25年目の真実

yuzu

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一冊のアルバム

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深夜。

 どうしても寝付けない蒼介は書斎の灯りをともした。

 殆ど何もないその部屋を見渡すと、ふと本棚の隅にある、布張りのアルバムが目に入った。

 他のものはうっすらと埃をかぶっているのに、それだけは不自然なほどきれいだった。

 ――大切に、扱っていた痕跡……なら何故、持って行かなかったのか気になった。
 
 蒼介はゆっくりと椅子を引き、アルバムを棚から引き出すと、息を呑んで表紙を開いた。

 一枚目に貼られていたのは、結婚式の写真。
 純白の花嫁と、緊張した面持ちの自分。

 けれど、すぐに違和感に気づく。

 その笑顔が――どこかぎこちない。

 見慣れた美奈子の笑顔なのに、何かが少し違う。
 角度でも光のせいでもない。
 まるで、誰かが「美奈子になろうとしている」ような、そんな無理のある柔らかさだった。
 ページをめくるたびに、心の奥にざらりとしたものが積もっていく。
 旅行の写真、娘の七五三、運動会――。
 そこに写るのは、確かに日下部家の「家族」だった。
 けれど、どの場面にも、あの事故の前の「奔放な美奈子」はいなかった。
 
 ふと、息を止めた。

 (――結婚後の写真しか、無い?)
 
 胸の奥で、何かが静かに崩れる音がした。
 彼女が話していた「事故のあと、入れ替わったの」という言葉が、ありありと蘇る。
 
 信じられなかった。
 そんな馬鹿な、と笑ってごまかした自分がいた。

 だが今、ページの中で微笑むその人を見ていると、もう否定できなかった。

 「……阿部千紘か。」
 
 写真の中の“美奈子”は、確かに妻だった。
 でも、蒼介の知る“美奈子”ではなかった。
 何年も一緒に過ごし、笑い、泣いたその相手が――別の誰かだったという現実。
 けれど不思議と、憎しみも悲しみも湧いてこない。
 胸に残ったのは、ただ、静かな納得だけだった。
 
 彼女のぎこちなさは偽りではなく、不器用な「罪の意識」だったのだと。

 蒼介は、アルバムを閉じると、しばらく膝の上で抱えていた。
 
 窓の外に視線をやれば、いつのまにか雨がやんでいた。

 街灯の淡い光がぼんやりと滲んでいる。

 
 ただその景色をぼんやりと眺めていると、急に思い出した。

 出会った頃の彼女は、太陽のような人だった。
 自由で、明るくて、行動力もある。誰をも惹きつける魅力を持った女性。

 対して、自分はといえば、何事も計画を立ててからでないと落ち着かない性分で……簡単に言えば、根暗な方だった。

 最初のうちは、それが新鮮で楽しかった。
 思いつきで旅に出ようと誘う彼女に、戸惑いながらも付き合って、終電を逃したこともあった。

 深夜の駅のホームで笑っていた美奈子の横顔を、今でもはっきり覚えている。

 ――けれど、そうした無鉄砲さに、次第に疲れも感じるようになっていった。

 付き合って二年が過ぎた頃には、よく言い合いをした。
 彼女は「窮屈だ」と言い、自分は「無責任だ」と言い返した。

 価値観の違いが、少しずつふたりの間にひびを入れていった。
 それでも別れようとは思わなかったのは、どこかで信じていたからだ。
 彼女の奔放さも、自分の堅さも、時間がたてば馴染むはずだと。

 けれど、同棲生活は思ったよりも難しかった。
 
 婚約という形に閉じ込められた美奈子は、ますます息苦しそうで、蒼介はどう接していいのか分からなくなっていた。

 笑い合うことも減り、互いの声が届かなくなっていた。
 
 もう、別れた方がお互いの為かもしれない。
そんな話を何度もしたけれど、結局最後は美奈子の「まだ、別れたくない」の一言で話を終わらせた。

 そんな時、あの事故が起きた。

 病室で目を覚ました“美奈子”を見たとき、心底ほっとしたと同時に、美奈子を失う事が怖かった自分に気がついた。

 けれどあの日を境に、顔も、声も、何も変わっていないのに――彼女はなった。

 あれほど強かった眼差しが、少しだけ柔らかくなった。

 それからの彼女は言葉の選び方も、表情の作り方も、まるで別人のようで、勿論最初は戸惑った。

 けれど、彼女は少しずつ家に溶け込み、優しく、思いやり深く家族を包んでくれた。

 わがままだった彼女が、いつのまにか人の気持ちを気遣うようになっていた。

 一歩引いて、相手の言葉を受け止める。
 その姿が、なんとも言えず美しかった。

 蒼介は、気づけば惚れ直していた。

 昔よりも、ずっと深く。
 あの穏やかな笑顔と、静かな手のぬくもりに、もう一度恋をしていた。

 夜中の書斎に、時計の針の音が響く。

 蒼介は、膝の上のアルバムをそっと撫でた。
 ページの中の“美奈子”は、どの写真でも、どこかぎこちない笑顔をしている。
 
 アルバムをめくる手が止まる。

 入れ替わりを告白した“千紘”の言葉が、静かに蘇る。

 (……そうか。俺は、あの頃からもう、千紘と生きていたんだ。)

 蒼介は、長く息を吐いた。
 心の奥に、痛みとぬくもりが入り混じる。
 
 彼女が何者であっても、あの日々は本物だったのだ。

「……探しに行かなきゃ。」
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