その結婚、承服致しかねます

チャイムン

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4.「真実の愛」とは(フィル)

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 フィル・スノウは孤児院からウォーラー家へ紹介され奉公に上がった孤児だ。
 両親の記憶はなく、フィルの背景は孤児院だけだ。
 今ではウォーラー家の十四歳になった長女のダニエラの侍女だが、元は下働きの掃除や洗い物をするメイドだった。

 ダニエラが十歳の時、十四歳のフィルがウォーラー家へ奉公にあがった。
 当時、奥方のデボラが流産し、三歳の弟のオースティンを連れて保養地へと行ってしまった寂しさから、屋敷を散策していたダニエラにフィルが気に入られたのが始まりだった。
 その時フィルは、肘まで袖をまくって石鹸水に浸したスポンジで裏玄関の黒い石づくりの階段を洗っていた。こういう仕事は苦ではなく、むしろ楽しかった。思わず歌を口ずさむほど。

 ふと気が付くと、可愛らしいお嬢様がフィルの横にちょこんと座っていた。それがダニエラとフィルの出会いだった。
 元気で陽気なフィルを、ダニエラは一目で気に入ってしまった。もちろん歌も。

 母親の不在で沈み込んでいたダニエのご希望で、フィルはすぐにお傍近くで御用を申し付かることになった。

 ダニエラは元来朗らかな性格だったが、母の不在や自分には知らされていないが、なんとなく察することができる不運な出来事に、すっかり気が塞いでいた。
 フィルはそんなダニエラを精いっぱい元気づけるために、殊更明るく振舞った。

 ダニエラが明るさを取り戻し、母のデボラ様が療養から戻ってきて、フィルは侍女として正式に任命された。
 ウォーラー伯爵家の皆様は情けに厚く、優しかった。
 基本的な読み書きしかできない無学なフィルに教育を施し、生活面でも厚遇した。

 フィル自身もはダニエラが大好きだ。いつか嫁がれる折には侍女としてお伴をするつもりだった。
 結婚なんて考えたこともない。
 このままお優しいダニエラお嬢様にお仕えすることが望みだった。
 幸せな生活は続くと思っていた。

 長男のグレイグが、遊学から帰ってくるまでは、フィルは本気でそう思っていた。

 その時、フィルは十八歳。ダニエラは十四歳。グレイグは二十歳だった。

 賑やかにグレイグを出迎えする家族、婚約者のアイラとの幸せな様子を、フィルも心から喜んだ。

 だが、ほんの少しだけ、心の隅で小さな悲しみが芽吹いていた。

 仲睦まじいグレイグとアイラの様子を見ると、不思議な物悲しさが湧きあがってくる。しかし、そんな気持ちをフィルは必死に押さえつけた。
 自分はウォーラー家に大恩のある身だ。
 自分の人生は、ダニエラに捧げると決めたではないか。
 そもそもこの気持ちは、恐れ多いのだ。

 グレイグが帰還して数日後、彼の帰郷を祝うために友人が集まった。
 フィルは部屋を整えて、茶菓を用意した。その折にグレイグの友人の一人から、小さなスミレの花束を渡された。礼を言って退出し、ダニエラの部屋に飾ろうと歩いていると、廊下の向こうからグレイグがやってきた。
 グレイグは強い口調でフィルを問い詰めた。
「その花はどうしたんだ!?」
 フィルは驚いた。
「あの…マクブライド様からいただきました。これからダニエラ様のお部屋に飾るのです」
 グレイグは空気が抜けたように、いかつくなっていた肩の線が和らいだ。

 この時から、フィルはグレイグに何か恐れのような気持ちを抱くようになった。

 なんとなく、気づくとグレイグが傍にいるような気がするのだ。

 毎朝フィルが、ダニエラの部屋に活けるために花を用意する時、気づくと背後にグレイグがいてじっと見ている。
 用事を済ませるために、廊下を歩いていると話しかけられる。
 時にはダニエラとの授業時間や、お茶の時間にやってくるのだ。

 十日もするとダニエラはグレイグを鬱陶しがり、避けるようになった。
「お兄様、わたくし達は勉強中です。邪魔ですから出て行ってください」
「わたくし、お兄様と堅苦しくお茶の時間をすごすのはいやです。お父様たちとご一緒なさって」
 と、すげなく追い出すようになった。

 もしかして…

 フィルは不安になった。

 グレイグ様もダニエラお嬢様も、自分が密かに抱えている分不相応な気持ちに気づいているのではないか。
 それで牽制の意味でなさっている言動ではないのか。

 フィルは気を引き締めた。

 この思いは一生閉じ込めていくのだ。
 例え気づかれたとしても、口にしてはいけない。この思いに従ってはいけない。

 そんな気持ちが燻るひと月をすごしていたフィルは、夕食の席でグレイグの思いもかけない宣言を聞くことになった。
 衝撃のあまり、持っていたトレイを落としてしまった。

 給仕は基本的に男性の使用人が行うのだが、ダニエラはフィルに運んでもらったり取り分けてもらったりすることを好んだので、フィルはダニエラのために給仕をしていた。

 その席でグレイグは、こともあろうにフィルと結婚すると宣言したのだ。
「真実の愛」だと。
「ああ、怯えないで、フィル。全てのことから私が守ってあげるから」
 と、立ち上がりかけたグレイグに、フィルは総身がぞうっと震えた。

 当主のトニオがフィルに問うた。
「フィル・スノウ、君はグレイグの求婚を受け入れたのか?」
 フィルは必死に否定した。
「そんな恐れ多いことをわたくしがお受けするはずがございません。何もかも初耳でございます」

 誰も彼もが混乱の中にいるように思えたが、ダニエラとトニオは冷静だった。
 ダニエラは淡々とグレイグの言い分を否定した。
 トニオは
「フィル、君を責めるつもりは毛頭ないのだよ」
 優しくフィルに言った。
「もしも私達がグレイグと君の結婚に了承を与えて、グレイグが君に求婚したら、君はそれを受け入れるつもりなのかね?」

 震えていたフィルはしゃんと体を起こした。そしてはっきりと言った。

「どんなことがあっても、そのお申し出は承服致しかねます!」

 フィルは思った。
 私の「真実の愛」はグレイグ様へ捧げるものではない。
 そして誰にも言ってはいけないものだとわかっている。

 フィルの「真実の愛」は秘めるべきものだった。
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