黒豹陛下の溺愛生活

月城雪華

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六章

お前が好きだ 3

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「──こちらです」

 少女とフクロウに先導され、アレンはやや忙しなく動かしていた視線を前に向ける。

「わ、ぁ……」

 それはアレンが手を伸ばしても到底足りないほどの重厚な扉で、何より雪のように白かった。

 精緻な文様が扉の上部に描かれているが、それが何なのかは見えない。

 ただ、他の扉よりもずっと豪奢ごうしゃで形容し難いほど美しいことは理解した。

 この扉の向こうは国王が貴族や高官達と謁見する場所らしく、重々しい扉を開けると同時にレオがこの国で一番偉い証である玉座へ座っているのだ。

「どうぞ開けてください。陛下がこの方を……アレン様をお呼びしたのです」

 扉の左右には衛兵が二人ずつおり、マナが声を発すると心得たというように軽く会釈した。

 ちらりと互いに目配せしあい、金で装飾された取っ手に手を掛ける。

 全員で息を合わせると同時に重厚な白い扉がおごそかな音を立てて開き、今になって脚が竦みそうになった。

(レオに会いに来ただけだろ、何を怖がってるんだ……!)

 改めて考えても、この国の王と自分が顔見知りというだけでなく、両想いだという事実が信じられない。

 けれどこれは紛れもない現実で、夢ではないと分かっている。

「アレン様」

 するとマナがそっと声を掛けてきて、アレンは俯けていた顔を上げてそちらを振り向いた。

「大丈夫です、何かあったら私とティアラがガツンと言ってやりますから!」

「ホゥ!」

 握り拳を作って、にっこりと微笑するマナに呼応するように、ティアラが少女の頭の上でぱたぱたと羽を広げる。

 アレンはきゅうと手を握り締めると、意を決して前を向いた。

「っ……!」

 眩しさに顔を顰め、反射的に顔の前に手をかざす。

 目が慣れた時には扉が全開になっており、まっすぐに伸びた赤いカーペットの向こう側、三段ほど上にある玉座でレオが──国王がしどけなく肘掛けに凭れているのが見えた。

「……来たか」

 けれどアレンの姿を認めるとぱっと表情が華やぎ、緩やかに片頬を上げたのが遠目からでも分かる。

 自分を呼び寄せたのはレオだというのに、緊張してしまうのは普段のレオと違うからだろうか。

「っ……」

 まだ脚を踏み入れてすらいないのに身体が震え、尻尾や耳の先までもがぶわりと大きく膨らむ。

 本来ならば、自分が話していい相手ではない。

 そう嫌になるほど理解しているが、レオの庶民的で快活な口調に自然と安心しているのも事実だった。

 まさか国王自ら街へ出向き、庶民らにあれほど気安い態度を取っていたとは未だに信じられない。

(本当に……嘘、みたいだ)

 たとえ玉座に座る相手がレオであったとしても、こうしてアルトワナ公国の王を目の前にすると、不思議なほど身体が言うことを聞かなかった。

「……アレン様」

「っ」

 見兼ねたマナが背後からこっそりと耳打ちしてくれ、そこでアレンは現実に引き戻される。

 そっと背後に視線を向けると、マナが安心させるように微笑んだ。

「大丈夫です。貴方を悪いようにはしないと、先程仰っていました」

「ホゥッ」

 マナの声にティアラが小さく鳴き、主の肩に乗っていたフクロウはアレンの頭に飛び乗った。

「て、ティアラ……?」

 ばさりと目の前に白い羽がいくつも落ちたかと思えば、パタパタと懸命に翼を広げ、玉座の方に向けてティアラが高い声でギャアギャアと鳴く。

「え、えっ……と」

 ティアラが何を言っているのかさっぱり分からず、マナの方を見ると頬を引き攣らせていた。

(何か変なこと言ってるのか……?)

 アレンが首を傾げていると、視線に気付いたマナが小さく頭を下げた。

「す、すみません、あんまりにもおかしくて。……まぁ全ての根源である陛下が悪いのには同意だけど」

 最後の方は半ば呆れつつではあるが、マナは軽く目を釣り上げて口を開いた。

「アレンをいじめるな、いじめたらわたしが耳を食い千切ってやる! ……と、陛下に言っているんです。ごめんなさい、この子ってば血気盛んなところが……痛、痛い! 何よ、本当のこと言っただけでしょ!」

「ギャッ!」

 最後まで言い終わる前に、フクロウは主の元へ飛び掛かるとマナの頭を小さなくちばしで何度もつつく。

 飛んだ拍子に羽が落ちていき、はらはらと赤い絨毯の上に白い模様を作っていく。

「ちょ、二人とも……」

「──ふっ」

 マナとフクロウの間が次第に険悪になっていくのを感じ、止めようとしていると玉座の方から小さく吹き出す声が聞こえた。

 その場に居た全員が玉座の方に視線を向けると、片手で顔を隠して肩を震わせている国王──レオが視界に入る。

「……なんですか、陛下。何も面白いことなんかないでしょう」

 マナがきっとまなじりを釣り上げ、わずかに低い声で悪態を吐いた。

「ホッ!」

 ティアラはティアラで少し落ち着いたのか、けれど声音には怒りが滲んでいるようにも聞こえた。

「……いや、すまん。お前らは相変わらずだと思ってな」

 やがて笑いが収まったのか、けれど未だにくつくつと喉を鳴らしてレオが口を開く。

 玉座まで数十メートルほど距離はあるものの、レオの低く落ち着いた声はよく聞こえた。

 街で纏っていたような楽な着流しとは違って、襟の詰まった服装は城の中でしか見ない。

 その時ですらレオは窮屈そうにしていて、しかし一度も『街へ行く』とアレンの前では言わなかった。

 マナや衛兵らの話によるとレオは誰よりも自由な性格で、常に『面倒臭い』と言って政務をおろそかにする、怠惰な王だと言う。

 時々よく似た双子の弟を影武者に仕立て、自身は街へ出向いているというのだから、そう聞かされた時は驚いたものだ。

(でも今のレオは……ううん。国王様、は)

 心の中ではあるが見知った相手を『国王』と言うのは、少し違和感がある。

 それでもアレンの目には、レオがまぎれもなくこの国の王なのだと理解した。

 昔から知っている者からすれば怠惰で、今も玉座の肘掛けに肘を乗せて気怠そうにこちらを見つめている姿は、見る者が見れば『しっかりしろ』と言うだろう。

 口では王をけなすような言葉を言っていても、国王その人が発言すると逆らえない威圧感がある。

 現に先程まで声を張り上げていたマナは押し黙り、ティアラに至っては主の肩に止まって小さくなっている。

(……俺に用があって呼んだんだ。ちゃんと、失礼がないようにしないと)

 無意識に背筋が伸びる心地にさせられ、耳や尻尾の毛先までも伸びていくようだった。

「……アレン」

 するとレオの視線がこちらに向き、どこか甘さを含んだ声で名を呼ばれる。

 その声音にとくりと小さく胸が鳴り、緩く尻尾が揺れるのが分かった。

(ま、また分かりやすいって言われる……!)

 遠くからであっても、レオは獣人らの変化に目敏く気付く節がるようだ。

 アレンが慌てて背後に手をやって誤魔化そうとしていると、玉座の方からふっと小さく笑った気配がした。

「そこだと聞こえにくいだろう。こっちにおいで」

 その声音がどこまでも優しげで、同時に気遣われているのが伝わる。

「っ」

 まだ少し戸惑った表情のまま玉座に視線を向けると、黒曜石の瞳と視線が交わった。

 レオがどんな表情でこちらを見ているのかはっきりとは判別できないものの、不思議とその声に従いたくなる。

「おいで」

 もう一度、今度は軽く手招きされた。

 その仕草や声に導かれるまま、アレンは一歩一歩ゆっくりと脚を動かす。

 赤い絨毯の上を歩くのに慣れないのはもちろんだが、今から話す相手はレオであって『レオ』ではないのだ。

 この国の実権を名実ともに握る王で、レオにそういう気が微塵もないとしても、こうしたおおやけの場では逆らえない。

 震えそうになる身体を叱咤しながら、レオが座る玉座へ向けて脚を動かす。

 赤い絨毯に沿って歩いているが、脚を踏み出す度に音が大きくなっていくような錯覚に陥った。

 頭ではそんなこと無いと理解しているというのに、笑ってしまいそうなほど脚が竦む。

(馬鹿だな、俺も)

 レオが国王だという事実は、この城に連れて来られた時に聞いていた。

 しかしレオが『国王』だと思った事はその時きりで、こうして謁見の間に呼ばれるまでレオの肩書きを忘れていたほどだ。

 一歩、脚を動かす度にじわじわと現実味を帯びていく。

 これが夢ならばそうであって欲しい、と願わずにはいられなかった。

 それでも周囲に気を配る余裕は出てきて、アレンはやや俯きがちだった視線をまっすぐに玉座へ向けた。

 レオがこちらを見て薄く笑っているのが視界に入り、玉座のすぐ隣りに年嵩の獣人が立っているのが見える。

 その獣人は今ばかりはじっと静観しているものの、こちらが何か不適切な事を言えば即刻斬り伏せる──そういう、形容し難い雰囲気があった。

 スラムで育ったからか殺気には敏感な方で、しかしあえて『出している』という場合もある。

(あのひと……きっと、レオの次に偉いのかも)

 あれほど王の近くに居るというのに、レオは少しもその獣人を見ようともしない。

 それほど老年の男を信頼している証でもあり、またアレンには到底計り知れないほどの絆があるのだろう。

「……ロイエ」

 するとレオが年嵩の獣人──ロイエの名を呼んだ。

 主の声に気付いたロイエはレオの方にわずかに身を傾けると、レオがすぐさま耳元へ囁く。

 レオが何を言ったのか聞こえなかったが、ロイエの瞳がわずかに見開かれたのだけは見逃さなかった。

(なんだ……?)

 その瞳が鋭くなった気がして、胸の内がざわめく。

 なぜなのか分からないが、レオがよくない事を言ったのだけは分かった。

 それもこれも、ウェンディをはじめとするレオを知る者達から国王がいかに怠惰で、また自由な男であるか聞かされていたからだろうか。

『いち衛兵の俺らにすら無理難題を吹っ掛けてくるんですよ。んで、ご自分はいつも高みの見物しやがる。……いいんですけどね、この国で一番偉い方ですし』

 誰よりも陽気なウェンディには珍しく、その時はふと遠くを見る仕草をしていた。

 言葉の意味を尋ねる前に、普段と変わらずやり取りを静観していたリアヌが正論を吐き、以降はお約束の口喧嘩に発展してしまったため、結局のところ聞けずしまいとなったのだが。

 ロイエのあの表情はウェンディの言う通り無理難題を言ったからで、国王のいち臣下として何かしら行動を起こすのだろう。

(でも、ああいうひとまで使うのは、ちょっと……可哀想じゃないか)

 ロイエが幾つなのか分からないが、柔らかな金髪はところどころに輝きがなくて、ともすれば白くなってきているのが見える。

 深い皺が刻まれた顔貌は六十を超えていてもおかしくはなく、けれど一つ一つの動作が洗練されていた。

 年齢的な衰えを感じさせないきびきびとした動きは、レオの近くに居ると休む暇もないのかもしれない、とぼんやりと考える。

 やがて絨毯の流れが途切れ、そこから先は玉座に繋がる数段の階段があるだけだ。

 さすがにその先まで脚を動かす気にはなれず、そもそもレオはもちろんロイエですら、いち庶民であるアレンの歩みを止めないのはおかしい。

 加えて軽装ではあるが、謁見の間の両端には衛兵が一人ずつ一定の間隔を開けて整列しているのだ。

 常から王の護衛を任せられているであろう者達ですら、アレンのような浮浪者が下段の位置まで来る事を許すのは、本来であれば普通ではない。

 そう思っても、最早引き返す事はできないと分かっている。

 せめて失礼のないよう、今一度まっすぐに玉座を見上げて立ち止まる。

「あ、っ……」

 ひゅう、と図らずも小さく喉が鳴った。

 レオは変わらず笑みを浮かべてこちらを見つめているが、座っている場所が場所なだけに違うひとに見えた。

 柔らかく細められた黒曜石の瞳と視線が交わると、ふっと更に細められる。

「ちゃんと来て偉いな、アレン」

 幼い子どもに語り掛けるようなそれは、普段であれば一も二もなく怒っていただろう。

 しかし今はそんな事を言っていた己が信じられず、尚のこと脚が震える。

(ほんとう、に……レオ、なんだよな)

 目線はまっすぐにレオを見ているが耳は段々と垂れていき、尻尾に至っては股の間に入りそうなほどだ。

 レオはただしどけなく肘掛けに凭れているだけだというのに、この威圧感はなんなのだろう。

 それほどレオが纏う雰囲気が違うからで、謁見の間という格式張った場所だからだろうか。

「では呼んで参ります」

 するとアレンが下段で立ち止まるのを待っていたかのように、ロイエはレオに向けてきっちりと腰から礼をした。

「──失礼致します」

 ロイエとすれ違いざま、短くけれどはっきりとした低い声で囁かれる。

「っ!」

 ほんの一瞬ロイエと視線が絡んで、色素の薄い瞳が柔らかく細められた。

 どこか慈愛に満ちた瞳は、まるで母──アンナが笑う時とよく似ていた。

 けれどアンナの父はアレンが生まれた頃には既にいない、と聞かされていた。

 初対面のはずだが、温かな眼差しをロイエから向けられた意味が分からず、アレンは無意識にロイエの後ろ姿を目で追う。

 けれどロイエは振り返る事なく、出入り口付近で待機しているマナに礼をするとどこかへ向かってしまった。

 喉に針が引っ掛かったような、なんとも言えない気持ち悪さを打ち消すように、アレンは軽く首を振った。

(会った事は……ないはず、だし。スラムに来てたら別だけど)

 はっきりとスラムに来ていた貴族の姿を見た事は無いが、きっとロイエのような洗練された獣人なのは確実だ。

 アレンら子どもに遊び道具をくれただけでなく、多少ではあるがスラムの整備を良くしてくれた恩人でもある。

 成長してからは貴族がスラムに来る事は徐々に減っていったが、健康で幸せに暮らしていればいい、と願わずにはいられなかった。

「──悪いな、ここまで来てもらって」

 すると艶を含んだ声がほど近くから聞こえ、そこでアレンは意識を切り替える。

 改めて玉座に目を向けると、レオは安心させるように屈託なく笑っていた。

 片頬を上げて笑うさまは普段と少しも変わらなくて安心する反面、心臓が別な意味で高鳴っているのは変わらない。

「いや、だい……」

「早速で悪いが、お前を呼び寄せたのはほかでもない」

 大丈夫、とアレンが口を開く前にレオが半ば被せるように続ける。

「昨日、お前が探してる奴が見つかった」

 それははっきりと言葉にせずとも、誰のことを指しているのか瞬時に理解した。

「かあさん、の……?」

 アンナを殺した犯人が見つかったというのか。

 セオドアの店を拠点に聞き込みをしても、街へ向かっても確たる情報は一つも得られなかったのに。

 多少の距離があるとはいえ、謁見の間には互いの声がよく響く。

 さすがに直接的な言葉を、衛兵やマナが居る前でとても言う気にはなれず、目線だけでそう尋ね返した。

「ああ。遅くなってすまなかった。……本当にすまない」

 そう言うとレオは軽く頭を下げた。

 背中に流していた絹のような艶のある黒髪が、さらりと胸の前に流れ、さながら神々しさすら感じる。

「っ、えっ……と」

 なぜ重ねて謝罪されるのか分からず、アレンはぱちぱちと瞬きを繰り返す。

 本当に見つけ出してくれるとは思わなかったが、どこに居たのかだけは言葉を濁さず、レオの口から聞きたい。

 しかし多くはなくとも衛兵らが居る手前、こちらから尋ねるのはいただけない気がした。

「……あれだけ聞き込みしても見つからなかったのにどこに居たんだ、って顔だな。ま、要は」

「──おいこら、黒猫。わざわざ俺をこっちに呼び出すとはいい度胸だな」

 するとレオの言葉に被せるように、低く怒気を含んだ声が聞こえた。

「……え」

 声がした方に視線を向けると、大きな白い耳が特徴的な獣人──セオドアが出入り口の扉に背中を預けていた。
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