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第二章 マリーナフカの棺とハルの妖精
3:リズベット・マイヤー(1)
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約束通りの2時間後。テオドールが入れたお茶を楽しみながら、アイシャとイアンは執務室のテラスで休憩を取っていた。
もう葉が少なくなってしまった木々を眺めながらのティータイムは寂しくも感じるが、冷たい風と新鮮な空気は眠気覚ましの休憩に最適だ。アイシャは外の空気を目一杯吸い込んだ。
「疲れたか?」
「ええ、少しだけですけど。優しそうな雰囲気を醸し出している割に、実務になると全然優しくないんですね。テオって」
「それは同感だ」
「これでもちゃんと優しくしている方ですよ?」
「まあ!それは怒らせるともっと怖いということかしら。気をつけなきゃ」
そんな冗談を言いながらアイシャはクスクスと笑った。心の底から楽しそうに笑う彼女にイアンは思わず見惚れてしまう。
「……可愛い。ほんと天使」
「え?何か仰っいました?」
「引き継ぎ、大丈夫そうかと聞いたんだ」
「はい。テオが丁寧に教えてくれたので」
「そ、そうか。それは良かった」
イアンはうっかり口からこぼれた言葉を笑顔で誤魔化した。テオドールが呆れたような視線を向けてくるが気にしたら負けだろう。
「本当なら君にはこんなことさせたくなかったんだけど、今後のことを考えると屋敷は改装しておきたいし、何より屋敷のことは女性に任せる方がうまくいく言われたから……。ごめんな。困ったことがあれば何でも言ってくれ」
「いいえ、これくらいのことは妻として当然ですわ。でも本当に屋敷の管理だけで良いのですか?アッシュフォードはまだ発展途上です。おそらく、屋敷の管理以外にも私がやらなければならないことは沢山ありますよね?」
アイシャは向かいに座るイアンを見つめ、不思議そうに首をかしげた。
この2時間弱の間、テオドールは『貴族家の女主人の役割は家政を取り仕切るとこと、社交会で地位を築くことですから』と言って、兼ねてより考えていた屋敷の改装や使用人についての話しかしなかった。
確かに普通の貴族家ならそれでも良いのかも知れないが、ここはアッシュフォードだ。他の領地とは違い、常に危険が近くにある。そんな場所を治めるのに屋敷の中だけ見ていれば良いというわけにもいかないだろうとアイシャは思う。
「優秀な貴婦人は自ら領地経営に関わる方もいらっしゃいます。私は自分を優秀だと思っているわけではありませんが、アカデミーで学んだ知識もありますし、お役に立てるかと思うのですが……」
どうでしょう、とアイシャは上目遣いでイアンに尋ねた。イアンは何かが刺さったように『ぐふっ』と声を上げる。だからその上目遣いは危ないと何度も言っているのに、アイシャは学習してくれない。
テオドールは仕方なく、彼女の上目遣いにやられたイアンの代わりに口を開いた。
「慣れない地で奥様も大変でしょう?ですからとりあえず、今はこれだけで」
「他は追々ということ?ではせめて、近々領地の視察には行かせてもらえないかしら」
「……し、視察ですか?」
「ええ。結婚式はまだ先だから正式に領主夫人となったわけではないけれど、実質的には私ももうこの地の人間になったわけだし、挨拶も兼ねて……。どうかしら?」
「そうですね……。まあ、視察するのが普通ですしね……」
嫁いだ先の領地を知るために視察するのは普通のことだ。面倒だとやりたがらない貴婦人もいるが、それは怠慢というもの。
この申し出はアイシャが常識的な女性である証拠なので、本来なら喜んで日程を調整するものなのだが、テオドールは困ったようにイアンを見た。
「いかが致しましょうか、旦那様」
「……それも追々、な」
「また追々、ですか?」
「視察するにも護衛もつけずに屋敷の外に出るわけにもいかないだろ?」
不服そうに口を尖らせるアイシャに、イアンは宥めるようににんじんのクッキーを渡す。
まるで餌付けのようで少々不愉快だが、アイシャは仕方なくそのクッキーを齧った。
「美味しいです」
「それは良かった」
「……まあ、護衛は確かに必要ですね」
「だろう?そこでだ!そろそろ君の専属護衛を決めようと思うんだ。いいか?」
「……え?専属ですか?」
「俺がずっとそばにいてやれたら良いんだけど、そういうわけにもいかないし、誰か腕の立つものを1人は付けておきたい」
「あの、わざわざ専属でなくても大丈夫ですわ。専属って自由がないから大変ですし……」
「でも護衛はコロコロ変えるよりも、同じ人物に頼んだ方がアイシャも気を使わずに済むだろう?」
「それはそうですけど……」
「大丈夫。専属護衛は強制ではなく希望者を募ったから」
「えっと、それは……、お気遣いありがとうございます」
アイシャは恥ずかしそうに顔を伏せ、顔の火照りを誤魔化すように紅茶を口に含んだ。腕の立つ専属の護衛なんて伯爵家ではつけてもらったことがないから、大事にされている気がして嬉しくなってしまったのだ。
そんな彼女を見て微笑ましくなったテオドールはクスッと笑い、とあるファイルを手渡した。
「では、奥様。こちらが希望者の名簿です」
「ありがとう、テオ」
「騎士団への挨拶も兼ねて、明後日にでも任命式を行いましょうか」
「そうね。まだ正式に挨拶していなかったものね。帝国を守った英雄たちを前に、彼らの主人を名乗るのは緊張するけど、頑張るわ」
「ははっ。大丈夫だよ。英雄なんて大層なものじゃない。騎士団と言っても全員傭兵上がりの粗暴な奴らだから、そんなに畏まることもない。それに砦の人員をこちらに呼び寄せることはできないから、ひとまずは屋敷の騎士だけだしな。数も知れてるよ」
「ちなみに護衛ですが、単純な実力だけで言えばジョゼフ卿が一番強いです。でも礼儀作法がなっていませんので、僕のイチオシは物腰柔らかなカーベル卿ですね。歳の近い者がよければランツ卿が一番若いかもしれません。あと、女性が良ければマイヤー卿とヘッセン卿あたりでしょう。彼女たちは女性ですが、自ら進んで傭兵団に入り、戦争も経験した強者ですので実力は確かです。男性騎士とも互角に戦えますので、ご安心ください」
「まあ!女性の騎士もいらっしゃるの?」
「はい。人数は少ないですが」
「それはすごく素敵ね!」
「そ、そうですか?」
「ええ!とても素敵だわ!実は私、皇宮の女性騎士に憧れていたのよ。かっこいいわよね。歳も近いし、このリズベットさんという方にお願いしようかしら」
「……こ、皇宮の、女性騎士ですか」
帝国では女性が剣を持つと、『野蛮』だの『はしたない』などと言われて敬遠される。騎士になれば嫁ぎ先が見つからず生涯独身になるとまで言われるくらいだ。だから、ブランチェット領でも首都でも女性の騎士というのは存在しない。
唯一、皇宮の騎士団に皇室の女性を守るための女性騎士団があるが、それは食いぶちに困っている貴族家のお嬢さんが仕方なく剣を取ったという例が多く、数も少数だ。
アッシュフォードにはそんな貴重な女性騎士が多くいることに、アイシャは目を輝かせた。
しかし、テオドールとイアンは顔を見合わせて微妙な表情を浮かべた。
「本物の王子様みたいに素敵な方達ばかりなのよ?皇宮の女性騎士団って」
「へ、へえ、そうなんだ。でもうちの騎士団はそんなに素敵じゃないと思うなぁ……」
「……えーっと、奥様?あまり期待しないでくださいね。勧めておきながらおかしな話かもしれませんが、リズベット・マイヤーはとても粗野な女です。流石に奥様に無礼を働くほど馬鹿ではないと思いますが、おそらくイメージしていらっしゃる女性騎士とは雲泥の差があるかと……」
「そうだな……。上品なご令嬢の友人しかいない君には理解できないかもしれない」
皇宮の女性騎士を思い浮かべているアイシャに、二人は申し訳なさそうに忠告した。
彼らが言うには、アッシュフォードの女性騎士は皆、実力はあるが、傭兵上がりのために色々と雑なのだとか。皇宮の、やんごとなき身分の方々を守るために存在する、礼儀作法をきちんと身につけた騎士とは訳が違うらしい。
「まあ、実力だけは皇宮の騎士にも負けないから護衛としてリズが君のそばにいるのは安心と言えば安心だけど……。本当に、あの、イノシシみたいな子だから」
「大袈裟ですわ、男爵様。いくら何でもそれは言い過ぎでは?」
「いや、奥様。本当……、本当にそんな感じなのですよ。お恥ずかしながら」
「えぇ……?」
少し誇張しすぎな気もするアイシャは難しい顔で首を傾げた。
しかし、翌々日。アイシャは彼らのこの言葉が大袈裟ではなかったと知ることになった。
もう葉が少なくなってしまった木々を眺めながらのティータイムは寂しくも感じるが、冷たい風と新鮮な空気は眠気覚ましの休憩に最適だ。アイシャは外の空気を目一杯吸い込んだ。
「疲れたか?」
「ええ、少しだけですけど。優しそうな雰囲気を醸し出している割に、実務になると全然優しくないんですね。テオって」
「それは同感だ」
「これでもちゃんと優しくしている方ですよ?」
「まあ!それは怒らせるともっと怖いということかしら。気をつけなきゃ」
そんな冗談を言いながらアイシャはクスクスと笑った。心の底から楽しそうに笑う彼女にイアンは思わず見惚れてしまう。
「……可愛い。ほんと天使」
「え?何か仰っいました?」
「引き継ぎ、大丈夫そうかと聞いたんだ」
「はい。テオが丁寧に教えてくれたので」
「そ、そうか。それは良かった」
イアンはうっかり口からこぼれた言葉を笑顔で誤魔化した。テオドールが呆れたような視線を向けてくるが気にしたら負けだろう。
「本当なら君にはこんなことさせたくなかったんだけど、今後のことを考えると屋敷は改装しておきたいし、何より屋敷のことは女性に任せる方がうまくいく言われたから……。ごめんな。困ったことがあれば何でも言ってくれ」
「いいえ、これくらいのことは妻として当然ですわ。でも本当に屋敷の管理だけで良いのですか?アッシュフォードはまだ発展途上です。おそらく、屋敷の管理以外にも私がやらなければならないことは沢山ありますよね?」
アイシャは向かいに座るイアンを見つめ、不思議そうに首をかしげた。
この2時間弱の間、テオドールは『貴族家の女主人の役割は家政を取り仕切るとこと、社交会で地位を築くことですから』と言って、兼ねてより考えていた屋敷の改装や使用人についての話しかしなかった。
確かに普通の貴族家ならそれでも良いのかも知れないが、ここはアッシュフォードだ。他の領地とは違い、常に危険が近くにある。そんな場所を治めるのに屋敷の中だけ見ていれば良いというわけにもいかないだろうとアイシャは思う。
「優秀な貴婦人は自ら領地経営に関わる方もいらっしゃいます。私は自分を優秀だと思っているわけではありませんが、アカデミーで学んだ知識もありますし、お役に立てるかと思うのですが……」
どうでしょう、とアイシャは上目遣いでイアンに尋ねた。イアンは何かが刺さったように『ぐふっ』と声を上げる。だからその上目遣いは危ないと何度も言っているのに、アイシャは学習してくれない。
テオドールは仕方なく、彼女の上目遣いにやられたイアンの代わりに口を開いた。
「慣れない地で奥様も大変でしょう?ですからとりあえず、今はこれだけで」
「他は追々ということ?ではせめて、近々領地の視察には行かせてもらえないかしら」
「……し、視察ですか?」
「ええ。結婚式はまだ先だから正式に領主夫人となったわけではないけれど、実質的には私ももうこの地の人間になったわけだし、挨拶も兼ねて……。どうかしら?」
「そうですね……。まあ、視察するのが普通ですしね……」
嫁いだ先の領地を知るために視察するのは普通のことだ。面倒だとやりたがらない貴婦人もいるが、それは怠慢というもの。
この申し出はアイシャが常識的な女性である証拠なので、本来なら喜んで日程を調整するものなのだが、テオドールは困ったようにイアンを見た。
「いかが致しましょうか、旦那様」
「……それも追々、な」
「また追々、ですか?」
「視察するにも護衛もつけずに屋敷の外に出るわけにもいかないだろ?」
不服そうに口を尖らせるアイシャに、イアンは宥めるようににんじんのクッキーを渡す。
まるで餌付けのようで少々不愉快だが、アイシャは仕方なくそのクッキーを齧った。
「美味しいです」
「それは良かった」
「……まあ、護衛は確かに必要ですね」
「だろう?そこでだ!そろそろ君の専属護衛を決めようと思うんだ。いいか?」
「……え?専属ですか?」
「俺がずっとそばにいてやれたら良いんだけど、そういうわけにもいかないし、誰か腕の立つものを1人は付けておきたい」
「あの、わざわざ専属でなくても大丈夫ですわ。専属って自由がないから大変ですし……」
「でも護衛はコロコロ変えるよりも、同じ人物に頼んだ方がアイシャも気を使わずに済むだろう?」
「それはそうですけど……」
「大丈夫。専属護衛は強制ではなく希望者を募ったから」
「えっと、それは……、お気遣いありがとうございます」
アイシャは恥ずかしそうに顔を伏せ、顔の火照りを誤魔化すように紅茶を口に含んだ。腕の立つ専属の護衛なんて伯爵家ではつけてもらったことがないから、大事にされている気がして嬉しくなってしまったのだ。
そんな彼女を見て微笑ましくなったテオドールはクスッと笑い、とあるファイルを手渡した。
「では、奥様。こちらが希望者の名簿です」
「ありがとう、テオ」
「騎士団への挨拶も兼ねて、明後日にでも任命式を行いましょうか」
「そうね。まだ正式に挨拶していなかったものね。帝国を守った英雄たちを前に、彼らの主人を名乗るのは緊張するけど、頑張るわ」
「ははっ。大丈夫だよ。英雄なんて大層なものじゃない。騎士団と言っても全員傭兵上がりの粗暴な奴らだから、そんなに畏まることもない。それに砦の人員をこちらに呼び寄せることはできないから、ひとまずは屋敷の騎士だけだしな。数も知れてるよ」
「ちなみに護衛ですが、単純な実力だけで言えばジョゼフ卿が一番強いです。でも礼儀作法がなっていませんので、僕のイチオシは物腰柔らかなカーベル卿ですね。歳の近い者がよければランツ卿が一番若いかもしれません。あと、女性が良ければマイヤー卿とヘッセン卿あたりでしょう。彼女たちは女性ですが、自ら進んで傭兵団に入り、戦争も経験した強者ですので実力は確かです。男性騎士とも互角に戦えますので、ご安心ください」
「まあ!女性の騎士もいらっしゃるの?」
「はい。人数は少ないですが」
「それはすごく素敵ね!」
「そ、そうですか?」
「ええ!とても素敵だわ!実は私、皇宮の女性騎士に憧れていたのよ。かっこいいわよね。歳も近いし、このリズベットさんという方にお願いしようかしら」
「……こ、皇宮の、女性騎士ですか」
帝国では女性が剣を持つと、『野蛮』だの『はしたない』などと言われて敬遠される。騎士になれば嫁ぎ先が見つからず生涯独身になるとまで言われるくらいだ。だから、ブランチェット領でも首都でも女性の騎士というのは存在しない。
唯一、皇宮の騎士団に皇室の女性を守るための女性騎士団があるが、それは食いぶちに困っている貴族家のお嬢さんが仕方なく剣を取ったという例が多く、数も少数だ。
アッシュフォードにはそんな貴重な女性騎士が多くいることに、アイシャは目を輝かせた。
しかし、テオドールとイアンは顔を見合わせて微妙な表情を浮かべた。
「本物の王子様みたいに素敵な方達ばかりなのよ?皇宮の女性騎士団って」
「へ、へえ、そうなんだ。でもうちの騎士団はそんなに素敵じゃないと思うなぁ……」
「……えーっと、奥様?あまり期待しないでくださいね。勧めておきながらおかしな話かもしれませんが、リズベット・マイヤーはとても粗野な女です。流石に奥様に無礼を働くほど馬鹿ではないと思いますが、おそらくイメージしていらっしゃる女性騎士とは雲泥の差があるかと……」
「そうだな……。上品なご令嬢の友人しかいない君には理解できないかもしれない」
皇宮の女性騎士を思い浮かべているアイシャに、二人は申し訳なさそうに忠告した。
彼らが言うには、アッシュフォードの女性騎士は皆、実力はあるが、傭兵上がりのために色々と雑なのだとか。皇宮の、やんごとなき身分の方々を守るために存在する、礼儀作法をきちんと身につけた騎士とは訳が違うらしい。
「まあ、実力だけは皇宮の騎士にも負けないから護衛としてリズが君のそばにいるのは安心と言えば安心だけど……。本当に、あの、イノシシみたいな子だから」
「大袈裟ですわ、男爵様。いくら何でもそれは言い過ぎでは?」
「いや、奥様。本当……、本当にそんな感じなのですよ。お恥ずかしながら」
「えぇ……?」
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