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12:無くしもの(1)
しおりを挟む新居で暮らし始めて2週間。
アンリエッタには、わかったことが二つある。
一つは、クロードが思っていたよりもずっと忙しそうにしているということだ。
朝は朝食を食べながら新聞記事チェックして、昼は迎えにきたミゲルと共に商会事務所に出向いて仕事をし、夜はグレイスと使用人斡旋事業の打ち合わせをしつつ、持ち帰りの書類仕事をこなす日々。
その上でさらに、合間合間でアンリエッタとの時間を作ってくれている。
アンリエッタはたまに、彼だけ一日が36時間くらいあるのではないかと錯覚してしまう。
「私のことなんて放置してくれてていいのに。何だか申し訳ない気分になってくるわ」
アンリエッタは今朝早くに彼が摘んできたという花々を花瓶に生けながら、小さく呟いた。
実はクロードが忙しくする一方で、アンリエッタにはやる事がない。
社交シーズンの始まりは王宮で開かれる舞踏会と決まっているため、それまでは何もできないのだ。
「会いにいく友達もいなければ、やりたいこともなく、趣味もない。屋敷のことは基本的に執事のフランツとグレイスとがやってくれているし、私が出来ることと言えば散歩と昼寝くらいよ」
何と情けない。アンリエッタは大きなため息をこぼした。
「穀潰しとは私のことよ」
「まあまあ、そのうち帳簿の管理などもしなくてはいけなくなるでしょうし、今はまだゆっくりされても良いのでは?」
「でも、グレイスは忙しそうにしているわ」
「……え?それはそうでしょう。メイド長ですから」
ニコルは思わず、「何を言ってるんだこいつ」という目をアンリエッタに向けた。
「奥様はこの屋敷の女主人です。ただのメイドとは違うのですから、グレイスさんのように忙しなく働く必要などありません」
「わかってるわよ」
「はあ。そんなに暇ならまず屋敷の使用人と会話してみてはいかがです?まだそこまで仲良くなれていないでしょう?」
社交シーズンが終わるまで、アンリエッタたちはこの屋敷で過ごす。少しでも使用人とは仲良くなっていた方が何かと都合が良いだろう。ニコルはそうアドバイスした。
しかしアンリエッタはうーんと唸り、難しい顔をした。
「でも私、メイドたちから嫌われてるような気がするのよね」
アンリエッタは困ったように笑った。
これが、彼女が気づいた二つ目のことだ。
厨房のコックや庭師、グレイスは好意的に接してくれるが、その他のメイドの態度は何だかそっけないらしい。仕事自体は完璧にこなしているので文句はないのだが、いかんせん愛想がないのだ。
彼女たちはアンリエッタが話しかけても最低限の受け答えだけして、すぐに仕事に戻ってしまうし、笑顔のひとつも見せない。
確かに貴族家の使用人として空気に徹する姿は正しいのかもしれないが、ずっとこのままというのも少し寂しい。
「まあ、仕方ないわよね。何たって私はクロードのお金目当てで結婚した女だもの」
アンリエッタ側から見れば、彼女は金で買われた女でも、クロード側から見れば、彼女は金目当てで結婚したロクデモナイ女とも捉えられる。
どちらも事実であるが、言い方で印象は全然違う。
そして彼女たちの忠誠心は自分達を雇ってクロードにあって、アンリエッタにはない。つまり、今のアンリエッタはメイドたちにとって最低最悪の悪女にしか見えないというわけだ。
「はぁ……。どうしようかなぁ」
小さいからこそ、もっとアットホームな家にしたかったのに、現状ではその夢は叶いそうにない。
アンリエッタはソファに座ると、背もたれに体を預けて天井を仰いだ。
「大丈夫ですよ、奥様。まだ出会ったばかりではないですか」
「それはそうなんだけど……」
「嫌う嫌わない以前に、そもそも彼女たちは奥様のことを何も知らないですよね?」
「……まあ。うん」
「奥様。人間関係というのは積み重ねですよ?仲良くなりたいのなら自分から行動するしかないです。……って、ペリゴール家にきたばかりの頃、中々先輩たちの輪に入っていけなかった私にそう言ってくださったのは奥様でしたよね?」
「……そんなこと言ったかしら」
「おっしゃいましたよ。私はよく覚えています」
あの言葉があったから、ニコルはペリゴール家の仲間入りができて、今ではこうして大好きなアンリエッタのお世話ができている。
「焦らなくていい。ゆっくりでいいのです」
ニコルは母のような慈悲深い微笑みを浮かべ、アンリエッタを諭した。
「さて。では早速使用人たちに絡みにいきましょうか」
「……うん」
「どうせならとびきり可愛くしましょうよ。アクセサリーとか付けて………って、あれ?」
主人を着飾るのが好きなニコルは、意気揚々と宝石箱を開けた。
そして何故か困惑した様子で首を傾げた。
「え……、どうして?」
「ん?どうしたの?ニコル」
「あ、あの……。少し前に旦那様からいただいたオパールの耳飾りがないんです……」
「え?」
アンリエッタはソファから飛び起きて、急いで宝石箱を覗き込む。
そこには色とりどりの高価な宝石たちが並んでいた。
「ほんとだ。ない……」
「も、申し訳ありません!キチンと宝石箱に片付けたはずなのですが……」
「大丈夫よ。わかっているわ、ニコル。2日ほど前に、あなたが箱に片しているのを私は見ていたもの」
「では一体どこに……」
「ニコルは宝石箱を金庫にしまって鍵もかけたのよね?」
「はい」
「昨日はアクセサリーを身につけなかったから、今の今までニコルも私も宝石箱には触っていないと……」
この宝石箱に触る権利があるのはアンリエッタ本人を除くとニコル以外にいない。金庫の鍵のスペアはメイド長のグレイスが持っているが、彼女は鍵は厳重に保管していると言っていた。
「…………いやいや。まさか、ね?」
「奥様……?」
「……ねえ、ニコル。一応念のために聞いておきたいのだけれど、合鍵のスペアの場所ってニコルは知ってる?」
「はい知っています」
「じゃあ、グレイスの他には誰が知ってる?」
「執事長様と……、あとグレイスさんの補佐役のメイドなら知っているかもしれません。名前は確かミアさん、だったかな?」
「……結構知っているのね」
「そう……、ですね」
「………そっか」
それはつまり、盗もうと思えば割と簡単に盗めるということではなかろうか。
アンリエッタとニコルは顔を見合わせた。そして互いに苦笑いを浮かべ、「あり得ないか」とつぶやいた。
「賢い人なら盗みなんてリスクの高いことはしないわ」
貴族の家でそんなことをすれば手首を切られて放り出されるのが常だ。十分な給金を貰っているこの屋敷の使用人が、そんなリスクを犯してまで主人の宝石を狙うとは考えにくい。
アンリエッタはクロードが用意した人たちを疑うのは良くないと首を振った。
「もしかしたらどこかに落としたのかも」
「そ、そうですね。私、部屋の隅々まで探してみます」
「私も一緒に探すわ」
アンリエッタはニコルと共に床に這いつくばり、部屋の隅々まで探した。
ベッドの下や棚の隙間、花瓶の底や本の間。居を移す際にせっかく綺麗に片したクローゼットの中身もすべて出して探した。
けれども、どこを探しても見つからない。
宝石箱の管理を任されていたニコルは顔面蒼白だった。
しかしそれも仕方のないことだろう。普通なら優しくても鞭打ちの後、解雇される事案だ。
ニコルは自ら膝をつき、額を床に擦り付けた。
「申し訳ございません!如何なる罰もお受けします!」
「ニコル、いいから。顔を上げて」
「しかし……!」
「もしかしたら別の部屋にあるのかもしれないし、他を探してみましょう?」
「はい……」
アンリエッタは何とかニコルを落ち着かせると、ひとまず彼女に別の用事を言いつけて下がらせた。
そして再度、宝石箱の中身を確認した。
「……やっぱりないかぁ」
自然とため息が漏れるが無理もない。
何せ、紛失したのはブラックオパールの耳飾りだ。
それは、宝石自体がかなり希少なもので……、家が傾いた時に父が真っ先に手放した祖母の遺品でもある。
「買い直してくれたのよね……」
もらった当初はわからなかったが、今となってみればクロードが探して買い直してくれたのだとわかる。
もっとも、クロードはただの気まぐれなプレゼントだとしか言わないので、アンリエッタも気づかないフリをしているのだが。
「お節介なのよ、ほんと」
別に宝石にこだわりなんてなかったから、手放したことに悔いなんてなかったのに。クロードはアンリエッタが大事にしていないものまで大事にする。彼のそういうところがアンリエッタは少し苦手だ。
どんな顔をすれば良いのか、わからなくなる。
「でも、無くしたのがこれじゃなくてよかった……、なんて言ったら怒られるかしら」
アンリエッタは宝石箱からペリドットのネックレスを取り出した。
それは昨年のクロードの誕生日に彼がくれたものだ。
自分の誕生日なのに婚約者にプレゼントを贈るなんて、よくわからないことをする人だと思ったが、彼はこのペリドットをつけたアンリエッタを見て満足げに微笑んだ。
アンリエッタはあの時のクロードの顔が今でも忘れられない。だって、直視できないほどにキラキラと輝いていたから。
「ああ、ダメだわ。余計なことを思い出してしまったわ」
久しぶりにペリドットのネックレスを手に取ったせいだろうか。アンリエッタは、うっかりクロードにときめいてしまったあの時の自分を否定するように大きく首を横に振った。
「と、とりあえず屋敷の中を探してみましょう!きっとどこかに落としたのだわ」
アンリエッタは早速部屋を飛び出した。
そして小さな屋敷の中を念入りに探した。廊下に飾ってある花瓶の底や壺の中。窓のサンや絵画の裏。置物の下。食品庫の中。
ありとあらゆる場所を徹底的に探した。使用人たちに変な目で見られようとも、構わずに必死に探した。
けれども、やはりどこにもない。
「あとは……、ここか」
アンリエッタはコンサバトリーまでやってきた。
手入れの行き届いた色とりどりの花々と優しい日差しが彼女を出迎える。
「……ちょっと休憩しようかな」
少し疲れたかもしれない。
アンリエッタは吸い寄せられるように2人掛けのソファに横になった。ベルベット調のソファは肌触りが気持ち良い。
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