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黒の鴉は清らかな声に音の泉を蘇らせる
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◇
「そんなに結婚させたいのかーー!!」
怒り狂う娘を前に、父が観念し...項垂れながら理由を話す。
「だって...お前。こんな父と一緒に居たんじゃ、幸せになれないだろう」
急に静まり返った部屋。
静かだが、諦念の滲む声に....透子の怒りはみるみる萎んでいった。
「...なによ、それ」
「だから、俺なんかと一緒に居たらお前の人生、棒にふると思ったんだ」
「そんな、こと」
「あるだろ?こんな....たった一つの夢も諦めた、貧乏な父なんざ、お前にとったら荷物でしかない。可愛い娘に、俺の世話で人生を終わらせられるのは...嫌なんだよ」
「お父、さん...」
「それでなくても、幼い頃に母を亡くして...ずっと男手ひとつで不自由な思いをさせたってのに...」
「....それは、お父さんのせいじゃ」
「いや、俺の責任だ。お前に新しい母親が必要なこともわかっていたのに、母さんのことが忘れられなくて、再婚を考えなかった」
「..........」
「俺は...こんな俺にお前を縛りつけたくないんだ。できれば、生活に余裕があって、透子を大切にしてくれる男性に...託したい。そして、幸せになってほしいんだ」
「お父さん...」
母は、透子が3歳のころ亡くなった。
実は、世界的なピアニストだった父は外国を転々としていて、母の死に目に会えなかったらしい。
まだ幼かった透子は、あまり記憶にないのだが。
知らせを受けて急いで帰国した時には、母はすでに冷たくなっていて、父は大声で泣いた。
そして、父は弾けなくなったーー。
母を愛していた父は、ピアノに向かうと後悔の念に駆られるようになり.....大好きだったピアノをどう弾いていたのかわからなくなった。
ピアノを弾けないピアニストなんて、その世界では生きていけない。
父はピアニストを諦め、帰国してタクシー運転手として働くようになった。
だが、子供を抱えてフルタイムで働くのは大変だった。夜勤も制限して、日勤だけで何とか融通してもらい、母を亡くしてしまった透子との時間を優先した。
当然稼ぎは少なくなり、ずっと...ボロアパートでの暮らしだ。
大好きだったピアノも弾けなくなり、夢を諦めた。
愛した妻を看取ることもできなかった。
娘には寂しい思いをさせた。
贅沢をさせてやれるほどの稼ぎさえ自分にはない。
その上、優しい娘はきっと自分を見捨てられない。
独立すれば父が一人になると考えて、大人になってもそばを離れず...老後まで見ようとしてくるかもしれない。
「俺は...一人でいいんだ、透子。お前は自由なんだから...頼むから、俺という荷物を背負い込むのはやめてくれ」
「..........っ」
そうして、透子と父の喧嘩は、後味の悪いまま幕を閉じたーー。
◇
その後からは、さすがに父も無理やり見合いをさせることはなくなった。
だが、あの時の出来事は透子の中に強烈に残っていて、まだ溶けて無くなってはいない。
(でも.....)
「お父さんじゃないなら....誰なの?」
透子は過去に飛んでいた意識を、現在に戻した。
そして、再び便箋に目を落とし、今度は文章を丁寧に追っていったーー。
******
『ちょっと!もう弾けないってどういうことよ、香夜!』
清潔に整えられた、広い楽屋の一室。
いい生地で仕立てられたスーツを、180センチ以上ある長身でピシッと着こなして、首元にシトリン色の蝶ネクタイをつけた男性が、問い詰められていた。
黒々と輝く耳にかかるほどの長さの真っ直ぐ下ろされた髪の毛、センターで軽く分けられた前髪から覗くのはシトリン色の透き通る瞳。傷ひとつない肌に、鼻筋の通った高い鼻、形のいい唇。どのパーツもきちんとあるべき位置に配置され、まるで物語にでてくる王子様のような整った顔だ。銀フレームの丸い眼鏡をかけた姿もまた、彼の理知的な雰囲気を高めていた。
『そのままの意味ですよ、ロザリーさん。....僕にはもうピアノは弾けない』
“香夜“と呼ばれた男性は、俯きながら悲しげな笑みを浮かべた。
『どうして...』
目の前で彼を問いただすのは、50代くらいの年配の女性・ロザリーだ。きちんと施された化粧に、絡みのない手入れされたストレートの金髪、栄養に気を遣い食事もきちんと考えているのであろう健康的な姿で。楽屋にいる今、パリッとパンツスーツを着こなし、バリバリ仕事をこなす女性そのものだった。
ロザリーの話す流暢な英語にも、同じく流暢に返す香夜を見れば、国外での生活が長いことがうかがえた。
『音が....聴こえないんです。弾きたいと思える音が....聴こえてこない』
紡がれた言葉に息を呑んだ気配がしてーー。
ロザリーの唇がくっと噛まれた。
『....はぁ』
カタリ。
諦めたようにため息を落として、ロザリーはそれ以上何も言わずに、あるものをそっと香夜の目の前に差し出す。
それは、音を立てて彼のすぐそばの鏡台に置かれた。
『....これは?』
目の前にあらわれた白い封筒。
一目でいい紙を使っているのがわかる、高級感あふれる....そして、厳重なつくり。中身がわからないよう配慮されている。
『...例のものよ、おそらくね。....三週間。....三週間休みをあげるわ。今入っているコンサートの予定も何もかも....私が何とか調整してみせる。丁度、その時期と重なるはずだから、国に戻って....ついでに気分転換してらっしゃい。話はそれから。...あなたが戻ってきたら、また話しましょう』
『ロザリーさん、僕は、もう.....』
『しっ。いいから、黙って。...まだ結論は出さないで。....とにかく、休暇を....楽しんでいらっしゃい』
『....わかりました』
そしてーー。
鴉の獣人、鴉矢 香夜はひとつ頷いて....“例の手紙“に導かれるように、自分の国へ一時帰国していった。
「そんなに結婚させたいのかーー!!」
怒り狂う娘を前に、父が観念し...項垂れながら理由を話す。
「だって...お前。こんな父と一緒に居たんじゃ、幸せになれないだろう」
急に静まり返った部屋。
静かだが、諦念の滲む声に....透子の怒りはみるみる萎んでいった。
「...なによ、それ」
「だから、俺なんかと一緒に居たらお前の人生、棒にふると思ったんだ」
「そんな、こと」
「あるだろ?こんな....たった一つの夢も諦めた、貧乏な父なんざ、お前にとったら荷物でしかない。可愛い娘に、俺の世話で人生を終わらせられるのは...嫌なんだよ」
「お父、さん...」
「それでなくても、幼い頃に母を亡くして...ずっと男手ひとつで不自由な思いをさせたってのに...」
「....それは、お父さんのせいじゃ」
「いや、俺の責任だ。お前に新しい母親が必要なこともわかっていたのに、母さんのことが忘れられなくて、再婚を考えなかった」
「..........」
「俺は...こんな俺にお前を縛りつけたくないんだ。できれば、生活に余裕があって、透子を大切にしてくれる男性に...託したい。そして、幸せになってほしいんだ」
「お父さん...」
母は、透子が3歳のころ亡くなった。
実は、世界的なピアニストだった父は外国を転々としていて、母の死に目に会えなかったらしい。
まだ幼かった透子は、あまり記憶にないのだが。
知らせを受けて急いで帰国した時には、母はすでに冷たくなっていて、父は大声で泣いた。
そして、父は弾けなくなったーー。
母を愛していた父は、ピアノに向かうと後悔の念に駆られるようになり.....大好きだったピアノをどう弾いていたのかわからなくなった。
ピアノを弾けないピアニストなんて、その世界では生きていけない。
父はピアニストを諦め、帰国してタクシー運転手として働くようになった。
だが、子供を抱えてフルタイムで働くのは大変だった。夜勤も制限して、日勤だけで何とか融通してもらい、母を亡くしてしまった透子との時間を優先した。
当然稼ぎは少なくなり、ずっと...ボロアパートでの暮らしだ。
大好きだったピアノも弾けなくなり、夢を諦めた。
愛した妻を看取ることもできなかった。
娘には寂しい思いをさせた。
贅沢をさせてやれるほどの稼ぎさえ自分にはない。
その上、優しい娘はきっと自分を見捨てられない。
独立すれば父が一人になると考えて、大人になってもそばを離れず...老後まで見ようとしてくるかもしれない。
「俺は...一人でいいんだ、透子。お前は自由なんだから...頼むから、俺という荷物を背負い込むのはやめてくれ」
「..........っ」
そうして、透子と父の喧嘩は、後味の悪いまま幕を閉じたーー。
◇
その後からは、さすがに父も無理やり見合いをさせることはなくなった。
だが、あの時の出来事は透子の中に強烈に残っていて、まだ溶けて無くなってはいない。
(でも.....)
「お父さんじゃないなら....誰なの?」
透子は過去に飛んでいた意識を、現在に戻した。
そして、再び便箋に目を落とし、今度は文章を丁寧に追っていったーー。
******
『ちょっと!もう弾けないってどういうことよ、香夜!』
清潔に整えられた、広い楽屋の一室。
いい生地で仕立てられたスーツを、180センチ以上ある長身でピシッと着こなして、首元にシトリン色の蝶ネクタイをつけた男性が、問い詰められていた。
黒々と輝く耳にかかるほどの長さの真っ直ぐ下ろされた髪の毛、センターで軽く分けられた前髪から覗くのはシトリン色の透き通る瞳。傷ひとつない肌に、鼻筋の通った高い鼻、形のいい唇。どのパーツもきちんとあるべき位置に配置され、まるで物語にでてくる王子様のような整った顔だ。銀フレームの丸い眼鏡をかけた姿もまた、彼の理知的な雰囲気を高めていた。
『そのままの意味ですよ、ロザリーさん。....僕にはもうピアノは弾けない』
“香夜“と呼ばれた男性は、俯きながら悲しげな笑みを浮かべた。
『どうして...』
目の前で彼を問いただすのは、50代くらいの年配の女性・ロザリーだ。きちんと施された化粧に、絡みのない手入れされたストレートの金髪、栄養に気を遣い食事もきちんと考えているのであろう健康的な姿で。楽屋にいる今、パリッとパンツスーツを着こなし、バリバリ仕事をこなす女性そのものだった。
ロザリーの話す流暢な英語にも、同じく流暢に返す香夜を見れば、国外での生活が長いことがうかがえた。
『音が....聴こえないんです。弾きたいと思える音が....聴こえてこない』
紡がれた言葉に息を呑んだ気配がしてーー。
ロザリーの唇がくっと噛まれた。
『....はぁ』
カタリ。
諦めたようにため息を落として、ロザリーはそれ以上何も言わずに、あるものをそっと香夜の目の前に差し出す。
それは、音を立てて彼のすぐそばの鏡台に置かれた。
『....これは?』
目の前にあらわれた白い封筒。
一目でいい紙を使っているのがわかる、高級感あふれる....そして、厳重なつくり。中身がわからないよう配慮されている。
『...例のものよ、おそらくね。....三週間。....三週間休みをあげるわ。今入っているコンサートの予定も何もかも....私が何とか調整してみせる。丁度、その時期と重なるはずだから、国に戻って....ついでに気分転換してらっしゃい。話はそれから。...あなたが戻ってきたら、また話しましょう』
『ロザリーさん、僕は、もう.....』
『しっ。いいから、黙って。...まだ結論は出さないで。....とにかく、休暇を....楽しんでいらっしゃい』
『....わかりました』
そしてーー。
鴉の獣人、鴉矢 香夜はひとつ頷いて....“例の手紙“に導かれるように、自分の国へ一時帰国していった。
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