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次の日には、ランベルトとニナの婚約の解消が正式に発表されていた。
ニナは公爵家の娘にふさわしい淑やかな女性であり、何の非もないのだけれど、生まれの良い彼女に嫉妬を寄せる人間なんていくらでもいる。
彼らはここぞとばかりにニナを攻撃し、悪く言って回っていた。
━━世の中、馬鹿ばっかり。
私は嘲笑いながらお茶を飲む。
ここまで上手くいったのだ。最早、私が勝ったも同然。
こんな気分の良い日につまらない仕事なんてしたくない。
私は立ち上がると、ベルを鳴らした。
「お呼びでしょうか。お嬢様」
現れた若い侍女は、不満気な顔を隠しもせずに言った。
男爵家の娘が、ランベルトの婚約者気取りで王宮に滞在している。
その事実が余程気に入らないらしい。
私は彼女に笑いかけると言った。
「パーティーに行ってくるから、準備を手伝ってくれない?」
言い終わるや否や、侍女は顔を顰めた。
「今日こそは、頼まれた仕事を終えるようにと、王太子殿下がおっしゃったことをお忘れで?」
「そうだけど。仕事ばかりやっていれば息が詰まっちゃうもの」
明るく言っても、彼女の顔色は変わらない。
でも、彼女の意見なんてどうでもいいのだ。
「こんな面倒な仕事は、私には似合わないわ。……そうだわ! ニナ様を呼んで代わりにやってもらうのはどうかしら?」
胸の前で手を重ねて、まるで名案だと言いたげにすれば、彼女はわざとらしくため息を吐いた。
だから、私は、彼女を大声で叱責して下がらせると、別の侍女を呼んだのだ。
次の侍女は物静かな子だったけれど、それでも嘘がつけない性格らしい。私を軽蔑していることが丸わかりだった。
でも、あまりいじめるのは可哀想だから、私は気付かないふりをしてパーティーに出かけた。
私の評判なんて、どうでもいい。それは、ランベルトがいくらでも尻ぬぐいをしてくれるだろうから。
※
それから、半年が過ぎたある日、王都の社交界に、新たな噂が流れた。
ランベルトの異母弟であるエドアルド殿下が、あのニナに婚約を申し込んだのだ、と。
その噂がランベルトの耳に届いた時、彼は随分と困惑していた。
目は血走り、口元は硬く引き結ばれ、いつもの明るい輝きは失われている。
そんな彼を見て、私はそっと肩に手を置いた。
「お疲れなのですか、ランベルト様。私が癒やして差し上げますよ」
そうすると、彼は私と視線を合わせた。
だが、以前のように彼は微笑んではくれなかった。
目の奥にあるのは冷たさばかりで、私の慰めなど受け入れる様子はなかったのだ。
ランベルトは唇を噛み、苛立ちを押し殺すように小さく息を吐いた。
彼の視線の先には、私が処理していない書類の山。デスクの上にはこれでもかという程、積まれている。
「……ニナだったら、これくらいのこと、簡単にできたのに」
ぽつりと彼は、後悔と恨みの言葉を吐いた。
━━私を選んだのはあなたなのに、酷い人だわ。
だから、私は声を荒げて言い返してやった。
「私はまだ王太子妃でもないのに、こんなに仕事を押し付けて……。それなのに、どうしてそんな酷いことをおっしゃるの?」
静かな部屋に、私の声が空しく響く。
ランベルトは眉を顰めたかと思うと、私を睨みつけた。
「君のわがままにはもう、うんざりだ」
次の瞬間、彼の手が私の腕を軽く押し、私は部屋の外へ追いやられた。
それ以来、私たちの間には厚い壁ができてしまった。
彼は私のもとに滅多にやって来なくなったのだ。例え顔を合わせても、言葉は少なく、視線も交わさず、かつての温もりは霧散してしまった。
そして、それに呼応するかのように、王宮内では、新たな噂話が流れ始めた。
「美しいだけの無能な女のために、賢明な婚約者を捨てた愚か者を、陛下がこのまま王太子にしておくとは思えない」
誰が言い出したのかは分からないけれど、ランベルトの評判は、酷く落とされてしまったようだった。
ランベルトはそれを聞いて、陛下のもとに真相を確かめに行った。
陛下は噂を否定しなかったそうだ。ランベルトはそれでようやく、陛下がエドアルドを王太子に据えようとしていると確信したらしい。
謁見を終えたランベルトは、困惑して、いつになく動揺していた。
落ち込む彼を前に、私はいつも通りの明るさを装った。
陽だまりのように、爛漫に笑う愛らしい少女。
それは、ランベルトが好きな私の姿なのだけれど、彼はそれを見て、さらに深く沈んでいった。
慰めの言葉も、とびきりの笑顔も通用しなかったのだ。
やがて彼は私の目をじっと見つめ、重い声で言った。
「俺はどうやら、伴侶の選定を誤ったのだな」
その言葉とともに、彼はふらふらとした足取りで部屋を出て行った。
取り残された私は、これまでずっと堪えていた感情を、一気に吐き出した。
「あははははっ」
愉快で愉快で、笑いが止まらない。
誰もいない部屋でくるりと回ると、スカートが揺れた。
━━計画は思った通りに進んでいる。
ランベルトの破滅はすぐそこにある。そう思うと、胸の高鳴りが大きく聞こえた。
ニナは公爵家の娘にふさわしい淑やかな女性であり、何の非もないのだけれど、生まれの良い彼女に嫉妬を寄せる人間なんていくらでもいる。
彼らはここぞとばかりにニナを攻撃し、悪く言って回っていた。
━━世の中、馬鹿ばっかり。
私は嘲笑いながらお茶を飲む。
ここまで上手くいったのだ。最早、私が勝ったも同然。
こんな気分の良い日につまらない仕事なんてしたくない。
私は立ち上がると、ベルを鳴らした。
「お呼びでしょうか。お嬢様」
現れた若い侍女は、不満気な顔を隠しもせずに言った。
男爵家の娘が、ランベルトの婚約者気取りで王宮に滞在している。
その事実が余程気に入らないらしい。
私は彼女に笑いかけると言った。
「パーティーに行ってくるから、準備を手伝ってくれない?」
言い終わるや否や、侍女は顔を顰めた。
「今日こそは、頼まれた仕事を終えるようにと、王太子殿下がおっしゃったことをお忘れで?」
「そうだけど。仕事ばかりやっていれば息が詰まっちゃうもの」
明るく言っても、彼女の顔色は変わらない。
でも、彼女の意見なんてどうでもいいのだ。
「こんな面倒な仕事は、私には似合わないわ。……そうだわ! ニナ様を呼んで代わりにやってもらうのはどうかしら?」
胸の前で手を重ねて、まるで名案だと言いたげにすれば、彼女はわざとらしくため息を吐いた。
だから、私は、彼女を大声で叱責して下がらせると、別の侍女を呼んだのだ。
次の侍女は物静かな子だったけれど、それでも嘘がつけない性格らしい。私を軽蔑していることが丸わかりだった。
でも、あまりいじめるのは可哀想だから、私は気付かないふりをしてパーティーに出かけた。
私の評判なんて、どうでもいい。それは、ランベルトがいくらでも尻ぬぐいをしてくれるだろうから。
※
それから、半年が過ぎたある日、王都の社交界に、新たな噂が流れた。
ランベルトの異母弟であるエドアルド殿下が、あのニナに婚約を申し込んだのだ、と。
その噂がランベルトの耳に届いた時、彼は随分と困惑していた。
目は血走り、口元は硬く引き結ばれ、いつもの明るい輝きは失われている。
そんな彼を見て、私はそっと肩に手を置いた。
「お疲れなのですか、ランベルト様。私が癒やして差し上げますよ」
そうすると、彼は私と視線を合わせた。
だが、以前のように彼は微笑んではくれなかった。
目の奥にあるのは冷たさばかりで、私の慰めなど受け入れる様子はなかったのだ。
ランベルトは唇を噛み、苛立ちを押し殺すように小さく息を吐いた。
彼の視線の先には、私が処理していない書類の山。デスクの上にはこれでもかという程、積まれている。
「……ニナだったら、これくらいのこと、簡単にできたのに」
ぽつりと彼は、後悔と恨みの言葉を吐いた。
━━私を選んだのはあなたなのに、酷い人だわ。
だから、私は声を荒げて言い返してやった。
「私はまだ王太子妃でもないのに、こんなに仕事を押し付けて……。それなのに、どうしてそんな酷いことをおっしゃるの?」
静かな部屋に、私の声が空しく響く。
ランベルトは眉を顰めたかと思うと、私を睨みつけた。
「君のわがままにはもう、うんざりだ」
次の瞬間、彼の手が私の腕を軽く押し、私は部屋の外へ追いやられた。
それ以来、私たちの間には厚い壁ができてしまった。
彼は私のもとに滅多にやって来なくなったのだ。例え顔を合わせても、言葉は少なく、視線も交わさず、かつての温もりは霧散してしまった。
そして、それに呼応するかのように、王宮内では、新たな噂話が流れ始めた。
「美しいだけの無能な女のために、賢明な婚約者を捨てた愚か者を、陛下がこのまま王太子にしておくとは思えない」
誰が言い出したのかは分からないけれど、ランベルトの評判は、酷く落とされてしまったようだった。
ランベルトはそれを聞いて、陛下のもとに真相を確かめに行った。
陛下は噂を否定しなかったそうだ。ランベルトはそれでようやく、陛下がエドアルドを王太子に据えようとしていると確信したらしい。
謁見を終えたランベルトは、困惑して、いつになく動揺していた。
落ち込む彼を前に、私はいつも通りの明るさを装った。
陽だまりのように、爛漫に笑う愛らしい少女。
それは、ランベルトが好きな私の姿なのだけれど、彼はそれを見て、さらに深く沈んでいった。
慰めの言葉も、とびきりの笑顔も通用しなかったのだ。
やがて彼は私の目をじっと見つめ、重い声で言った。
「俺はどうやら、伴侶の選定を誤ったのだな」
その言葉とともに、彼はふらふらとした足取りで部屋を出て行った。
取り残された私は、これまでずっと堪えていた感情を、一気に吐き出した。
「あははははっ」
愉快で愉快で、笑いが止まらない。
誰もいない部屋でくるりと回ると、スカートが揺れた。
━━計画は思った通りに進んでいる。
ランベルトの破滅はすぐそこにある。そう思うと、胸の高鳴りが大きく聞こえた。
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