【完結】アッシュフォード男爵夫人-愛されなかった令嬢は妹の代わりに辺境へ嫁ぐ-

七瀬菜々

文字の大きさ
34 / 149
第二章 マリーナフカの棺とハルの妖精

1:アッシュフォードの冬(1)

しおりを挟む
 アッシュフォードはその地形から、冬になると他領との行き来が困難になる。
 故に、通行者の安全を保証できないからと本格的に雪が降り始める前には、他領に通じる全ての関所の門を閉じられるのだが、本当の理由は他にもあった。



「哨戒に出ていた部隊からの報告です。投石機らしき物が確認されましたっ!」

 アイシャがアッシュフォードの地を踏んでから10日程が過ぎた日の朝。
 半分寝たままのイアンの頭を報告書の束で張り倒し、テオドールはそう宣言した。
 イアンは後頭部を押さえ、抗議の眼差しを彼に向ける。

「…………台数は?」
「とりあえず目視で2台。完成間近なようですが、どうします?」
「こちらから手を出すと面倒なんだがなぁ。かと言って放っておくわけにもいかんし……」
「潰しますか?」
「そんな簡単にいうなよ。潰したらまた始まるだろう、冬が」
「潰さなくとも始まりますけどね、冬は」
「はあ……。まあ完成すると面倒だし、潰しとくか……」
「ですね。はあ……」

 顔を見合わせた二人は大きなため息をこぼした。
 そう、アッシュフォードが冬になると自ら門を閉じて孤立する理由は、寒さが厳しいからだけではない。未だ魔族の襲撃があるからだ。
 彼らは冬になると必ず、こちらに来ようとする。おそらくは食糧を求めているのだろう。
 アッシュフォードは彼らが南下作戦を決行するたびに、応戦してきた。
 公式的に戦争の犠牲者とならない犠牲が今もこの地からは出ており、多くの人が他領に移り住んだ。
 幸いにも周辺の領地から大量の支援物資は届くため、今まではなんとかギリギリのところで攻防を続けられていたのだが、正直それもいつまで持つかわからない。 
 魔族が恐ろしいのか、何度報告をあげても、すでに戦争は終わったとして皇室は現実を見ようとせず。
 イアンとアッシュフォードの民の、義務感と正義感によってかろうじて守られているこの国境はいつ崩壊してもおかしくはない。
 

「門は?そろそろか?」
「はい、奥様がお越しになるタイミングで子爵家の志願兵はこちらに入りましたし、支援物資も全て運び込まれています。物好きな傭兵たちも結構前に来てますね。一昨日から来ている隊商は今朝引き上げましたし……、あとはマダム・キャロルが最後かと」
「里帰りしていた奴らは戻ったのか?」
「昨夜、最後だったリズベットら7名が関所を通過したことを確認しました」
「そうか、わかった」
「ちなみに、リズベットは何やら不機嫌だそうです」
「知らねーよ。アイシャに出くわす前にあいつに礼儀を叩き込んどけよ」
「旦那様の結婚話を聞いたその日から指導はしています。ただ成長は見られません」
「最悪だな、おい」

 ただでさえ頭が痛いのに、爆弾娘が帰ってくるとなり、イアンはさらに痛みが増す額を抑えて項垂れた。


「あのー、よろしいでしょうか?」

 二人が今後について頭を悩ませていると、アイシャが執務室を訪れた。
 ひょっこりと扉の隙間から顔を出す彼女は、おさげ髪にブルースターの髪飾りをつけている。
 それはアイシャには内緒で、マダムから追加で買ったものだ。
 イアンはやっぱりよく似合うと、選んだ自分を心の中で褒めた。

「どうした?」
「マダムがお帰りになるそうです」
「もう?泊まっていけばいいのに」
「私もそう言ったのですが、マダムが関所の門を閉じねばならないから急ぐと」

 急なお願いにも関わらず、休みなしでここまで来てくれたのだから、少しくらいゆっくりすればいいのに。アイシャは不思議そうに首を傾げた。

「門はそんなに急ぐのですか?」
「いえ、一日二日くらいなら待てますよ。もしかしたら、マダムは急ぎの用事があったのかもしれませんね」
「そうなのかしら」
「とりあえず、見送りに行こう。マダムはもう出るのだろう?」
「はい、下におられます」
「では行こうか」

 イアンは机に広げられていた報告書を隠すように裏返し、部屋を出た。
 ちなみに、彼が部屋の外で『俺の一押し』を着たアイシャを褒め称え、彼女を赤面させたのは言うまでもない。

 *

「わざわざお見送り、ありがとうございます。男爵様」
「いや、こちらこそ急なお願いだったのに、ありがとう。感謝する」
「帰りもどうかお気をつけて」
「ありがとうございます、奥様。帰りにエレノア子爵夫人のところに寄る予定なのですが、何かお伝えしておくことはありますか?」
「そうですね……」

 叔母に伝えたいこと、と言われると山ほどあるのだが。
 アイシャはチラリとイアンの方を見上げ、ジッと見つめた。
 イアンは少し頬を染め、不思議そうに彼女を見下ろす。するとアイシャは彼の手をさりげなく、キュッと握った。

「えっ!?アイシャ?」
「叔母様と叔父様には、アイシャは幸せにやっているとお伝えいただけますか?」
「ふふっ。かしこまりましたわ」

 繋がれた手を見て、マダムは嬉しそうに微笑んだ。
 きっとその光景はあの優しい夫妻が心から望んでいた光景だろう。
しおりを挟む
感想 211

あなたにおすすめの小説

突然決められた婚約者は人気者だそうです。押し付けられたに違いないので断ってもらおうと思います。

橘ハルシ
恋愛
 ごくごく普通の伯爵令嬢リーディアに、突然、降って湧いた婚約話。相手は、騎士団長の叔父の部下。侍女に聞くと、どうやら社交界で超人気の男性らしい。こんな釣り合わない相手、絶対に叔父が権力を使って、無理強いしたに違いない!  リーディアは相手に遠慮なく断ってくれるよう頼みに騎士団へ乗り込むが、両親も叔父も相手のことを教えてくれなかったため、全く知らない相手を一人で探す羽目になる。  怪しい変装をして、騎士団内をうろついていたリーディアは一人の青年と出会い、そのまま一緒に婚約者候補を探すことに。  しかしその青年といるうちに、リーディアは彼に好意を抱いてしまう。 全21話(本編20話+番外編1話)です。

虐げられた令嬢は、姉の代わりに王子へ嫁ぐ――たとえお飾りの妃だとしても

千堂みくま
恋愛
「この卑しい娘め、おまえはただの身代わりだろうが!」 ケルホーン伯爵家に生まれたシーナは、ある理由から義理の家族に虐げられていた。シーナは姉のルターナと瓜二つの顔を持ち、背格好もよく似ている。姉は病弱なため、義父はシーナに「ルターナの代わりに、婚約者のレクオン王子と面会しろ」と強要してきた。二人はなんとか支えあって生きてきたが、とうとうある冬の日にルターナは帰らぬ人となってしまう。「このお金を持って、逃げて――」ルターナは最後の力で屋敷から妹を逃がし、シーナは名前を捨てて別人として暮らしはじめたが、レクオン王子が迎えにやってきて……。○第15回恋愛小説大賞に参加しています。もしよろしければ応援お願いいたします。

侯爵令嬢リリアンは(自称)悪役令嬢である事に気付いていないw

さこの
恋愛
「喜べリリアン! 第一王子の婚約者候補におまえが挙がったぞ!」  ある日お兄様とサロンでお茶をしていたらお父様が突撃して来た。 「良かったな! お前はフレデリック殿下のことを慕っていただろう?」  いえ! 慕っていません!  このままでは父親と意見の相違があるまま婚約者にされてしまう。  どうしようと考えて出した答えが【悪役令嬢に私はなる!】だった。  しかしリリアンは【悪役令嬢】と言う存在の解釈の仕方が……  *設定は緩いです  

婚約白紙?上等です!ローゼリアはみんなが思うほど弱くない!

志波 連
恋愛
伯爵令嬢として生まれたローゼリア・ワンドは婚約者であり同じ家で暮らしてきたひとつ年上のアランと隣国から留学してきた王女が恋をしていることを知る。信じ切っていたアランとの未来に決別したローゼリアは、友人たちの支えによって、自分の道をみつけて自立していくのだった。 親たちが子供のためを思い敷いた人生のレールは、子供の自由を奪い苦しめてしまうこともあります。自分を見つめ直し、悩み傷つきながらも自らの手で人生を切り開いていく少女の成長物語です。 本作は小説家になろう及びツギクルにも投稿しています。

王女殿下のモラトリアム

あとさん♪
恋愛
「君は彼の気持ちを弄んで、どういうつもりなんだ?!この悪女が!」 突然、怒鳴られたの。 見知らぬ男子生徒から。 それが余りにも突然で反応できなかったの。 この方、まさかと思うけど、わたくしに言ってるの? わたくし、アンネローゼ・フォン・ローリンゲン。花も恥じらう16歳。この国の王女よ。 先日、学園内で突然無礼者に絡まれたの。 お義姉様が仰るに、学園には色んな人が来るから、何が起こるか分からないんですって! 婚約者も居ない、この先どうなるのか未定の王女などつまらないと思っていたけれど、それ以来、俄然楽しみが増したわ♪ お義姉様が仰るにはピンクブロンドのライバルが現れるそうなのだけど。 え? 違うの? ライバルって縦ロールなの? 世間というものは、なかなか複雑で一筋縄ではいかない物なのですね。 わたくしの婚約者も学園で捕まえる事が出来るかしら? この話は、自分は平凡な人間だと思っている王女が、自分のしたい事や好きな人を見つける迄のお話。 ※設定はゆるんゆるん ※ざまぁは無いけど、水戸○門的なモノはある。 ※明るいラブコメが書きたくて。 ※シャティエル王国シリーズ3作目! ※過去拙作『相互理解は難しい(略)』の12年後、 『王宮勤めにも色々ありまして』の10年後の話になります。 上記未読でも話は分かるとは思いますが、お読みいただくともっと面白いかも。 ※ちょいちょい修正が入ると思います。誤字撲滅! ※小説家になろうにも投稿しました。

忘れられた幼な妻は泣くことを止めました

帆々
恋愛
アリスは十五歳。王国で高家と呼ばれるう高貴な家の姫だった。しかし、家は貧しく日々の暮らしにも困窮していた。 そんな時、アリスの父に非常に有利な融資をする人物が現れた。その代理人のフーは巧みに父を騙して、莫大な借金を負わせてしまう。 もちろん返済する目処もない。 「アリス姫と我が主人との婚姻で借財を帳消しにしましょう」 フーの言葉に父は頷いた。アリスもそれを責められなかった。家を守るのは父の責務だと信じたから。 嫁いだドリトルン家は悪徳金貸しとして有名で、アリスは邸の厳しいルールに従うことになる。フーは彼女を監視し自由を許さない。そんな中、夫の愛人が邸に迎え入れることを知る。彼女は庭の隅の離れ住まいを強いられているのに。アリスは嘆き悲しむが、フーに強く諌められてうなだれて受け入れた。 「ご実家への援助はご心配なく。ここでの悪くないお暮らしも保証しましょう」 そういう経緯を仲良しのはとこに打ち明けた。晩餐に招かれ、久しぶりに心の落ち着く時間を過ごした。その席にははとこ夫妻の友人のロエルもいて、彼女に彼の掘った珍しい鉱石を見せてくれた。しかし迎えに現れたフーが、和やかな夜をぶち壊してしまう。彼女を庇うはとこを咎め、フーの無礼を責めたロエルにまで痛烈な侮蔑を吐き捨てた。 厳しい婚家のルールに縛られ、アリスは外出もままならない。 それから五年の月日が流れ、ひょんなことからロエルに再会することになった。金髪の端正な紳士の彼は、彼女に問いかけた。 「お幸せですか?」 アリスはそれに答えられずにそのまま別れた。しかし、その言葉が彼の優しかった印象と共に尾を引いて、彼女の中に残っていく_______。 世間知らずの高貴な姫とやや強引な公爵家の子息のじれじれなラブストーリーです。 古風な恋愛物語をお好きな方にお読みいただけますと幸いです。 ハッピーエンドを心がけております。読後感のいい物語を努めます。 ※小説家になろう様にも投稿させていただいております。

【完結】どうやら時戻りをしました。

まるねこ
恋愛
ウルダード伯爵家は借金地獄に陥り、借金返済のため泣く泣く嫁いだ先は王家の闇を担う家。 辛い日々に耐えきれずモアは自らの命を断つ。 時戻りをした彼女は同じ轍を踏まないと心に誓う。 ※前半激重です。ご注意下さい Copyright©︎2023-まるねこ

政略結婚した旦那様に「貴女を愛することはない」と言われたけど、猫がいるから全然平気

ハルイロ
恋愛
皇帝陛下の命令で、唐突に決まった私の結婚。しかし、それは、幸せとは程遠いものだった。 夫には顧みられず、使用人からも邪険に扱われた私は、与えられた粗末な家に引きこもって泣き暮らしていた。そんな時、出会ったのは、1匹の猫。その猫との出会いが私の運命を変えた。 猫達とより良い暮らしを送るために、夫なんて邪魔なだけ。それに気付いた私は、さっさと婚家を脱出。それから数年、私は、猫と好きなことをして幸せに過ごしていた。 それなのに、なぜか態度を急変させた夫が、私にグイグイ迫ってきた。 「イヤイヤ、私には猫がいればいいので、旦那様は今まで通り不要なんです!」 勘違いで妻を遠ざけていた夫と猫をこよなく愛する妻のちょっとずれた愛溢れるお話

処理中です...