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32:告白日和(4)
しおりを挟むジュース屋のそばに並べられた木箱に腰掛けたアンリエッタは、店の前に出来た行列を眺めながら深いため息をこぼした。
何故ため息が出るのかというと、皆が『おめでとう』と言いながら、まるで子どもの成長を見守る親のような視線を向けてくるからだ。
居た堪れない。穴があったら入りたいとはまさにこのこと。
「……繁盛してるのね」
「新鮮な果物を使ってるからな。品質は昔に比べると格段に良くなった」
「へぇ。そうなんだ」
「最近では、規格外の茶葉を安く仕入れて干した果物と合わせたオリジナルティーも販売しているんだ。飲むか?」
右頬にくっきりと赤い手形を作ったクロードは、ミゲルから受け取ったオリジナルのシトラスティーをアンリエッタに渡した。
透明のグラスの側面に輪切りのフルーツを貼り付けるようにして並べ、底にはマーマレードジャムの層を作り、その上に冷やした紅茶を入れている。
貴族たちは邪道だと嫌いそうだが、飲んでみるとジャムの甘酸っぱさと紅茶の味がうまく合わさって非常に美味しかった。
ちょうど喉が渇いていたアンリエッタはあっという間に飲み干した。
その飲みっぷりを見ていたクロードは嬉しそうに笑った。
「良い飲みっぷりだな」
「喉が渇いていたのよ」
「美味かったか?」
「まあ、それなりに」
「素直じゃないな」
「うるさい」
優しい微笑みを向けられると、先ほどのことを思い出して恥ずかしくなる。
アンリエッタはフンッとそっぽを向いた。
しかし、視線の先にはこちらを見つめる観衆の視線。
アンリエッタはどうすれば良いのかわからず、再度睨むようにクロードの方に向き直った。
「……ねえ、どうしてここの人たちはみんな祝福ムードなの?」
「あー、それは………」
「この辺の人たちは皆、会長に感謝してるんです。会長が路地裏の子どもたちに手を差し伸べたことで、この辺一体の治安はぐんと良くなりましたから。だから皆んな、恩人である会長の恋が実ったことが嬉しいんですよ」
言葉に詰まるクロードに代わって答えたのは、店番を交代したミゲルだった。
ミゲルはコーヒーを片手にクロードの横に腰掛けると、気だるそうに壁に背を預けた。
「……ねえ。どうして皆んな、クロードの恋を知っているのよ」
「そりゃあ、会長が事あるごとにアンリエッタ・ペリゴールについて語っているからですよ。この辺で商売している人は皆、一度は会長の恋愛相談に乗って来たんじゃないかな。おかげで、新聞とかゴシップ誌でしか知らないはずの奥様を身近に感じるようなってしまって」
「……言うなよ、ミゲル。恥ずかしいだろう」
「クロード、あなた一体どんな話をしてきたのよ」
「知りたいです?奥様のことをどんな風に言っていたのか」
「いや、遠慮しておくわ。聞きたくない」
「何でだよ!そこは聞けよ!」
「聞いたら恥ずかしくて死んでしまうわっ!」
どんな話をしたのかは知らないが、周りの反応を見れば大体想像はつく。
きっと、過剰に脚色された聖人君子のようなアンリエッタ・ペリゴールがこの地区一帯には存在しているのだろう。
(ボロが出る前に立ち去ろう)
自分はクロードが思うような女ではない。ごく普通の何の取り柄もない女だ。
アンリエッタは空になったグラスをミゲルに預けると、顔を隠すように俯き、そそくさと来た道を引き返した。
クロードはそんなアンリエッタを慌てて追いかける。
「待ってよ、アンリエッタ!」
「待たない」
「どこに行くんだ?」
「帰るのよ!」
「え……、もう帰るのか?」
後ろをついてくる足音がピタリと止まる。アンリエッタは不思議に思い、後ろを振り返った。
「ど、どうしたの?」
「本当に帰るのか?せっかく……」
久しぶりのデートなのに。立ち止まったままのクロードが、しょぼんとした顔でこちらを見る。
アンリエッタはその表情に不覚にもときめいてしまった。
だから、ついうっかり絆されてしまった。
「………………や、やっぱり帰らない」
アンリエッタがそう小さく呟くと、クロードの表情はパァッと明るくなった。
「じゃあ出かけよう!どこに行きたい?ドレスでも見に行くか?それとも宝石?」
クロードはアンリエッタに駆け寄り、彼女の手を取った。そして、一区の方向を指差す。
そこは二人が婚約時代に良く行っていた、王家御用達の高級店が立ち並ぶ商店街。アンリエッタは一区の方を見つめ、困ったように笑った。
「買い物はいい。行かない」
「じゃあ、カフェにでも行くか?一区の中心部に新しく出来た店があるらしいんだ」
「行かない」
「じ、じゃあ……」
「クロード。私………、あなたのこと、もっと知りたい」
「え……」
「気づいたの。私、あなたのこと何にも知らないなって」
知っていることと言えば、お金持ちなこと、スラム出身なこと、顔が良いこと、優しいこと。そのくらい。
クロードがどんな仕事をしているのか。どんな人生を歩んできたのか。何を思っているのか。アンリエッタは知らなかった。知ろうとしなかった。
「こ、これから……、長く一緒にいるのだから、あなたのことをもっと知っておきたい。だから、今日はあなたの行きたいところに行きたい」
アンリエッタは少し照れながらも、そう言った。それが結婚相手に対する誠意だと思うからだ。
クロードは彼女の言葉が予想外だったのか、ニヤける口元を隠すように手で押さえた。
「俺のこと、知りたいと思ってくれたのか?」
「うん……、今更かもしれないけど」
「……どうしよう。嬉しい」
「な、何かない?行きたいところとかしたいこととか」
「………………じゃあ……、公園に行かないか?」
「公園?」
「この近くに桜が綺麗な公園があるんだ。テイクアウトのサンドイッチとか持って、花見でもどうかなと……。公園の近くに美味いサンドイッチの店があるんだ」
「花見……」
意外な提案だ。いつも高級店にしか行かない彼が、露店のサンドイッチを持ってピクニックに行きたいと言っている。
アンリエッタは驚いたように目をぱちぱちとさせた。
「クロード」
「な、何だよ」
「あなた、意外と可愛いことを言うのね」
「かっ!?……君が俺の行きたいところに行こうって!」
「ふふっ。ごめん。そうね、私が言ったわ。だからほら、行きましょうか」
そういうデートは嫌いじゃない。むしろ、ドレスや宝石を買い漁るデートよりもずっと好きだ。
アンリエッタは花開くような笑顔で、クロードに手を差し出した。
「……手、繋ぐのか?」
「あ……、い、いやだった?」
「嫌な訳ない!……けど、できればこうやって繋ぎたいかなって……」
クロードは恥ずかしそうにアンリエッタから視線を逸らしながら、両手を指を絡めるように組んだ。
それは謂わゆる恋人繋ぎというやつで、アンリエッタは頬を赤らめた。
「嫌なら、別にいい」
「い、いやじゃ……、ない」
「じゃあ、手を」
「う、うん」
アンリエッタはゆっくりとクロードの手に自分の手を添える。そして指を絡めてくる彼に応えるように、ぎゅっと手を握り返した。
心臓が大きな音を立てて脈を打つ。これはどちらの音なのだろうか。
重なった手のひらに滲む汗が気になりつつも、二人は手を離すことなく、公園の方へと歩き出した。
その様子を後ろからずっと見ていていたギャラリーは、微笑ましい二人に温かい視線を送った。
「まあまあ!随分と初々しいこと!」
「いいわねぇ、若いって」
「でも婚約してから1年半経ってるんだろ?それなのに、手を繋ぐだけでアレとは……」
「夫婦というよりも、付き合いたての恋人ね」
「可愛らしいわぁ。ねえ、ミゲル?」
おばさまの一人に話しかけられたミゲルは、二人の遠くなる背中を見つめ、フッと柔らかな笑みを浮かべた。
「そうですね」
アンリエッタに好きと言わせたい。その念願が叶ったクロードは明日、仕事もそこそこに今日の出来事をひたすらに語るだろう。
彼の惚気話を聞くことも仕事のうちだと思っているミゲルは大きく背伸びをし、ジュース屋の従業員に後を任せて商会事務所へと足を向けた。
「さて、今日中にできることをしておきますか」
どうせ、明日は仕事にならないだろうから。
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