さこの
恋愛
「喜べリリアン! 第一王子の婚約者候補におまえが挙がったぞ!」  ある日お兄様とサロンでお茶をしていたらお父様が突撃して来た。 「良かったな! お前はフレデリック殿下のことを慕っていただろう?」  いえ! 慕っていません!  このままでは父親と意見の相違があるまま婚約者にされてしまう。  どうしようと考えて出した答えが【悪役令嬢に私はなる!】だった。  しかしリリアンは【悪役令嬢】と言う存在の解釈の仕方が……  *設定は緩いです  

婚約白紙?上等です!ローゼリアはみんなが思うほど弱くない!

志波 連
恋愛
伯爵令嬢として生まれたローゼリア・ワンドは婚約者であり同じ家で暮らしてきたひとつ年上のアランと隣国から留学してきた王女が恋をしていることを知る。信じ切っていたアランとの未来に決別したローゼリアは、友人たちの支えによって、自分の道をみつけて自立していくのだった。 親たちが子供のためを思い敷いた人生のレールは、子供の自由を奪い苦しめてしまうこともあります。自分を見つめ直し、悩み傷つきながらも自らの手で人生を切り開いていく少女の成長物語です。 本作は小説家になろう及びツギクルにも投稿しています。

王女殿下のモラトリアム

あとさん♪
恋愛
「君は彼の気持ちを弄んで、どういうつもりなんだ?!この悪女が!」 突然、怒鳴られたの。 見知らぬ男子生徒から。 それが余りにも突然で反応できなかったの。 この方、まさかと思うけど、わたくしに言ってるの? わたくし、アンネローゼ・フォン・ローリンゲン。花も恥じらう16歳。この国の王女よ。 先日、学園内で突然無礼者に絡まれたの。 お義姉様が仰るに、学園には色んな人が来るから、何が起こるか分からないんですって! 婚約者も居ない、この先どうなるのか未定の王女などつまらないと思っていたけれど、それ以来、俄然楽しみが増したわ♪ お義姉様が仰るにはピンクブロンドのライバルが現れるそうなのだけど。 え? 違うの? ライバルって縦ロールなの? 世間というものは、なかなか複雑で一筋縄ではいかない物なのですね。 わたくしの婚約者も学園で捕まえる事が出来るかしら? この話は、自分は平凡な人間だと思っている王女が、自分のしたい事や好きな人を見つける迄のお話。 ※設定はゆるんゆるん ※ざまぁは無いけど、水戸○門的なモノはある。 ※明るいラブコメが書きたくて。 ※シャティエル王国シリーズ3作目! ※過去拙作『相互理解は難しい(略)』の12年後、 『王宮勤めにも色々ありまして』の10年後の話になります。 上記未読でも話は分かるとは思いますが、お読みいただくともっと面白いかも。 ※ちょいちょい修正が入ると思います。誤字撲滅! ※小説家になろうにも投稿しました。

忘れられた幼な妻は泣くことを止めました

帆々
恋愛
アリスは十五歳。王国で高家と呼ばれるう高貴な家の姫だった。しかし、家は貧しく日々の暮らしにも困窮していた。 そんな時、アリスの父に非常に有利な融資をする人物が現れた。その代理人のフーは巧みに父を騙して、莫大な借金を負わせてしまう。 もちろん返済する目処もない。 「アリス姫と我が主人との婚姻で借財を帳消しにしましょう」 フーの言葉に父は頷いた。アリスもそれを責められなかった。家を守るのは父の責務だと信じたから。 嫁いだドリトルン家は悪徳金貸しとして有名で、アリスは邸の厳しいルールに従うことになる。フーは彼女を監視し自由を許さない。そんな中、夫の愛人が邸に迎え入れることを知る。彼女は庭の隅の離れ住まいを強いられているのに。アリスは嘆き悲しむが、フーに強く諌められてうなだれて受け入れた。 「ご実家への援助はご心配なく。ここでの悪くないお暮らしも保証しましょう」 そういう経緯を仲良しのはとこに打ち明けた。晩餐に招かれ、久しぶりに心の落ち着く時間を過ごした。その席にははとこ夫妻の友人のロエルもいて、彼女に彼の掘った珍しい鉱石を見せてくれた。しかし迎えに現れたフーが、和やかな夜をぶち壊してしまう。彼女を庇うはとこを咎め、フーの無礼を責めたロエルにまで痛烈な侮蔑を吐き捨てた。 厳しい婚家のルールに縛られ、アリスは外出もままならない。 それから五年の月日が流れ、ひょんなことからロエルに再会することになった。金髪の端正な紳士の彼は、彼女に問いかけた。 「お幸せですか?」 アリスはそれに答えられずにそのまま別れた。しかし、その言葉が彼の優しかった印象と共に尾を引いて、彼女の中に残っていく_______。 世間知らずの高貴な姫とやや強引な公爵家の子息のじれじれなラブストーリーです。 古風な恋愛物語をお好きな方にお読みいただけますと幸いです。 ハッピーエンドを心がけております。読後感のいい物語を努めます。 ※小説家になろう様にも投稿させていただいております。

【完結】どうやら時戻りをしました。

まるねこ
恋愛
ウルダード伯爵家は借金地獄に陥り、借金返済のため泣く泣く嫁いだ先は王家の闇を担う家。 辛い日々に耐えきれずモアは自らの命を断つ。 時戻りをした彼女は同じ轍を踏まないと心に誓う。 ※前半激重です。ご注意下さい Copyright©︎2023-まるねこ

政略結婚した旦那様に「貴女を愛することはない」と言われたけど、猫がいるから全然平気

ハルイロ
恋愛
皇帝陛下の命令で、唐突に決まった私の結婚。しかし、それは、幸せとは程遠いものだった。 夫には顧みられず、使用人からも邪険に扱われた私は、与えられた粗末な家に引きこもって泣き暮らしていた。そんな時、出会ったのは、1匹の猫。その猫との出会いが私の運命を変えた。 猫達とより良い暮らしを送るために、夫なんて邪魔なだけ。それに気付いた私は、さっさと婚家を脱出。それから数年、私は、猫と好きなことをして幸せに過ごしていた。 それなのに、なぜか態度を急変させた夫が、私にグイグイ迫ってきた。 「イヤイヤ、私には猫がいればいいので、旦那様は今まで通り不要なんです!」 勘違いで妻を遠ざけていた夫と猫をこよなく愛する妻のちょっとずれた愛溢れるお話

処理中です...