25年目の真実

yuzu

文字の大きさ
39 / 61
千紘と膳

しおりを挟む
 店先で口論をしていると、引き戸の向こうから千紘の声が響いた。

「蒼介さん?」
「千紘!無事か!?怪我はないか?」

引き戸に手をかけようとする蒼介を押し返すように、膳が扉の前に立った。

「姉さん、来るなと言ったはずだけど」
「……でも」
「いいから!今日は体調が優れない。だったよな?」

一拍置いて、千紘が答える。

「……はい。」

その異様な緊迫感に、蒼介は思わず膳を殴りそうになったのを何とか堪えた。

「千紘!出てこなくてもいいから聞いてくれ。俺は何があっても、離婚するつもりはない。千紘が心の底から俺を拒絶しない限り、何度でも迎えにくる。」

「日下部さん!やめて下さい。近所迷惑です!」

「25年間、俺が愛していたのは君だ。笑い合った日々は嘘なんかじゃない。俺が幸せにしてやりたいと……この先も一緒にいたいと思うのは、過去の美奈子じゃない。今の美奈子。君だよ千紘。」

「いい加減にしないと本当に!」

膳が蒼介の胸ぐらを掴んだのと同時だった。
店の引き戸がゆっくりと開き、中にいる千紘の姿が見えた。

「開けるなって言っただろ!!!」

千紘の腕を掴もうとする膳の肩を掴んだ蒼介は、思い切り膳を突き飛ばした。

「っっ痛!」

店先に立つ千紘の姿を見た瞬間、蒼介の全身から血の気が引いた。

 頬には赤く腫れた痕。
 エプロンの肩紐は今にも切れそうに垂れ、白いブラウスの襟元は乱れている。
 
 まるで、誰かと揉み合いになった後みたいに見えた。

「姉さん、俺が話すって言っただろ」
 禅が苛立った声で言った。
「部屋で休んでろって言ったじゃん」
「蒼介さん……」
 千紘は階段を一段ずつ降りながら、震える声を絞り出した。

「信じないで。全部、嘘なの」

 その言葉に、蒼介は怒りで我を忘れそうになるのをギリギリで堪えた。

「なぁ……」

 気づけば、蒼介は禅に詰め寄っていた。

「彼女に、手を出したのか」
「は?」

 禅は鼻で笑った。
「家族の問題に、他人が口出すなよ」

 その言葉が引き金だった。
 理性が切れる音が、はっきりと自分に聞こえた。

 禅の胸倉を掴んで壁に叩きつけた。

「彼女に手を出したのかと聞いている!!」
 
 怒号が店内に響く。
 禅は顔を歪め、蒼介に向かって唾を吐きかけた。

「……っの野郎!」

 蒼介の拳が反射的に振り抜かれた。

 鈍い音がして、禅の体がよろめく。
「くっ……!」

 禅が反撃し、蒼介の腹に拳を叩き込む。
 視界が瞬間、白く弾けた。

 禅の肩を掴み、再び壁に押しつける。
 二人は取っ組み合いになり、カウンターにぶつかった拍子に皿が床へ次々に落ちた。
 
 千紘の悲鳴が響く。
「やめて!! お願い、やめて!!」

 しかし、どちらも止まらなかった。
 禅が蒼介を突き飛ばし、蒼介はテーブルに激突する。

 それでも、体が勝手に動いた。
 蒼介は立ち上がり、再び禅に掴みかかる。

「お前みたいなクズが……!」
「うるせぇ!!」

 禅の拳が蒼介の頬を打ち抜いた。
 視界が揺れる。
 倒れそうになるのを踏ん張り、蒼介は禅の腹に膝を叩き込み、そのまま押し倒す。

「千紘に……何をした!!」

 馬乗りになって拳を振り上げた瞬間――

「やめて!!」

 千紘が蒼介の腕にすがりついた。

「お願い……やめて……!」

 その声に、ようやく意識が戻った。
 蒼介は荒い息をつきながら、拳を下ろす。
 禅は床に倒れ、鼻血を流しながら息を荒げていた。

「……くそ」

 禅が壁に手をつき、よろめきながら立ち上がる。
 蒼介は千紘を背に庇い、低く睨みつけた。

「警察を呼ぶ」
「……勝手にしろ」

 禅が唇の血を拭いながら吐き捨てる。
「母さんが泣くぞ。いいのか千紘。」

 千紘は震えて目を伏せた。

 禅は鼻で笑った。
「ほら、千紘はアンタの元に戻るつもりなんて無いんだよ。ババアのお守りがあるからな。」

 千紘が蒼介の背中に額を押しつけて、小さく首を振った。

「もういいの……ごめんなさい蒼介さん」
「千紘……」
「もう、いいの」
 その声には、深い疲労と諦めが滲んでいた。
 蒼介は唇を噛みした。

「事故だったとしても……」
 千紘の声は震え、消え入りそうだった。
「美奈子さんを轢いて、それでも助かる筈だった彼女の命まで奪った私の罪は、消せない。」

 沈黙が、店の空気を凍らせた。
 蒼介は言葉を失い、ただその場に立ち尽くした。
 千紘は膝をつき、両手で顔を覆った。
「だから……罰を受けるべきなの。」
「ははははははっ……聞いたか?!え?!」
 
 蒼介は二人を交互に見た。
 怒りと悲しみと混乱が胸の中で渦を巻いていた。



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

愛を騙るな

篠月珪霞
恋愛
「王妃よ、そなた一体何が不満だというのだ」 「………」 「贅を尽くした食事、ドレス、宝石、アクセサリー、部屋の調度も最高品質のもの。王妃という地位も用意した。およそ世の女性が望むものすべてを手に入れているというのに、何が不満だというのだ!」 王妃は表情を変えない。何を言っても宥めてもすかしても脅しても変わらない王妃に、苛立った王は声を荒げる。 「何とか言わぬか! 不敬だぞ!」 「……でしたら、牢に入れるなり、処罰するなりお好きに」 「い、いや、それはできぬ」 「何故? 陛下の望むままなさればよろしい」 「余は、そなたを愛しているのだ。愛するものにそのような仕打ち、到底考えられぬ」 途端、王妃の嘲る笑い声が響く。 「畜生にも劣る陛下が、愛を騙るなどおこがましいですわね」

【短編】ちゃんと好きになる前に、終わっただけ

月下花音
恋愛
曖昧な関係を続けていたユウトとの恋は、彼のインスタ投稿によって一方的に終わりを告げた。 泣くのも違う。怒るのも違う。 ただ静かに消えよう。 そう決意してトーク履歴を消そうとした瞬間、指が滑った。 画面に表示されたのは、間の抜けたクマのスタンプ。 相手に気付かれた? 見られた? 「未練ある」って思われる!? 恐怖でブロックボタンを連打した夜。 カモメのフンより、失恋より、最後の誤爆が一番のトラウマになった女子大生の叫び。

愛する夫にもう一つの家庭があったことを知ったのは、結婚して10年目のことでした

ましゅぺちーの
恋愛
王国の伯爵令嬢だったエミリアは長年の想い人である公爵令息オリバーと結婚した。 しかし、夫となったオリバーとの仲は冷え切っていた。 オリバーはエミリアを愛していない。 それでもエミリアは一途に夫を想い続けた。 子供も出来ないまま十年の年月が過ぎ、エミリアはオリバーにもう一つの家庭が存在していることを知ってしまう。 それをきっかけとして、エミリアはついにオリバーとの離婚を決意する。 オリバーと離婚したエミリアは第二の人生を歩み始める。 一方、最愛の愛人とその子供を公爵家に迎え入れたオリバーは後悔に苛まれていた……。

🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。

設楽理沙
ライト文芸
2026.1.4 73話見直した際、瑛士の台詞《本音/懺悔》を加筆しました。😇 ☘ 累計ポイント/ 200万pt 超えました。ありがとうございます。 ―― 備忘録 ――    第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。  最高 57,392 pt      〃     24h/pt-1位ではじまり2位で終了。  最高 89,034 pt                    ◇ ◇ ◇ ◇ 紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる 素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。 隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が 始まる。 苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・ 消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように 大きな声で泣いた。 泣きながらも、よろけながらも、気がつけば 大地をしっかりと踏みしめていた。 そう、立ち止まってなんていられない。 ☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★ 2025.4.19☑~

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

初恋にケリをつけたい

志熊みゅう
恋愛
「初恋にケリをつけたかっただけなんだ」  そう言って、夫・クライブは、初恋だという未亡人と不倫した。そして彼女はクライブの子を身ごもったという。私グレースとクライブの結婚は確かに政略結婚だった。そこに燃えるような恋や愛はなくとも、20年の信頼と情はあると信じていた。だがそれは一瞬で崩れ去った。 「分かりました。私たち離婚しましょう、クライブ」  初恋とケリをつけたい男女の話。 ☆小説家になろうの日間異世界(恋愛)ランキング (すべて)で1位獲得しました。(2025/9/18) ☆小説家になろうの日間総合ランキング (すべて)で1位獲得しました。(2025/9/18) ☆小説家になろうの週間総合ランキング (すべて)で1位獲得しました。(2025/9/22)

愛してしまって、ごめんなさい

oro
恋愛
「貴様とは白い結婚を貫く。必要が無い限り、私の前に姿を現すな。」 初夜に言われたその言葉を、私は忠実に守っていました。 けれど私は赦されない人間です。 最期に貴方の視界に写ってしまうなんて。 ※全9話。 毎朝7時に更新致します。

処理中です...